振り返り 21歳(1)

前回記事

 

ラグナロク漬けになって半年経ち操作やルールにも慣れ、上級職に転職することができました。サークルは綺麗ごとばかりで嫌になってきたことと会計の役職を押し付けられそうになったことから、春の合宿に参加したのを最後に疎遠になりました。試験期間が過ぎ、半年分単位を丸々落としたので留年は確実です。しかし留年する仲間もいました。大学には時々通っていたので社会との接点が完全になくなっていたわけではありませんでした。同じ県出身のJ君は天文部の部長で、なんと小学校の時私が受けさせられるはずだった私立小中一貫校の出身でした。同じクラスになったことから出会い、田舎者同士気が合いうちとけ、気が付くと一緒に留年していました。

私はモテ野郎共の呪縛から逃れられず、この頃は出会い系サイトに手を出していました。サクラだらけのあれです。向精神薬のせい、単に世間知らずだっただけ、空気読めないのが高じた、色々と組み合わさって私にはサクラと判断する能力もなく、8万円ほどサイトに注ぎ込みました。もちろん親のカネです。さみしい人間の毒々しいパワーは資本主義でも実証されていて、多種多様な集金システムが開発されています。東証一部出会い系上場企業の6071IBJなんか直近かなり調整したというのに未だにPER34.7倍(日本株平均の2倍以上の株価という意味です)を保っていますよおそろしい。

全く満たされない私は新学期の授業にも数回出ただけでまたひきこもりました。しかしよくよく考えると、授業についていけない人間は大学内に多数いたはずなのです。学内では、授業毎の単位の取りやすさを研究しているアホな団体がいてその出版物はみんな持っていましたし、クラス単位で人員が決まっているはずの必修授業に出ると必ず見慣れない人間が10人はいました。彼らは単位を落としたため再履修した人間だったのです。また大学のクラスとはいわば互助会で、試験対策を各科目ごとに割り振ってレジュメを作ったりして他のメンバーに役立てる組織でした。つまり私と同じように能力不足を単調作業の力で克服して入学した人間も大勢いたはずで、彼らの真似をすればよかっただけだったのです。何も引きこもることはなかった。ただ精神が安定していさえすればよかったのです。

またも大学に行かなくなりましたがいい加減家にばかりいるのはまずいと考え、クラスで何度か話題に出ていた東京個別指導学院に空手でフラフラと歩いていってその場でバイトの志願をしました。人生初バイトです。マックやコンビニは無理だが勉強系なら大丈夫だろうという見込みでした。エントリーシートの「自分の欠点」のところに「コミュニケーションが苦手」と正直に書いたら室長に「正直に書いちゃあだめだよ」と諭されました。一緒に受けた学力テストの点数はよかったので採用されました。

時給は900円と悪くありませんでしたが、一日の報告である日報や生徒別のスケジュール作成、夏期講習前には綿密な学習計画作成など時間外労働が多く、実質の時給は500円くらいでした。ブラックです。東京個別指導学院略してTKGは研修会などでバイトを感動させ帰属意識を高めてブラックぶりを隠す典型的な企業でした。しかし仕事はやってみると案外できるものでした。労働という向こう側の世界がこちら側になりつつありました。週3回の拘束で月給は約3万円でした。

f:id:happyholiday:20151126192305p:plain

TKGは3倍バガーですね。ベネッセ傘下になってから勢いづいています。前述のJ君は私に続いてTKGに入り、塾業界が気に入ったのかこの前名前で検索したら湘南ゼミナールの名物講師になっていました。J君はもし心当たりがあれば連絡ください。

8万円損して懲りた私は一切金が発生しない出会い系サービスにも入会します。メールのやり取りに1円もかからないサイトを選んでメッセージを送り続けました。そこで出会ったのが元妻のKです。今後はKと呼称します。夏目漱石のこころとは違います。Kとの出会いにより私の人生は思わぬ方向に進むこととなりました。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。