ローティとカミュ

 放送大学の「英米哲学への挑戦(’23)」が面白いです。放送大学の哲学科目はとっつきにくく抽象的で難解なものが多いんだけれど、この科目は哲学と文学を毎回関連させて紹介してくれるため、具体的なイメージと共に思想を理解できてとても楽しい。そもそも文学の働きというのは、抽象的な思想を具体的に展開させて私たちに体験させてくれるためにあるのかな?ありがたやありがたや。40年生きてきていまさらこんなこと思うの周回遅れって感じだけれども、今分かっただけでもよしとしたいですね。

 ここの所毎日4講義を聴いていて、今日は第9-12回目を聞いていて面白かったのが第11-12回目。まず第11回、ローティというプラグマティズムで有名(らしい)哲学者の、オーウェル「1984」に関する理解がなかなか想像を超えるものだった。以下「1984」のネタバレを含みます。私も読んでないのでネタバレされてちょっと微妙な感じ。でもいいや。

 「1984」はざっくりというと、ビッグブラザーっていう独裁者の下でウインストンという人が歴史を書き換える作業をしていたんだけど、そこでオブライエンっていう上司を裏切って反抗するも、拷問され、思想を改めるって話です。いわゆるディストピア小説の代表で、よくX上でも賢しらぶりたい人が話題に出しますよね。一般的にはファシズムへの反抗とか、全体主義へのアンチテーゼと言われています。

 ところがローティって哲学者がそのような理解に異を唱えてる。「1984」は全体主義はいかんという話ではなくて「私たちの選択としてありうるシステムのうちの1つ」だと捉えようって言いだしてるんですね。なんじゃそりゃとはじめは思いましたが、そのように考える理由を聞いたら、結構納得できたんですこれが。

 全体主義はいかん!という解釈は、全体主義はいかん!という「真理」を前提としている。その背後には「我々はただ一つの真理に必ず到達することができる」という確信がある。その確信って、クソじゃないですか?というのがローティの考えです。

 ただ一つの「真理」があるということは、その「真理」に到達した瞬間議論が終わっちゃうわけです。議論が終わるということは、「その話題はこういう真理がありますので議論は終わりですねハイ論破ぁ!」っていうことになります。これは黙らせる力、暴力、傲慢だとローティは考えた。

 よくいませんかこういう人?「俺は真実を知ってる、お前は真実を知らない。俺が真実だ。俺を信じろ」的なやつですよあれあれ。私はこの点で、ローティに心底感銘を受けたんです。

 じゃあ真理の取り扱いはどうするかというと、偶然的なものだと考えるそうですよ。今真理と考えられているものは、歴史的な偶然によってたまたまそう考えられているだけであり、いつひっくり返されるかわからない。全体主義はいかんし、私たちの共通認識としてそう考えられているわけではある。でも、それは今後の歴史的展開によって完全に変わってしまうかもしれない。我々はそのための探究をやめるべきではない、というのがローティの言いたいことです。だから、「1984というのは我々の取りうる可能性の1つであると捉えるべき」だということです。実際、私たちの考えが根本的に変わってしまうことなんて、日本では敗戦がありますし、科学の世界でも相対性理論とか量子論とかAI(これは根本的ってわけじゃないけど)とか枚挙にいとまがないっすよね。

 プラグマティズムを知らないのでググってみましたが、以上の考えとかすっている感じですね。科学的なものの捉え方とも合致してます。科学って、全ては仮説で、今後ちゃぶ台返しが起きる可能性を常に留保していますので、科学大好きなメリケンさんとの歩調もあってます。

 というわけでローティさんは腰を据えて読みたい哲学者リストの一人に入りました。

 もう一人面白かったのがカミュさん。第12回の講義では、ギリシャ神話の有名な「シーシュポスの岩」が題材になっていました。シーシュポスが神々を欺いたので、罰として、岩を山頂まで運ぶように命じられ、運ぶんだけれども山頂に届く瞬間に岩が転げ落ちてしまい、またやり直し、を永久に繰り返すという話です。いつまでも続く徒労についての比喩としてよく使われます。

 で、カミュさんは、シーシュポスさんの石と獲得する様を「石と取り組んでいる、まさに石である」とか表現していて爆笑したんですけど、それは置いておいて、この無駄な苦行、不条理を「彼は幸せなのだ」とかいうアクロバット解釈をしているんですね。なんじゃそりゃ!とここでも思いましたが、やはり理由を聞くと、一部は納得がいくものでした。

 石を運んではまたやりなおすの繰り返し、というプロセスのうち、山頂から岩が転がっていってしまった後の「下山」の過程にカミュはその本質を見出しています。下山しているとき、彼の気持ちは張りつめている。自分の悲惨さをよーく見つめていて、その悲惨さについて下山中ずっと考えている。その瞬間彼は「勝利」しているというのです。

 「これをやって何になるのか?」と考えて絶望して、運命から逃げること(突き詰めると、自殺)は勝利にはならない。苦行=自分の力を超えることと向き合い、反抗すること。ここに彼の幸せがあるとカミュは考えました。ちょっとここは一部受け入れられません(幸せかどうかはカミュが決めることではなくて、シーシュポスが決めることなので)が、「自分の力を超えることと向き合って反抗せよ」というメッセージは、カミュから受け取ることができました。人生自体がそもそも自分の力を超えることですので、日常でいくらでも向き合うことは可能ですよね。

 ちょっと話はそれるのですが、Apple Musicをせっかくサブスクしているので洋楽覚えるぜ!と考えて

‎Pop Hits: 2022 on Apple Music

 というプレイリストを繰り返し聞いています。いま3周目です。プレイリスト内「Life Goes On」という曲がありまして、歌詞の大半が次の2節からなります。 

【歌詞和訳】Life Goes On – Oliver Tree | 洋楽の歌詞を和訳しているブログ (ameblo.jp)

Life goes on and on and on and on and

On and on and on……

人生は続くよどこまでも

続くよ続くよどこまでも……

Work all day

And then I wake up

Work all day

And then I wake up……

一日中働いては

起きて

一日中働いては

起きて・・・

 カミュの話やシーシュポスの話を聞いているとき、ずっとこの歌詞が頭の中を駆け巡ってました。現代人もシーシュポスとある意味では変わらないですからね。でもこの不条理に反抗することで幸せになれる?かもしれない。ほんまかいな。

 というわけで英米哲学の挑戦(’23)は面白いぜ!という話でした。時間はかかりますが頭の中が整理されるし書いていて結構楽しいので、ちょくちょくこのような記事を書いていこうかなと考えています。


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