振り返り 高1~2

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田舎の公立トップ校に入りました。東大に年間1ケタ合格する程度で、首都圏の日比谷浦和湘南などから見ればしょぼいレベルの高校です。トップ校に入ったことは長期的に私を無意識下で尊大にしていきます。そもそも高校に入ってすぐ大人が「君たちはリーダーになる存在だ」と言い続ける、純粋無垢タブララサな若者たちを勘違いさせる土壌がある学校でした。もちろん地元では、そこに行く人間は高校の名前を背負うだけで一目置かれるのです。田舎ってやーねー。大学進学で東京に出た人間もなぜか半分くらいは地元に戻るようで、井の中の蛙の拡大再生産が行われます。

『ヨーロッパ思想入門』で紹介されていたロールズの「お前の才能はお前のおかげで獲得できたものじゃないだろ」という思想はとても好きです。おそらくこの思想は、聖書によく出てくる「お前が偉いんじゃない、神のおかげ(気まぐれ?)なのだ」という思想が根底にあるのでしょう。我々無神論な日本人にとっては、神を介さなくても十分に納得できる理論です。投資に勝つことと同じように、自分の能力や進路、獲得したものなどすべてまぐれにすぎません。当時の私にそのような謙虚な考えがあればよかったのに。

しかし私の高校での成績を大きく減退させる出来事が高校入学前にありました。音ゲーと出会ってしまったことです。高校受験も終わり春休み、皆で街のゲーセンに遊びに行ったときのことです。当時はbeatmania complete mixやDance Dance Revolution 2nd mixが稼働中で、音ゲー大ブレークの時期とちょうど被っていました。私は完全にこれにハマってしまっいました。

音ゲーというのは、心理的駆け引きや工夫の求められる格ゲーと違ってほとんど才能が必要ありません。トップランカーであるためには才能も必要ですが、たいてい練習量だけが全てです。時間をかけさえすれば誰でも上達できます。音ゲーはDDRは矢印4つ、beatmaniaはボタン5つ+スクラッチしかなく、複雑性に乏しくパターンが決まりきっています。少ないボタンの組み合わせのパターンを覚え、小さい動きを正確に繰り返すことだけが重要なゲームです。私はこのゲームに向いていたため上達が早く、ゲームの苦手意識が払しょくされるとともに中毒になる原因となりました。PC上で動作するビートマニアもどきBM98の登場により、自宅で練習できるようになったことも事態を悪化させました。私は小遣いのほぼ全額をゲーセンに注ぎ込み、時間も注ぎ込みました。

さらに追い打ちをかけたのが、高校1年前半に彼女ができたことです。私は精神年齢が足りなかったので同じ高校の人間とはあまり人づきあいが無く、ゲーセン繋がりで知り合った別の高校の子でした。仮にAさんと呼ぶことにします。当時はTo HeartやらKanonやら泣きゲーという名の心理的補償をもたらすギャルゲーが流行しており、私も例外なくプレイしていた重度のオタクでしたので、女の子なんぞ世界の外側だと思っていました。ところがAさんにより世界が逆転しました。古代西洋人は地球が平らだと思っていましたから海の果てには断崖があり、その外側には出られないと信じていました。私もモテ世界のことをそう思っていました。ところが断崖の向こう側が突然現実世界になったのです。

Aさんは家庭に問題のある人でした。母親は出ていってしまい、父親は外に女がいました。彼女は父親の両親と同居していました。住居はたぶん市営住宅だったと思います。父親は色ボケだし、祖父母も年なのにハッスルしている人でした。あのじーさんたちきっと、こういうの飲んでたに違いない。ですのでAさんは変態でした。私の初体験はほとんど逆レイプでした。包茎を強引に剥かれ、ただ痛かっただけ、快楽0でした。私はAさんに感化されどんどん変態になりました。

苦手だったことやコンプレックスに思っていたことが解消されると、人間はうれしくなって極端に走りやすくなるものです。私はAさんとのことを積極的に口外しました。ラブホで撮った写真を見せたりしました。周りの人間は間違いなくドン引きだったでしょう。私は勉強しなくなりました。高校でも中学と同じ系列の塾に入っていましたが、じきにサボりがちになり、2学期ごろには辞めました。成績は安定して最下位1割をキープしていました。進学校ですのですべてのテストで順位が出ます。やめてほしいよあれ。今でも、数学の連立方程式を解くテストで

yを消去してxの解を求めよ

y=x^2+x+3

x+y=2

のような問題で、yを消去の意味が分からないので字面だけ見て x+y=2からyを消去してx=2 と回答したことを覚えています。このテストは15点、40人中39位でした(誰が最下位だったんだろう)。

冬になるとAさんに振られました。近くに住んでいる男が好きになったからだということでした。私は当時携帯を持っておらず、ゲーセンしか会う場所が無かったから飽きられたようです。私はまた断崖の向こう側に行かなければいけなくなると思うと苦しく、2日間ものを食べられなくなり、十二指腸潰瘍になりました。潰瘍自体は大したことありませんでしたが、担当した医者が藪医者だったので、胃カメラで苦しくて死ぬかと思いました。ガスで腹をパンパンにしますし、カメラがでかすぎて常に嘔吐感がする、窒息する死ぬ、と思いながら検査を受けました。最近もう一度胃カメラをする機会がありましたが全く苦しくなかった!あいつら絶対ヤブ!でもその診療所は「×××市消化器医療センター」と病院に名前を変え大発展してやがりますので、医療は儲けたもん勝ち、でかい病院だからよい医療であるとは限らないことがわかりました。

Aさんから医者への文句に脱線してしまいましたが、一連の出来事で今後しばらくの人生の力学が決まりました。モテ世界の断崖の向こう側とこっち側への引力です。なんとかして崖の向こう側に戻りたい私はその後相当キモかったと思います。なにしろAさんのせいで変態が染みついてしまったからです。ある先輩に突っつかれたのが原因で、もっと突っついてほしいので告白した、とか訳の分からない行動を繰り返していました。あと2件くらいあった気がしますが詳細を忘れました。

Aさんは今どうしているかわかりません。私の想像では、20代になるころにはヤンママになり地方やドンキによくいるジャージ姿で買い物するような人になったのではないかと思っています。

2年生に上がる直前、ぼんやり過ごしていると同じ中学出身の友人に演劇部に入れと誘われました。私は幼稚園時代のいやな記憶がありますので演劇なんてとんでもない、やだ、と言っていましたがいつのまにか不可逆に演劇部に入らされてしまいました。この部活に入ったことが今後の運命を左右します。

演劇部では舞台に立ちたくないので音響を担当したかったのですが、キモいキャラクター(と明確に言われてはいませんが、たぶんそうだと思います)を買われてマッドサイエンティストな役を担当することになりました。台詞が少ないのでなんとかできましたが、私はアドリブが全くできないこと、新しいアイデアや解釈を生み出せないことが日に日に明らかになっていくため苦しかったことを覚えています。この2つの要素が強く要求される即興劇は苦痛で、発表中に全く動けなくなってしまったこともありました。私はショックでその日学校の屋上入口にひきこもっていました。ハルヒがキョンを最初に引っ張って連れて言った所みたいな場所です。

部活の同級生の男子は私を含めて3人。私以外の2人ともよくモテました。彼らに共通しているのは即興性やギャグのセンス、コミュニケーション能力が高いこと。私は小学校時代中学校時代に引き続き、この2人に劣等感を持ち続けることとなります。また私は行動が変ですので、2人によくいじられました。私はクラスと同様同級生とはあまり打ち解けませんでした。その代り部活に1年生が入ってくると1年生とはよく話しました。精神年齢が1つ遅れていたのだと思います。

そんな風にして2年生のうちは部活に明け暮れて過ぎました。音ゲーは続けていたので成績は相変わらず低位です。このころ、ゲーセンの帰りに閉店した百貨店の脇を通り抜けていたらカツアゲに会いました。細長くて弱そうだったからだと思います。3人で囲まれ羽交い絞めにされましたが、なんとか振りほどいて逃げました。失ったのは強引に引きちぎったコートのボタン1個だけでした。でもゲーセン通いは続けていました。Aさんに振られた日もDDR 3rdmixをプレイしてから返ったほど中毒していました。

夏に演劇の地区大会があり、なぜかそこで他高校の1つ上の人と意気投合し、そのまま付き合うこととなり束の間向こう岸に渡ることになりました。仮にBさんとします。私の当時の精神年齢は相当低かったのですがBさんも同じくらい低かったと考えられます。BさんはAさんほど変態ではありませんでしたがやはり変な人でした。プライドが異常に高く、私が間違いを指摘すると話をしなくなります。私は相手に合わせることを覚えました。彼女の言うことに従い自分は耐え忍ぶということを学びました。そして冬になると使い捨てられたように連絡が途絶えました。私は冬が苦手です。Bさんは寮のある大学校に進みましたがその後どうしているか分かりません。

 

一度切ります。このあとは高3~浪人です。

 

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