不安だからといって他人を攻撃するな

昨日、神奈川の旧居に泊まることになり小田急線で西に向かっていた。夜遅く終電に近い列車で、平日夕ラッシュほどではないが混雑していた。

隣に、ジャマイカ人風(レゲエ帽をかぶっていたので)の推定50代のおじさんが立っていた。目に力があり、佇まいもカッコよく魅力的だった。この日は気分が盛り上がっていたので、機会があれば話しかけたい気持ちだった。二人はドア付近に立っていた。

経堂、成城学園前、向ケ丘遊園と乗客がたくさん降りる駅ではぼくとおじさんがドアのから出て乗客を外に出し、また中に戻った。

確か登戸だったと思う。体が大きくておどおどした顔の男が乗ってきた。そいつが乗ってきたあと、おじさんが怒った。

「お前脳みそ腐ってるよ」

「motherf**ker」

「外人だからってこんなことやっていいと思ってるの」

「日本人の印象わるくなるよ」

「motherf**ker」

10分ほど男はスマホをいじりながらおじさんを無視した。やがて開口一番

「うるさいよ、キチガイ」

おじさんが「こんなことするなんて狂ってるよ」と言っているときのジェスチャーを見ると、どうやら男がおじさんを肘で押したらしい。

ずっと黙っていたけど、どう考えても男が悪いし、おじさんに声をかけたくなった。

「肘で押されたんですか」

「そう、こうやって」肘のジェスチャー。

男が声を荒げる。

「いつまでもわけわからないこと言いやがって!だからキチガイって言ったんだよ!ほかの乗客にも迷惑になるだろうが!」

男はおびえた顔のまま、続けてまくしたてた。

「俺が電車に乗る時、こいつが、扉の前で動かなかったらだよ!日本では、客が入ってきたら中に入るの!」

ぼくは動転していたので、ちょっとずれたフォローをした。

「いや彼は、電車のマナーがわかっている方ですよ。乗客さんが降りるとき一緒に外に出てますよ」

「なんだよお前!?お前俺が押したところ見てたのか!?」

確かに見ていなかった。ぼくは何も言えなくなった。男はこのあとぼくに向けて1分ほど怒声を浴びせたが、内容を全く覚えていない。泣きそうな表情を怒りで覆い隠しているような男の顔だけを覚えている。

男はスマホの世界に戻った。ぼくとおじさんは二人でずっと男をにらみつけていた。

男が入ってきたとき、ぼくも押されたような気がしたが、確信が持てない。そもそも男が入ってきたとき満員だったからおじさんが動けないのは当たり前なのだが、という言葉も、口から出ない。腹が立ってしょうがないのに。

おじさんに「ひどい目にあいましたね、気にしないでくださいね」と言いたかったけれど、男の前で、口に出せない。何も言えない自分が情けない。

おじさんは町田で降りて行った。降りるとき、ぼくに「すみません」と声をかけていった。おじさんを追いかけて、やっと、あまり大きくない声で「ひどい目にあいましたね」という言葉が出た。おじさんは振り返らなかったから、聞こえたかどうかはわからない。おじさんの後姿が忘れられない。

一人でも味方がいるって思ってもらえたかな。

 

男に差別心があったことは明らかだった。外人がいるから腹が立ち、目の前にいたそいつに肘打ちを与えた。男は始終おどおどしていた。細い細い心の糸を切られるのが怖くてしょうがないという気持ちが伝わってきた。

差別の心は不安から始まる。差別者は「不安だからあいつのこと貶めてしまえ、貶めれば自分が上に立てる。先手必勝だ、攻撃すればいい。自分がやられる前に、攻撃して打撃を与えてあいつの自尊心を奪ってしまえばいいんだ」と考える。そこには、人には上下があり、1次元的な直線の上に人間のレベルとかランクみたいなものがあるという仮定がある。

その仮定は間違っている。レベルやランクは、あなたが決めたものでしかなく、本当はどこにも存在しない。お前の物差しが普遍的に通用すると思うな。

不安を抱える人間はかわいそうだ。かわいそうだけれど、それが人を攻撃してもよい理由にはならない。不安だからといって攻撃してはいけない。攻撃は、他人を破壊する行為だから。

不安なら、自分が成長すればいい。誰も傷つかないし、自分も得する。成長できないなら、やりすごせばいい。やり過ごすことはだれでもできる。時間が経てば状況が変わって、不安が解消することもある。

 

男がやったことは

「お前は肘打ちされてもいい人間だ」

というメッセージだ。おじさんの怒りは正当だ。人間性の否定に抗う権利は誰にだってある。

ぼくは直感ではわかっていたが、言葉にするまで1日時間がかかった。これが一瞬でできたなら、もっとやりようがあったのに。


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