時間が経ったことですしもう一度冷静に振り返りました。今日だけ敬体をやめます。
・私は発達障害なので空気や状況を読まないことを言う。それは元妻の癇に障る。精神的に執拗に追い詰められ何度も自傷行為をした。自分の頭を叩いたり物を自分にぶつけたりした。自傷をしても「それは暴力だ」と言われた。確かに暴力には違いないがこの論理をもってすると自傷も責められる材料に一変した。これを回避するためにはイエスマンになるしかなかった。必死で先読みして心を文字通り砕いて肯定した。拒否権はなかった。10年以上かけて「怖い」ことが染みついた。
末期には、ブログ・ツイッター・各種書籍で学んだ知識をもとに責められても冷静に対処できるようになったがそれはそれで「あなたは人間ではない」と責められた。
・結婚に際して私の親と関係がこじれたので、私の両親兄弟親類の話題はご法度。それどころか「あのときはかばってくれなかった」「あなたはあいつら(私の親のこと)と同じだ」「○○人め(○○は私の地元の名前)」と10年以上言い続けられた。なお引っ越しを繰り返しても何回も何回も行方を追ってきた親にも問題はある。
親との関係を絶つためにペーパー離婚した。書類上はこどもの親権は全員元妻にあるので、別居してしまった以上は今後こどもに会うことはまず不可能である。
参考
ペーパー離婚後、戸籍から分離した私が親の目をくらますためにニセの住居を借りて住民票を移したり、引っ越した後に元妻側の住民票を移動しないで追跡を不可能にするなど徹底したので、医療費自費・児童手当なし・二重家賃・扶養控除ゼロとなって借金が増えた。わたしは嫌がったが罵倒され却下された。
・元妻には学歴コンプレックスがあるので学生時代の話もご法度(わたし社会上は高卒なのに)。つまり過去の話は全部禁止だった。「いまを生きる」といえば聞こえはいいけどそれって個人を宙に浮かせる行為じゃないの。
・生活能力がなくと他人の気持ちを読めないところから「勉強ができるくせに~はできない、勉強にしか全力出してない、私のことはどうでもいいと思ってる」とこれも最初から最後までなじられた。発達障害/自閉症を知る前から「勉強は簡単だった、生活は難しい、人を思いやるのも難しい」と何度も弁解していたが、私に診断が降りた後も評価が変わらなかった。
家事をやっても意に添わなかった場合は仕事を取り上げられた。家を出る数か月前にも、調理場の台拭きに扇風機を当てて乾かさなかったという理由で私の担当だった洗い物ができなくなった。私は物置にひきこもる生活となった。
・こどもに対して発言権が無かった。何かを教えてやろうとしたら「教育方針と違う」「今までやったことが台無しだ」「責任取って今後も教え続けられるのか」と言われた。注意が散漫だという理由でこどもの送り迎えもさせてもらえなかった。
家を出る際、情緒不安定で一番外に出る必要がある次女を引き取って学校にやろうか(当時こどもは学校に行っていなかった。今もそうだろう)と言ったが全力で拒否された。「どういうビジョンがあるの?」と言われたので「そんなのやってみないとわからん」と返した。失格となった。今となってはビジョンなんて毎日毎年変わってただろとあと知恵でツッコめるがもう遅い。
・こどもに「お父さん」「父ちゃん」「パパ」などの呼称で呼んでもらえなかった。本名と全く関連性のない通称で呼ばれていた。いまでもそう。これは私の親とこじれているので、親が付けた名前である私の本名を家から消滅させることが目的だった。通称を一定期間使うと家庭裁判所を通すことで法律的にも通称を使用することができる。家を出た後、元妻から来るメールのTo欄の名前も通称に変わった。同様の理由で、私の苗字は旧姓と違う。苗字を変えるための都合で、私は戸籍上バツ2である。
通称の指す範囲とは? – 別枠で、家庭裁判所へ申し出る改名について伺いま… – Yahoo!知恵袋
あと5年くらいで私の元の名前は日本からなくなっていたようだ。
・出かける自由が無かった。15時から夕食なので15時までに帰れない用事は一切できなかった。「家に帰るのが18時になるんだけど」「食事の後片付けができないし、暗いと蚊が入るからダメ」という具合だった。会社への出勤日に帰りが遅れると怒られた。早く帰らなければいけないのに仕事を振られると頭がうわーとなった。家に帰ることが強迫観念になった。
・「家の財布は一つ」と言われていた。私の給料は全て元妻が管理していた。払い込みなどは私の担当だったので食費や光熱費の概算はできたが、その他の詳細は知らされていなかった。
今日教えてもらった知識によれば、民法違反らしい。
なお現在でも養育費の相場を大幅に超える金額(数倍)を支払っている。減額を言い出したいのだけれど怖い。
ここからはもう少し具体的なエピソードです
・2008年ごろ、社会保障も昇給もない今の仕事が心配、何か資格はないかと元妻に相談したら弁理士を紹介してもらった。私は大学を中退したことの リベンジだと思って猛勉強した。ところが数年後に1次試験と2次試験を1発合格したところで罵倒され、最終の3次試験の勉強が一切できなかった。罵倒された理由は今でも覚えているが「3次試験の参考書買ってもいい?」という質問の調子がキモかったからだそうだ。「なんで私じゃないの?」とも言われた。これは(なぜアホのあなたが合格するのに頭のいい私は何にもなれないの)という意味だったと記憶している。
わたしはどうしても受かりたくて試験当日に反対を押し切って受験に向かった。今思うとこれは家を出るまでに唯一行った反抗だった。3次試験はいちばん簡単な試験だが、対策0だったので当然落ちた。帰り道に支離滅裂な反省文を書いて渡した。ばかにされた。一連の出来事は後々まで責められる種となった。
・田舎から大金をかけて都心に引っ越したけど「風呂場が汚い」と言われ、3週間で再度田舎に引っ越した。浴槽の底のひっかき傷にカビが生えていた。古い物件が多い都心ではよくあることで、毎日水を流すんだから正直どうってことないんだけど、その傷が致命的だったらしい。文句を言いたい気持ちを10秒かけて封じ込め、150万円を失った。風呂場を新調する交渉をさせられた。もちろん無理。わたしは田舎に引っ越す前日まで毎日風呂場の壁を磨いていた。
・311以降元妻の食材へのこだわりが異常になり、西日本から野菜を取り寄せるのはもちろん米も超高級品となり一時期は食費が20万を突破した。最大で月25万程度だったと思う。正確な金額は知らされていないのでわからない。30万近かった可能性もある。借金が毎月増えていくので「食費を減らしたら」といったら激怒されこの話題はご法度となった。その後、ジョコビッチの本を読んで考えを変えたらしく
パンをやめコメにしてさらに量を大幅に減らしたため体重が53→40kgまで落ちた。絶望した。月1しか出勤してない職場の上司にも「やせたね、大丈夫?」と心配された。飢餓になるとサーチュイン遺伝子なるものが働きエネルギー効率が良くなるらしいよ。死なないようにするための緊急機能だよ。 高級食材が嫌いになった。いま意地になって食費を減らしているのは、食費が異常に高かったことへの反動だという自覚がある。
よくよく振り返ってみると精神的DVだったようです。以前何を書いたか覚えていませんが渦中にいたときの記述とは温度差があると思います。
考察はまた後日行います。