書籍レビュー:『つながりの作法―同じでもなく 違うでもなく』 著:綾屋 紗月, 熊谷 晋一郎

★★★★★( ºωº )

自閉症スペクトラム者(本書では「アスペルガー症候群」と記載されています)の綾屋紗月さんと、脳性まひの熊谷晋一郎さんの共著です。本書では書かれていませんがお二人はパートナーだそうです(Wikipediaより)。

本書は「つながり」について書かれた本です。綾屋さんと熊谷さんの身体的なつながりの疎・密の過剰の話から始まり、社会的なつながりの話へ展開して、いかに適度な「つながり」を模索してゆけば良いのか、方法論と分析、試みについて書かれています。

一つのテーマは「当事者研究」です。当事者研究とは

自分の身の処し方を専門家や家族に預けるのではなく、仲間の力を借りながら、自分のことを自分自身がよりよく知るための研究をしていこうという実践(P102)

と定義されています。

自閉症、脳性まひなどに限らず、マイノリティは当事者運動やグループを作り、いままでマジョリティに抑圧されていた自らのアイデンティティを再定義することができますが、いったん当事者がカテゴライズされてしまうと、用語やカテゴリーが硬直化し「お前はほんとうの自閉症じゃない!」という本質主義に陥る恐れがあり、またせっかくマジョリティからの圧力から逃れたのに、グループができればそこで力関係が発生し、新たな圧力が登場することは必至です。

二人は現代フェミニズム(上野千鶴子さんの言説だそうです)を例にとり、カテゴリーとは「常に暫定的なもの、差異化をして絶えず線を引き直さなければいけないもの」と捉えます。これを実践するのが、当事者研究である、と主張します。簡単に要約すると、安全なコミュニティの中で「語り」と「解釈」を繰り返すことで普遍的なパターンを見出し、一方では変えられない差異を見出したりする活動のことなのですが、具体的な実践活動がどのようにされているかについては、本書を読んでみてください。

ここからは個人的な感想です。

綾屋さんはあらゆる刺激を等価に受け取り、あらゆる情報が大量にインプットされ、それらを統合することができず、頭がフリーズしてしまうそうです。

ぼくもアスペルガーの診断を10年近く前に受けていますが、外界の刺激についての情報の感じ方は綾屋さんとは逆で、情報量が極端に少ないのです。脱水症状も熱中症も疲労も全部「眠い」で済ませてしまうし、色や質感の感覚にも乏しいし、文章内で形容詞をほとんど使いません。数名から言われましたが、ぼくの文章を読んだ人は堅くて淡々とした印象を受けるそうです。なので綾屋さんの文章は、第一印象では、言いたいことはよく分かるのですが冗長で読みずらく感じました。熊谷さんの文は論理構造があらかじめ決まっていると思われる四角い文章なので、すらすら読めました。

ところが綾屋さんの書いた第6章は死にたいスパイラルに落ち込むまでの過程が超詳しく書かれていて、当事者研究でいう所の「部分引用」にあたる言葉が頻発し、落ち込みました。そのまま外出したら、外界の音や意味や光や色が怖くなりました。人の顔を見るのも厭だし、咲いてる花や葉の色が眩しいし、立て看板や広告の文字をみると不安になるし、音楽を聞いていても腹が立つ。

ぼくは小さいころ、感覚過敏でした。雷が鳴れば光が怖くて座布団3枚の下に顔を隠したし、ドラクエやFFのエンカウント音と光が怖くてプレイできなかったし、寝室にチクタク言う時計があって毎日眠れませんでした。

感覚過敏は大きくなると治るとよく言われますが、ぼくも中学生くらいから症状が治まっていきました。しかしこれは治まったのではなくて、「感覚を殺して無視するようにした」のだと気づきました。具合が悪くなると、感覚過敏が蘇るからです。あらゆる色や匂いや音が襲ってくる感覚は、ぼくにもあったのでした。忘れていました。体力のあるときは、感覚過敏があると生きづらいので、無意識下で感覚をねじ伏せてしまえるのでしょう。しばらくして調子が良くなると、ハイコントラストで針が振りきれ切っているような世界はどこかに行ってしまいました。

そんなことが分かったので久しぶりに★5+をつけました。良い本です。

 

参考文献

当事者研究の実践書。本書に引用されていたセリフに印象深いものが多かったので、ぜひ読んでみたいです。

 

これも近いうちに読みたいです。


書籍レビュー: たぶん当事者専用『無限振子 精神科医となった自閉症者の声無き叫び』 著: Lobin H.

★★★★★( ˘•ω•˘ )

 

表紙買いです。この表紙すごく気になりました。

この本には呼ばれていたのだと思います。自閉症関連の本では現時点で最強です。

 

著者のLobinさんはカナー型自閉症かつ高機能、なんと精神科医です。プライバシー保護のため仮名にされているのが実に残念ですが仕方ないです。表紙イラストもLobinさんによるもののようです。ああやっぱりな。

背表紙も目を突き刺します

Photo_2

無限振子: 続・織田真理的生活

 

中身は著者の半生記とも呼べるもので私なんかよりよっぽど苦しい人生を送っているわけですが、一番心を打ったのは本文の文体から感じられる雰囲気全部です。私の文章とそっくりなのです。特徴的な分かち書きを多用する、話が飛ぶし指示代名詞がどこから来たのかわからなくなるし、自分の中の固定観念っぽいものを他の人間もまるで分かっているかのような口調で書くし、とにかくユーザーに優しくないのです。終盤にサポーターの先生2名(常識人)の解説があるのでこれを読むと彼女の文章が一層引き立ちます。

人に対する”love”という感情は、私の中には存在しません。物は愛します。物には簡単に”love”を抱きます。でも人には、せいぜい”like”までです。その男子にも、ただその目立っているカリスマ性の様なものに惹かれ、例の通り、私はその人を真似しようとしました。(P26)

分かりますかこの違和感?文面からは分かりづらいけどなんとなく感じる普通の文章とのずれ。全く言語化できなくて申し訳ありませんが何か違うんです。

なお本全体を読んだ感じだと、彼女のなかにloveは存在しています。特にセラピストの坂本先生やP69に出てくる「同じ世界に居る」人に向けられた気持ちはどう考えてもloveでした。ただ表出方法が普通の人と違うだけです。そう考えると一般的な言語であるloveという言葉に当てはめるのは適当ではないかもしれません。同様の理由でlikeも適当ではありません。

内容の詳細については直接読んでいただきたいので書きません。手記の内容は超ブログといったような感じで精神力を絞って泣いて泣きながら書いたことが推測されるような大作です。P80-81の障害者センター見学の様子は感動的でした。

 もう1点だけすごく気になったところを引用します。

わたしが最も印象に残っているものは「あなたは自閉症とはどういうものだと考えていますか?」という質問です。私は暫く考えて、「自分の事も他人の事も解らない」と答えました。咄嗟に答えた事ですが、今も正にこれがASDの本質だと、私は思っています。

わたしは未だに何故家を出たのかわかりません。もう3か月も経ちましたが総括に至っていません。人に説明できたことがありません。言いたくなくて言ってないのではないのです能力的に言えないのです。置いて行かれたこどもにとっちゃひどい話ですが理由もわからずとにかく出ました。

自分も他人も解らない。これが本質であることには疑いが全くありません。なんでみんな「~~~だからさ!!!!」って明確に理由説明できるん?そして理由を他人にも求めるん?

まともに解説できなくてごめんなさい

 

 

(追記)参考書籍

 Lobinさんは「仮面」を使って生きていたと告白しています。他人にとって理解されないであろう自分を覆い隠し、生きていく上で必須の社会性を自動化させるためのツールです。「仮面」の元ネタはこれです

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

 

わたしも身に覚えがあり過ぎるのでこれも読んでみないといけません。

 

Lobinさんが好きだったというねこぢるの作品です。前から思っていましたがこれは自閉症と親和性の高い作品です。うちにもありましたがこどもに良くないという理由で廃棄しました。もう一度読みたいです。

ねこぢる大全 上

ねこぢる大全 上

 
ぢるぢる日記

ぢるぢる日記

 

なぜよくないかというとねこぢるは首をつって自殺しました。夫の手記です

自殺されちゃった僕

自殺されちゃった僕

 

 

 


書籍レビュー: マクロな世界史『世界史』 著:ウイリアム・H・マクニール

★★★★★ʕ→ᴥ←ʔ

 

人類発祥から現代史に至るまでの数千年を1冊で語ってしまうという本です。世界史には以前から興味があったので、まず読んでみたいと思っていた一冊でした。アウトラインだけザーッと書いてあるのかと思ったらとんでもない、見た目も内容もヘビーでした。歴史に慣れていないこともあって読むのに合計20時間は費やしたのではないかと思います。10冊分ぐらい読んだと思ってよさそうです。

まず驚愕するのはマクニール教授の異常な博識さです。歴史学者なので全ての時代について綿密な考察がされているのは当然として、物理学、数学、音楽、美術、建築などへの言及も誤りなくしかも示唆に富んだ記述がふんだんに盛り込まれています。人類が今までになした軌跡をあまねく辿るのですから、全てのことについて理解がないといけないのは分かりますがいやすごいですね。

イノベーションで興隆が決まる

全体を通して「歴史はイノベーションの連続である」という思想が感じられます。イノベーションを発明した地域が繁栄を極め、残りの地域はそれに追いつこう、取り入れようと奮闘するという構図が至る所に散見されます。たとえば紀元前、農耕がはじまったことで富の蓄積が初めて可能となり、文明が生まれました。以降数千年に渡り「文明ー周縁」という定義が出来上がり長期間にわたって固定化します。マクニール氏に言わせれば四大文明ですらメソポタミアが時代の最先端で、あとの3つは周縁の扱いです。

暴走族ハーン

一方古代文明は常に蛮族との戦いを常としており、維持するだけでも並大抵出ない努力が必要でした。蛮族は大抵中央アジアからやってきます。中央アジア~モンゴルは北斗の拳でいう修羅の国とほぼ同じ扱いを受けており、西洋の蛮族バリアーはいまのイラン・イラク付近、中国のバリアーは万里の長城でした。なにしろ蛮族は馬の扱いに長けており、時々暴走族を統率できるカリスマ族長が現れると圧倒的な力を発揮するので、マジで強いのです。歴史上最強の暴走族長はもちろん、日本の小学生でも知ってるチンギス・ハーンです。

www.youtube.com

ただし蛮族は力は強いけど安定した制度やインフラを作る力が無く、世界各地を征服した後大抵が後継者争いで崩壊してまた元に戻るという繰り返しでした。日本にやってきた元は中国文明を吸収してドーピングしたため、比較的長持ちした方でした(でもやっぱり後継者争いで崩壊)。

産業革命と民主主義

1500年以降のイノベーターはなんといっても西洋です。1500-1700年の間に西洋で発展した「産業革命」「民主主義」の2つは今でも続く西洋の優越の源泉となっています。産業革命によって種々の生産が大規模になったことと、自動車を作ったからタイヤ・ゴム産業が発展、電気産業が発展したから電線に使う銅産業が発展、というように連鎖反応が起きてテクノロジーが指数関数的に発達し、周りの文明との距離をグングン開いていきました。箱根駅伝の2区で2位と5分差をつけてしまってそのまま10区までトップでゴールインしてしまったような感じです。

民主主義は第二の力の源泉でした。それまで西洋の政治とは、神の力を受け継いだ統治者によってなされるものであり、それゆえ変えることができないものだと思われていたのです。現代人の感覚からすると笑っちゃいますが大日本帝国だって天皇は現人神ですから1945年までは神権政治だったのです。

民主主義の実現によって、政府は人間の手で作られるものだという認識が生まれ、柔軟に政策を展開できるようになりました。さらに重要なことは、「俺たちが選んだ政府だぜ!」という認識が国民にあるため、政府の権力が格段に上がったことです。全国民が共感してくれれば反発なく彼らを徴兵して、国のために喜んで死んでくれる兵士を空前の規模で集めることができたのです。これが西洋政治の強みでした。

民主主義っていうと人間の自由な精神の獲得物と解釈されがちですが西洋人の認識は以上のようなものですので、こわいですね。

引用集

本書は細かい点では感激する点が大量にありました。読書中に面白いと思った所にはいつも付箋を貼って、あとでここに書く材料にしているのですが、本書は付箋が100カ所くらいに貼ってあります。とても紹介しきれませんので、いくつか引用を書いてこの記事を終わりにします。

帝国主義の推進者たちが貪欲なヨーロッパの投資家に約束していた利益は、ほとんどの場合実現しなかった。実際のところ、帝国主義というのは現金に換算してみると、全体として決して引き合わなかったのは確かなようだ。アフリカの植民地行政と開発のためにかかった経費は、おそらくアフリカからヨーロッパにむけて送られた物資の総価額を超えていただろう。・・・白人がアフリカの資源を掠奪して巨大な富を手にしたという意見は、単純計算による偏見でしかない。(P560)

奴隷貿易なども考えると現金の大小だけで割り切ってしまうことには抵抗がありますが、一方的に搾取するだったという見方が一面的であることは、反省してもよさそうです。

イスラム教徒の間では、宗教と政治ははるかに結びつきが強く、それはマホメット以来のことであった。おまけに、イスラエルが1947年と1973年の間にアラブと戦って買ったことも、世界中のイスラム教徒の宗教的意識を尖鋭化させた。なぜなら、敗戦を納得のゆくように説明すると、聖なる法典に記された神の意志に従わなかったから神は罰された、ということになるからである。(P621)

イスラム過激派がなぜ現代でも力を振るうか、についての原理的な解説です。なんと「負けた」→「神の言う通りにしなかったからだ!次は勝つる」の無限ループになるということです。イスラムが迫害されるほど尖鋭化する理由の一つです。

イスラムは中世にそのモーレツさで装備の不利も克服し兵隊の大量動員と統制をもって一時は世界を席巻しましたが、コーランが時代に合わなくなっても変更が不可能であるという根本的な欠点により、勢いを失ったと解説されています。イスラム嫌いじゃないんですけどね。コーランは古典だと思って、源氏物語とか古事記とかと同じ扱いにしてゆるーく尊重すればいいんじゃないのかなあ。

科学者たちはさらに革新的な技術飛躍の縁に舞い上がっているように思われる。そして、加速化する科学と技術の進歩は、来るべき未来に、人間問題に深い影響を与えることは確実である。過去においても事情は同じだったが、影響は間歇的だった。新しい考え方が、われわれの行動を変えることによって、予見しなかったような影響を世界に与える。これは、人間が、未来への展望の共有に基づき、人間の行動を統合しようとして言語を使い始めて以来、おこっていることである。現代においては、新しい観念の氾濫が、このむかしながらの過程を加速させ、その速度と力を強め、伝統的な慣習に対して、いままでよりははるかに大きな破壊力を発揮しているのである。(P639)

ほぼ最後の〆の言葉です。いかにも1917年生まれのじーさん(ご存命です!)らしいセリフですが、ここまでの長い長い歴史の叙述を踏まえると感動もひとしおでした。

現代ではイノベーションが現れては消え、現れては消えの繰り返しで、その周期も速くなっています。2000年にバブルを引き起こしたインターネットももはやインフラの一部となっていて、目新しさはありません。50年後、今の時代はどのように振り返られることになるのでしょうか。未来の歴史書を読んでみたいですね。

 

 

本書は文庫版もあります 

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

  • 作者: ウィリアム・H.マクニール,増田義郎,佐々木昭夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/01/25
  • メディア: 文庫
  • 購入: 37人 クリック: 1,062回
  • この商品を含むブログ (84件) を見る
 

 

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

  • 作者: ウィリアム・H.マクニール,増田義郎,佐々木昭夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/01/25
  • メディア: 文庫
  • 購入: 25人 クリック: 134回
  • この商品を含むブログ (56件) を見る
 

 

参考書籍

マクニール博士のもう一つ有名な本です。

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

  • 作者: ウィリアム・H.マクニール,William H. McNeill,佐々木昭夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/12
  • メディア: 文庫
  • 購入: 4人 クリック: 66回
  • この商品を含むブログ (32件) を見る
 

 

類書。本書では鉄も病原菌も銃もイノベーションや大きな影響の一つとしてとらえられているので、二番煎じじゃないんかと思います。でも読んでみたい。

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

 

 

 

 近代史

大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉

大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉

 

 

 冷戦

アメリカ外交50年 (岩波現代文庫)

アメリカ外交50年 (岩波現代文庫)

  • 作者: ジョージ・F.ケナン,George F. Kennan,近藤晋一,有賀貞,飯田藤次
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/10/16
  • メディア: 文庫
  • 購入: 1人 クリック: 58回
  • この商品を含むブログ (33件) を見る
 

 

インド

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)

 

著作権切れのため、原著はネットで公開されてます

An Autobiography or The Story of my Experiments with Truth – Wikilivres

 

 中国

中国の歴史―古代から現代まで (Minerva 21世紀ライブラリー)

中国の歴史―古代から現代まで (Minerva 21世紀ライブラリー)

  • 作者: J.K.フェアバンク,John K. Fairbank,大谷敏夫,太田秀夫
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 1996/07
  • メディア: 単行本
  • クリック: 2回
  • この商品を含むブログを見る
 

 

ベトナム戦争

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)

 

 


書籍レビュー: 小さき光 『紺』 著:c71

追記:『紺』電子書籍版が出版されました。

 

 


一体どんな記事が読まれているのだろう、とクリックしてみて衝撃を受けたのを覚えています。初めて読者登録したのはc71さんのブログでした。それ以後も新着記事が出るたびに読んでいます。このブログがどうして気になるのか分かりませんでしたが、過去のログもさかのぼって読んでいました。
本書はc71さんが第一回文学フリマ福岡に出品した作品です。上のリンクからstore.jpでも購入できます。私はここで購入しました。内容は小品が4つ、彼女の実体験に即した*1私小説、随筆とブログの記述をさらに大鍋でじっくり煮詰めたような作品でした。

1作目『「頭蓋骨を割られたんだよ、それでも」と彼女は』はDV被害者?のためのシェルターでの出来事です。ちょっと長いですが、一番印象に残ったところを引用します。

 痩せぎすの女は続ける。「警察を呼んでね。それで、わたしの自動車だったらまだ我慢できた。だって、わたしのだものね、わたしの頭蓋骨だって、ひびが入ったんだよ。それでもね、それでもさあ、体のことならまだ我慢できた、でも、子どものものをなんてね、あれはあの子のものなんだよ」と目の周りを黒くして、堂々とした調子で言った。わたしは、なぜ、頭蓋骨を割られても我慢したのか、ということが理解できないでいる。
 「それでね、わたしは、逃げることにしたの。そうだよね、誰だって逃げるでしょう。頭蓋骨は自分のことだからなんとか逃げないでいても、ほら、子どものものだったら、自分のものじゃないから、それはひどいと思って」わたしはそれを聞きながら、魚の煮物を食べようとしている。頭蓋骨を割られても女は、我慢するものだ、という気持ちの欠片がわたしを刺している気がした。

よく読むと、実は痩せぎすの女は「頭蓋骨を割られても女は我慢するものだ」とは言っていません。「私は我慢した、子ども(を殴った?)のは許せない」と言っています。ここから「わたし」は相当に強い歪みを植え付けられたことがわかります。2作目を読むと分かるのですが、「わたし」がシェルターに避難する前に交際していた男性は拘束する男性だったということですので、四六時中、女は耐えるものだとか俺の言うことだけ聞いていろ反抗したらただではおかないとか言われ続けたに違いありません。つまり気持ちを刺したのは痩せぎすの女の言葉を借りた、男です。後述しますが男はアホです。支配自体が好きなので何でもします。

2作品目の『ブルー・ビーナス・ブルー』は個人的なことで申し訳ないのですが、あまりにも自分の状況とタイムリー過ぎて打撃をうけました。これを読んで私がなぜc71さんのブログが気になっているのかわかりました。1作目から時系列が戻り、同居男性からの拘束から脱出する前後の過程を描いています。

直接殴られることはなかったものの、生活の中で、私の意志が通ることはなかった。あれが「生活」と言えるならば。今のわたしはあれが、「生活」なんてものなんじゃないと知っている。わたしは「言葉」で、愛していると言われたから、それが約束だと信じていた。信じていたけれども、実際には、いつも譲ることが多く、だんだん、意思やからだの安全を浸食されて、友人との接触も家族との接触も禁じられるようになっていった。

わたしが探していたのは、この感覚だったようです。私の意志は、十数年間の生活の中で、葬り去られようとしていました。外出できる時間は限られ友人との接触もない、食事への無駄な浪費*2のせいで私に残るお金はゼロ、意見の違いは私の異質性と頭の回転の悪さのせいで、論駁され切り捨て、すべてどこかに置いて行かれました。
私の親がキチガイなのも悪いのですが、過去の自分と関連がある世界は全てタブーでした。口に出すことも許されていませんでした。私は過去の夢をしょっちゅう見ました。明らかに抑圧の補償のためだったと思います*3。家族との亀裂の決定打となったのは私が古い友人と会うと言ったことでした。私も決定打となることが分かっていて言い出しました。
わたしはc71さんの段階よりもさらに進んで、結婚しこどもも生まれました。そしてこどもを3人置いて家を出ました。世間一般の常識から言ってクソ人間です。自分のお金がないことで困っていたのに、結果的に生活費はワーキングプア以下となりました。通帳もカードも置いてきました。給料の80%以上が毎月そこから引かれます。しかしそこまでしてでも自分の独立が欲しかったのです。
20代の頃は愛というものが存在すると思っていました。そしてそれを求めなければいけないと思っていました。求めなければ人間としてのレベルが低い、人間失格、自己卑下すべき存在だとすら思っていました。私たちはいかに社会に思考様式を規定されてしまうことでしょう。
しかし私にはもともと愛なんて備わっていなかったようです。気が付くまで10年以上かかりました。でも指輪はしたままです。外す理由が見つからないのです。あるのかないのかどっちなんだ。まだ家を出たばかりで、気持ちが整理できるまで時間がかかるのでしょう。もっと正確に言うならわたしには愛はあるが世間一般の愛とはずいぶんと違うものなのではないかと考えています。どう違うのか説明するためにはもっと頭が良くならないといけません。

脱線しました。自分のことを話したがるのは、抱えていたものが重すぎて吐き出さないと潰れてしまいそうだからだと思います。拘束される男から逃げるくだりでは、「わたし」ははじめ歩けないと思っていたと書かれています。

風はわたしの方に吹き込んで来たので、わたしは風に抵抗するように歩いた。風を切って、振りほどくように。歩こうと思ったら、歩けた。歩き方も忘れたと思っていたのに。指示されなければ右足の出し方も忘れてしまったのだと思っていたのに。右足を出したら、左足が出た。交互に動かしたら歩けた。

とても感動的な描写です。この「右足の出し方も忘れてしまった」というところがグッとくるのです。そう思わされているだけなのです。無能力にされていたことに気づけて良かったと思います。恫喝によって近しい人間を無能力にするというのはアホの使う常套手段ですが、それはそれだけあなたが脅威であったということですので、自信持ってください。

 

3作目『柔らかにつたのつるは伸びて』稼がない男や生活能力のない男の批判がされています*4

 小菅井さんの口癖は「どう思う?」と「男なんてほんとろくでもない」で、わたしはその後者に強く同意する。本当に男はどうしようもない。働かないし、偉ぶるし。

私は男ですが、主語を大きく一般化して男はバカだと言い切ってよいと考えています。思うに、女性は生理があるため体のバランスが周期的に変わります。したがって体調を常に気にせざるを得ません。すると、あああの人も大変なんだなと他人への思いやりも湧きやすいのではないかと想像します(共感しない人もいると思います)。視点が自らの周辺に集中する以上、生活への関心も高くなるでしょう。
男は体温が一定です。自らの生存についてあまり考えないでよく、せいぜいウンコ漏れそう程度の生理現象を気にしていればよいです。なので体のことなんか無頓着です。自分の体に無頓着なら他人の体にも無頓着で想像力不足です。いきおい視点は他人ではなくオレ様に向かいがちです。しかし他人は自分の言うことを聞かないし、男は言語的能力が低いことが多いため他人を説得し納得させる能力もありません。
そこで生物学的に恵まれやすい腕力をもって他人に言うことを聞かせます。自分の体はてめぇのおかげで獲得できたわけではないのに、腕力が自分の力である、自分えらい!すごい!と考えます。口では絶対に言い負かされてしまうことが分かっているので、腕力への盲従バイアスはらせん状に強まります。暴力を振るう人間はいつも隠れてビクビクしているのです。砂上の楼閣です。このような人間にはバンバン公権力を使ってください。後ろ暗い人間は法や権力に弱いのです。

ラスト『夜には星をつかんで』はいつものc71スタイルで、とても好きな作品です。

 頭を抱えたくなることもたくさんあるし、自分がやってしまったことを後悔することもある。恥ずかしさに叫びだしたいときもある。夜には気持ちがすっと深い色になる。悲しみも、苦しみも、苦さも、秋の色のように、深く沈んだ、でも豊かな色合いになる。

c71さんは色の表現が好きですね。脳の配線が知覚と色で混線すると共感覚が発生するそうですが私は色彩が感情と分断されており夢にも色の概念が存在しないのでとてもうらやましいです。タイトルも『紺』でしたね。紺色がどのような気持ちと重なるのか興味があります。

本作品は特に最後の1ページが好きで紹介したいのですが、ここで引用すると本作品の価値が減ぜられるおそれがあるので、みなさん買って読んでください。私のブログはc71さんのものとくらべると2ケタ少ない人数しか読まれていないので、大した数にはならないですが。。

そういえばc71さんは自閉症スペクトラムであると書いていました。私は8年ほど前にアスペルガー(DSM-5では自閉症スペクトラムの一部分になりました)と診断を受けています。誤解を恐れずに言えば自閉症スペクトラムとは、先天的わがままである、と考えています。

自閉症スペクトラムは脳の配線や機能的な不均一に由来することが近年わかってきていますが器質的なことはさておき、いくつもの実証例を見てわかることは、スペクトラム星人は地球人とは思考様式が異なるということです。常に日本語とスペクトラム語に同時通訳しながら他人と関わる必要があるため、消耗します。地球人との会話は不可能ではありませんし家庭生活を営める星の人間も存在しますがきっとその人は疲れています。私も疲れた人間のうちの一人です。先天的わがままと表現したのは、他人と交わることを期待しつつ、根源的なところで孤独を好む存在であるということです。他人と有機的で実りのある、お互いに高めあうような交際をしたいんだけれど、実は心の底で自分の利得を計算している。根っこのところで他人の願いよりも自分の願いを優先したいと思っている。いま読んでいるソローもそんな人間に見えます。でもそれの何が悪いのかというと、何も悪いところはありません。地球人よりも自覚的にわがままになれる、らくーにわがままにスイッチを入れ替えることができるというだけです。ただし近年知られているように、スペクト星人には色んな惑星の出身者がいますから、みんながみんなそうという訳ではありません。これは私の主観です。どうも、スペ人には他人との密な交流を求めるも挫折する人間が多すぎるように思うのです。。

最終1ページがなぜ好きかというと私がここにものを記すスタンスと完全に一致しているからです。一人になって、誰もいない住宅街を歩き誰もいない部屋に帰る夜、この記事の下書きをほのかな光の中で作っている気持ちにジャストミート*5しました。あなたのシグナルが届いている人はたくさんいます。ここにもひとり。

 

 

紺

 

 

*1:そうじゃなかったらごめんなさい

*2:家族は無駄と思ってないでしょう

*3:「夢判断」を読まなければ

*4:1作目にもあります

*5:いつ流行ったんだっけこれ


書籍レビュー: 第三の思考!?『自閉症の脳を読み解く―どのように考え、感じているのか』 著:テンプル・グランディン

★★★★★( ✧Д✧)パターン!

 

テンプル・グランディン(1947-)さんの本は初めて読みます。

彼女は最も成功した部類の高機能自閉症者です。動物学博士号持ちの学者さんで、家畜が苦しまないようにという思いで「締め付け機」を開発し、北米の肉牛は彼女が開発した装置で処理されているそうです。この機械にはかなり思い入れがあるようで、本書でもあちこちで断片が登場します。彼女の著書は邦訳本だけでもかなりの数が出版されていますし、映画も出ています。

Temple Grandin [DVD] [Import]

Temple Grandin [DVD] [Import]

 

この本を読んで彼女のファンになったのでいずれ絶対に見ます。

本書はタイトル通り自閉症を脳科学を中心に語る本ですが、彼女の自伝的な記述や、自閉症の歴史、自閉症者がどのようにして発達していけばよいか、などその話題は多岐に渡ります。

精神分析から脳科学へ

自閉症診断については、ここ数十年で大きな変化がありました。カナーとベッテルハイム(特に後者)が自閉症の権威者であった20世紀中~後期は、自閉症の原因の半分くらいは「親の愛情不足」が原因とされていたそうです。その背後にはなんでも親のせいにしてしまいがちな精神分析論があったようです。ベッテルハイムに至っては親が子供を虐待すると自閉症になるとまで言っていたそうです。

しかし精神分析の大家フロイトは、精神分析はいずれ生物学的分析にとってかわられると予言していたそうです。彼は

「われわれの心理学的な暫定仮説はすべて、いずれは有機的担体という土台の上に基礎づけられるべきであることを、想い出さねばならない」

なんて言ってたそうです。精神分析は科学が進歩するまでの一時しのぎに過ぎないと彼は考えていました。そして、脳科学の発展の現時点での成果が、本書に記されています。

2008~2010年にニューヨーク市コロンビア大学医療センターの機能的MRI研究センターにて、上側頭回(じょうそくとうかい、発話の音を意味のある言語に処理する聴覚系の部位)の機能的MRIスキャンを受け、その活性化を測定しました。その結果、自閉症の被験者15人+対照群12人のうちから、14人を自閉症と判定することに成功したそうです。まだ精度は100%ではありませんが、脳を検査することで自閉症の「バイオマーカー」を見つける技術は、すでに発明されているそうです。

グランディンは典型的な視覚優位の人で、建物を見ただけで設計図を書くことができてしまうそうです。彼女は脳をスキャンした結果、さまざまな領域を繋ぐ白 質錐体路というところの接続が過剰であり、視覚野に繋がる回線の数が多いため視覚記憶が優れている証明されました。しかし過剰はどこかの欠乏とトレードオフです。彼女は左側側室が右側側室よりも50%以上長いため、頭頂葉が圧迫され、作業記憶(ワーキングメモリ)が妨害され、身体の動作や同時に作業をこなすことが苦手だそうです。自閉症患者は大抵の場合脳の大きさがアンバランスであるため、脳の検査によって自分の特性を正確に知ることが期待されます。

自閉症者と感覚処理問題

テンプル・グランディンさんは「予想していない大きい音」が突然聞こえることに弱かったそうです。例えば、いつ割れるか分からない風船。これを読んで、私がRPGをプレイできなかったことと全く同じである、と知り大変驚きました。

そういえば風船は苦手でした。想い出せば他にもあります。私は雷が苦手です。いつ光るか分からないからです。小さい頃は雷が鳴ると必ず布団や座布団を顔にかぶせて目をつむっていました。今は目をつむるほどではありませんがやはり苦手です。

携帯電話の着信音やバイブレーションも苦手です。特に、メールを送信した後、必ず短い時間の間に返信が返ってくることが分かっている場合です。近いうちにおきる、大きな音や皮膚への刺激が嫌なのです。なので私はメールを送信した後、必ず携帯電話を離して置いたり鞄に突っ込んだりします。現在の話です。

出会った人の中には、耳に入ってくる音がだんだん大きくなったり小さくなったりして、接続不良の携帯電話で話しているように聞こえたり、花火の大音響のように聞こ えたりするという人がいた。体育館に行きたくないのは、スコアボードのブザーの音が板だからだという子供もいた。母音しか口に出せない子供もいたが、おそらく子音が聴き取れなかったのだろう。こういう人々のほぼ全員が自閉症で、蓋を開けてみれば、自閉症の人の10人中9人が、1つ、あるいはいくつかの感覚処理問題を抱えている。

残念ながら感覚障害はほとんど研究されておらず、脳のどの部分が関わっているのか、自閉症だとなぜ感覚障害がおきるのかはほとんど研究されていないそうです。しかし、自閉症者に感覚障害、特に視覚や聴覚の過敏、アンバランスが存在することはほぼ間違いないらしく、グランディンは興味深い持論を展開していきます。第四章に詳しく書かれています。

個人的には感覚過敏はとくに精神的に不安定な時期に一層過敏になるという実感があります。ごく小さい頃と、最も危機的だった20代前半にひどく炊飯器から発せられる電子音も我慢できないほどでした。逆に、過敏であることが精神的に不安定さをもたらすのかもしれませんし、研究が待たれるところです。

第三の思考「パターン思考」

もうひとつ面白い仮説がありました。「3種類の思考仮説」です。一般的には、思考は「言語思考」「視覚思考」の2パターンがあると考えられています。言語が左脳、視覚は右脳が担当するということはよく言われますね。グランディンは先に述べたように視覚思考の人間です。しかし彼女は自閉症の研究を続けるうちに、もう一つの思考パターンがあるのではないかと考えました。それは「パターン思考」です。

例えばプログラミング。

シリコンバレーのあるIT関連企業で講演をした後で、どうやってコードを書くのか社員の何人かに尋ねた。プログラムのツリー構造全体を実際に思い浮かべ、それから、頭の中でそれぞれの枝にひたすらコードを打ち込むという返事が返ってきた。パターン思考者だ。

私はプログラマーですが、まさにこの通りです。一度プログラム構造さえ考えついてしまえばあとは単純作業ですので、音楽やら外国語リスニングやら「ながら」で作業することも楽々なのがプログラマーのいいところです。バグが出たときは構造の考え直しですので無理ですけど。

円周率を22514桁暗唱したダニエル・タメットは外国語の習得も得意だったそうです。

タメットは、たとえば、ドイツ語を独学で学んでいる時には、「小さくて丸いものは『Kn』で始まることが多い――Knoblauch(ニンニク)、Knopf(ボタン)、Knospe(つぼみ)――」ことに気づいた。長くて薄いものは「Str」で始まることが多く、たとえばStrand(海浜)、Strasse(道路)、Strahlen(光線)がある。パターンを探していたというのだ。

ドイツ語は私も鋭意勉強中ですので、大いに参考にします。そういえば、私は「試験」が得意でした。いずれ振り返りで書くつもりですが、「試験」というパターンが私に「合って」いたのです。大学入試では明らかに他人よりも少ない時間の学習で簡単に高得点を取ることができ、のめりこみました。ただしそれは今思えば、問題のパターンを覚えていったにすぎず、学問の本質など全く理解していませんでした。ただ闇雲に問題の数を解きさえすれば、本質が分からなくたってテストで点数を取るのはカンタンでした。今思えば、この表層的なパターン抽出への過剰適応が、大学に入った後に矛盾を起こしてしまうことになったのだ、と本書を読んで結論付けることができました。これはまた後日考察と共に詳述するつもりです。

社会スキルも大事だよ!!

グランディンは自閉症の特質をうまく生かせば、活躍の場は開けていると述べます。なんとも希望の持てる内容ですが、そのためには脳の特性を早期に知り、適切な教育を受けることが必要であると言っています。さらに、就労のためには他人とうまくやるスキルは必須ですので「言い訳をしない」「人と仲良くする」「感情をコントロールする」「マナーに気を付ける」などの基本的社会スキルは大事であるとも語ります。きびしいです。でも彼女の意見に耳を傾けることは、自閉症者にとって大きな力となることは間違いありません。他にも大量の興味深い話題がありましたが面白くてあっという間に読めてしまいました、とても面白い一冊でしたので、彼女の他の著書も読んでみたいですね。

 

 

関連書籍

グランディンさんの本

自閉症感覚―かくれた能力を引きだす方法

自閉症感覚―かくれた能力を引きだす方法

  • 作者: テンプルグランディン,Temple Grandin,中尾ゆかり
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2010/04
  • メディア: 単行本
  • 購入: 6人 クリック: 62回
  • この商品を含むブログを見る
 

 

我、自閉症に生まれて

我、自閉症に生まれて

  • 作者: テンプルグランディン,マーガレット・M.スカリアーノ,Temple Grandin,Margaret M. Scariano,カニングハム久子
  • 出版社/メーカー: 学研
  • 発売日: 1994/03
  • メディア: 単行本
  • 購入: 3人 クリック: 35回
  • この商品を含むブログ (13件) を見る
 

 

動物が幸せを感じるとき―新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド

動物が幸せを感じるとき―新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド

  • 作者: テンプル・グランディン,キャサリン・ジョンソン,中尾ゆかり
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2011/12/21
  • メディア: 単行本
  • 購入: 5人 クリック: 40回
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 数字が得意なタメットさん

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

 

 

本書で紹介されていた、言葉を話さない自閉症少年の話です。読みたいけど和訳が無いので仕方がないから洋書。

How Can I Talk If My Lips Don't Move?: Inside My Autistic Mind

How Can I Talk If My Lips Don’t Move?: Inside My Autistic Mind

 

 

 


CDレビュー: Ametsub – All Is Silence (2012)

★★★★★◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪⁎˚♫

 

Ametsubさんの最新作です。これまでの特徴である斬新な繰り返し+切ない音場という要素を極限まで洗練させ、自然音などのサンプリング音を多用するようになってさらに北の果てまでぶっ飛んで行った感のあるアルバムです。音のセンスが良すぎる。壊れやすそうなのに大胆です。

おすすめは3曲目Blotted Out。曲調はどんどん移り変わっていきますが中盤~ラストにかけてキンキンに冷やされること間違いなしです。

www.youtube.com

 

10曲目Over 6633も好きです。自然音(風?)が大幅に取り入れられた実験的な、迫力のある曲です。

www.youtube.com

 

また新譜出してほしいですね。楽しみです。

 

 

さて日本人アーティストのストックが切れたので、次はこのシリーズをさかのぼって聞いていこうと思います。わたしは邦楽を知らなさすぎるので、日本語のものも聞いていきたくなりました。90年代以降?しりません

青春歌年鑑 1990

青春歌年鑑 1990

  • アーティスト: オムニバス,JITTERIN’JINN,久保田利伸,JUN SKY WALKER(S),チェッカーズ,高野寛,UNICORN,B.B.クィーンズ,米米CLUB,たま,PRINCESS PRINCESS
  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2000/11/22
  • メディア: CD
  • 購入: 1人 クリック: 15回
  • この商品を含むブログ (5件) を見る
 

このシリーズ、昭和1桁まであります。すごいです。

 

 

電子音楽の他のCDレビューはこちらです。


書籍レビュー: 現時点最強の思想入門書か 『ヨーロッパ思想入門』 著: 岩田靖夫

★★★★★(๑•̀ㅂ•́)و✧

 

岩波ジュニア新書すごいっすね。新書ではこれが最強です。

著者の岩田靖夫さんはほんの最近(2015/1/28)に逝去された学者です。本書がヨーロッパ思想の概観書として異色なのは、ギリシャ哲学とキリスト教に全体の2/3というほとんどの紙面を割いていることです。それは著者が、西洋思想はこの2つに大きく根差していると考えているからです。

筆者は、この本の第3部でヨーロッパ哲学のわずかな、しかし重要な節目を歌った。それは華麗な大交響曲からの、筆者の好みによって選びだされた、ほんの数小節である。しかし、それで、ヨーロッパ哲学の本質は伝わると筆者は確信している。

ちなみに第3部はアウグスティヌスやトマス=アクィナスも含まれるので、キリスト以後の思想家は全体の1/4しか記載がありません。

理想的で高慢なギリシャ人

ギリシャ人は理想を追求する民族でした。ギリシャの美しい彫像はすべて同じ表情をしています。ここには、不完全なものは存在として「劣っている」という厳しく高慢な姿勢がありました。ギリシャ神話の神とは、すべて人間が理想としたものの結晶でした。これは逆に、人間を神のようなイメージに持ち上げて賛美しているともとれます。この理想の高さが、普遍的なもの、形相的なもの、理念的なものへの追求へ向かい、豊饒な哲学が生まれたと筆者は書いています。

筆者が西洋哲学の根幹の一つとして紹介しているのがパルメニデス(前515ごろ-450ごろ)の思想です。彼が到達した真理は、「存在の不滅」でした。平家物語的な流れゆきうつろいゆく存在ではなく、単一で超時間的で普遍不動な「存在」が必ず存在する、という主張です。長いですが本書で感銘を受けた所なので、引用してみます。

まず、(論理的に)必然の真理として「あるか、もしくは、あらぬか」という二者択一がある。この二者択一において、「あらぬ」という前提は、あらぬのであるから、前提自身が前提自身の成立を否定している。もちろん、「あらぬ」と発言することはできるが、そのときには無意味な発言をしているのである。ギリシア語で文字通り「あらぬことを語る」というと、「ナンセンスなことを言う」という意味の熟語になるが、無に関する発言はパルメニデスによれば、すべてこの熟語の言うとおりナンセンスなのである。

それならば、二者択一の残る項は「ある」であるが、この「ある」はたんに論理的な前提として立てられているのではなく、絶対の所与として立てられていると言ってよい。この「ある」について、パルメニデスはその誕生を求めてはならぬと言明している。なぜか。まず、「ある」が「あらぬ」(無)から生じたと考えることはできない。なぜなら、いましがた述べたように、「あらぬ」はあらぬのであって、語ることも考えることもできぬ非実在、無意味、虚妄だからである。では、「ある」は「ある」から生じたと考えうるか。否。なぜなら、そのときには、生じた「ある」は「あるでなかった」という自己矛盾が生ずるからである。

「ある」「あらぬ」が複雑に絡み合って頭の痛くなる文章ですが、論旨は明快です。私たちが「ある」「ない(あらぬ)」と日常的に表現している当たり前のような事実がひっくり返されてしまうこの文章は驚くべきものでした。あらぬことはありえない。この後は「ある」の不滅性までもが議論され、単一で不可分な「ある」で全世界がおおわれていく様子が描かれます。おそらくこれがユダヤ・キリスト教的な「神」の存在に繋がっていくのではないかと思われます。前提をどこまでもさかのぼっていける哲学者には憧れるばかりです。

自由とキリスト教

一度新約聖書を通読したというのに、私はキリスト教を絶対神に服従する窮屈な宗教と認識していました。それが大間違いであることを、前書きで突き付けられました。

キリスト教は自由と寛容の宗教でした。神は自己の似姿として人間を創造しました。キリスト教の神は唯一絶対なるものです。ということは、その似姿である人間も一人一人が唯一絶対なるものだということです。ですから、一人ひとりを何らかの普遍的な概念で繋ぐということは、許されません。それは絶対なものであるという定義に反するからです。すなわちアンチクライストとは、全体主義者です。そうか、ヨーロッパの個人主義って、ここから来てたんだ。。なんで気づかなかったんだろう。魅力的なアンチクライストにははみ出し者、個人主義者が多いように思えますが、それは教会的な社会そのものが間違ってるんだと思います。キリスト教、もっと深く知りたくなりました。

ここから、キリスト教の核である他者への愛=他者の自由の尊重のこと、ユダヤ教の偶像崇拝の禁止=自己神聖化の禁止、という思想の帰結であることが分かります。これ、今の私の最大の課題と考えていることですので、このままだとキリスト者になってしまうかもしれません。。いまのところ、無神論ですけれど。

理性=暴力、レヴィナス

最後1/4ではデカルト以後の哲学の展開が描かれますが、筆者がパワープッシュしているのはレヴィナス(1906-1995)です。彼はユダヤ人で、現象学を基礎としつつもユダヤ教の影響を強く受けています。彼の思想で衝撃的なのは理性=暴力であるという主張です。

ヨーロッパの哲学はギリシャの初端以来根本的に無神論であった、とレヴィナスは言うが、それは、ヨーロッパの哲学が基本的に理性に真理の基準をおく哲学であったからである。理性では認識しえないもの、すなわち、根本的に自己とは異質なものを認めない。理性とは同化の力であり、全体化の力であり、それによって自己を貫徹する力であるからである。

私は理性って素晴らしいと思っていました。他者からの肉体的心理的なコントロールに屈することなく、どんなに弱いものでも自ら立つことのできる唯一の力だと思っていました。しかしレヴィナスには、それは異質なものを排除する力、端的にいえば暴力であるのだと言われてしまいました。

だが、この全体化の態度は、じつは、貫徹できないのだ。それは、他者に直面するからである。他者に直面したとき、私は冷水を浴びせかけられ、無言の否定に出会い、自己満足の安らぎから引きずり出される。私の世界が完結しえないことを思い知らされるのである。もちろん、自分の思い通りにならない他者をさまざまな暴力によって排除し抹殺することはできる。しかし、そのような殺人は全体化を完成したのではなく、むしろ、全体化が不可能であったことを証しているのである。

ユダヤ教というよりはキリスト教的思想に見えます。愛、すなわち他者を尊重しなければならない裏付けが述べられています。この記述は、一生涯私を刺し続けるように感じました。人間が人間である以上、他者を完全に抹殺することは不可能と言われてしまいました。このあと、「他者は無限である」というとても跳躍しているようで本質を射抜いた展開がなされます。

さらにこの後、たまたま通りかかった道端で苦しんでいる者を見捨てなかった「善きサマリア人」を人間の本質とし、否応なく他者と関わり責任を負うことが課されているのが人間だ、だって、みんな神から作られている者なのだもの。連帯責任があるよ。というのがラストの結論ですが、さすがにここまでは同意できません。責任を創造論に回収するのはちょっと、私にはできないですね。そんなことよりも自分の生活を第一に考えてしまいます。余裕がある人が責任を負えばいいよ、私にゃ負いきれんよ、と思ってしまいます。

 

私は読書時に小さな付箋を使って感銘を受けた箇所に貼っていき、あとでざっと読み返したりブログの素材にしたりするのに役立てています。この本、付箋を貼った個所が20か所もありました。過去最大です。それだけ、驚かされることの多い本でした。読みにくいヨーロッパ思想書は多いですが、それはあなたの頭が悪いのではなく、著者や訳者の日本語が破壊されているんだと思います。この本は読みやすい上にびっくりすることが多い本でしたので。最初の一冊、座右の一冊、どれにするとしてもおすすめです。私も時々読み返そうと思います。

 

 

 

関連書籍

岩田先生の自推書

倫理の復権―ロールズ・ソクラテス・レヴィナス

倫理の復権―ロールズ・ソクラテス・レヴィナス

 

 

 おそらく遺作

極限の事態と人間の生の意味: 大災害の体験から (筑摩選書)

極限の事態と人間の生の意味: 大災害の体験から (筑摩選書)

 

 

 ギリシアならまずこれだって言われた

歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

 

 

 現代人から見た新約聖書

新約思想の構造

新約思想の構造

 

 

 田川建三さんは最近新約聖書の分厚い注解を出した人で、以前から興味があります。

イエスという男 第二版 増補改訂

イエスという男 第二版 増補改訂

 

 

やっぱり必読なんだって。好きなブロガーさんも読んで人生変わったと言ってるし、近いうちに読まなきゃダメか。

方法序説ほか (中公クラシックス)

方法序説ほか (中公クラシックス)

  • 作者: デカルト,Ren´e Descartes,野田又夫,水野和久,井上庄七,神野慧一郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2001/08/10
  • メディア: 新書
  • 購入: 2人 クリック: 23回
  • この商品を含むブログ (16件) を見る
 

 

 岩田先生イチオシのレヴィナス入門書

倫理と無限 フィリップ・ネモとの対話 (ちくま学芸文庫)

倫理と無限 フィリップ・ネモとの対話 (ちくま学芸文庫)

 

 

 


書籍レビュー: よだれがでるよ!『人とミルクの1万年』 著:平田昌弘

★★★★★(‥ºั⌔ºั‥ )

 

牛、馬、羊、、、人間が家畜の乳を利用するようになって、およそ1万年が経つそうです。この本は世界の「ミルク史」なるものを地域ごとに詳述、「北方乳文化圏」「南方乳文化圏」なるミルク文明史とも言える大胆な仮説を展開していくダイナミックな書物です。いやー岩波ジュニア新書、すごいわ。

狩猟から搾乳へ

そもそも搾乳とは、狩猟文化からの劇的な転換です。動物を屠畜し食べればその動物はいなくなってしまいますが、搾乳により食物をえるということは、屠畜という単純な消費行動をやめ、家畜という資本からミルクという利子を生み出すストック化に人類が移行したことを表します。この論を読んでなるほど、こりゃすごいと感じました。乾燥のため植物性バイオマスに乏しく、狩猟から農耕に至ることのできない地域ではこのようにしてストックを生み出したのです。肉を食うよりミルクを飲んだほうが、餌からの栄養効率が3.7倍にもなるそうです。

進化の基本である淘汰圧の原理を考えれば、動物性タンパク源がほとんどない地域で乳文化が発達したというのは自然なことです。タンパク質を確保できない人類は病気で死ぬ確率が高まります。狩猟していたのでは牛も羊もいなくなり共倒れで死にます。すると、環境の厳しい地域では搾乳技術を生み出した民族だけが生き残ることができます。搾乳は難しい技術だそうですので、環境の淘汰圧が激しくない日本や北南米では搾乳する必要が無く、全然発達しませんでした。

ミルクの地域史と文明史

本書では主に西アジア(シリア)、インド、モンゴル、ヨーロッパに分けてそれぞれの乳文化の発達と変遷を紹介してくれます。特にモンゴルで筆者と懇意な家族がおり、かなり詳しい食文化が記述されています。搾乳できない雄の家畜を去勢するシーンなんか生々しくていいですよ。

ヒツジやヤギは、行動特性上、四肢を宙に浮かし、背中を地面につけると、暴れることをやめて落ちつきます。去勢は、ナイフで切れ目を入れ、睾丸を手で一気に引き抜きます。左側の桶に、引きちぎった睾丸が溜められています。(写真あり)

(中略)

引きちぎった睾丸はどうするかというと、やはり無駄にすることはありません。食べてしまいます。ミルクと一緒に似て調理します。味は、淡泊で食べやすくはあります。睾丸はタンパク質や核酸を豊富に含み、疲労回復に良いとされていますから、食べても問題ありません。

上野アメ横なんかに売ってるかもしれませんね、睾丸。

驚くのはどこの乳文化圏でも、ヨーグルトが基本になっていることです。人類が乳糖を分解できるのはたいていこどもの間だけで、成長するほどラクトース消化酵素が衰え、乳糖不耐症になるそうです。ミルクが乳幼児のための飲み物である理由です。これをヨーグルトにすると、保存性が良くなるうえに乳糖が発酵で分解され大人も食べやすいようになります。私も牛乳を買ってヨーグルトを作ってみようと思いました。種菌があれば簡単にできちゃうようです。

うまそうな食べ物たち

本編に出てくる乳製品の美味しそうなこと。クリームは洋菓子の基本ですし、チーズはヨーロッパの夏乾燥冬湿潤という気候に完全マッチし、あれだけ多様なチーズが生まれたそうです。ただチーズは買うと高い。日本には豊富な魚があったから乳製品は必須のものではありませんでした。学校給食、パン食の普及とともに乳製品も日本に広まりましたがまだまだ。必須じゃないものはどうしたって高くなります。特にバター、生クリーム、チーズは高い。

本書は文明史としても素晴らしい書物ですがそれぞれの国の食文化の紹介も舌なめずりしたくなるほど魅力的でした。インドの濃縮乳で作った乳菓、ヨーロッパの何か月もかけてできる樽みたいな形のカンタルというチーズ、食べたいものは沢山あります。死ぬまでに一度は食べてみたいです。食べて、彼らの生活や文化に思いを馳せてみたい。

 

 

関連書籍

 

類書 岩波ジュニア

パスタでたどるイタリア史 (岩波ジュニア新書)

パスタでたどるイタリア史 (岩波ジュニア新書)

 

 

類書 チーズ

チーズと文明

チーズと文明

 

 

 著者によるさらにつっこんだ詳論

ユーラシア乳文化論

ユーラシア乳文化論

 

 

 世界の食文化。うう読んでみたい

世界の食べもの――食の文化地理 (講談社学術文庫)

世界の食べもの――食の文化地理 (講談社学術文庫)

 

 


CDレビュー: DakhaBrakha – Yahudky (2007)

★★★★★(∂ω∂)

 

ウクライナのエスノカオス集団DakhaBrakha、1枚目のスタジオアルバムです。前回聴いたLightは3rdでした。公式サイトによると1stの前に”Na dobranich”ってライブアルバムがあるらしいんですがAmazonで取り扱いがありませんでした残念。

あ、よくみたら公式サイトで全曲公開されてるじゃん!

DakhaBrakha official site – ДахаБраха офіційний сайт

すばらしいすばらしい次回はこれを聴きます。

 

で、1stアルバムは見込んだ通りめちゃんこ熱くて暑いアルバムでした!このアルバムは全編にわたって燃える打楽器群に支えられており、女性ヴォーカルの野太いお祭りコーラスによって気持ちが燃え上がること間違いなしです!ヒャッハーヒャッハー言ってますふなっしーもびっくり。

 

1曲目Sho z-pod duba(なんて読むんだ!?)からぶっ飛ばしてます。この曲は男性の掛け声もイケてます。

www.youtube.com

 

不気味度とトランス度では6曲目Na dobranichが図抜けてますね。これはライブアルバムと同じタイトルですので、あっちにも入ってるのでしょう。

www.youtube.com

こわすぎ

 

 

 

ワールドミュージックの他のCDレビューはこちらです。


書籍レビュー: ソローを取り込みたい『作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響』 著: ジュリー・ブラウン

★★★★★(*´﹃`*)

あの作家は自閉症スペクトラムなのか

自閉症スペクトラムの疑いがある、もしくは診断を受けた作家について分析した本です。著者のジュリー・ブラウンさんはアメリカのライティングの教師で、あまり有名な人ではないようで、米amazonでも探すのに苦労する本です。よくこの本を発掘できたなぁ。

本書で大きなトピックとして取り上げられている作家は次の8名です。

  • ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)
  • ヘンリー・デイビッド・ソロー(1817-1862)
  • ハーマン・メルヴィル(1819-1891)
  • エミリー・エリザベス・ディキンソン(1830-1886)
  • ルイス・キャロル(1832-1898)
  • ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865-1939)
  • シャーウッド・アンダーソン(1876-1941)
  • オーパル・ウィットリー(1897-1992)

アンデルセン(童話)、ソロー(森の生活)、メルヴィル(白鯨)、キャロル(不思議の国のアリス)は有名ですね。もちろん彼らが自閉症スペクトラムなんて知りませんでしたが。ウィットリー以外は全員著作権切れの作家ですので、原文がネット上で全文公開されてて私たちでも根性出せば読める環境にあります。

著者によれば、彼らに共通する創作の特徴をまとめると次の通りです。

  1. 感覚的な障害やコミュニケーションに難があることがかえって作品に独自性を与えている。
  2. 考え方が固定的で柔軟性を書く。自己満足的で伝わりにくい。原稿が汚い。
  3. 表層的、象徴的な物語が得意。人間心理を深く追求する作品は苦手。
  4. 脈絡のない展開をする物語や散発的な出来事を描く短編小説は得意。大きな筋の通った長編小説は苦手。

正直なところ、欠点だらけにしか見えません。4の最たるものは「不思議の国のアリス」でしょう。私はまだ読んだことはないのですが。この作品のように脈絡が無かったりして不条理なのが実際の人間社会なのであるという筆者の主張にも頷くところはあります。

巧みな語り口というもののない自閉症の人々の作品は、実はより現実的なのだと示唆しているようでもあります。彼らの物語は、より偶発的だからこそ、よりリアルなのです。

1のような独自性によって彼らは偉大な作家となりえたのだし、2、3のようなことは他の作家にも言えることで個性の一つです。

ソローの食事

個々の作家で一番驚いたのは以前から気になっているソローでした。それは代表作「森の生活」について分析している一説でした。ここはそれ自体興味深い記述なのですが、私が気になったのは彼の作家性とあまり関係のない1点です。少々長いですが引用します。

ソーンとグレーソンによれば、アスペルガー症候群の人のストレスが制御不能なレベルに達すると、ある一定の言動が表面化していきます。『森の生活』は、ソローが不安の対処法として、どんな言動をしてきたかを示す一覧表とも読めます。

  • 関心の領域が狭く、一定の事象や習慣、もしくはその両方に固執する(ウォールデン湖、自然、読書、執筆)
  • ある一定のやり方で、物事や出来事を表現させようとする(自分の望むような家を建てる、毎日のスケジュールを思いのままにたてる)
  • 何かするための自分のルールを決める(すべてのことを自分でやり、助けを求めない)
  • 同じ事を何度も何度もするのを好む(起床、水泳、食事、労働、散歩、睡眠)
  • 限られた食べ物しか食べない(ニンジン、米、豆、ジャガイモ
  • 大きな音と人ごみをひどく嫌う(静寂の森で過ごすことを選択する)
  • 無駄な労力を使わず、努力も最低限にして、どうしてもやりたい活動だけに集中する(ウォールデンでやりたいことだけに没頭する)

そう、食べ物です。

私が最近リサーチしている理想のコストパフォーマンス高の食物と完全に一致しているのです。。


ジャガイモは調理が必要ですがビタミンCが豊富でそれなりにエネルギーも含み常温保存可能という優秀な食材です。調理可能な環境であれば、コメと豆で賄えないビタミン類の補給源は安くて保存も効くニンジンとジャガイモで決まりだな、と考えていた所だったので本当に衝撃でした。また、上に箇条書きで書いたことはすべて今私が考えている理想と合致しますので彼の著作は全部読み漁りたい、それもできるだけ原文で、という熱意が湧き上がってきました。

ここに注釈付きの原文すべてが置いてあるようです。暗記してしまいたいくらいです。膨大な関連記事もあります。やはりコアなファンが沢山いるようですね。

孤独の嗜好と理解の渇望

私は少し前まで自閉症スペクトラムに寄りかかった自意識を作ることを拒否していました。私は私であってラベリングしたって何の意味もないと思っていました。しかしいざ関連本を読み始めてみるとあまりにも共感できることが多すぎて面食らっています。ネット上では自閉症スペクトラム同士の連帯が出来つつあり、民族自決並みのアイデンティティがコミュニティの中で生まれつつあります。私はまだこのような展開に対して抵抗があります。自分の独自性が、自閉症スペクトラムというラベルに吸い取られてしまうような気がするからです。自分が自閉症スペクトラムなのか、自閉症スペクトラムが自分なのか分からなくなるのが怖いのです。それはデブとかハゲとか出っ歯とか(マイナスの意味を植え付けられている言葉ばかりですが、私はマイナスだと思っていません)いう自分の一特性にすぎないのに、自分がそのラベリングそのものに抽象化されてしまうのは嫌です。でも特性そのものについては、もっともっと知りたいし、twitterやブログでも同種の障害を持つ人のことはフォローしてしまいます。感情は相反します。

著者がソローについて、全く同じ点を指摘しています。彼は一貫して孤独を好みますが、一方で自分について知ってほしいという願望も読み取ることができるというのです。確かに「森の生活」を出版したこと自体がそうです。私がブログ上で文章を書くのもそうなのです。次の記述は孤独と理解を求めることとの対立をよく表しています。

ソローはひとりの生活という自分の嗜好を、独立独歩の高貴な哲学から生まれた発想だと主張しています。が、ソローが結核になり、人生の終わりを両親の家で迎えようとしていたとき、ソローの心は世界中から好意を注いでくれた人々のおかげで安らぎを得ました。妹のソフィアはこう言っています。「友人や近所の人々が自分を気にかけてくれたことに、彼はとても感動していました。人々に対して随分違った感情を持つようになり、もし自分が(こんなに人々が気にかけてくれるものだと)知っていたら、よそよそしい態度など取らなかったのにと言っていました」

 

なんだかソローの話ばっかりになってしまいましたが、他にも「自己同一性拡散」に悩まされるオーパル・ウィットリーの話や、「ひどい狂気は、このうえない正気」と主張して自己愛を突き詰めざるを得なかったエミリー・ディキンソンの話、一般人は抽象から具象に進むが自閉症スペクトラム者は具象から抽象へ進む、、などなど興味深い話に溢れた一冊でした。おすすめです。

当然のこと、日本文学者や思想家にも自閉症の疑いがある人間は沢山いると思います。研究している人がいたら文章を読んでみたいですね。

 

 

関連書籍

いっぱいあります。

 

 まずこれ

アスペルガー症候群の天才たち―自閉症と創造性

アスペルガー症候群の天才たち―自閉症と創造性

 

 

 アンデルセン

完訳アンデルセン童話集 1 (岩波文庫 赤 740-1)

完訳アンデルセン童話集 1 (岩波文庫 赤 740-1)

 

 

 ソロー

市民の反抗―他五篇 (岩波文庫)

市民の反抗―他五篇 (岩波文庫)

 

 

メルヴィル そういえば放送大学でこの作品について中間レポートを書きました。偶然とは思えません。

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

 

 

 アンダーソン

ワインズバーグ・オハイオ (講談社文芸文庫)

ワインズバーグ・オハイオ (講談社文芸文庫)

 

 

そのほか関連人物

ダニエル・タメット自伝

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

 

 

テンプル・グランディン自伝

我、自閉症に生まれて

我、自閉症に生まれて

  • 作者: テンプルグランディン,マーガレット・M.スカリアーノ,Temple Grandin,Margaret M. Scariano,カニングハム久子
  • 出版社/メーカー: 学研
  • 発売日: 1994/03
  • メディア: 単行本
  • 購入: 3人 クリック: 35回
  • この商品を含むブログ (13件) を見る
 

 

ジェイムズ・ジョイスも自閉症スペクトラムだったそうです。

ユリシーズ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

ユリシーズ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)