書籍レビュー: 社会リズムを安定させる『対人関係療法でなおす 双極性障害』 著:水島広子

★★★★☆

 

双極性障害は概日リズムに大きな影響を受けます。一度睡眠不足になると大抵は躁の症状が出るので、睡眠時間の確保が重要となります。

本書はさらに「社会リズム」という概念を導入し、転居・トラブル・人間関係のストレスなどをリズムの乱れとみなして、躁うつエピソード再発のリスク要因ととらえます。

双極性障害の患者さんは、感情の振れ幅が大きくそれに振り回されます。それは病気の症状なので仕方のないことです。ですので、感情を安心して表出できる環境を作ることが必要です。例えば「前向きに頑張って」とか「笑っていてほしい」などという言葉は、「後ろ向きになるな」「悲しむな」と言う意味になりますので言語道断でダメです。

SRM(ソーシャル・リズム・メトリック)という社会リズム管理表をつけることを推奨されています。f:id:Lithium_carbonate:20140722201446j:plain

社会リズム療法 – Lithium-carbonate’s Blog

この表、生活時間帯が固定化され過ぎていて窮屈ですね。安定はするのでしょうけれど、これを守ること自体がストレスになるような気がします。

 

タイトルの「なおす」というところに違和感がありましたが、読み進めると「なおす」のではなく「症状を和らげる」ための本であることが分かりました。疑問点はいくつかありますが著者の人に寄り添う気持ちが感じられる本です。

 

 

 

 


書籍レビュー: 自傷は戦いの履歴だ『自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント』 著: 松本俊彦

★★★★★

 

ぼくには自傷について「他人にアピールするためもの」という偏見がありました。間違っていました。

著者の考える自傷の定義は次の通りです。

「自傷とは、自殺以外の目的から、非致死性の予測をもって(「このくらいであれば死ぬことはないと予測して」)、故意に自らの身体に直接的に軽度の損傷を加える行為のことであり、その行為が心理的に、あるいは対人関係的に好ましい変化をもたらすことにより、その効果を求めて繰り返される傾向がある」(P32)

自傷は前向きに行うものでした。彼らは、生きていけないほどつらい気持ちに抵抗して、生きるために自傷します。自傷行為の最大の特性は、非致死性です。自殺企図とは無縁のものです。髪をいじる、頭を掻くなど気持ちを鎮めるための自己刺激は多くの人が行っていると思いますが、あれを強烈にしたものが自傷行為なのだなと感じました。自分では抱えきれずどうしようもない闇に対抗するための孤独な手段でした。

次の記述には心揺さぶられました。

その傷跡は戦士の傷跡、あなたなりに「生きるか、死ぬか」の疾風怒濤を生き延びるための戦いの傷跡です。そして、いま現在あなたが生きているということは、その戦いの勝者は間違いなくあなたなのです。(P253)

とはいえ自傷はエスカレートすると生命の危機につながりますので、自傷を和らげるための方法についても多くのページが割かれています。最も基本となるのは「依存先を増やす」こと。誰も信頼できず相談もできないことは自傷のリスクを増加させます。最も気持ちを和らげられる方法は、信頼できる他人に話すことです。しかし、ただ1人に依存してしまうと、その1人の調子が悪くなったり離れて行ったりしたとき、すぐ暗闇に真っ逆さまになります。信頼できて安心できる他人は、多いほどよいです。

パートナーにSOSを出しても反応がいまいちなら保健センターや精神福祉センターに相談しましょう、不快に感じる人間関係は捨てましょう、家族から離れることが必要なら生活保護を受けてでも離れましょうなどとサクッと書いてあって気持ちがよいです。

解離への対処方法、深呼吸や筋トレ、瞑想などの「置換スキル」と呼ばれる気持ちのそらし方などの記述も充実しています。おすすめの1冊です。

 

 

 


書籍レビュー:『双極性障害(躁うつ病)の人の気持ちを考える本』 著:加藤忠史

★★☆☆☆

 

初めて知る人にはいいと思いますが通り一遍のことしか書かれておらず新しい知見を得ることができませんでした。躁状態にあまりスポットが当たっていないことと薬の情報が全然ないことが不満です。

 

 

こちらをお勧めします

 


ケガをしたことと、負担をかけたこと

10日ほど前に大ケガをしました。ランニング中に脳貧血で倒れ、意識を失っているうちに顎を強打し血がボタボタ垂れて救急車で運ばれました。強く噛み合わせたせいで奥歯が2本欠けて顎関節にヒビが入りました。幸いにも予後がよく、顎の傷も顎関節もほぼ治り、いまでは縫合に使用したホチキスの跡が顎に少し残っている程度です。

結果的に大したことのないケガだったのはよかったのですが、この事件が一因となって、パートナーの感情の波が大きく揺れやすくなってしまいました。毎日しんどそうです。ぼくは体調管理に注意を払い、今後は無理な運動は行わないことにします。しばらくの間はパートナーを理解・支援するために時間を使っていきたいです。


書籍レビュー:人体図がほしかった『図解 ホームマッサージ―すぐに使える部位別・症状別・セルフマッサージ』

★★★★☆

 

地味な本ですが当たりでした。マッサージの基礎と人体への効用、軽擦法(なでる、さする)・揉捏法(押す、もむ)といった指や手首の使い方を簡単に解説した後は、90か所ほどの大量のマッサージ方法が図解されています。

図は写真にマッサージ個所と力の入れ方と方向を書き加えたもので、直感的でわかりやすいです。ただ「尺側手根屈筋」「僧帽筋起始部」などの聞いたことのない筋肉の名称の解説がないのが残念です。用語解説はあるんだけれど言葉で解説されたってわからないよ!図を見ればマッサージ自体はできるので実用上は問題ないのですが、理論的にどうなっているのかがわからないのが気持ち悪いです。人体解剖図を別に仕入れるしかないですね。

 

 

 

参考書籍

ぜんぶわかる筋肉・関節の動きとしくみ事典―部位別・動作別にわかりやすくリアルに徹底解説

ぜんぶわかる筋肉・関節の動きとしくみ事典―部位別・動作別にわかりやすくリアルに徹底解説

 

 

カラー図解 筋肉のしくみ・はたらき事典

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 次はこれかな?


不安だからといって他人を攻撃するな

昨日、神奈川の旧居に泊まることになり小田急線で西に向かっていた。夜遅く終電に近い列車で、平日夕ラッシュほどではないが混雑していた。

隣に、ジャマイカ人風(レゲエ帽をかぶっていたので)の推定50代のおじさんが立っていた。目に力があり、佇まいもカッコよく魅力的だった。この日は気分が盛り上がっていたので、機会があれば話しかけたい気持ちだった。二人はドア付近に立っていた。

経堂、成城学園前、向ケ丘遊園と乗客がたくさん降りる駅ではぼくとおじさんがドアのから出て乗客を外に出し、また中に戻った。

確か登戸だったと思う。体が大きくておどおどした顔の男が乗ってきた。そいつが乗ってきたあと、おじさんが怒った。

「お前脳みそ腐ってるよ」

「motherf**ker」

「外人だからってこんなことやっていいと思ってるの」

「日本人の印象わるくなるよ」

「motherf**ker」

10分ほど男はスマホをいじりながらおじさんを無視した。やがて開口一番

「うるさいよ、キチガイ」

おじさんが「こんなことするなんて狂ってるよ」と言っているときのジェスチャーを見ると、どうやら男がおじさんを肘で押したらしい。

ずっと黙っていたけど、どう考えても男が悪いし、おじさんに声をかけたくなった。

「肘で押されたんですか」

「そう、こうやって」肘のジェスチャー。

男が声を荒げる。

「いつまでもわけわからないこと言いやがって!だからキチガイって言ったんだよ!ほかの乗客にも迷惑になるだろうが!」

男はおびえた顔のまま、続けてまくしたてた。

「俺が電車に乗る時、こいつが、扉の前で動かなかったらだよ!日本では、客が入ってきたら中に入るの!」

ぼくは動転していたので、ちょっとずれたフォローをした。

「いや彼は、電車のマナーがわかっている方ですよ。乗客さんが降りるとき一緒に外に出てますよ」

「なんだよお前!?お前俺が押したところ見てたのか!?」

確かに見ていなかった。ぼくは何も言えなくなった。男はこのあとぼくに向けて1分ほど怒声を浴びせたが、内容を全く覚えていない。泣きそうな表情を怒りで覆い隠しているような男の顔だけを覚えている。

男はスマホの世界に戻った。ぼくとおじさんは二人でずっと男をにらみつけていた。

男が入ってきたとき、ぼくも押されたような気がしたが、確信が持てない。そもそも男が入ってきたとき満員だったからおじさんが動けないのは当たり前なのだが、という言葉も、口から出ない。腹が立ってしょうがないのに。

おじさんに「ひどい目にあいましたね、気にしないでくださいね」と言いたかったけれど、男の前で、口に出せない。何も言えない自分が情けない。

おじさんは町田で降りて行った。降りるとき、ぼくに「すみません」と声をかけていった。おじさんを追いかけて、やっと、あまり大きくない声で「ひどい目にあいましたね」という言葉が出た。おじさんは振り返らなかったから、聞こえたかどうかはわからない。おじさんの後姿が忘れられない。

一人でも味方がいるって思ってもらえたかな。

 

男に差別心があったことは明らかだった。外人がいるから腹が立ち、目の前にいたそいつに肘打ちを与えた。男は始終おどおどしていた。細い細い心の糸を切られるのが怖くてしょうがないという気持ちが伝わってきた。

差別の心は不安から始まる。差別者は「不安だからあいつのこと貶めてしまえ、貶めれば自分が上に立てる。先手必勝だ、攻撃すればいい。自分がやられる前に、攻撃して打撃を与えてあいつの自尊心を奪ってしまえばいいんだ」と考える。そこには、人には上下があり、1次元的な直線の上に人間のレベルとかランクみたいなものがあるという仮定がある。

その仮定は間違っている。レベルやランクは、あなたが決めたものでしかなく、本当はどこにも存在しない。お前の物差しが普遍的に通用すると思うな。

不安を抱える人間はかわいそうだ。かわいそうだけれど、それが人を攻撃してもよい理由にはならない。不安だからといって攻撃してはいけない。攻撃は、他人を破壊する行為だから。

不安なら、自分が成長すればいい。誰も傷つかないし、自分も得する。成長できないなら、やりすごせばいい。やり過ごすことはだれでもできる。時間が経てば状況が変わって、不安が解消することもある。

 

男がやったことは

「お前は肘打ちされてもいい人間だ」

というメッセージだ。おじさんの怒りは正当だ。人間性の否定に抗う権利は誰にだってある。

ぼくは直感ではわかっていたが、言葉にするまで1日時間がかかった。これが一瞬でできたなら、もっとやりようがあったのに。


みんなどうやって生きてるんだろう

前の家では門限が15時だった。元妻はこどもを早く寝かせるためと言って、15時に夕食を摂るためだった。

用事で15時を回りそうになると「蚊が入ったらどうする」などといやがられた。元妻は蚊にこどもが刺されることをおそれ、執念のように蚊を避けた。マンションのドアを開けるときに周りを注意深く見まわして虫1匹いないことを確認し、素早く扉を開け迅速に閉めなければいけなかった。確認、扉の開閉、どれが欠けていても罵倒された。冬でも蚊取り線香を玄関の外と中に置いていた。蚊取り線香の着火消火役はぼくが行った。陽が落ちて蚊が入る可能性が高くなることは許されなかった。どんな用事も15時までに済ませなければいけなかった。片道2時間かかる会社を13時に出なければならなかった。

昨年末に地元から友人が来てくれた時も、ぼくは15時のルールを死守した。彼と会うと元妻に告げた時、彼女はぼくへの支配が終わったことを認め、すぐにぼくがいつ出ていくのかという話になった。だから、ぼくへの支配はもう終わったはずなのに、それでも15時に帰らなければいけないと思っていた。心の支配は、恋人が、ぼくの受けた経験はDVだと教えてくれて、支配と戦う力をつけてくれるまで続いた。

11年間、外部とほとんど接触しないで過ごした。地元の知り合い、同級生、同じ部活の友人とは交渉を禁じられるどころか話題に出すこともタブーとなっていた。彼らは元妻にこき下ろされ、バカにされた。ぼくも元妻と一緒にバカにして生活に適応した。

ぼくは偽名でFacebookに登録して、昔の知り合いについて調べようとしたこともあった。しかし彼らは侮蔑の対象だったし、ぼくとあまりにも違う、彼らの生活を知ってしまうことに恐怖があった。だから連絡を取ることができなかった。

知っておけばよかったのだ。みんながどうやって生きているか。いかにぼくたちの生活が異常だったか。

自分たちと異質なもの、価値観が違う人間をバカにし、序列をつけ、あらゆる理屈をつけて正当化しないと成り立たない生活を送っていたこと、元家族にバカにされる対象にぼくまでが入っていたこと、ぼく自身もそんな状態に慣れていたし正しいと思っていたこと、どれをとっても、正常だったとは思えない。

みんな11年の間にどうやって生きていたの?知りたい。

いままで知らなかった人のことも、知りたい。


公園に行ったら

放送大学の教材など読まなければいけない本が溜まっているので、今日は天気も良いし読書しようと公園に出かけた。

公園の中央にある芝生広場では沢山の親子連れがいて、ボール遊びなどを楽しんでいた。こどもの年代は推定1-2歳が中心で、壊れそうに小さくて、ボールを追いかける姿が危なっかしく、ほほえましかった。

芝生広場の隣の区画のベンチで数十分本を読んだらお腹が空いてしまったので、コンビニにお菓子を買いに行った。

そういえばこどもとボール遊びをやったことはあったっけ?

連れ子の長女とキャッチボールをやったことはある。あれはまだ結婚生活の初期で、ぼくにかけられた制限がほとんどなかった頃だ。長女が11歳とすでに大きかったこともある。

ぼくの子である次女と長男とは、体を使った遊びをしたことがない。そもそも次女や長男をぼくが外に連れていくことは禁じられていた。ぼくが注意不全だから、こどもを交通事故に合わせるだろうということが理由だった。一家で出かけたときに、道中である1回だけ車が来る方向を見ていなかったことを元妻に見とがめられて以来、ぼくには注意不全のレッテルが張られた。ぼくは常に元家族の最後尾に位置して歩いていた。次女と長男の送り迎えはすべて元妻か長女が行った。ぼくは自分に注意力がないから仕方ないね、とその状況を受け入れていた。

ぼくは力の加減が難しいから、外遊びができる状況だったとしても、元妻に禁止されていたと思う。

公園で遊んでいる親子連れを、いいなあ遊んでもいいんだなぁ、うらやましいなあ、と感じた。ぼくに能力が足りなかったから遊ぶことができなかったのか、それとも元妻の禁止が異常だったのかはよくわからない。実際、力の加減が下手なので危険ということはある。とはいえ、ケガをさせるほどではなかったとも思う。交通事故にだってあわせないくらいの注意力はあったと思う。そもそも「公園で遊んでいる親子連れ→善」という価値観自体にも疑問がある、世間の圧力だと考えたり、その疑問はぼくのひがみの意味を無くすことが目的なんだから醜いとも考えた。

ぼくは長女とも次女長男とも分け隔てなく接したつもりだが、元妻は「私と長女は親子関係があるが、あなたは他人」と何度も言った。ぼくは父親としてこどもと関わりたかったが、名前と関係性を奪われて、その願いは果たせなかった。「父親として」というのも、常識や世間に形作られた、ステレオタイプにすぎないかもしれない。「父親は厳格でこどもの壁のような存在になるべき(元妻談)」などとは思わない。ぼくはこどもを独立した人格と認めて、必要な時に必要な援助のできる人間でありたかった。じゃあボール遊びなんて必要じゃなければしなくてもいいじゃん、うらやましいなんて思うの筋違いじゃん、「みんなのやることがうらやましい」的な主体性のなさに縛られてるだけだろ?とも思う。よくわからない。

こどもは15歳になれば親権を自分で選べるが、ぼくのことは「こどもを捨てた父」として記憶されるだろうから、もう会うことはできないだろう。いや父とすら意識されていなかったから「金をくれなくなったオッサン」か。あなたは尊敬もしていないよくわからんおっさんに会いたいですか?会いたくないですよね。

11年のうちにぼくは様々なものを奪われたけれど、楽しいことだってあったし、自由意思に基づいて始めた生活だったし、嫌なことは嫌と言うことだってできた。それをしなかったのは、自分の責任だ。

そんなことをコンビニに向かいながら考えていたら途中から泣いた。10分くらい。コンビニでお菓子を買って公園には戻らず帰った。こどものことはいままでドライに語れたけど、家を出てから5か月経ってやっと気持ちが追い付いてきてしまった。しばらくこどものことは考えないようにしたほうがよさそうだ。


ピアノ

前の家にはピアノがあった。アップライトピアノで、幅は1.5mほど。お金がなくて調律ができず、1/4音ほどずれている鍵盤もあった。前の家で過ごした11年間のうちはじめの3年間はピアノの弾けないマンションに住んでいたため、楽器はあっても音が出せなかった。4年目にしてはじめて、楽器の弾ける物件に引っ越した。

ぼくは中1までピアノを弾いていた。仕事が休みの日、10年以上ぶりにピアノに触ってみたくなった。音楽を演奏する機会なんて長い間なかったから、興奮していた。ハノンを弾いた。すると元妻に「指の形が間違っている。ひどい音だ。中1までに習った先生は一体何を教えていたのだ」と言われた。元妻は20代の頃に地元の子供にピアノを教えたことを誇りにしていた。だから音にはこだわりがあった。じゃあ次からこのように練習しよう、直していこうとは言われなかった。ただ過去ごと否定された。ぼくはこの日以来ピアノを弾いていない。

ピアノはぼく以外の全員が弾いていた。元妻がこどものピアノを指導した。長女は元妻の指導に反発し、自分の弾き方を模索していた。自己流で演奏していた時は、元妻がぼくに「いい音ではない」とひそかに言っていた。ときどき元妻が耐えられなくなり演奏に文句をつけた。やがて長女は屈服して元妻の指導を受けるようになった。

一番下の長男は不器用で、しかし言うことをそのまま聞いていつまでも努力のできる子だった。ぼくに似ていた。元妻の指導パワーは長男に最も注がれた。長男が1日前にできていたことができなくなると、元妻は「そんな音が出るのはおかしい。もうピアノなんかやめてしまえ!」と長男に言った。長男はすぐ泣く。手が止まる。手が止まったら「じゃあもう終わりだ今日は終わり終わり」と追い打ちがかけられる。泣く。泣きながら弾く。泣きながら弾くから演奏が乱れ、さらに罵倒される。自尊心を奪っていく指導に反発して汚い音を出すと「やる気がないならやめてしまえ!」と追加で罵倒される。長男は泣く。泣いて反抗する。元妻は楽譜を取り上げ、レッスンを終わらせる。長男は泣いたままピアノにうずくまっている。長男は「もう一度練習させてください」と言う。元妻は無視する。10回繰り返す。無視する。泣きながら「練習させてください」と言う。無視する。

元妻は謝っても無視する。10回謝っても100回謝っても無視する。無視された人間は無力感を覚えて自尊心が下がる。元妻の立場は上がる。これは元妻への消えない愛があることが前提条件となる。彼女は愛情を最大限に利用していた。

長男への指導を見ているのは辛かった。ぼくはやめろとは言わなかった。これが正しい指導方法なのだろうと思っていた。しかしこれはまるで調教だ。ぼくは止めなかったのだから、消極的虐待と言われても仕方がない。考えうる限り最悪の指導法だ。

次女は元妻の指導に耐えかねてピアノを練習しなくなった。次女は時々思い出したように歌のメロディーを弾いていたが、練習をすると口を出されるので、練習しなくなった。元妻には「努力のできない子だ」と評価されていたが、問題はほかの場所にあった。

ピアノとだけ題名に書いたあと以上のことを思い出した。こどもの支配のことばかりだ。ぼくに行われた支配は、家族全員に対して行われていたようだ。


愛情、感情はニセモノか

ぼくは高校時代に演劇部に所属していた。成功体験には乏しく演技に苦手意識がついた。元妻には「演技をするな」と頻繁に言われていた。わざわざ苦手な演技なんかしたくない。それでも元妻には、ぼくがどんな反応をしてもオーバーリアクションで、わざとらしく、不自然だと言われていた。元妻は「児童文化部の知り合いがそういうオーバーな反応をしていた、不快だった」と言っていた。罵倒はされなかったがバカにされた。

オーバーリアクションにならないためにどうしたらいいか考えた。

ぼくは、ここは笑わないといけないところだよな、と考えてから笑い、泣かなければいけないよな、と考えてから泣いていることに気がついた。時間と状況に合わせて、他人が求める適切な感情を選択し、出力していることに気がついた。

そしてぼくは真似が下手だった。適切な感情を選択できても、出力は不自然だった。他人から見てオーバーに見えるように振る舞っていた。

だからぼくの感情はうそっぱちなもの、ニセモノだと考えた。ぼくには感情が無い、と考えた。

泣けなくなった。

いまでも感情にフタをする癖は抜けない。

 

ぼくは愛情がない、と元妻は言った。ぼくは言い訳をして嘘をつくから誠実ではないし、ぼく自身の事しか考えていない。家族のことなんか大切に思っていない。愛情があるなら○○するはずだけどしない、××という言葉が即座に出るはずだけれどぼくには言えない(○○、××の具体的な内容は忘れた)、などなど、証拠を何度にもわたって挙げられ、愛情が無いことを証明された。

そうか、自分には愛情が無いんだな、と考えた。苦しかった。

しかし、とあるきっかけで長女に「私は愛情が無いかもしれない」と伝えたとき、長女は傷つき、元妻は激怒し、この件では10回以上責められた。

わけがわからない。

 

本当は感情も愛情も存在していたし、ニセモノではなかった。

ただ、出し方が普通の人とは違うだけ。

恋人にそう言ってもらったことが救いになった。

人前で泣くこともできるようになったし、恋人に、愛を感じると言ってもらえるようになった。

元妻の考える感情と愛情は、元妻にとって都合のよい感情や愛情のことだった。