窃盗が成立しなかった

 

窃盗の件で被害届を出しに警察署に向かった。警察署に行くのは中学生時代に自転車事故を起こしたとき以来で約20年ぶり、自ら被害を訴えに行くのは初めてのことだった。

捜査第三課の窓口を訪れ、警官さんに、離婚した妻にクレジットカードで50万円のキャッシングと3万円のショッピングをされたと訴えた。

警官さんは窃盗または詐欺が成り立つのではないかと考えて、時間をかけて調べてくれた。約30分後、警察署では残念ながら力になれないとおっしゃった。

理由は次の通りだ。ぼくが使っていたカードは楽天カードで、本人カード(ぼく名義のカード)を親カードとして、家族カードというものを発行できる。家族カードは本人カードとは別の番号が付与され、単体のカードとして使うことができる。

当時はたしか3000ポイント無料プレゼントキャンペーンが開催されていたので、ポイントにつられて契約してしまったと記憶している。

家族カードの請求先は本人カードの請求先と等しい。楽天で見られるカード使用履歴は本人・家族両方の履歴が一緒に記載されているし、利用限度額についても2枚のカードの使用額を合算した金額で判断される。一見、家族カードは本人カードの2枚目のようなものに思える。

しかし家族カードは、本人カードのコピーと1点だけ本質的に異なる点がある。家族カードは名義人の真正のカードとして利用できる

以上を踏まえると、まず窃盗については、ぼく名義のカード(=本人カード)が盗まれたのではないから成立しない。ぼくは本人カードを持っていた。

警察官さんは詐欺の線でも調べてくれていた。ぼくのクレジットカードが盗まれたものでなくても、他人がぼくのカードを勝手に使えば詐欺罪が成立する。ところが元妻が使った家族カードの名義人は元妻だから、ぼくを偽装してカードを使ったのではない。よって詐欺罪も成立しなかった。実質ぼくのカード同然なのにね!これが本人カードを無断で使用していたのであれば、無事、詐欺が成立していた。

※お申し込み対象:生計を同一にする配偶者、親、子ども(18歳以上、高校生を除く)に限ります。

離婚した瞬間に家族カードの条件を満たさなくなるのだから解約するべきだった。

家族カードなんて契約してはいけない。プロキシサーバと仕組みは同じだ。家族カードはカード名義人の偽装に等しい。ポイントにつられて尻尾を振ったらおしまい。作ってしまった人は紛失を装ってでもいいから速やかに凍結した方がいい。

 

警察官さんは「力になれず申し訳ない」と心からおわびしてくれた。

ぼくはさらに自分の事情も話した。精神的DVを受けていたこと、名前を奪われ通称で呼ばれていたこと、体重が40kgまで減ったこと、こども達が自覚のない軟禁状態であること。DVに理解のある警察官さんで「つらい思いをされたのですね」と話してくださった。こども達のことを大変心配していて、元家族が住んでいる土地の役所や警察に相談してみるとよいとおっしゃった。

警察官さんには民事で損害賠償請求をしてはどうかと勧められたが、既に相談済みで弁護士に受任してもらえる見込みが薄いこと、裁判になっても元妻に職も財産もないので回収が不可能であることを告げた。「そうですか、でも今後××さん(元妻の名前)と交渉したときにトラブルになれば我々が出ていくことができますので、すぐに110番してくださいね」とおっしゃった。

窃盗が認められなくてがっかりしたけど、不安になることもなくぼく自身で全部説明できたので、もう一つ山を越えられた。

元妻は窃盗・詐欺が成立しないとわかっていて家族カードを使ったわけではなく、「自分の名前のカードだからいいだろ!」くらいの気持ちだったんだと思う。

内容証明を送るとか元妻の親に事実を話して金を返すよう促すとか、打撃を与える方法はまだいくつか残っているのだけれど、今はもう元妻に時間やお金といったリソースを取られることがあほらしい気持ちだ。

ばーかばーか!おならぷー!

 

念のため、手持ちの銀行口座も全部解約して新しい口座を作る。通帳とカードはぼくが持っているけれど、銀行印が元家族の手の内にあるからだ。銀行印は新しく作り直した。僕の戸籍上の苗字は元妻と同じものになっているので、苗字ではなく名前を彫ってもらった。もう名前が奪われることはない。


元妻の窃盗

4月20日にamazonで買い物をしたら、4月21日の朝に「クレジットカードの利用承認が得られませんでした」というメールがamazonから届いていた。

おかしいと思いクレジットカードの明細を見ると、限度額いっぱいまで身に覚えのないキャッシングとショッピングの履歴があった。

家を出るときに置いてきた、家族カードを使われた。キャッシングされた金額は50万円。ショッピングが約3万円。

f:id:happyholiday:20160422195800j:plain

4月11日に元家族に「養育費を振り込みたいので、口座番号を教えてください」という内容のメールを送ってから何も返信が返ってこなかったので、ここ数日は、引っ越してネットも使えず苦しい生活をしているのではないか、行き違いになって養育費のメールが届いてなかったんじゃないか、などと心配していた。

心配して損した!!!!

なにこれ!!!!ぼくはキャッシングのできる便利なATMなのね!!!!!!

しかもショッピングってamazonだからたぶん昔からほしがってた本とかだよ!?最後の279円なんか「この際欲しいものギリギリまで買えるだけ買っちゃおうぜー」っていう気持ちが見えるよ??なんだよこの数週間今まで通りの生活送ってたの???

バカを見た!!!!!馬鹿!!!!!

 

以前から、恋人にカードを解約することを勧められていた。ぼくは、元妻はプライドが高いからぼくの名義のカードを使うなどという屈辱的なことをしないだろうと思っていた。クレジットカードが使えなくなることの手間も惜しんでいた。甘かった。もっと早く聞き入れるべきだった。

恋人の提案で、21日のうちにすぐ元家族の住んでいる土地の弁護士事務所に向かい、窃盗による損害賠償請求の法律相談をした。DVを受けていたことについても話した。担当の弁護士さんはよく話を聞いてくれて、この件は上司に相談してみる、却下されたとしても力になれる別の弁護士を紹介する、と言ってくれた。

ぼくは話すのが得意ではない。何が重要で、何が重要ではないのかが即座にわからない。一度話を始めると話が独り歩きして、些末なことをいつまでも喋っていることがある。ぼくには誰がいつ何をどうした、という話の基本が身についていない。

ぼくが弁護士さんに話をするとき、足りない言葉を恋人がたくさん補ってくれた。時にはぼくよりも多くを語ってくれたけれど、ぼくが主体的に語るという形式を崩さないようにしてくれた。恋人は体調が悪いのを押して付き添ってくれた。いくら感謝してもしきれない。

弁護士さんの話では、DVが裁判所に認められないかもしれないし、仮に裁判で勝ったとしても元家族には財産がないので金を回収できる見込みがなくあまり薦められない、と言ってくれた。裁判するかどうかは、感情の上だけの問題となる。21日のうちは、それでも裁判することに意味があると思っていた。

22日になり、気持ちを整理して利点と欠点を列挙した。利点は、元妻にダメージを与えられることと、ぼくが元妻を心理的に乗り越えられるイベントになるであろうこと。欠点は、50万円~100万円のお金と、裁判所までの片道2時間半の時間と交通費がかかること。元妻に会うことで精神状態が悪化する恐れがあること。

1つ目の利点については、弁護士さんに内容証明を出してもらったり、窃盗で警察に被害届を出して調査が入れば十分なダメージになるので代替できてしまう。2つ目の利点については、元妻が最悪の手段を使ったので「ぼくが悪いのではないか」と考える気持ちは無くなったし、21日に弁護士さんに相談したことでぼくがすでに心理的に一山超えてしまったので、意味が失われてしまった。おまけに詐取されたお金はリボ払いだから50万円がいきなり吹っ飛ぶわけでもないし、「養育費の前払い」とみなして1年程度養育費の支払いを止めれば、回収できる。

欠点は目立つ。100万円をドブに捨てるくらいなら自分の好きに使った方がいい。時間がかかれば恋人と過ごす時間が少なくなる。仕事ができない時間が増えて収入が減る。元妻にももう会いたくない。

ばからしくなった。裁判はやめて、少額で嫌がらせを行うにとどめよう。

元妻が窃盗したことは残念だったけれど、結果的には気持ちが軽くなったし、DVで受けた傷や認知の歪みは早くもフェードアウトしていきそうだ。

物事がいい方向に転がっている。

恋人に長い時間をかけてお返しをしなければいけない。ありがとう。


勉強をするなと言われて

元妻には学歴コンプレックスがあった。

ぼくは元妻と出会ったとき、トーダイ生だった。組み合わせが初めから間違っていた。

トーダイ生と聞くと誰でも怖気づく。一言一言に深淵な意味があると思ってしまうらしい。しかしぼくの経験上、トーダイ生は半分以上が発達障害だ。能力に偏りがあって、たまたま勉強ができただけの人間が多い。ぼくもその例にもれず、勉強はできたがその他の能力は極端に低かった。特に言語性の能力は、今までどうやって生きていたのか不思議なくらいのレベルだった。元妻が、ぼくがあほだとわかるまでは数年かかった。あほだとわかった後には逆襲が始まった。

何につけても「勉強は本気になるくせに他のことは本気にならない」となじられた。そんなことはない。何に対しても本気でやっていた。移ろいゆくものや紙に記述されていないものは、覚えられない。口で説明されても流れて行って忘れてしまう。

ぼくはぼくで日々破壊されていく自尊心を保つために、唯一得意だった勉強を続けることが命をつなぐ手段だった。

弁理士試験を中断させられたことは以前にも書いた。

試験を中断させられた後は、隠れて語学学習をしていた。語学は毎日続けると絶対に効果の出るスポーツのようなものなので、好きだった。NHKのラジオ講座を家族が寝た後に聞いていた。ある日テキストが元妻に見つかった。その日は家族全員でコンサートに行く日だった。元妻は激怒し、ぼくは罰として一人家に残された。10時間ほど1人で過ごした。何もする気にならないので、10時間の間ほとんど寝ていた。みなが帰っていた時も寝ていたので、とがめられた。

「表立ってやるならともかくこそこそ勉強していたのが許せない」

と言われたが、表立ってやれるわけがない。

家にある本を読むと嫌がられた。読むと「その本はよくない」などと嫌味を言われ、次の日読むのをやめたら何も言われなくなった。こどもの本を読んでいたら長女が密告して禁じられたこともあった。

家を出るまでの最後の1年半は、物置兼ペット部屋兼の六畳間をあてがわれ、そのかたすみで一日中仕事をしていた。なぜか仕事場には誰も入ってはいけないという決まりになっていたため、ネットで様々な記事を読んでも、PC上で学習していても、まったく気が付かれなかったことが救いになった。

禁じられていた語学学習は押し込められたものが爆発して次から次へと手を出し、最大で6か国語同時に学習していた。 

日常でどんなに傷つけられても、学習している間は毎日確実に成長できるのが楽しくて楽しくて。

一度頭が乾くと、再び潤すための力は無限に大きくなる。

 

語学学習は自尊心を保つための糸としての役割を終えたのか、もう1か月以上何もしていない。

いまは勉強を禁じられることがない。それどころか推奨される。なんて自由なんだろう。

たくさん勉強したい。この世界をもっと知りたい。


私の方がうまくできるのだから

ぼくが家事をやらせてもらえなかった理由は元妻のゆがんだ完璧主義によるものでした。

洗濯物を干す順番と方向、裏返す時間、取り込む時間、畳み方、タオルを重ねる順番などなど一々すべてに注文がありました。ぼくは細かい手順を覚えるのが苦手で、しかも毎日やり方が変わるのでついていけませんでした。間違っているとイライラされ、「頼まなければよかった」「頼んだのが間違いだった」「自分でやればよかった」と言われ、教えるのも面倒ということで仕事を取り上げられました。

いまは家事ができて幸せです。

元妻の口癖は「同じことを父の前でやったら殺されている」でした。

元妻の父(ぼくから見て元義父)は何か気に入らないことがあるとすぐに殴る人間だったそうです。元妻は殴られないようにするために論理武装や弁舌、巧妙な嘘をつくことを覚え、元義父を言い負かすことができるようになりましたが、そのために元義父の脅威となり、さらに殴られました。

元義父は社会的には優れた人だったらしく、親類や会社の人間の世話をよくしていたそうです。元義父の言葉には元妻の人生観に影響を与えたものが大きかったらしく、元妻が元義父について話すときはいつも愛情と憎悪と恐怖がミックスされたものが伝わってきました。

元義父は几帳面で完璧主義で強迫症気味で、顔を洗いすぎて眉毛がなくなるほどだったそうです。ぼくはたぶん、彼と同じものを求められたのではないかと思います。何事につけても元義父と比べられました。でも19歳年下のスペクトラム星人にそれを求めるのは酷です。

ぼくが家事をうまくできなかった理由を伝えると「言い訳をするな」と頻繁に言われていたことを今思い出しました。いかなる理由を述べてもぼくが悪者になりました。具体的にどう言い訳したのか覚えていないので、ぼくと元妻とどちらが正当なのか判断することはできません。今よりも遥かに言葉に不自由していたので、子供の言い訳のようなものだったと想像します。全力で正当化していたことは覚えています。言葉で叩き伏せられるのが怖いから正当化しないと死ぬ、と思っていたことだけ覚えています。

「私の方がうまくできるのだから、あなたは言うことを聞いていればいい」

「口答えをするな」

「今口答えしたな」

少しずついままでに言われたことを思い出してきました。家を出て数か月間、頭の安全装置のせいで封じられていたものが漏れてきています。思い出せる限り書き続けていきます。


罵倒と部活

最近軽いフラッシュバックのようなものが起きました。ちょっとしたパニックです。フラッシュバックという概念が今までなかったので、意識したのは初めてです。頭に浮かぶ風景は中学時代の、廊下と職員室でした。

中学時代、吹奏楽部に入っていました。中学の部活というのはいかに生徒を統制して練習量を確保するかで勝敗が決まります。顧問で部活の質が9割以上決まります。

自分はクラリネット担当でした。クラリネットには金属製のバネが多数ついていて、ボタンを押すと連動して管の穴を複数抑えて音色が変わる仕組みになっています。ぼくは手にたくさん汗をかく体質でしたので、バネがすぐ腐食し頻繁に折れました。

はじめてバネが折れた時のことです。バネが折れたことを職員室にいる顧問に報告しなければいけませんでしたが、なんて言ったらいいのかわからない。顧問は怖いし怒られるかもしれない。職員室に入るのが怖い。ビクビクしながら早く職員室から出てきてくれないかなと願って廊下を右往左往していました。

ウロウロしている姿が顧問に見つかり、ドアを開け廊下に出てきて、なぜ入ってこないのかとぼくを罵倒しました。入らなくても怒られました。

顧問は強面で生徒を罵倒し、長時間の練習で疲弊させ、生徒間に奇妙な連帯感を生ませました。音楽は大好きでしたし今も大好きですが、「指は動くのにメロディーを歌うことが全くできない」「動きが硬い」と3年間言われ続けたことは今でも尾を引いています。じゃあこうしようああしようというアドバイスはありませんでした。自分はガチガチで情感を込められない人間なんだよなと今でも考えています。

ぼくは当時とろかったのでよく怒鳴られました。怒鳴られると恐怖が育つので、顧問のいうことをよく聞くようになり、演奏に方向性が定まります。こうして、ぼくの入っていた部活は、メインストリームではないものの小規模な全国大会で金賞をとるような吹奏楽部になりました。

顧問の強権に耐えられず、脱落する者も数名いました。ぼくは口には出さなかったものの、彼らのことを「適応できなかった弱虫」と心の底で思っていました。

今思い出しましたが部活の1つ上の先輩にちょっと頭の動きの弱い人がいました。彼は目立つので標的になりしょっちゅう罵倒されていました。彼はそれでも3年間部活をやめなかったので自己評価がズタズタになり、何の仕事をやっても長続きしない人になってしまいました。何につけても自分はダメなんだと話していました。部活がすべての原因とは思いませんが彼が安寧を得られる場所はあったのでしょうか。

話がそれますが今日元バイト先の塾に給与の事務処理を行いに行きました。教室長が怒鳴りつけた生徒が今どうしているか聞いたら、怒鳴りつけた後は心を開くようになって今でも通っていると話していました。教室長は

「ああいうやつは出鼻をくじかないといけない」

と言っていました。授業態度が悪いことを怒鳴りつけてやめさせ、言うことを聞かせるようにすることができた、という意味と解しました。ぼくは何も言い返せませんでした。

たぶん軍隊もこのように動いているんでしょうね。罵倒して重労働させて自己意識を粉々に解体して、思惑に当てはまるように再構成する。極めて効率的です。

強い部活とは軍隊です。中学時代の短い3年間で効率的に強い部活を作ろうと思ったら、自己意識をぶっ壊して画一化された思考を植え付けさせ、部活マシーンにしてしまうのが手っ取り早いです。そうすれば生徒に何を命令しても言うことを聞きますし、むしろ顧問を尊敬するようになります。私も今日にいたるまで尊敬していました。同じことは職場でもあるのでしょう。耐えられない人間が退職したり、退職による社会不安に耐えられない人間は自殺します。

ぼくは平日夕方に通っていたピアノレッスンを顧問によってやめさせられました。週1で抜けて練習に行きたいんですけどと言ったら、部活が優先だからやめろと言われました。やめました。ツェルニー40番まで進んでいましたがここでキャリアが中途しました。これも話がそれますが前の家に置いてあるピアノを見て久しぶりにハノンを弾いたら元妻に指の使い方がおかしい、先生は何を教えていたのだ馬鹿じゃないのかと言われ、ぼくはそれ以来ピアノに触っていません。

3年間の練習は恐怖のうちにありました。今日も顧問が怒らなかった、よかったなあ。毎日考えていました。どれだけの生徒が同じ思いをしていたのかは知りません。ただ、中学時代に恐怖政治の影響で真面目だったのに高校になって弾ける人が多かったことを考えると、似たような思いをしていた人はたくさんいたのでしょう。

恐怖政治が敷かれると、被支配者は死ぬような思いをして空気を読むことを覚えます。ぼくは自閉症スペクトラムの影響もあって空気を感じられませんので、どうすれば怒られないか必死で迂回路を探しました。元妻と過ごした11年間でも同じことをしました。しかしこれはどうすれば怒られ「ない」か、というブラックリスト的な知識なので、演繹できません。個別のやっつけ対応を無数に用意してなんとか人生を生きていました。だから考え方がいびつです。原理原則がありません。どれだけ「ない」を集めても無限の世界の前では原理的に漏れが出るのでその度に怒られたり、罵倒されます。

しかしいびつでも世の中一般から見るとそれなりの成果がありますので、顧問のことも元妻のことも、自分の適応に役立ったと感謝していました。しかしそれは自己評価の低下や被支配と引き換えでした。


理解したい

 

ぼくの今後の人生の目標は彼女をぜんぶ理解することです。理解して受け入れることです。知り合ってからごく短期間しか経っていませんが、不思議なことに、前知識何もなしで直感的に理解できることが驚くほど多いので、ぼくならできるという自信はあります。

理解と服従、隷属は違います。相手の言われるままになることは理解ではありません。それは支配されることなので、理解とは正反対です。お互いに無理解です。ぼくはいままで、被支配を理解だと思い込んでいました。あほでした。

具体的にやることは3つあります。まず彼女の書いたものと読んできたものを全部読みます。長い時間がかかるでしょう。これがすべての基本になりますので、パワーが必要です。一生かかりそうです。ぼくはいままで書物を読んでこなかったツケであほなので、理解力の補助としてこの他にもたくさんの書物や記事などを読む必要があります。アウトプットも大事です。

彼女と可能な限り多く会話します。会話しなければわからないことだらけです。ぼくは自分から話を振ることがあまりないので、たくさん話してくれる彼女のことをありがたく思っています。

最後に一番重要だと考えていることは、彼女の意思を最大限尊重することです。彼女のいかなる選択にも意味があります。ぼくの頭で思いつくことなんて限りがありますが、全力で意味を考えて、わからなければ質問もします。僕は人間ですのでいやなことは嫌と言います。前の家にいた時のように、適応するために自分の意思を殺すのはまっぴらです。でも今のところ、いやなことは一つもありません。不思議です。おそらく彼女の言葉が明確で理解しやすいからだと思います。理解しようと特別構えなくても理解できてしまいます。だからこんなに気を張らなくても自然にしているだけで良いような気もします。

例えば一緒にいて苦しいと言われたら離れますし(そうならないための努力はします)、好きな人がいると言われれば、応援します。

なぜ理解することにエネルギーをかけるかというと、自分が一番してほしいことは、自分を理解してほしいことだからです。理解とはリンクを貼るようなものなので物理的心理的拘束力が全くありません。対等です。恋愛感情を他人に対する独占力のある物権のように考える人が多いし社会の仕組みもそうなっていますけど、人間はみな個人として尊重されるべきなので所有権的に扱うのは間違っています。それに理解されるとうれしいです。安心します。生きていてもよいと思えます。そして、いま、ぼくを一番理解してくれているのは彼女です。

だから僕は彼女を理解します。誰にも負けません。


パキシルで射精障害になると

ぼくは21歳の時引きこもっていて、パキシルを飲んでいました。

パキシルの副作用【医師が教えるパキシルのすべて】

服用している方は知っているかと思いますが、パキシルを飲むと射精するのが難しくなります。

勃起はしますが出ません。

出すには手で強い力をかけるなどかなり無理をする必要があります。

セックスでは不自然に強い力をかけられませんので射精できません。

 

Kと交際するとセックスしました。ぼくははじめコンドームを着けていましたが、Kはつけていてはだめだと友達に忠告されたと言い、外されました。忠告が本当にあったのかどうかは確かめられないので知りません。

Kは当時39歳でしたので焦っていました。こどもがほしかった。

ところが生でしても射精できません。パキシルのせいです。

なので医者に相談せずにパキシルを断薬するように言われました。

ちなみに付き合った当時は10歳サバを読まれていました。ですから焦っていることも分かりませんでした。

ぼくは当時非常に精神年齢が幼かったことから、ここまで書いたことのほぼ全部の意味を理解していませんでした。「なんかおもしろそう」という気持ちでした。当時の精神年齢は12歳くらいでしょう。いまは18歳くらいかな。自閉症スペクトラムも関係しているでしょうね。

上のリンク先でも触れられていますが、パキシルはSSRIの中でも作用が強く、副作用も断薬時の禁断症状もめちゃんこ強いです。

一気に投薬をゼロにしたので、一日中頭がシャリシャリしていました。今思うと高い確率で自殺してます。希死念慮については心配はされていましたが心配するぐらいなら医者にかけろよ。

ぼくはもともと感情が平板だったのか、希死念慮が起きることもなく数週間シャリシャリに耐えて断薬することができました。

断薬してしばらくすると射精できるようになりました。めでたしめでたし。

 

ということを思い出しました。

一昨日くらいに過去のことをしゃべっていたらこのような事実関係に初めて気が付きました。

どこまであほだったんでしょう。もう少しで死ぬところでした。

過去のことを少しずつ思い出してきています。以前書いた振り返り記事でも触れられていない事実がまだたくさんありそうです。思い出せないのは、記憶を隠蔽して何も感じない状態をデフォルトにして、自分を守っていたからでしょう。

徐々に気持ちが不安定になってきているのがわかります。まっ平らだった感情が少しずつ復活しているからだと思います。まだ耐えられるレベルですが、今後自分がどうなっていくのかは心配です。

過去を整理して気持ちを落ち着けるには長い時間が必要ですね。

思い出すことがあれば自分のために書いていきます。


好きな人がいます

書こうかどうかずっと迷っていたのですが、書かないと今の気持ちを残しておくことができないよ、と言ってもらったので、書きます。

好きな人がいます。

家を出る前からほのかに憧れていた人でした。頭の出来がぼくと違いすぎるので、遠い雲の上の存在だと思っていました。ところが最近ふとしたきっかけで距離が縮まり、ぼくが一方的に惚れ込んでしまいました。こんな気持ちになったのは初めてでした。気持ちが高じすぎて、数週間前にプロポーズをして大層驚かせてしまいました。今でも申し訳なく思っています。

彼女は天才です。本人は認めていませんが、ぼくは確信しています。文章を書く力、物事を分析する力において並ぶ者を見たことがありません。ですから時々、話についていけているか心配になることもあります。いまのところ、問題ないようです。

彼女はその能力と引き換えに疲れやすい体質で、毎日がエネルギー切れとの戦いです。他人と話すのはものすごく疲れるそうです。しかしぼくと話しているときは、あまり疲れないそうです。ぼくは主に話の聞き役となり、自分のペースに相手を巻き込みにくいことも関係していると思います。

近くにいるので、身の回りのお世話をしています。炊事はへたくそですが、洗い物と洗濯と掃除はそれなりにできます。家事は好きです。前の家では下手だから、腹が立つからとやらせてもらえませんでした。他人のために家事ができることはとてもうれしいことです。いくらでもエネルギーが出ます。

彼女の生きづらさがほんの少しでも軽減されればいいなと思っています。束縛でも、所有でもなく、足元からでも陰からでもいいから、支えられる存在になりたいです。一緒にいて負担になるような存在には絶対になりたくありません。

ぼくは天才ではありませんが、天才を理解できる能力はあると考えています。努力もできます。プロポーズの時、一生をかけてあなたのことを理解したい、と言いました。 お世辞でも口から出まかせでもなくそう思いました。ぼくは言語性の能力が低いので、今後、猛勉強しなければいけません。今日は彼女が書き溜めていたノートを8時間かけて読みました。泣きました。

いま幸せです。毎日を大切にしていきたいと思います。