みんなどうやって生きてるんだろう

前の家では門限が15時だった。元妻はこどもを早く寝かせるためと言って、15時に夕食を摂るためだった。

用事で15時を回りそうになると「蚊が入ったらどうする」などといやがられた。元妻は蚊にこどもが刺されることをおそれ、執念のように蚊を避けた。マンションのドアを開けるときに周りを注意深く見まわして虫1匹いないことを確認し、素早く扉を開け迅速に閉めなければいけなかった。確認、扉の開閉、どれが欠けていても罵倒された。冬でも蚊取り線香を玄関の外と中に置いていた。蚊取り線香の着火消火役はぼくが行った。陽が落ちて蚊が入る可能性が高くなることは許されなかった。どんな用事も15時までに済ませなければいけなかった。片道2時間かかる会社を13時に出なければならなかった。

昨年末に地元から友人が来てくれた時も、ぼくは15時のルールを死守した。彼と会うと元妻に告げた時、彼女はぼくへの支配が終わったことを認め、すぐにぼくがいつ出ていくのかという話になった。だから、ぼくへの支配はもう終わったはずなのに、それでも15時に帰らなければいけないと思っていた。心の支配は、恋人が、ぼくの受けた経験はDVだと教えてくれて、支配と戦う力をつけてくれるまで続いた。

11年間、外部とほとんど接触しないで過ごした。地元の知り合い、同級生、同じ部活の友人とは交渉を禁じられるどころか話題に出すこともタブーとなっていた。彼らは元妻にこき下ろされ、バカにされた。ぼくも元妻と一緒にバカにして生活に適応した。

ぼくは偽名でFacebookに登録して、昔の知り合いについて調べようとしたこともあった。しかし彼らは侮蔑の対象だったし、ぼくとあまりにも違う、彼らの生活を知ってしまうことに恐怖があった。だから連絡を取ることができなかった。

知っておけばよかったのだ。みんながどうやって生きているか。いかにぼくたちの生活が異常だったか。

自分たちと異質なもの、価値観が違う人間をバカにし、序列をつけ、あらゆる理屈をつけて正当化しないと成り立たない生活を送っていたこと、元家族にバカにされる対象にぼくまでが入っていたこと、ぼく自身もそんな状態に慣れていたし正しいと思っていたこと、どれをとっても、正常だったとは思えない。

みんな11年の間にどうやって生きていたの?知りたい。

いままで知らなかった人のことも、知りたい。


公園に行ったら

放送大学の教材など読まなければいけない本が溜まっているので、今日は天気も良いし読書しようと公園に出かけた。

公園の中央にある芝生広場では沢山の親子連れがいて、ボール遊びなどを楽しんでいた。こどもの年代は推定1-2歳が中心で、壊れそうに小さくて、ボールを追いかける姿が危なっかしく、ほほえましかった。

芝生広場の隣の区画のベンチで数十分本を読んだらお腹が空いてしまったので、コンビニにお菓子を買いに行った。

そういえばこどもとボール遊びをやったことはあったっけ?

連れ子の長女とキャッチボールをやったことはある。あれはまだ結婚生活の初期で、ぼくにかけられた制限がほとんどなかった頃だ。長女が11歳とすでに大きかったこともある。

ぼくの子である次女と長男とは、体を使った遊びをしたことがない。そもそも次女や長男をぼくが外に連れていくことは禁じられていた。ぼくが注意不全だから、こどもを交通事故に合わせるだろうということが理由だった。一家で出かけたときに、道中である1回だけ車が来る方向を見ていなかったことを元妻に見とがめられて以来、ぼくには注意不全のレッテルが張られた。ぼくは常に元家族の最後尾に位置して歩いていた。次女と長男の送り迎えはすべて元妻か長女が行った。ぼくは自分に注意力がないから仕方ないね、とその状況を受け入れていた。

ぼくは力の加減が難しいから、外遊びができる状況だったとしても、元妻に禁止されていたと思う。

公園で遊んでいる親子連れを、いいなあ遊んでもいいんだなぁ、うらやましいなあ、と感じた。ぼくに能力が足りなかったから遊ぶことができなかったのか、それとも元妻の禁止が異常だったのかはよくわからない。実際、力の加減が下手なので危険ということはある。とはいえ、ケガをさせるほどではなかったとも思う。交通事故にだってあわせないくらいの注意力はあったと思う。そもそも「公園で遊んでいる親子連れ→善」という価値観自体にも疑問がある、世間の圧力だと考えたり、その疑問はぼくのひがみの意味を無くすことが目的なんだから醜いとも考えた。

ぼくは長女とも次女長男とも分け隔てなく接したつもりだが、元妻は「私と長女は親子関係があるが、あなたは他人」と何度も言った。ぼくは父親としてこどもと関わりたかったが、名前と関係性を奪われて、その願いは果たせなかった。「父親として」というのも、常識や世間に形作られた、ステレオタイプにすぎないかもしれない。「父親は厳格でこどもの壁のような存在になるべき(元妻談)」などとは思わない。ぼくはこどもを独立した人格と認めて、必要な時に必要な援助のできる人間でありたかった。じゃあボール遊びなんて必要じゃなければしなくてもいいじゃん、うらやましいなんて思うの筋違いじゃん、「みんなのやることがうらやましい」的な主体性のなさに縛られてるだけだろ?とも思う。よくわからない。

こどもは15歳になれば親権を自分で選べるが、ぼくのことは「こどもを捨てた父」として記憶されるだろうから、もう会うことはできないだろう。いや父とすら意識されていなかったから「金をくれなくなったオッサン」か。あなたは尊敬もしていないよくわからんおっさんに会いたいですか?会いたくないですよね。

11年のうちにぼくは様々なものを奪われたけれど、楽しいことだってあったし、自由意思に基づいて始めた生活だったし、嫌なことは嫌と言うことだってできた。それをしなかったのは、自分の責任だ。

そんなことをコンビニに向かいながら考えていたら途中から泣いた。10分くらい。コンビニでお菓子を買って公園には戻らず帰った。こどものことはいままでドライに語れたけど、家を出てから5か月経ってやっと気持ちが追い付いてきてしまった。しばらくこどものことは考えないようにしたほうがよさそうだ。


ピアノ

前の家にはピアノがあった。アップライトピアノで、幅は1.5mほど。お金がなくて調律ができず、1/4音ほどずれている鍵盤もあった。前の家で過ごした11年間のうちはじめの3年間はピアノの弾けないマンションに住んでいたため、楽器はあっても音が出せなかった。4年目にしてはじめて、楽器の弾ける物件に引っ越した。

ぼくは中1までピアノを弾いていた。仕事が休みの日、10年以上ぶりにピアノに触ってみたくなった。音楽を演奏する機会なんて長い間なかったから、興奮していた。ハノンを弾いた。すると元妻に「指の形が間違っている。ひどい音だ。中1までに習った先生は一体何を教えていたのだ」と言われた。元妻は20代の頃に地元の子供にピアノを教えたことを誇りにしていた。だから音にはこだわりがあった。じゃあ次からこのように練習しよう、直していこうとは言われなかった。ただ過去ごと否定された。ぼくはこの日以来ピアノを弾いていない。

ピアノはぼく以外の全員が弾いていた。元妻がこどものピアノを指導した。長女は元妻の指導に反発し、自分の弾き方を模索していた。自己流で演奏していた時は、元妻がぼくに「いい音ではない」とひそかに言っていた。ときどき元妻が耐えられなくなり演奏に文句をつけた。やがて長女は屈服して元妻の指導を受けるようになった。

一番下の長男は不器用で、しかし言うことをそのまま聞いていつまでも努力のできる子だった。ぼくに似ていた。元妻の指導パワーは長男に最も注がれた。長男が1日前にできていたことができなくなると、元妻は「そんな音が出るのはおかしい。もうピアノなんかやめてしまえ!」と長男に言った。長男はすぐ泣く。手が止まる。手が止まったら「じゃあもう終わりだ今日は終わり終わり」と追い打ちがかけられる。泣く。泣きながら弾く。泣きながら弾くから演奏が乱れ、さらに罵倒される。自尊心を奪っていく指導に反発して汚い音を出すと「やる気がないならやめてしまえ!」と追加で罵倒される。長男は泣く。泣いて反抗する。元妻は楽譜を取り上げ、レッスンを終わらせる。長男は泣いたままピアノにうずくまっている。長男は「もう一度練習させてください」と言う。元妻は無視する。10回繰り返す。無視する。泣きながら「練習させてください」と言う。無視する。

元妻は謝っても無視する。10回謝っても100回謝っても無視する。無視された人間は無力感を覚えて自尊心が下がる。元妻の立場は上がる。これは元妻への消えない愛があることが前提条件となる。彼女は愛情を最大限に利用していた。

長男への指導を見ているのは辛かった。ぼくはやめろとは言わなかった。これが正しい指導方法なのだろうと思っていた。しかしこれはまるで調教だ。ぼくは止めなかったのだから、消極的虐待と言われても仕方がない。考えうる限り最悪の指導法だ。

次女は元妻の指導に耐えかねてピアノを練習しなくなった。次女は時々思い出したように歌のメロディーを弾いていたが、練習をすると口を出されるので、練習しなくなった。元妻には「努力のできない子だ」と評価されていたが、問題はほかの場所にあった。

ピアノとだけ題名に書いたあと以上のことを思い出した。こどもの支配のことばかりだ。ぼくに行われた支配は、家族全員に対して行われていたようだ。


愛情、感情はニセモノか

ぼくは高校時代に演劇部に所属していた。成功体験には乏しく演技に苦手意識がついた。元妻には「演技をするな」と頻繁に言われていた。わざわざ苦手な演技なんかしたくない。それでも元妻には、ぼくがどんな反応をしてもオーバーリアクションで、わざとらしく、不自然だと言われていた。元妻は「児童文化部の知り合いがそういうオーバーな反応をしていた、不快だった」と言っていた。罵倒はされなかったがバカにされた。

オーバーリアクションにならないためにどうしたらいいか考えた。

ぼくは、ここは笑わないといけないところだよな、と考えてから笑い、泣かなければいけないよな、と考えてから泣いていることに気がついた。時間と状況に合わせて、他人が求める適切な感情を選択し、出力していることに気がついた。

そしてぼくは真似が下手だった。適切な感情を選択できても、出力は不自然だった。他人から見てオーバーに見えるように振る舞っていた。

だからぼくの感情はうそっぱちなもの、ニセモノだと考えた。ぼくには感情が無い、と考えた。

泣けなくなった。

いまでも感情にフタをする癖は抜けない。

 

ぼくは愛情がない、と元妻は言った。ぼくは言い訳をして嘘をつくから誠実ではないし、ぼく自身の事しか考えていない。家族のことなんか大切に思っていない。愛情があるなら○○するはずだけどしない、××という言葉が即座に出るはずだけれどぼくには言えない(○○、××の具体的な内容は忘れた)、などなど、証拠を何度にもわたって挙げられ、愛情が無いことを証明された。

そうか、自分には愛情が無いんだな、と考えた。苦しかった。

しかし、とあるきっかけで長女に「私は愛情が無いかもしれない」と伝えたとき、長女は傷つき、元妻は激怒し、この件では10回以上責められた。

わけがわからない。

 

本当は感情も愛情も存在していたし、ニセモノではなかった。

ただ、出し方が普通の人とは違うだけ。

恋人にそう言ってもらったことが救いになった。

人前で泣くこともできるようになったし、恋人に、愛を感じると言ってもらえるようになった。

元妻の考える感情と愛情は、元妻にとって都合のよい感情や愛情のことだった。


口答えしたな

返事はハイでしょ – 六帖のかたすみ

うっかり言い訳とみなされる言葉を発すると「また言い訳したな!」という言葉と共に堰が切られ、直接関係のない「××人」などの罵倒語を次々に浴びせられた。 

言い訳、はある日「口答え」にグレードアップしたことを思いだした。ぼくの釈明は「口答えしたな!」という言葉にかき消されるようになった。

元妻には「あなたは私の言うことだけ聞いていればいい」と面と向かって言われたこともあった。

「ハイ」と答えていれば、嵐はいつか過ぎていくと思って、耐えていた。

それを見透かされて、「通り過ぎればきれいさっぱり忘れて、また同じことをするのだろう」と言われたこともある。

ぼくは同じ失敗を繰り返してしまうと思っている。元妻に「もう10年以上経ったけれどあなたは変わらなかった。諦めた。」と言われたからだ。だから前回と同じパターンが発生すると身構える。身構えるのももう終わりにしたい。

でもそんなことはない、自分は変わった。11年の間に人格が数回転くらいしたし、ここ1か月半ほどでも相当変わった。別人になった。変わらないなんて言う人間はぼくのことを何も見ていなかったのだ。見る目が無かったのだ。要するにアホなのだ。

あほーーーーー


一体化

DV被害者にとって最も生きやすい方法は、加害者と一体化することだ。加害者になれば、被害者にならなくていい。自分がまるで加害者と同じものの考え方をするように振る舞えばよい。

ぼくには、真似しかできないという特性がある。ぼくの思考様式は、今までに読んだもの聞いたもののパッチワークで成り立っている。なんでも吸収して、自分のものにしてしまう。

訓練をすれば簡単に他人の思考様式になれる。ぼくはあっという間に親を憎み、地元を憎み、スーパーの野菜を憎み、学校教育や受験勉強を憎み、そして、ぼく自身を憎む人間になった。

ぼく自身を憎むと楽に生きられた。ぼくを憎んでいるぼくを加害者に否定されることはなかった。

一体化にはもう一つ別の側面がある。自分の思考がないということは、自分に責任を持たなくてよい。何があっても、加害者の責任だと思うことができる。被害者は、自尊心の崩壊を代償として、加害者に庇護される。端的に言うと楽をしている。だからといって被害者が悪いわけではない。でも楽はしている。

ぼくのほんの少し前までの文章は、主語が明確ではない文章が多かったらしい。会話でも「誰が」にあたる語句をほとんど使わなかったらしい。ぼくが話のどこにいるのかわからず、聞き手は困惑した。ぼくはどこにもいなくて、最近やっと発見されたのかもしれない。


耐えられる

ぼくはストレス耐性が高い。よっぽどのことがないと、心身症は出ない。

多摩ニュータウンで暮らしていた時、ある日の夕方に家族全員分の布団を敷きながら、激しい腹痛に襲われたことがある。

引越と食費のせいで慢性的に金がないのでぼく自身に医療費をかけたくなかった。ぼくは腹痛をやり過ごすことにした。いつもと何も変わらない表情で布団を引き、会話の受け答えもいつも通り行った。10分後に腹痛は去っていった。誰もぼくが腹痛だったことを知らない。今考えると、連日の満員電車通勤のストレスだったと思う。

これぐらい耐えられると思った。

食費が月25万円になっても、借金が130万円になっても、体重が40kgになっても、月8万5千円で暮らせと言われても、これぐらい耐えられると思った。

なんだって大したことがないと考えていた。

ストレス耐性が高いというのは、問題が起きている部分をなかったかのように扱うこと、つまり自らの問題から目をそらし考えることをやめることと等しく、搾取者を更にエスカレートさせるだけである。


疑問を持たないこと

疑問をもってはいけなかった。疑問を持つと、その質問をすること自体がおかしい、とねじ伏せされた。

言葉として発されない疑問はいつまでも疑問のまま残る。疑問を積み重ねて放置すると腐敗して脳が苦しい。

疑問は少ない方がいい。イエスマンは楽だ。いい人のレッテルも貼ってもらっちゃえるしー。ぼくちゃんうれしー。

理解したふりをして、はいはいと言っているのが心地いい。。

 

もうそんなのは嫌だ。


何がわからないのかわからない

弁護士と警察に相談したことで、元妻に受けた精神的な支配を克服することはできた。しかし、11年間の間に反復した習慣が取れなくて困っている。

返事はハイでしょ – 六帖のかたすみ

元妻に1秒以内に返事をしなければいけないと怒られる、というプレッシャーは、意味が分かっていなくても返事をする習慣を作った。例えば外で店員さんが言っていることが分からなくても、つい「わかりました」と返事をしてしまう。一緒にいた人に「店員さんはなんて言っていたの?」と聞かれても答えられない。

これに加えて、元妻の言うことに疑問を持って否定してはならない圧力が、「わかっていなくてもわかったつもりになる」習慣を作った。元妻には「分からないことがあるのになぜ質問しないのか」とよく怒られたが、それは質問の答えが文脈的に明らか(と元妻が考えるとき)に「その質問が出てくるのはおかしい」と何十回も激怒されたからだ。

習慣はおそろしい。熟練した習慣は無意識的どころか肉体の反射と同じ速さでバッチ処理される。長い時間をかけて沁み込んだ塗料をどうやって取っていけばいいのかわからない。

わからないことをわからないと言える人間がうらやましい。ぼくはわからないことが怖いから、何がわからないのかわかりにくい。

わからないことがAなのかBなのかCなのか、即座に把握する能力がほしい。他人と会話していて、わかったつもりになっている自己を認識することが時々ある。

質問することを怖れていたから、質問ができなくなった。

もう怖れる必要なんかない。

もう怖れる必要なんかない。

何度も唱えていたら、質問できるようになるのかな。


返事はハイでしょ

ぼくは生活の中でよく失敗をして、元妻に怒られた。怒るだけならいいのだが、元妻は人格攻撃も同時に行う。元妻は「人格を否定しているのではなくて、起きたことにそれ自体対して怒っている」と言っていたが、嘘だ。

ぼくが間違いを指摘して「それは違う」と言うと、元妻は「言い方がきつい」と怒った後、「トーダイ野郎は他人を見下す」と付け足した。元家族の家ではぼくは東大中退であることで驕っている、えらそう、ということになっていたからだ。中退なのに。東大なんか入ってごめんなさい。勉強していてごめんなさい。今でもぼくは東大への評価を低く見積もるバイアスをかけている。

人の気持ちが読めなかったときは、元妻に「××人は他人の気持ちを踏みにじるもんな!」と毎回言われた。××にはぼくの地元の名前が入る。これは元妻とぼくの親の仲が悪かったためだ。ぼくの親のことは家では「××人」と呼ばれていて、ぼくも××人と呼ばれていた。元家族の家では僕が生まれ育った地域も土地も忌み嫌われていた。これも尾を引いていて、ぼくが他人に地元のことを話す時にはマイナスイメージしか語ることができず「ここが美しい」「こんないい所がある」と紹介することができない。

誰だって怒られるたびに人格否定されたら耐えられない。言い返すための論理的思考、ニュートラルな気持ちも備わっていない。気分が地底まで落ちていくのを防ぐために、ぼくはまず、怒られそうになったら言い訳することにした。

例えばぼくの返事が遅いと怒られた。おおむね1秒以上間が空くと怒られる。ぼくは「2つのことを同時に考えていたら時間がかかった」「扇風機に気を取られていた」「◇◇という言葉は意味1と意味2の2通りが考えられるから、どちらかわからなくなって時間がかかった」などと言い訳をした。元妻には「◇◇は状況的に意味1に決まっているじゃないか、意味2を思いつくのはおかしい、さぼっている」などと否定された。

うっかり言い訳とみなされる言葉を発すると「また言い訳したな!」という言葉と共に堰が切られ、直接関係のない「××人」などの罵倒語を次々に浴びせられた。

ぼくは真面目に理由を説明しているつもりだった。しかし、何十回も何百回も「言い訳するな!」と言われ続けたため、ぼくが言い返す行為はすべて言い訳であると認識するようになった。

元妻は「返事はハイでしょ!」と言い、ハイ以外の返事を許さなかった。相手を怒らせたとき、怒らせそうになった時に反射的にハイと言ってしまう癖は今でも抜けていない。

これ調教だよね?