書籍レビュー:『西洋政治理論の伝統』著:山岡龍一

★★★★☆

放送大学の教材です。テストには間に合いませんでしたが面白い教科書だったので最後まで読みました。

ソクラテス、プラトン、アリストテレスからトマス・アクィナスやホッブズ、マキャベッリなどを経てロールズに至るまでの政治理論の道筋を示した本です。大学の講義用なので、1章につき1人の思想家を主に取り上げ、人物と思想の解説と背景となる歴史、後世に与えたインパクトなどを詳述していくという形式です。

著者は「一人で通史を書くのは無謀なことのように思える」とあとがきで述べているように、相当気負ってこの本を書いたようです。ほかの教科書と比べて2倍の厚みがあります。

ソクラテス、プラトンまでは原著を読んだことがあったのでより楽しく読めました。西洋において政治と哲学はほぼ同一で、現代でもその側面は失われていないことが分かります。古典は一通り読んでおかないといけないですね。

読んでおきたいもの

正義論はなんでこんなに高いの


書籍レビュー:『あたらしい自分を生きるために アサーティブなコミュニケーションがあなたを変える』 著:森田汐生

★★★★★

ぼくは自分の気持ちを伝えることが苦手です。言語表現能力が足りないことも理由の一つですが、もっと深刻なのは「言ってはいけないのではないか」という思い込みがあることです。例えば体調が悪くても「心配させてはいけないから言わない」という選択肢を選んでしまうことがあります。

これは間違っていました。

本書に登場する概念「アサーティブネス」とは、「相手も自分も大切にして気持ちや意見を伝える(P10)」ことです。

アサーティブネスの「4つの柱」として、本書では次の4つが挙げられています。

①誠実であること……自分の気持ちに嘘をつかず、いやなことはいや、うれしいことはうれしいと、自分で認めてもよい、と考える。気持ちにフタをしない。「私はどう感じたか」を伝える。

②率直であること……伝えたいことを相手に伝わるように伝える。相手にわかるように伝えるためには、「もっと家事を手伝ってほしい」と曖昧にではなく、「ゴミは、改めて頼まなくても毎朝外に出してほしい」のように、具体的に話す。

③対等であること……誰に対しても、目上でも目下でも、社会的立場が強い人にも弱い人にも、対等に話す。自分を卑下しない。③は、アサーティブネスがアメリカの公民権運動や女性解放運動から生まれたことに由来します。

④自己責任を持つこと……言葉と行動を一致させる。できないと思ったら「できない」、途中で気持ちが変わったら「気持ちが変わった」と、率直に言う。

「体調が悪いことを言わない」のは、アサーティブネスに照らすと①(つらいのにつらいことを隠す)③(心配させない、のは相手を対等と思っていない)の2点に違反しています。

アサーティブネスは権利と責任をコインの裏表に例えています。「責任を取る覚悟ができた上で、初めて権利は行使でき」、「自分に『まちがう権利』を認めるのなら、まちがえたあとの責任をどうとるかを考える必要があります(P34)」。自分で考え、正しいと思った権利を行使して、その結果も正当なものとして引き受け、自分も相手も尊重しながら次のステップに進める、クリエイティブで健全な姿勢だと感じました。

この本には感心しましたが、よくよく考えるとパートナーが毎日実践していました。見習います。


書籍レビュー: 血よりも関係性『ラブ・チャイルド』 編集:福島瑞穂

★★★★★

 

1991年出版の本、編者は元社民党党首の福島瑞穂さんです。彼女が国会議員になる前の著作ですね。福島さんは弁護士の海渡雄一さんと事実婚で子供を産むという選択をしています。話がそれますが「事実婚」という言い方は「婚姻」に囚われていて嫌ですね。1991年時点では民法900条非嫡出子に対する法定相続分が嫡出子の半額であるという差別が残っており、福島さんはこれにずっと反対していました。2013年9月4日に違憲判決が出て法律が改正されるまでの経緯をぼくは知らないので、いずれ調べてみたいと思っています。

本書は福島さんと、非嫡出子である落合恵子さん・尹照子(ユン・チョジャ)さんとの対談が第一部、複数の非嫡出子の手記が第二部、福島さんのエッセイが第三部、という構成です。

とりわけ衝撃的だったのが落合恵子さんとの対談です。落合さんのことはクレヨンハウスに何度か行ったことがあるので名前は知っていましたが、どのような方かは全く知りませんでした。落合さんの父はのちに国会議員になる矢野登という人で、落合さんの母とは同居せず、数年に1回落合さんと会う、というような関係だったそうです。

落合さんは父親のことを椅子に例えます。いつも同じところに椅子があれば、ある日突然それが消えたときに、椅子がなくなったことを意識する。でも初めから椅子がなければ、椅子がなくなったとは思わない。そんなものだと言っています。

落合:私が「普通の」とか「普通」というスタンダードに抵抗を覚えるのは、「普通」というときの基準が多数派の意識に成立していることであり、それ以外の人にも、それぞれの「普通」があることを切り捨てていることにあるのね。同じく、ある人の不自然が、ある人には「自然」であることもある。そして私の生まれ育った環境では、父がいないことが私の「自然」だったということです。(P11)

そして、彼女は生物学的な親子関係、いわゆる「血」は全く重要ではなく、「共に育ち合い、共に生活してきた記憶も感覚もない(P12)」人を「父」を呼ぶことは不自然だった、と言います。似たようなことはもう一人の対談者である尹さんや手記を書いてくれた人達も言っていました。

落合さんは親子関係も対等であるべきと考えます。

落合:子どもは愛情をそそぐ対象であり、それゆえラブ・チャイルドだと考えられるのは抵抗あります。つまり、子どもはそこでも、大人から見れば受け身の立場になるでしょ?男から見れば女がそうなるように、子どもと大人の関係性も、たとえ愛情においても、上下になってしまう危険性は注意深く見ていかなきゃいけないと思う。すべて上下はイヤ、なのね。

福島:愛情をふりそそぐという点ではどこかに同情があるかもしれない。

落合:本を「与える」というのと同じ言い方。上から下へという形は、どんなに善意から発したものでも、ね。

他の所でも何ヶ所か記述があるのですが「同情」「思い入れ」も対等な関係ではなく、力や立場の上下を前提とするものなので、落合さんはこれらを嫌います。

 

ここからは個人的な話です。

前の家では子どもとの関係は対等ではありませんでした。元配偶者の気に入らない学校はやめさせ、家に閉じ込め、必要な教材や本を「与えてやる」という一方通行な関係でした。子どもは親の所有物であり、自由は全くありませんでした。で、ぼくはその一方通行の通路にさえ入ることを許されなかったので、関係性すらありませんでした。

時間が経つにつれて、前の家の子どもたちの「自然」にぼくは存在しなかったことになるのでしょう。それはそれで、仕方のないことですね。

 

婚外子のことを調べるつもりでしたが、気持ちのベクトルが別に向いてしまった本でした。

 

Amazonには「婚外子が蔓延すると近親婚が増えるから遺伝的に問題がある、だから法律上禁止されているのだ」といった支離滅裂かつ差別主義的なクソレビューが書かれています。


書籍レビュー:自分で考えることなんてできるのか『自分で考える勇気――カント哲学入門』 著:御子柴善之

★★★★☆

イマヌエル・カント。彼の名前を聞くと「インマヌエールインマヌエルー」っていう歌詞のある讃美歌(何番かわかりません)を思い出します。こどものとき「インマヌエルってなんじゃ?」と謎のカタカナ語が気になっていました。

 

本書は以前セレクトした岩波ジュニア新書20のうちの1冊です。これで5冊めです

 

これもジュニア向けにしてはかなり骨太な内容でした。内容は簡単なカントの個人史→純粋理性批判→実践理性批判→判断力批判→その後「永遠平和のために」などの解説、の順で進みます。本記事では主に純粋理性批判の記述について紹介します。

コペルニクス的転回?

「逆に考えるんだ。」のように、考え方を180度回転させるという形容で使われる用語として「コペルニクス的転回」という言葉があります。もったいぶった文章でよく使われてますね。これはカント発祥らしいのです。

コペルニクス的転回 – Wikipedia

従来は、世界というものは固定されていて不変・普遍的なものであり、それを人間が正確に認識していくことが求められていると考えられていました。これをカントは逆転し、人間の認識によって世界が形作られていくと考えました。

本書45~47Pでは「太陽光線がアスファルトを暖める」、という現象を例にとって説明しています。原因:太陽光線、結果:アスファルトが暖まった、というただの事実のように思えますが、アスファルトそのものを見ていても太陽光線が暖めたかどうかなんてわからないんじゃない?と指摘した著者は次のように述べます。

・・・私たちは「太陽光線がアスファルトを暖めたのだ」と言い、そのように自然現象を理解します。これは、見えているものに全面的に依存する態度によってではできないことです。

 では、<原因-結果>という考え方はどこから見出されたのでしょうか。ここでカントは、太陽光線に照りつけられるという「原因」がアスファルトの表面温度を上昇させるという「結果」を生み出す、そのような自然現象をそれとして成立させるのは、人間の認識のはたらきの方なのだと考えます。(P46)

こうしてカントは「対象に認識が従うのではなく、認識に対象が従う」と考えました。これが「コペルニクス的転回」と呼ばれるものだそうです。

「認識に対象が従う」という考え方は、生きていく上で強みになります。それは完全無欠の「対象」すなわち決定論的で固定されきった存在としての「世界」が存在しないということです。他人が見ている世界と私が見ている世界は、他人が作ったものと私が作ったものとなり別々のものというわけです。これを前提とすれば個人個人の価値観は違っていてアタリマエであることがすんなり理解でき、そしてあらゆる論証に対して反証可能性をつけることができます。「対象」なるものはすべて創作です。あなたが創作するんです。生きるの楽になりませんか?

ただこの論理は行き過ぎると次のような独断論になってしまうおそれもありますね。

お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではなとは (オマエガソウオモウンナラソウナンダロウオマエンナカデハナとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

意志の自由ってあるのか

カントは「認識」に対しても普遍性をもつことができると考え、認識の中には生得的で誰でも持っているもの=「ア・プリオリ」なものがある、それは12の「純粋悟性概念」からなるのだという論を展開してきますが、個人的にはホンマですか、わたしたちそんなこと意識してないっすよ、と感じました。

この悟性とやらは論理判断を行う機能です。さきの太陽光線→アスファルトあったかい、のような<原因-結果>の対応付けを行うための機能のことです。ところがこの<原因-結果>を突き詰めると、カントが主張したい「意志の自由」が存在しないことになります。なぜならあなたの意志には突き詰めていけばすべて原因があることになるからです。

これをカントは「『物それ自体』の世界があるんだよ、人間は現象の世界しか認識できないから現象界で<原因-結果>に縛られて自由が無くなっても『物それ自体』では理論的には自由はあるんだよ」という正直言って苦しい論理によって解決します。続くページで「未来は不確定だからそこに自由がある」というちょっと救われた気になるような解説がありますが私は納得できませんでした。意志に自由はないのかもしれません。

カントは実践理性批判で「よい」とは何か、達成するためにはどうすればよいかを追求していきますが、私は「よい」が存在すると思っていませんので、カントは苦手です。。

 

1点気に入った言葉があるので引用しておきます。 これはカントの言葉ではなく、御子柴さんの言葉です。

明るい光が濃い影を生み出すからといって、光の明るさが無意味になるわけでも有害になるわけでもありません。(P152)

 

 

参考書籍

原典も一度は読んでみないといけないですね

純粋理性批判〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

純粋理性批判〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

 

 

美の経験とは一切の利害から解放されたものである、という考えはいいですよね

判断力批判 上 (岩波文庫 青 625-7)

判断力批判 上 (岩波文庫 青 625-7)

 

 


書籍レビュー: お前は戦う前から負けているのだ『ワーキングメモリと日常』 著:T.P.アロウェイ、R.G.アロウェイ

★★★★★

 

一週間前くらいに読み終わっていたのですが時間が取れずようやく今日レビューを書くことができました。

本書はワーキングメモリについて、最新の研究結果をいくつも報告した論文集という趣の本です。ワーキングメモリとはなにか、の説明は序論でちょろっと書かれているだけなので、先にこちらの本を読んでおくことをお勧めします。

やや読みにくい

全体的な印象を先に書いておくと、訳の日本語が悪いのか私の理解力が足りないのか、読むのにとてつもなく時間がかかりました。『脳のワーキングメモリを鍛える!』はするするっと読めたのですが、本書は学術書という体裁からか読むのに体力を必要とします。

また、論文集みたいなものですので、仮説をバンバン提出するも「因果関係はよくわかっていない。」と結論付けられているものが多いです。仮説自体は興味深いものが多いので以下紹介していきます。

自閉症スペクトラムとワーキングメモリのスキルには相関が無かった

低機能のASD*1児群の成績は、年齢を適合させた対照群よりも低いが、言語性と視空間性のワーキングメモリの評価は、知能指数を適合させた対照群と異ならない(Russell, Jarrold & Henry, 1996)。(中略)高機能のASDと診断された10代の子どもたちは、言語的短期記憶に問題を示したが、ワーキングメモリのスキルは平均的であった(Alloway, Rajendran & Archibald, 2009)。(P73)

自閉スペ人はワーキングメモリが有意に少ないと思っていましたが全然そんなことないみたいです。私のワーキングメモリが少ないように見えるのは個人的な特質であって、マルチタスクも余裕でこなせるスペ人もいるということですね。これは希望が持てます。鍛えることができるということだからです。近日中に鬼トレを仕入れる予定ですので、がんばってみます。

熟達と音楽とワーキングメモリー、努力

7章に「音楽」をテーマとした特集がありました。音楽は昔作曲のまねごとをしていたこともあったのでとても興味がありました。読んでみると主として「熟達・探求トレーニング」をテーマとして扱っている章でした。ヴァイオリニストやピアニストの熟練とワーキングメモリ、そして練習量の関係について述べられています。ざっとまとめるとこうです。

「ワーキングメモリの容量が高い人間はいわゆる才能がある人間を指し、伸びが早い。また、初見演奏に強い。」

しかし一方で次のようにも言われています。

国際的なソリストとなる可能性があると評価された優れたヴァイオリニストたちは、一人での練習時間が20歳までに累積1万時間に達しており、その域に達していない演奏者より何千時間も多かった。その後の研究結果はさらに劇的であり、熟達ピアニストが1万時間の単独練習をしていたのに対し、アマチュアはたった2千時間であった。(P132)

 

チャーリー・パーカーは(中略)次のように回顧している。「相当練習はしていました…(中略)少なくとも1日に11時間から15時間を練習に当てていました」(P134)

何だよ結局努力が全てじゃねえか!!!

しかし「才能」を「ワーキングメモリ」に、「努力する才能」も「ワーキングメモリ」にだいたい置き換えて考えると納得できるような気もします。というのも、『脳のワーキングメモリを鍛える!』にもあったように、ワーキングメモリの能力が高ければ、雑念を払って集中することが可能となるからです。

また、熟達トレーニングについてはワーキングメモリが少なくても心配することはありません。

Kopies & Lee(2006)の研究では、初見演奏の能力とワーキングメモリーの関連について、演奏の難しさ別の分析を行った。最も簡単な課題(レベル1~3)では、両者に有意な相関があった。しかし、課題が難しくなると(レベル4)相関は有意でなくなり、最も困難な課題(レベル5)でも、有意な相関はなかった(r=0.08)。 (P116)

つまりワーキングメモリーの能力の大小は、その場を何とか乗り切る能力に優れるが、熟達トレーニングの程度が高くなればなるほどワーキングメモリーの意味はなくなるということです。熟達とは自動化していくことですので、徐々にワーキングメモリーの必要性は薄れていくだろう、という直感とも符合します。ですので「努力が全て」で間違いありません。

戦う前から負けるな!

何か活動を行うにあたって最も我々のパフォーマンスを落とすのは「不安」です。不安はワーキングメモリーの容量を食います。いつも不安の対象のループが発生してあなたのCPU使用率を食うからです。学校生活を経験した我々にとって、最も不安をもたらす教科、、それは「数学」です。

数学不安を抱える個人にとって、数学の教材や文脈は、ネガティブな情動反応を引き起こす。この反応が強いと、指を振るわせ、ドキドキさせ、息苦しくさえさせることがある。(P216)

数学が苦手な人は多いのでこのように感じている人間はきわめて多いはずです。ところが、実は「私は苦手」という思い込み自体が、最もパフォーマンスを低下させているのです。これを本書では「ステレオタイプ脅威」と呼んでいます。次の例は「アフリカ系アメリカ人は頭が悪い」というステレオタイプが浸透しているアメリカ(マジかよ)で行われた実験です。

この研究では、参加者は、SAT*2の問題が2つの条件下で与えられた。1つは、「これは、言語能力を純粋に測定するテストである」と伝えられ、もう一方では「これは、言語的な問題解決における心理学的要因を明らかにするための調査である」と単に伝えられた。SATの問題が、言語能力を測定するものであると伝えられた場合、アフリカ系アメリカ人は、同時にテストを受けたヨーロッパ系アメリカ人よりも悪かった。この成績の差は、その問題が能力を診断しない調査という枠組みで実施された場合、減少した。(P218)

ビックリしませんかこれ?「お前は頭が悪い」という思い込みだけで成績が下がるんですよ。

私が本書で一番びっくりしたのは次の記述です。

数学のスキルを訓練するよりも、数学不安と関連した情動の部分を扱った介入が、高い数学不安の個人の成績を改善することが示されている(Hembree, 1990)。このことは、数学不安がパフォーマンスをどのように損なうかについての別の説明、すなわち、数学不安そのものが数学の問題解決中の弱さを引き起こしているという説明を支持している。(P216)

つまり数学が苦手な人間は、数学を勉強しても実は無意味で、「私は数学ができない」という思い込みを捨てることが一番の特効薬になるということです。

「私はできない」という固定観念を捨てましょう!戦う前から負けてはいけません!あなたの可能性を摘んでいるのはあなたです。「私はできる」と根拠なく思ってよいのです!

この研究結果からわかることは、一番成績を上げることができる人間とは松岡修造ということですね。

www.youtube.com

修造はすばらしい

 

他にも雑念を払うための瞑想の訓練がワーキングメモリーを飛躍的に向上させることや、人類のワーキングメモリーの歴史など話題盛りだくさんです。おすすめです。

 

*1:Autistic Spectrum Disorder: 自閉症スペクトラム障害

*2:アメリカのセンター試験みたいなやつ


書籍レビュー: マルチタスクへの道 『脳のワーキングメモリを鍛える! ―情報を選ぶ・つなぐ・活用する』 著: トレーシー・アロウェイ、ロス・アロウェイ

★★★★★

ワーキングメモリって何!?

twitterで話題になっているワーキングメモリ。一体どんなもんなんじゃろうと思って手に取りました。

ワーキングメモリとは、一言でいうと「脳の指揮者」です。短期記憶と長期記憶をつなぐ役割、パソコンで言うとOSのタスク処理機能とIO機能をまとめたものに相当します。脳の「制御装置」と言い換えてもよいですね。主に前頭前皮質で処理される機能です。

本書のワーキングメモリの定義ではこうです。

  1. 優先順位をつけてから、情報を処理する。関係のないものは無視し、必要な情報から処理できるようにする。
  2. 情報を利用して作業できるよう、補完する。

たとえばツイッターやメール、大量のテキストなどから自分に必要な情報だけを抽出する機能、ざわざわした環境で自分の仕事に集中する能力、面接官から突飛な質問を受けたときに自分の長期記憶から適切な情報を選択して面接に応える力、さらには株価が暴落したときに狼狽売りせずホールドか売却か冷静に見極める判断力、チリ落盤事故やホロコーストのゲットー下のような絶望的な状況でも不安を抑制しポジティブに思考する力、テニスボールがネットを超え目の前でバウンドしたときに取る行動、、、などワーキングメモリの活躍する範囲は多岐にわたります。

IOとの違い

IQ・知能指数は私達もよく聞く言葉です。IQ150の天才!みたいな触れ込みの本もよく出版されています。しかし本書ではIQの効果を疑問視しています。ざっくりいうとIQとはあなたが知っていること、ワーキングメモリとはあなたが知っていることを利用してできることだ、ということができます。IQとワーキングメモリは相関関係が無く、IQと将来の成績にも必ずしも因果関係が無く、ワーキングメモリは将来の成績と因果関係がある、という研究結果があるそうです。そしてワーキングメモリと経済状況との因果関係もありません。ある意味、万人に平等な能力です。じゃあワーキングメモリが無かったらどうするんじゃ、とは言いたくなりますけど。

自閉症とワーキングメモリの関係は!?

ここまで読んで明らかに私はワーキングメモリが足りない人間だな、と感じましたがやはりワーキングメモリと自閉症とは関連がある、という記述がありました(P126)。一般人が4CPUのマルチタスクなら、自閉症者はシングルコアだという記述もあります。これ以前にも見たことがある議論ですね。しかし自閉症ならワーキングメモリが少ないとはいえず、自閉症スペクトラムのどの位置にあるかで変わってくるそうです。じゃあ必ずシングルタスクのように思える私ってなんなのさ。もっと詳しい書物が必要です。

ワーキングメモリは文章の深みにも関係しているそうです。次の文章はある修道院で書かれた自伝をワーキングメモリの強さによって分類したものです。

低い――「私はほかのどんな職業よりも、音楽を教えるのが好きです」

高い――「<鳩の小道>を歩きながら、私は思いを馳せている。あとたった三週間で、私は生涯の伴侶の足跡を追い、貧困と貞節と従順の誓いを立て、主に生涯をささげるのだ、と」

明らかに私は低い方に位置します。高い方の文章が書けるようになりたいよ。おまけにワーキングメモリが低いとアルツハイマーになりやすいそうです!低いのはやだよー。というわけでワーキングメモリを強化しなければなりません。本書はタイトル通り、強化する方法がたくさん書いてあります。列挙していきましょう。

ワーキングメモリの強化!

・走る

長距離に限ります。ランニングは運動の予測を立てにくく、スピードや走り方の変化に常に注意を向けなければいけないため、ワーキングメモリが稼働され前頭前皮質が活性化されるそうです。外界からの刺激にも絶えず気を配らなければいけません。できれば裸足で走ると、地面からの刺激にも注意を払う必要が生じてさらにワーキングメモリが活性化されるそうです。

・料理

これは児童向けとして紹介されていますが、大人の場合は「レシピに目を通したら、見ないで料理を作る」という作業で激しい負荷のかかるマルチタスク課題となります。

・ドラム

リズム・パターンはワーキングメモリと密接な関係があるそうです。

・外国語学習

あらゆる年代のバイリンガルは、一か国語しか話さない人間よりワーキングメモリを含めた認知能力が優れていた、という研究結果があります。「新たな言語を学ぶ」という行動自体がワーキングメモリの強化を促すそうです。

・暗算

様々な数字を同時に処理する必要があるため、ワーキングメモリの強化に有効です。2桁*1桁、2桁*2桁、3桁*2桁、とどんどん数を増やしていきましょう。

・難しい文章を読む

文章を読むことは短期記憶や予測、解釈、統合の機能が必要なので、ワーキングメモリを活用できます。スマホで平易な文章を読むのではワーキングメモリは鍛えられません。難しいものを読みましょう。

・寝る

睡眠不足はワーキングメモリの低下を招きます。成人は7~9時間の睡眠をとりましょう。

・食事

ワーキングメモリの劣化防止→カルチニンとビタミンB12。乳製品、赤身肉に含まれます。飽和脂肪酸は控えめに。ビタミンB12が低下するとアルツハイマーリスクがあります。

ワーキングメモリの機能増強→フラボノイド。ベリー類・ハーブ・ダークチョコレート・ほうれん草・緑茶・紅茶・赤ワインに多く含まれます。

ワーキングメモリの刺激・活性化→オメガ3脂肪酸。脂肪分の多い魚に多いです。サバ、サケ、イワシ、マス、マグロ。サプリメントでも効果があります。

ハーブも効果があります。ローズマリーとペパーミント。

・仕事

退職するとワーキングメモリの機能が極端に下がります。

 

驚いたのは私が好んでやりたいと思っていることが軒並み含まれていることです。外国語学習も読書も現在進行形だし、ランニングと料理はこれからやろうと思っていたことズバリだし、ドラムだってやりたいし、仕事は一生続けたい。ちょっと自信が持てました。

 

 

関連書籍

次はこれを読みます。

ワーキングメモリと日常: 人生を切り拓く新しい知性 (認知心理学のフロンティア)

ワーキングメモリと日常: 人生を切り拓く新しい知性 (認知心理学のフロンティア)

  • 作者: T.P.アロウェイ,R.G.アロウェイ,Tracy Packiam Alloway,Ross G. Alloway,湯澤正通,湯澤美紀
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2015/10/22
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おお発達障害あったあった。読むぞ

ワーキングメモリと発達障害: 教師のための実践ガイド2

ワーキングメモリと発達障害: 教師のための実践ガイド2

  • 作者: トレーシーアロウェイ,Tracy Packiam Alloway,湯澤美紀,湯澤正通
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2011/09/23
  • メディア: 単行本
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 裸足ランニング。これも読むぞ

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

  • 作者: クリストファー・マクドゥーガル,近藤隆文
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2010/02/25
  • メディア: ハードカバー
  • 購入: 16人 クリック: 207回
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これも有名。読むぞ

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

運動と言えば、太極拳にも興味があるのです。

超入門 24式太極拳

超入門 24式太極拳

 

 

太極拳その2

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

 

 


書籍レビュー: 現時点最強の思想入門書か 『ヨーロッパ思想入門』 著: 岩田靖夫

★★★★★(๑•̀ㅂ•́)و✧

 

岩波ジュニア新書すごいっすね。新書ではこれが最強です。

著者の岩田靖夫さんはほんの最近(2015/1/28)に逝去された学者です。本書がヨーロッパ思想の概観書として異色なのは、ギリシャ哲学とキリスト教に全体の2/3というほとんどの紙面を割いていることです。それは著者が、西洋思想はこの2つに大きく根差していると考えているからです。

筆者は、この本の第3部でヨーロッパ哲学のわずかな、しかし重要な節目を歌った。それは華麗な大交響曲からの、筆者の好みによって選びだされた、ほんの数小節である。しかし、それで、ヨーロッパ哲学の本質は伝わると筆者は確信している。

ちなみに第3部はアウグスティヌスやトマス=アクィナスも含まれるので、キリスト以後の思想家は全体の1/4しか記載がありません。

理想的で高慢なギリシャ人

ギリシャ人は理想を追求する民族でした。ギリシャの美しい彫像はすべて同じ表情をしています。ここには、不完全なものは存在として「劣っている」という厳しく高慢な姿勢がありました。ギリシャ神話の神とは、すべて人間が理想としたものの結晶でした。これは逆に、人間を神のようなイメージに持ち上げて賛美しているともとれます。この理想の高さが、普遍的なもの、形相的なもの、理念的なものへの追求へ向かい、豊饒な哲学が生まれたと筆者は書いています。

筆者が西洋哲学の根幹の一つとして紹介しているのがパルメニデス(前515ごろ-450ごろ)の思想です。彼が到達した真理は、「存在の不滅」でした。平家物語的な流れゆきうつろいゆく存在ではなく、単一で超時間的で普遍不動な「存在」が必ず存在する、という主張です。長いですが本書で感銘を受けた所なので、引用してみます。

まず、(論理的に)必然の真理として「あるか、もしくは、あらぬか」という二者択一がある。この二者択一において、「あらぬ」という前提は、あらぬのであるから、前提自身が前提自身の成立を否定している。もちろん、「あらぬ」と発言することはできるが、そのときには無意味な発言をしているのである。ギリシア語で文字通り「あらぬことを語る」というと、「ナンセンスなことを言う」という意味の熟語になるが、無に関する発言はパルメニデスによれば、すべてこの熟語の言うとおりナンセンスなのである。

それならば、二者択一の残る項は「ある」であるが、この「ある」はたんに論理的な前提として立てられているのではなく、絶対の所与として立てられていると言ってよい。この「ある」について、パルメニデスはその誕生を求めてはならぬと言明している。なぜか。まず、「ある」が「あらぬ」(無)から生じたと考えることはできない。なぜなら、いましがた述べたように、「あらぬ」はあらぬのであって、語ることも考えることもできぬ非実在、無意味、虚妄だからである。では、「ある」は「ある」から生じたと考えうるか。否。なぜなら、そのときには、生じた「ある」は「あるでなかった」という自己矛盾が生ずるからである。

「ある」「あらぬ」が複雑に絡み合って頭の痛くなる文章ですが、論旨は明快です。私たちが「ある」「ない(あらぬ)」と日常的に表現している当たり前のような事実がひっくり返されてしまうこの文章は驚くべきものでした。あらぬことはありえない。この後は「ある」の不滅性までもが議論され、単一で不可分な「ある」で全世界がおおわれていく様子が描かれます。おそらくこれがユダヤ・キリスト教的な「神」の存在に繋がっていくのではないかと思われます。前提をどこまでもさかのぼっていける哲学者には憧れるばかりです。

自由とキリスト教

一度新約聖書を通読したというのに、私はキリスト教を絶対神に服従する窮屈な宗教と認識していました。それが大間違いであることを、前書きで突き付けられました。

キリスト教は自由と寛容の宗教でした。神は自己の似姿として人間を創造しました。キリスト教の神は唯一絶対なるものです。ということは、その似姿である人間も一人一人が唯一絶対なるものだということです。ですから、一人ひとりを何らかの普遍的な概念で繋ぐということは、許されません。それは絶対なものであるという定義に反するからです。すなわちアンチクライストとは、全体主義者です。そうか、ヨーロッパの個人主義って、ここから来てたんだ。。なんで気づかなかったんだろう。魅力的なアンチクライストにははみ出し者、個人主義者が多いように思えますが、それは教会的な社会そのものが間違ってるんだと思います。キリスト教、もっと深く知りたくなりました。

ここから、キリスト教の核である他者への愛=他者の自由の尊重のこと、ユダヤ教の偶像崇拝の禁止=自己神聖化の禁止、という思想の帰結であることが分かります。これ、今の私の最大の課題と考えていることですので、このままだとキリスト者になってしまうかもしれません。。いまのところ、無神論ですけれど。

理性=暴力、レヴィナス

最後1/4ではデカルト以後の哲学の展開が描かれますが、筆者がパワープッシュしているのはレヴィナス(1906-1995)です。彼はユダヤ人で、現象学を基礎としつつもユダヤ教の影響を強く受けています。彼の思想で衝撃的なのは理性=暴力であるという主張です。

ヨーロッパの哲学はギリシャの初端以来根本的に無神論であった、とレヴィナスは言うが、それは、ヨーロッパの哲学が基本的に理性に真理の基準をおく哲学であったからである。理性では認識しえないもの、すなわち、根本的に自己とは異質なものを認めない。理性とは同化の力であり、全体化の力であり、それによって自己を貫徹する力であるからである。

私は理性って素晴らしいと思っていました。他者からの肉体的心理的なコントロールに屈することなく、どんなに弱いものでも自ら立つことのできる唯一の力だと思っていました。しかしレヴィナスには、それは異質なものを排除する力、端的にいえば暴力であるのだと言われてしまいました。

だが、この全体化の態度は、じつは、貫徹できないのだ。それは、他者に直面するからである。他者に直面したとき、私は冷水を浴びせかけられ、無言の否定に出会い、自己満足の安らぎから引きずり出される。私の世界が完結しえないことを思い知らされるのである。もちろん、自分の思い通りにならない他者をさまざまな暴力によって排除し抹殺することはできる。しかし、そのような殺人は全体化を完成したのではなく、むしろ、全体化が不可能であったことを証しているのである。

ユダヤ教というよりはキリスト教的思想に見えます。愛、すなわち他者を尊重しなければならない裏付けが述べられています。この記述は、一生涯私を刺し続けるように感じました。人間が人間である以上、他者を完全に抹殺することは不可能と言われてしまいました。このあと、「他者は無限である」というとても跳躍しているようで本質を射抜いた展開がなされます。

さらにこの後、たまたま通りかかった道端で苦しんでいる者を見捨てなかった「善きサマリア人」を人間の本質とし、否応なく他者と関わり責任を負うことが課されているのが人間だ、だって、みんな神から作られている者なのだもの。連帯責任があるよ。というのがラストの結論ですが、さすがにここまでは同意できません。責任を創造論に回収するのはちょっと、私にはできないですね。そんなことよりも自分の生活を第一に考えてしまいます。余裕がある人が責任を負えばいいよ、私にゃ負いきれんよ、と思ってしまいます。

 

私は読書時に小さな付箋を使って感銘を受けた箇所に貼っていき、あとでざっと読み返したりブログの素材にしたりするのに役立てています。この本、付箋を貼った個所が20か所もありました。過去最大です。それだけ、驚かされることの多い本でした。読みにくいヨーロッパ思想書は多いですが、それはあなたの頭が悪いのではなく、著者や訳者の日本語が破壊されているんだと思います。この本は読みやすい上にびっくりすることが多い本でしたので。最初の一冊、座右の一冊、どれにするとしてもおすすめです。私も時々読み返そうと思います。

 

 

 

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やっぱり必読なんだって。好きなブロガーさんも読んで人生変わったと言ってるし、近いうちに読まなきゃダメか。

方法序説ほか (中公クラシックス)

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  • 作者: デカルト,Ren´e Descartes,野田又夫,水野和久,井上庄七,神野慧一郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2001/08/10
  • メディア: 新書
  • 購入: 2人 クリック: 23回
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 岩田先生イチオシのレヴィナス入門書

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書籍レビュー: ウホッ、いいソクラテス…『饗宴』 著:プラトン 訳:森進一

★★★★★

知的飲み会

プラトン2冊目です。いわゆる「プラトニック・ラブ」の出典と言われています。

饗宴というのは飲み会みたいなもんだけど、参加する人はみんな哲人なので酒飲みつつ言論発表会もするというような知的な集会でした。本作では紀元前416年ごろに行われた饗宴を、紀元前400年ごろにアポロドロスという人が友達にせがまれて思い出しながら話す、という形式をとっています。

饗宴の参加者はアポロドロスの他に悲劇詩人アガトン、悲劇作家アリストパネス、そしてソクラテスなど錚々たるメンツが揃い、28名(wikipedia情報、そんなにいたっけ?)で行われました。医者のエリュクシマコスが、今日の議題は「エロース」についてにしようぜ!と提案し、5名が順々に演説をしていくという形式で、「ソクラテスの弁明」と同様にほとんど物語でした。演劇にするともっとしっくりきそうです。十分耐えうる素材だと思います。訳は不自然なところなどなく完璧でとても読みやすかったです。脚注も充実していて助かりました。

哲人エロースを語る

「エロ―ス」といっても、現代の肉欲的なエロとは全然違います。そもそもエロースとは愛の神です。しかも、ギリシャ神話でのエロースは美の神アプロディーテーの子であり神の中でも古参の部類に入ります。高尚なエロースを5名が順々に讃えていきます。

古代ギリシャ人は古代ギリシャは男性同士の同性愛が異性愛よりも高尚なものとみなされていました。演説者の一人パウサニアスの言うことには、アプロディーテーは2人いて一方が肉欲を生じさせる神、もう一方は男性の理性や強さへの憧憬を生じさせる神と定義し、

つまり、この種のくだらぬ人々は、第一に少年を愛すると同じように女性をも愛する。次に、その愛する者の魂より肉体を愛する。さらに、できるかぎり知恵なき愚者を愛する。

と肉欲をけなしたあと

このアプロディーテーにつながる愛の息吹をうけたものは、生まれつきより強きもの、より知性ゆたかなる者を愛して、男性に愛を向けるのである。そして、かの、少年への愛においても、ただひたすら、この愛にだけ動かされている人々への姿が見られるはずである。

と少年愛を賛美するのです。これは演説者ほぼ全員に共通の認識であり、みんな大抵男性の恋人がいます。ソクラテスにもいます(後述)。子孫の繁栄とかそういった言葉は全然出てきませんでした。肉体的<精神的なもの、という価値観を突き詰めるとこうなるのかもしれません。同性愛といってもくそみそテクニック的なものは論外というわけです。パウサニアスはこのあと、オッサンが少年に向ける愛を長々と賛美します。なんとなく自己正当化っぽい気もしますが文字だけ見ると美しいです。

アリストパネスは人気作家だけあって面白い解釈をしていました。カンタンにまとめると次のようなことになります。人間はもともと2体がくっついて出来ていた。2体でできてる時代の人間は強くて傲慢だった。そこでゼウスが人間を懲らしめるため、2体を分離した。人間の傷はふさがったが、1体では中途半端で常に欠乏感がある。そしてもともともう一つの自分であった1体と出会うと一つになりたいという気持ちが湧き上がってくる。。という説を語っていました。この物語に即するなら、一目惚れとか運命とかが説明できてロマンチックですね。ただアリストパネスの説は、昔の人間は「男×女」の2体だけではなく「男×男」や「女×女」の組み合わせもあった(しかも同じぐらいいたみたい)ということになってますから、やはり同性愛は正当化されうるのです。

愛=不死?

5名のうち最後に語るソクラテスは、全員の論を包括した上でもう一次元上にのぼる論を展開します。一言で言うと、エロースすなわち愛とは「不死への希求」だということです。

エロース(私達、と読み替えてもいいと思います)は完全なものではなく、欠乏をもっている。それゆえに美、善きものを追い求める。そしてこれらを手にしたならば、永久に自分の手にしたいと考える。自らは刻々と変化していく存在なので、なんとかしてこれら善きものを保存する方法を手に入れなければならない。そこで私たちは「懐妊」する。。

生物学的に「懐妊」すればそれは肉体的な愛となりますが、金銭、創作、名誉、知恵という方法を使って「懐妊」することも可能です。いずれも、永遠すなわち不死を追い求めることが「懐妊」だと言っています。私がこのようなブログを執筆するのも愛の一つの姿ということなのかもしれません。ここでも肉体<魂という序列が付けられます。肉体はどれだけ美しくとも他のものと似たり寄ったりで、しかも崩れゆく運命にありますが、あらゆる肉体から抽象した「美」は永遠のものとなります。知識も永遠です。これがいわゆるイデアって奴ですかね。イデアは永遠の体現なのですね。

プラトニックラブって純潔とか肉体的な結びつきの否定とかいわゆる「純愛」みたいなものと思ってましたが全然違いますね。人間同士の結びつきというよりは、もっと芸術的なものです。それに永遠や不死とは「自己保存」の最たるものですから、直感的には美しいですが本質的にオレ本位でわがままです。自己増殖して後世に俺様を残すことだけが目的のDNAが、彼の理想を一番表しているように感じました。

ウホッ、、とは違った

ラスト、アルキピアデスという酔っ払いが乱入してくるのですがこいつはなんとソクラテスの恋人です。アルキピアデスは美少年で、自分の容姿にも自信を持っていました。彼はソクラテスに告白してOKをもらい、隣で寝るのですがソクラテスはなにもしてくれなかったぜ!という愚痴を言いに来ました。そりゃそうですソクラテスは外面的な肉体には興味はなく彼の魂に興味があったのですから。このときソクラテス53歳なんですが憧れられるなんてすげーですね。

 

書いてみるとこの本の内容を全然理解できていない事実を突き付けられ落ち込みますがこれが今の自分の力ですのでしゃーないです。もっと色々読んで考えないといけません。すくなくとも姿勢だけはプラトンと同じように、究極の美なるものを追い求めたいと思っています。

 

 

参考文献

手前味噌ですがパイドロスやアリストパネスの話はギリシャ神話の引用ばっかですから、前提として必ず知識が必要になります。読んでおいてよかったと思っています。

 

イデア―美と芸術の理論のために (平凡社ライブラリー)

イデア―美と芸術の理論のために (平凡社ライブラリー)

  • 作者: エルヴィンパノフスキー,Erwin Panofsky,伊藤博明,富松保文
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本
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 イデアについて。ちなみに本書には「イデア」という単語は出てきませんでした。


書籍レビュー: 障害ってなおすものなの?『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか』 著: 岡田尊司

★★★★☆

 

著者の岡田尊司さんは2005年に「脳内汚染」を書いていわゆる「ゲーム脳」論で有名になった人ですね。哲学科をやめて医師になったという変わった経歴の持ち主です。

新書の割に300Pもあり分厚目ですが内容は平易で、サクサク読めます。

10種類のパーソナリティ障害

パーソナリティ障害等はDSM-IVによれば「著しく偏った、内的体験及び行動の持続的様式」です。本書では10種類のパーソナリティ障害が紹介されています。岡田さんによればそれは著しく偏ったパターンを単に列挙したものではなく、いずれも次の2点が核に存在するものである、と主張します。

  • 自分へのこだわり
  • 傷つきやすい自己

この2点が「対等で信頼しあった人間関係を築くこと」を障害している、これをパーソナリティ障害と定義しています。

具体的な10パターンは次の通りです。聞いたことがある名前もあると思います。

 

  • 境界性パーソナリティ障害
  • 自己愛性パーソナリティ障害
  • 演技性パーソナリティ障害
  • 反社会性パーソナリティ障害
  • 妄想性パーソナリティ障害
  • 失調型パーソナリティ障害
  • シゾイドパーソナリティ障害
  • 回避性パーソナリティ障害
  • 依存性パーソナリティ障害
  • 強迫性パーソナリティ障害

本書では10種類すべて解説がついています。盛り込み過ぎて1つ1つへの言及は短いような感があります。気になったパーソナリティ障害については、別途他の本を読むのが良いでしょう。

気になった累計2つ

さて私がなぜこの本に興味を持ったかと言うと、身内にパーソナリティ障害のような人がいるからです。この本を読むとどうも境界性パーソナリティ障害(+演技性?)っぽいのです。

境界性パーソナリティ障害とは簡単に言うと「最高」と「最低」を行き来する思考が極端な人です。ついさっきまで最高の気分だと思ったら、何かのきっかけで世界の終わりのようなどん底の気分に変わります。そして、その気分には持続性がありません。いわゆる「メンヘルちゃん」の類型を思い浮かべてもらえばよいです。躁鬱病はきっとこれに含まれるでしょう。

思考にグレーゾーン、中間がありません。米田先生は自閉症スペクトラムの人は思考のコントラストが高すぎるという説を唱えていたので、自己の傷つきやすさという要素が加われば境界性パーソナリティ障害に分類される確率は高いでしょう。

ちなみに最悪な気分のときに典型的な症状は自殺企図です。リスカする人とは違います。あれは死なないこと前提ですので。彼らはマジですので注意が必要です。

個人的に気になるのはシゾイド型です。絶望ちゃんセーレン・キルケゴールもこれに分類されるそうです。彼らの特徴は孤独を好み対人接触を望まないこと、しかも傷つけられるのが怖いのではなく本質的に孤独が好きだということです。欲に乏しく名声も望まない。最近私はこのシゾイド型の思考が育っててきているので、彼らの生き方は大いに参考になるのではないかと思いました。私の生涯の目標は「どうやったら老後に年100万円程度使える金を残し(もしくは稼ぎ)、その金額でいかに生存するか」です。

障害は治すものなのか

自閉症は人間の生物学的な基盤ですが、パーソナリティ障害は人間の適応上の表現型だと思いました。自閉症スぺクトラムだろうが定型だろうがどの障害にだって陥る可能性があります。さて「障害」とはなんでしょうか。それは社会生活が困難になるかどうかで判断されるようです。誤解を恐れずに言えばそれは社会から見て目障りかどうかです。本書では、10種類すべてのパーソナリティ障害について、「克服」の仕方が記述してあります。

今日、この記事を読みました。

私は「障害」を治すという考えが嫌いです。例えばこういう本です。

発達障害を治す (幻冬舎新書)

発達障害を治す (幻冬舎新書)

 

 

自閉症は漢方でよくなる! (健康ライブラリー)

自閉症は漢方でよくなる! (健康ライブラリー)

 

 

でしさんの記事には全面的に同意します。ある特性を持って生まれてきたことは社会的に不利でしょう。それを他人に「社会にそぐわないよ」と言われるのは嫌です。いや本当にそぐわないので、おっしゃる通りで反論はできないんですけど。しかし一生ものの障害を「私たち素晴らしい普通人が矯正してあげます」と言われるのはもっと嫌です。岡田さんは誠意をもって克服法を書いてくれているのでしょうけれど、「障害」をどこか「未熟なもの」とみなし「克服」すべきものとする姿勢には、どうしても背後に大多数の普通人の圧力を感じてしまうのです。それがこの本で唯一引っかかる点です。

一般的なふつうの社会生活を送りたいならそりゃあ「克服」する必要はあるでしょう。でも克服したところで根っこは変わりませんから毎日苦しいに決まってます。ストレスでおかしくなるくらいだったらはじめっから普通じゃない道を究めた方が精神的にも可能性的にもいいんじゃないでしょうか。このような道は基本的に金になりにくいので甘すぎる考えだとは思っていますが、、

 

 

参考書籍

つー訳で次はこれですね。

境界性パーソナリティ障害=BPD 第2版

境界性パーソナリティ障害=BPD 第2版

  • 作者: ランディ・クリーガー,ポール・メイソン,荒井 秀樹
  • 出版社/メーカー: 星和書店
  • 発売日: 2010/12/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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岡田先生も書いてました。

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

 

 

 シゾイドも本出てますね。

シゾイド人間―内なる母子関係をさぐる (ちくま学芸文庫)

シゾイド人間―内なる母子関係をさぐる (ちくま学芸文庫)

 

 

サイコパスも気になります。

良心をもたない人たち (草思社文庫)

良心をもたない人たち (草思社文庫)

 

 


書籍レビュー: わかりやすい哲学者列伝107傑『哲学大図鑑』 著: ウィル・バッキンガム 訳:小須田健

★★★★★

 

以前「経済学大図鑑」という本を読みました。これがなかなか面白かったのでこのシリーズ、全部読んでみたくなりました。分厚くてでかいので時々1冊読む程度のペースで全部読もうと思っています。

 

哲学は私にとって昔から気になる分野です。というのも私は頭が悪い、特に論理的思考力に問題があるという自覚がありますので、論理の原理原則を追求し思考の基盤となる(と信じている)哲学をどうしても学びたかったのです。そしてそれは、ふつーの人が当たり前に考えている常識のようなものへの架け橋になると考えていました。私にとって全く理解できない常識がどんなものか完全に解体してしまえば理解できるようになるかもしれないという期待があります。哲学が本当にそんなものなのかどうかについてははまだ結論は出ていません。

そこでまず西洋哲学の概説書を読んでみようと思いました。古本屋の100円コーナーにカバーなしで捨て置かれたような状態になっていたこの本が目に留まりました。

西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

 

ゴミ箱から救い出すような気持ちで購入し上下巻とも読んでみましたが、意味不明でした。死にそうになりながら最後まで読みましたがさっぱりわかりません。私の頭が足りないのか訳が悪いのか著者がアホなのかすらわかりません。ここから得た知識は「人間どんなことを基盤にしても生きられるものなのだなあ」という分かったような口をきくことくらいでした。

数年経ち、目に留まったのが本書です。経済学大図鑑と同じく、年代順に107人もの哲学者をずらずらと並べ、ひたすら解説していくというスタイルをとります。本書はシュヴェーグラーのものとは違い、極めて分かりやすかったです。著者は経済学大図鑑の人とは違いますが訳は同じ小須田さんです。訳者の専門ど真ん中だったことも分かりやすさに寄与しているようです。

分量は哲学者によって異なり、一人当たり1P~6Pの解説がなされます。著者が重点的に解説しようと思った人については長くなっているようです。ブッダや老子、田辺元、和辻哲郎、イスラム思想家など東洋の思想家についても取り上げられているのが特徴的です。訳者のあとがきによると著者は哲学の根本特徴である「理性的推論」に重点を置き、解説もこの視点からなされ類書と比べるとかなり斬新な解釈がなされているそうです。

以下では私が気に入った哲学者を5人紹介します。

5位 ウイリアム・ジェイムズ(1842-1910)

ジェイムズはアメリカ人。「プラグマティズム」という、真理を有用性に認める立場を確立した哲学者です。彼は、真理は絶対的1つのものではなく時と共に移り変わるものであると考えます。例えば地球が平らだと信じられていた時代はそれが真理であり、その時代においては十分機能していました。しかし時代が進みコロンブスの時代では地球が平らである解釈していたのでは不都合が起きます。そこで真理は「地球は丸い」へ変化することが要請されます。ここからジェイムズは、真理とは内在するものではなく我々の観念の中に「生じる」ものである、真理は真理に「なっていく」、様々な出来ことによって「真理にされる」ものであると推察します。

ジェイムズの論理の魅力的な点は、この考察から真理がダイナミックで動的なものとなる点です。一見して荒唐無稽な信念もその有用性が評価されれば彼の論に照らせば真理となります。新しい真理が次々と生まれますし、多様な真理の束が構成されることが期待されます。ただしその真理の有用性は、非常に厳密に評価されなければなりません。そして、信念が本当に真理であるのかどうかは私たちが生きている現在には決して評価しえず、あとになって振り返ってはじめて真理であったかどうかが分かります。とても厳しい考えですが、豊富な可能性を感じさせるジェイムズの考え方は好きになりました。

自分のなすことがちがいをもたらすかのようにふるまえ。そうすればそうなる。

4位 デイヴィド・ヒューム(1711-1776)

スコットランドのエディンバラ生まれのヒュームは、「イギリス経験論者」と言われるそうです。当時支配的だった考え方はデカルトによって打ち立てられた「合理主義」でした。人間が「生得概念」をもって生まれてくるとし、これを原理としてあらゆる知識には理性によって到達できるという理性バンザイな考え方でした。ヒュームは、そんなもんないんじゃね?とこれらを攻撃します。

例えば「AがBを引き起こす」という言明があったとします。例えば「明日になると太陽が昇る」という言明です。これは経験的には必ずそうなのですが未来永劫続くとは限りません。なぜなら未来の事象は観察できないからです。ヒュームはこれを突き詰めて、「科学的・帰納的推論はすべて論理的ではない」と結論します。どこまで推論を厳密にしても、論理的でない以上、それは信念もしくは蓋然的な習慣に過ぎません。科学が習慣にすぎないという主張はラディカルでびっくりするものでしたが、言われてみればその通りです。

ただしヒュームは科学が習慣だからと言ってそれが無意味だと説くわけではありません。むしろ理にかなったことであると考えていました。私達が信念によって引き出した結論は「論証的な結論と同じくらいに精神にとって満足のゆくものなのだ」と述べています。なんだかジェイムズとかぶってますね。ヒュームのことも、私がそう信じたいので気に入ったのでしょう。

習慣は人間生活の偉大なガイドだ。

3位 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)

ドイツはウィーン生まれのウィトゲンシュタインは、高機能自閉症の疑いがあると言われています。これだけでも気になる人なのですが、本書の解説によれば彼が目指したのは 「世界と言語の構造化」です。おお、めっちゃシステム化ド直球やん!しかも、両者はすべて構成要素に分解可能であると言い切っているそうです。希望が持てます。

ウィトゲンシュタインは、世界は命題で成り立っていると考えました。命題とは「波平はハゲだ」のように真偽が決定できる主張のことです。これを主著『論理哲学論考』の冒頭で「世界とは成立していることがらの総体だ」と表現しているそうです。

さらにウィトゲンシュタインは言語が世界を「写像」化していると主張します。写像とは数学的にはある世界の1つのものと別世界の1つのものを、1対1で対応させることです。つまり言語は世界のマッピングであるというわけです。地図を思い起こしていた抱ければよいと思います。地図上では、現実世界と紙の上の世界が1対1で対応しています。言語と世界は独立した論理形式をもつが、写像の働きにより私たちは世界を語ることができると彼は考えました。

私の言語の限界が私の世界の限界だ。

ところが世界が命題で成り立っているので、言語も命題で成り立っている、したがって真偽が判断できないこと、例えば倫理学や宗教は言語で語りえないとヴィトゲンシュタインは結論してしまいました。

語りえないことについては沈黙するほかない。

後年ヴィトゲンシュタインはこの考えを改めていくらしいですが、本書では詳しく触れられていません。言語によるマッピング・写像という考え方は私の世界観と激しくマッチするのでとても興味がありますが、のちにどうして考えを変えていったのかとても興味のある人です。

2位 ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)

フランスの現代哲学者サルトルは、ボーヴォワールとの奇妙な生活が取り上げられることが多いようですが、本書によれば彼は「自由」を考え抜いた哲学者であったようです。

実存は本質に先立つ。

サルトルはペーパーナイフを例にとって上記の言明の説明をしました。ペーパーナイフの本質は包装を開くことです。効率的に包装を開くためには、人間工学的にデザインされた持ち手や、スムーズに切れる鋭い刃が必要です。そしてこれを設計するためには、ペーパーナイフの本質を理解する職人という実存が必要です。言い換えると、ペーパーナイフは目的・本質が先行し結果として実存しているのではなく、人間という実存が先立っているということです。

西洋で本質とされるのはもちろん神です。サルトルは神が先にあったのではない、人間が先にあるのだ、と考える無神論者でした。神は人生に目的を与えます。神学者はそれを人間の本質と考えます。サルトルはそんな強いられた本質なんかやなこったと考える人間でした。

自由には制約があります。例えば私たちは羽をもたないので飛べません。食わなければ死にます。しかし有限とはいえ私たちには選択の自由があります。無意識的に習慣のまま行動するのではなく、どう行動するか選択に向き合わなければならないというのがサルトルの主張でした。このため彼は政治的活動に積極的に関与していくそうです。

人間は自由の刑に処せられている

また、自由とは責任を伴うものです。なぜなら外部的なものに制約されないということは、同時に外部に自分を正当化する根拠が何もないということだからです。自分の行動に言い訳は許されません。なかなかヘビーな概念ですが、これは以前読んだ「7つの習慣」で言われていたことと全く同じですね。

自由についての彼の考え方は大好きです。フランスの個人主義はサルトルの影響を強く受けているそうです。私がなんとなくフランスに憧れて大学でフランス語を選択したのはあながち間違っていませんでした。彼の著作は必ず読んでみたいと思います。

1位 ゲオルク・ヘーゲル (1770-1831)

ヘーゲルはいわゆる「ドイツ観念論」と呼ばれる学者の代表だそうです。昨日の記事でも書きましたが、ヘーゲルは「弁証法」の提唱者です。弁証法は、あらゆる観念は完全なものではありえずかならず矛盾を含むものである、という考えを基礎とします。かれは観念を「定立」と呼び、内部の矛盾を「反定立」と呼びました。そしてこの矛盾は「綜合」という一層豊かな内容を持った観念が、もともとの観念それ自体から出現して解消する、というプロセスを辿ると考えました。「定立」の観念は私たちの理解が足りなかったために「反定立」が見えてきたのであって、「綜合」によってより正確な観念が把握できるようになったと考えます。これが弁証法です。

真理とは全体だ。

この論理の何が魅力かというと、その発展性です。定立はどこまでも拡大させることができますが、どこまでいっても「綜合」の余地があるということですから、無限大に広がることができます。そのイメージに私は魅了されてしまいました。動的に自己増殖可能な観念、それを身につけられたらどれだけ素晴らしいことか。

番外 フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)

キリスト教に壮大なケンカを売った人間です。本書で唯一爆笑した人物でした。死後の世界を信じているために現実の世界を置き去りにしているキリスト教や、「真」なるものが存在すると主張し現実世界はくだらないものだとするプラトン達のことが本当に気に入らなかったようです。すげー厨二めいたものを感じますがぜひ読んでみたい思想家でした。

振り返って

気に入った哲学者には偏りがあります。ジェイムズ、ヒューム、サルトル、ニーチェといわゆる「真なるもの」への私の疑念がそのまんま形になっているようです。ヘーゲルの思想は憧れです。ますますもって歴史を学ぶことの必要性が明らかになりました。

次は彼らの思想を原著でたくさん読んでみたいですがきっとすごく難しいんだろうなあ。

 

 

参考書籍

 

今回は多いです。100冊くらい読みたい本が増えた

 

ジェイムズ

ウィリアム・ジェイムズ入門―賢く生きる哲学

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宗教的経験の諸相 上 (岩波文庫 青 640-2)

宗教的経験の諸相 上 (岩波文庫 青 640-2)

 

 

ヒューム

人性論 (中公クラシックス)

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社会契約論: ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ (ちくま新書 1039)

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ウィトゲンシュタイン

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

 

 

ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)

ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)

 

 

サルトル

 

嘔吐 新訳

嘔吐 新訳

 

 

サルトル 失われた直接性をもとめて シリーズ・哲学のエッセンス

サルトル 失われた直接性をもとめて シリーズ・哲学のエッセンス

 

サルトル本の邦訳はあんまり出てないのでフランス語を極めないとだめかも

 

ヘーゲル

精神現象学

精神現象学

 

 

歴史哲学講義 (上) (岩波文庫)

歴史哲学講義 (上) (岩波文庫)

 

 

使える 弁証法

使える 弁証法

 

 なんじゃこりゃ

 

ニーチェ

ツァラトゥストラは こう言った 上 (岩波文庫)

ツァラトゥストラは こう言った 上 (岩波文庫)

 

 

道徳の系譜 (岩波文庫)

道徳の系譜 (岩波文庫)

 

 

善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)

善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

他に気になった人。

 

ゴータマ・シッダールタ(釈迦)

スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫)

スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫)

 

 

トマス=アクィナス

神学大全I (中公クラシックス)

神学大全I (中公クラシックス)

 

 

モンテーニュ

エセー 1 (岩波文庫 赤 509-1)

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ウルストンクラフト

フェミニズムの古典と現代―甦るウルストンクラフト

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ルソー

エミール 上 (岩波文庫)

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ショーペンハウアー

意志と表象としての世界〈1〉 (中公クラシックス)

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ソシュール

一般言語学講義

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ラッセル

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

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クワイン

ことばと対象(双書プロブレーマタ3)

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 デリダ

声と現象 (ちくま学芸文庫)

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リオタール

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

 

 

 ボーヴォワール

決定版 第二の性〈1〉事実と神話

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