一人で死にたい(2)

さむいよう。
価値観も模倣される。例えば、モテ・非モテという価値観がある。人間の本能とダイレクトに直結したこの価値観は至る所で喧伝され、ポップスや雑誌、ファッションなどの消費物の対象となる。作り上げられた価値観、まさに創価。で、この価値観がどっぷりでっぷりと氾濫する中学校高校大学では、彼氏彼女の事情(漫画ではない)が最もヴァリュアボゥな、エキスァイティーングなインフォムェイションとしてやり取りされる。まるで宝くじにでも当たったように、誰それと何がしがくっついた離れた、Bまでいった?などといった情報が一番価値を持っていた。彼氏持ち彼女持ちはカースト最上位であり、羨望の対象であった。インターネット、携帯電話があまねく普及しつつある時代、関係ない他人同士の情報までが光ファイバーより速く伝達されていた。
私はコミュニケーション能力に乏しいことを自覚していたので、これらの価値観とは距離を置いていたつもりだった。しかしそれは誤りだった。心の中ではずっと渇望があった。高校生になって、転機が訪れる。
なお学校制度に付随してもう一つ大きな価値観体系がある。学歴だ。私が育った田舎では、1つの進学校だけが有名大学進学者をほぼ独占しており、そこに入れば地元の名士とみなされるような風土があった。これは今住んでいる都心から80km圏の田舎でもほぼ当てはまるので、東京特別区部及び横浜市のように進学校がひしめく地域以外は、似たようなものだろう。
以上2つの価値観を十二分に取り込んだ私は偏見と差別意識を熟成させた。今では、どちらもアホくさいと思っている。(続く)


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