書籍レビュー: ウホッ、いいソクラテス…『饗宴』 著:プラトン 訳:森進一

★★★★★

知的飲み会

プラトン2冊目です。いわゆる「プラトニック・ラブ」の出典と言われています。

饗宴というのは飲み会みたいなもんだけど、参加する人はみんな哲人なので酒飲みつつ言論発表会もするというような知的な集会でした。本作では紀元前416年ごろに行われた饗宴を、紀元前400年ごろにアポロドロスという人が友達にせがまれて思い出しながら話す、という形式をとっています。

饗宴の参加者はアポロドロスの他に悲劇詩人アガトン、悲劇作家アリストパネス、そしてソクラテスなど錚々たるメンツが揃い、28名(wikipedia情報、そんなにいたっけ?)で行われました。医者のエリュクシマコスが、今日の議題は「エロース」についてにしようぜ!と提案し、5名が順々に演説をしていくという形式で、「ソクラテスの弁明」と同様にほとんど物語でした。演劇にするともっとしっくりきそうです。十分耐えうる素材だと思います。訳は不自然なところなどなく完璧でとても読みやすかったです。脚注も充実していて助かりました。

哲人エロースを語る

「エロ―ス」といっても、現代の肉欲的なエロとは全然違います。そもそもエロースとは愛の神です。しかも、ギリシャ神話でのエロースは美の神アプロディーテーの子であり神の中でも古参の部類に入ります。高尚なエロースを5名が順々に讃えていきます。

古代ギリシャ人は古代ギリシャは男性同士の同性愛が異性愛よりも高尚なものとみなされていました。演説者の一人パウサニアスの言うことには、アプロディーテーは2人いて一方が肉欲を生じさせる神、もう一方は男性の理性や強さへの憧憬を生じさせる神と定義し、

つまり、この種のくだらぬ人々は、第一に少年を愛すると同じように女性をも愛する。次に、その愛する者の魂より肉体を愛する。さらに、できるかぎり知恵なき愚者を愛する。

と肉欲をけなしたあと

このアプロディーテーにつながる愛の息吹をうけたものは、生まれつきより強きもの、より知性ゆたかなる者を愛して、男性に愛を向けるのである。そして、かの、少年への愛においても、ただひたすら、この愛にだけ動かされている人々への姿が見られるはずである。

と少年愛を賛美するのです。これは演説者ほぼ全員に共通の認識であり、みんな大抵男性の恋人がいます。ソクラテスにもいます(後述)。子孫の繁栄とかそういった言葉は全然出てきませんでした。肉体的<精神的なもの、という価値観を突き詰めるとこうなるのかもしれません。同性愛といってもくそみそテクニック的なものは論外というわけです。パウサニアスはこのあと、オッサンが少年に向ける愛を長々と賛美します。なんとなく自己正当化っぽい気もしますが文字だけ見ると美しいです。

アリストパネスは人気作家だけあって面白い解釈をしていました。カンタンにまとめると次のようなことになります。人間はもともと2体がくっついて出来ていた。2体でできてる時代の人間は強くて傲慢だった。そこでゼウスが人間を懲らしめるため、2体を分離した。人間の傷はふさがったが、1体では中途半端で常に欠乏感がある。そしてもともともう一つの自分であった1体と出会うと一つになりたいという気持ちが湧き上がってくる。。という説を語っていました。この物語に即するなら、一目惚れとか運命とかが説明できてロマンチックですね。ただアリストパネスの説は、昔の人間は「男×女」の2体だけではなく「男×男」や「女×女」の組み合わせもあった(しかも同じぐらいいたみたい)ということになってますから、やはり同性愛は正当化されうるのです。

愛=不死?

5名のうち最後に語るソクラテスは、全員の論を包括した上でもう一次元上にのぼる論を展開します。一言で言うと、エロースすなわち愛とは「不死への希求」だということです。

エロース(私達、と読み替えてもいいと思います)は完全なものではなく、欠乏をもっている。それゆえに美、善きものを追い求める。そしてこれらを手にしたならば、永久に自分の手にしたいと考える。自らは刻々と変化していく存在なので、なんとかしてこれら善きものを保存する方法を手に入れなければならない。そこで私たちは「懐妊」する。。

生物学的に「懐妊」すればそれは肉体的な愛となりますが、金銭、創作、名誉、知恵という方法を使って「懐妊」することも可能です。いずれも、永遠すなわち不死を追い求めることが「懐妊」だと言っています。私がこのようなブログを執筆するのも愛の一つの姿ということなのかもしれません。ここでも肉体<魂という序列が付けられます。肉体はどれだけ美しくとも他のものと似たり寄ったりで、しかも崩れゆく運命にありますが、あらゆる肉体から抽象した「美」は永遠のものとなります。知識も永遠です。これがいわゆるイデアって奴ですかね。イデアは永遠の体現なのですね。

プラトニックラブって純潔とか肉体的な結びつきの否定とかいわゆる「純愛」みたいなものと思ってましたが全然違いますね。人間同士の結びつきというよりは、もっと芸術的なものです。それに永遠や不死とは「自己保存」の最たるものですから、直感的には美しいですが本質的にオレ本位でわがままです。自己増殖して後世に俺様を残すことだけが目的のDNAが、彼の理想を一番表しているように感じました。

ウホッ、、とは違った

ラスト、アルキピアデスという酔っ払いが乱入してくるのですがこいつはなんとソクラテスの恋人です。アルキピアデスは美少年で、自分の容姿にも自信を持っていました。彼はソクラテスに告白してOKをもらい、隣で寝るのですがソクラテスはなにもしてくれなかったぜ!という愚痴を言いに来ました。そりゃそうですソクラテスは外面的な肉体には興味はなく彼の魂に興味があったのですから。このときソクラテス53歳なんですが憧れられるなんてすげーですね。

 

書いてみるとこの本の内容を全然理解できていない事実を突き付けられ落ち込みますがこれが今の自分の力ですのでしゃーないです。もっと色々読んで考えないといけません。すくなくとも姿勢だけはプラトンと同じように、究極の美なるものを追い求めたいと思っています。

 

 

参考文献

手前味噌ですがパイドロスやアリストパネスの話はギリシャ神話の引用ばっかですから、前提として必ず知識が必要になります。読んでおいてよかったと思っています。

 

イデア―美と芸術の理論のために (平凡社ライブラリー)

イデア―美と芸術の理論のために (平凡社ライブラリー)

  • 作者: エルヴィンパノフスキー,Erwin Panofsky,伊藤博明,富松保文
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本
  • 購入: 2人 クリック: 19回
  • この商品を含むブログ (19件) を見る
 

 イデアについて。ちなみに本書には「イデア」という単語は出てきませんでした。


CDレビュー: Jaga Jazzist – Jævla Jazzist Grete Stitz(1996)

f:id:happyholiday:20151026181013j:plain

Jaga Jazzist – Jævla Jazzist Grete Stitz (CD) at Discogs

★★★★☆

 

現代ジャズ枠はノルウェーの前衛ジャズ音楽集団ジャガ・ジャジスト(ノルウェー読みではヤガ・ヤジスト)を聴くことにしました。仕事中にネットラジオなどを聴いてモチベーションを高めているのですが、このバンドの曲だけ毎回耳に残るのでとても気になっている集団でした。日本公演もしているらしく日本での知名度もそこそこあるようです。

1枚目である本アルバムは自主製作版でどこにも在庫が無いらしく、やむなくyoutubeなどで調達して聴きました。なのでこのレビューはCDレビューではありません。2枚目からはちゃんと手に入れますごめんなさい。

ジャンルの垣根を超えたダルダル

内容は期待通り狂っていました。イントロはノイズだらけの意味不明、次の曲がいきなりヒップホップでジャズあんまり関係ないのに歌詞でジャズジャズと言ってる、3曲目はブレイクビーツと現代ジャズを混ぜた意味不明な曲などなど。

7曲目Yo! It’s Christmasが一番狂っていてクリスマスソングっぽく始まったと思ったら途中で酩酊したラップが入ったりギターと一緒に奇声を上げたりしてダルダル色マリファナ味付けという感じでした。ノルウェーのクリスマスってこんな感じなのかいな。

ボーナストラック?の8曲目はいい感じのセッションプレイのあと、メンバーの一人が20分くらいメンバーの紹介っぽいことをノルウェー語で喋りまくるというまさにカオスな内容でした。

まだまだはじける余地はあると思うので星4つです。次回に期待

 

クリスマスソングをどうぞ。口から出てるのは凍える吹雪なのかエクトプラズムなのか

soundcloud.com

 

ジャズの他のCDレビューはこちらです。


CDレビュー: Eric Dolphy – Eric Dolphy Live at the Five Spot 1(1961)

★★★★★

 

ジャズの100枚。シリーズの23枚目。サックス奏者エリック・ドルフィー(1928-1964)のアルバムです。。早死にすぎ

バスクラやフルートも吹けるそうですよ多彩ですね。

 

1曲目のFire Waltzで左側から流れてくるソロサックスはジャズ聴き始めて日が全然無い私でもこいつアホかと思えるような演奏です。何考えてるかぜんぜんわからない。でも辛うじて意味不明にならないところのギリギリのラインでうへうへしながら吹いているように感じました。上のジャケット左側、目をつぶって吹いてる姿を思い浮かべながら聴くとシュールさが増してきてまた楽しい。この陽気キチな演奏にドラムが時々「いいねー兄ちゃん」って感じで応答しているからまたすごい。エド・ブラックウェルと言う人だそうです。

www.youtube.com

 

2曲目Bee Vampはドルフィーはバスクラで裏方に回り、右側からブッカー・リトル(1938-1961、収録してすぐ死んでる)がうっとりするようなでもハキハキした耳に残るサウンドを流してくれます。この曲もドラムいいなぁ。ドラム好きなんです

www.youtube.com

 

 

 

ジャズの他のCDレビューはこちらです。


自分の人生を総括する必要が出てきた

私は一般人から見ると、一見3児の父に見えます。

でも法律的は2児の父で、住民登録的には何故か独身で、戸籍的にはバツ2(3?)です。

家族とは同居していますが、名目的にも実質的にも父でも夫でもありません。おそらく子にとって私は、同居中の叔父さんくらいの位置付けです。

私は1日中在宅勤務で、勤務時間でも外を出歩くことはほとんどありません。1日の平均労働時間は10時間で休日は週1日です。私は労働基準法の適用外の働き方をしているので、残業という概念がありません。一昨日から家事をほとんどしなくなったので、ご飯を食べて労働する機械のような状態です。自分で使える金はありません。借金は100万ありますが、元本は月2万ずつしか減りません。このブログを書いている時、風呂でデジタルプレーヤーに入れたCD音源を聴くとき、寝る前に本を読む時間だけが幸せです。

 

生物学的+金銭的+時間的な自主性はありません。家事一切をやってもらってるので、文句は言えません。幸いパソコンが相手なので、ここで密かに精神的な自主性を保てるのが救いです。

家族がいるから文句言うなという声があると思います。ごもっともです。が、家に居ながら法律的にも精神的にも家族でない状態というのは、こたえます。会話はほとんどありません。愛情なんて全く分からなくなりました。私は30代前半ですが、考えてみるとここ数か月精通すらしてません。

suumoの新着物件情報を毎日チェックしています。ここに住んで食料はあれを買って時間の配分はこうして、という妄想が止まりません。おかげで比較的安い物件が多い(=供給過剰で人気がない)相模原市・町田市・八王子市の図書館立地とスーパー・ドラッグストア事情に異様に詳しくなりました。家賃2万円程度で条件に適う物件が4件ほど見つかっています。3市はいずれも単身用マンションの造り過ぎですね。安いのはみんな分譲賃貸でしかも似たような間取りと設備です。特に相模原市がひどい。

最近調べている食料コスパ調査も妄想の一環です。月1万円もあれば栄養満点で腹一杯な食事を十分エンジョイできることがわかりました。それから家具や家電も随分調べました。kakaku.comを使えば新品家電はヤマダやノジマのチラシより安く手に入る死、ジモティーというヤフオクをもうちょっと原始的にしたようなサイトを使うと、物によっては相当安く手に入りそうです。

自分で自分の生活を組み立てる想像をすることが楽しいのです。山で木や空や動物をずっと眺めていたいので上に挙げた3市だと八王子が一番山に近くていいかもしれません。

 

なぜこんなわけわからんことになったのか。今の生活に至るまでを振り返り検証する必要があります。

平日は時間が取れませんので日曜あたりに検証していこうと思います。

 

次記事


heartbreaking.を2008年後半の投稿から読みました

 

あまりに突き抜けているブログ主のことがとても気になったので過去ログを読み始めたら、全然他人事ではない記事(特に結婚から別居、離婚に至る過程)がいくつも見受けられたので、5時間ほど使って2008年後半~2015年までの投稿をあらかた読んでしまいました。今日の予定を全部潰したけど公開していません。今の私に必要と感じたからです。感銘を受けた記事を大量にブックマークしてしまいました。2005~2008年ごろの記事はまた余裕があるときに必ず読みます。

ブログの読者になりました。今後も読み続けます。本出してくれたら買います。

そしてここ1週間ほど感じている胃もたれの様な気分に理由がつきました。感謝しています。あなたの文章があってよかったと思う人は少なくとも1人います。

 

なぜだか次の本がとても読みたくなりました。今度買おう

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

 

 


書籍レビュー: エジプト人はいい迷惑、あと人死に過ぎ 『旧約聖書 出エジプト記・レビ記』

口語訳聖書(新約および旧約 索引)

★★★★☆

 

だいたい本1冊分くらいになったので一度レビューを加えます。日課でつけているtwitterに書いたまとめを自分で読み返してみました。1日260文字程度とはいえ1か月で8000文字くらいになるのでかなりの量ですね。

 


 

自作自演の脱出劇

「出エジプト記」は前半がモーセの誕生、神とエジプト王との対決から例の海を割る有名なシーンを通したユダヤ人の脱出まで、後半は宗教的行事の細かい定めを中心とした神のおことば全集です。

前半は神話的でダイナミックです。特に神がエジプト王に様々な嫌がらせをしてユダヤ人を追いだすように仕向ける逸話の数々は、カエルやイナゴを大量発生させるなど想像力を刺激される話が多いです。といってもエジプト王は頑固なので神の嫌がらせもエスカレートして、長子が全部死ぬとか国中が腫物の病気になるとか凄惨なものになっていきますが。。

で、エジプト王が頑固なのは、神がわざとそうしている、ということが作中に何度も出てきます。つまりこの嫌がらせ合戦は神の自作自演なのです。神の言い分はこうです。

そこで、主はモーセに言われた、「パロのもとに行きなさい。わたしは彼の心とその家来たちの心をかたくなにした。これは、わたしがこれらのしるしを、彼らの中に行うためである。また、わたしがエジプトびとをあしらったこと、また彼らの中にわたしが行ったしるしを、あなたがたが、子や孫の耳に語り伝えるためである。そしてあなたがたは、わたしが主であることを知るであろう」。

―出エジプト記10章1~2

つまり神の物語を作るためにエジプト中を大混乱に陥れ、家畜や人間殺しまくってるってわけです、大迷惑!神学的には一体どのような解釈になっているのか興味があります。

不必要なほど詳細な儀式の指定

後半は儀式のやり方が中心ですので正直言って退屈です。やれ幕にはあれ使え、器具は金を何タラント使えだの、そんな記述が延々と続くのです。たとえば祭壇に置く燭台についての指定はこんなものです。

また純金の燭台を造らなければならない。燭台は打物造りとし、その台、幹、萼、節、花を一つに連ならせなければならない。また六つの枝をそのわきから出させ、燭台の三つの枝をこの側から、燭台の三つの枝をかの側から出させなければならない。あめんどうの花の形をした三つの萼が、それぞれ節と花をもって一つの枝にあり、また、あめんどうの花の形をした三つの萼が、それぞれ節と花をもってほかの枝にあるようにし、燭台から出る六つの枝を、みなそのようにしなければならない。また、燭台の幹には、あめんどうの花の形をした四つの萼を付け、その萼にはそれぞれ節と花をもたせなさい。すなわち二つの枝の下に一つの節を取り付け、次の二つの枝の下に一つの節を取り付け、更に次の二つの枝の下に一つの節を取り付け、燭台の幹から出る六つの枝に、みなそのようにしなければならない。

ー出エジプト記25章31~35 (まだ二倍くらいの似たような記述があるよ!)

執拗なくらい詳細な規定が大量に書かれています。現代に生きているユダヤ教では一体どれほどこの戒律が守られているのでしょうか。

強力な汚れ思想

レビ記も出エジプト記も後半と同じく、1巻まとめて全部法律書的です。主に罪祭や燔祭などの儀式の執り行い方と、「汚れ(けがれ)」思想について書かれています。

「汚れ」思想は今の私たちから見れば極めて迷信的で、不合理です。病気のもの、とくにらい病(らい病ではなく重度の皮膚病を指しているという説もあります)患者への「汚れ」の烙印は強力で、触った人間も汚れたことになるし、キチガイ的に詳細なお祓いの儀式をしなければいけないし、病人が出た家は壁を削って専用の廃棄物処理場に投棄しろと書かれているほどです。大地の治療が必要でふ!

またほとんどの面で女性は男性より汚れていることになっていますし、ラストで出てくる「値積もり」とやらでも、女性は男性より価値が低いことになっています。私達の常識からみれば許されないことではありますが、彼らの価値観ではこれは当然のことなのであって、批判する権利は私たちにはありません。当時はそれなりの合理性があったのであろうと思います。

死に過ぎだろ

律法には「~すると死ぬ」という記述が非常に多く出てきます。聖書は「民のうちから断たれる」などというもう少し上品な表現が使われていますが、まあ死ぬんです。死にます。

まとめに入れたものだけでもこれくらい死にます。

  • 聖なるシナイ山に触れると死ぬ(出エジプト記19章)
  • 父母をのろうと死ぬ(21章)
  • ケンカして相手を殺すと死ぬ(21章)
  • 魔女は死ぬ(22章)
  • 異教徒は死ぬ(22章)
  • 祭司が神に指定された服を着ないと死ぬ(28章)
  • 祭壇に捧げる薫香や油を私的に作ると死ぬ(30章)
  • 安息日に働くと死ぬ(31章)
  • 偶像を作るとみんな死ぬ(32章)
  • 神の顔を見ると死ぬ(33章)
  • 主に捧げた肉を3日以上経ってから食べると死ぬ(レビ記7章)
  • 自然に死んだ獣の肉を食べると死ぬ(7章)
  • 祭りを行っている7日のうちに祭司が幕屋を出ると死ぬ(8章)
  • 異教の祭りをすると死ぬ(10章)
  • 幕屋の前まで持ってきた動物をささげなければ死ぬ(17章)
  • 動物の血を食べると死ぬ(17章)
  • とにかく主の言うことを聞かないと死ぬ(18章)
  • 子供をモレク(異教の神)に捧げる者、口寄せや占い師を慕う者、父母をのろう者、隣人やこの妻と姦淫する者、同性愛者、獣姦する者、きょうだいの裸を見る者、生理中の女と寝た者、父母の姉妹を犯すもの、は死ぬ(20章)
  • 7/10の贖罪の日に悩まないと死ぬ(23章)
  • 神をのろうと石打ちで死ぬ(24章)
  • 奉納物を譲渡すると死ぬ(27章)

これによれば私も3回くらい死んでますね。ユダヤ・キリスト教徒はスぺランカー並みに死にやすいんじゃないかと心配です。

 

モレクやケルビムなどいくつか分からない言葉を調べていたら、聖書ほぼすべてについて詳細に解説をしてくれているありがたいサイトを発見しました。初見の印象を大事にしたいので聖書を全部読んでからになりますが、いずれ読んでみます。

Logos Ministries | ロゴス・ミニストリー


聖書まとめ 旧約聖書「レビ記」

続いてレビ記です。今のペースだと全部読み終わるのに残り1年くらいかかりそうですね。


聖書まとめ 旧約聖書「出エジプト記」

旧約聖書を読もうと思ったのですがあまりの物量に圧倒されてしまったため、時間を味方につけることにしました。1日2章分をノルマとして少しずつ読んで、140字に強引にまとめてtwitterに放流する作業を1か月ほど続けています。昨日出エジプト記とレビ記を読み終わったので、振り返りも兼ねて一気に貼り付けてみます。

 

初めの方の「神ブログ」というのは聖書って神が書いたブログっぽいなぁと思ったからです。文字数の無駄になるので後々省きました。

 


CDレビュー: Oliver Messiaen Complete Edition – Catalogue d’oiseaux, Livre 1-3 (CD5)

★★★★☆

 

鳥シリーーーズ1

5~7枚目のピアノ曲はすべて「鳥のカタログ」です。メシアンは前衛的な曲の探求がいやんなっちゃって、次は鳥の探求を始めることにしたそうです。「鳥のカタログ」は全7巻13曲、3時間30分に及ぶ大作です。

 

1枚目の収録内容は次の通りです。

 

・第1巻
第1番 キバシガラス(黄嘴烏、Le Chocard des Alpes)
キバシガラス

キバシガラス – Wikipedia

ボヘーンホヘーンとぶっきらぼうな和音が多く確かにカラスのように聞こえます。

 

第2番 キガシラコウライウグイス(Le Loriot)

鳥のカタログについて〜キガシラコウライウグイス – KEN Diary (アナリーゼしてる!すげぇ。。)

小柄な鳥ですので単音でピチピチ鳴いています。かわいい

第3番 イソヒヨドリ(磯鵯、Le Merle bleu)
イソヒヨドリ

イソヒヨドリ – Wikipedia

23cmほどの小さな鳥ですが12分半ほどのかなり壮大な曲となっており野太い幻想的な声です。

 

・第2巻
第4番 カオグロヒタキ(Le Traquet Stapazin)

http://www.woodpecker.me/bird/slaty-b_flycatcher/cover.jpg

キツツキの探鳥記

丸くてかわええっすね。旋律のような鳴き声が多く、このCDの中では一番メロディー性が高いように感じました。14分半の尺の中では絶望的な展開もあり一体どんな思いを持ってこの曲を書いたのかしのばれます。

 

・第3巻
第5番 モリフクロウ(La Chouette hulotte)

Tawny wiki.jpg

モリフクロウ – Wikipedia

フクロウといえばハリーポッターですね。あれはシロフクロウという奴らしいです。ホーホーって感じはしませんが、見た目通りモフモフした音があちこちに入ります。夜のハンターというイメージのする曲です。日本では残念ながらこいつを野生でみかけることはできないそうです。

 

第6番 モリヒバリ(L’Alouette lulu)

Woodlark57.jpg

モリヒバリ – Wikipedia

渡り鳥です。13-15cmとかなりの小型。チリチリとちっちゃい声が続き瞑想的な演奏です。弾く方も聴く方も大変だこりゃ。

 

どれもフランスでよくみられる鳥だそうです。4番目のカオグロヒタキが一番良かったので動画を貼っておきます。

www.youtube.com

 

 

クラシックの他のCDレビューはこちらです。


書籍レビュー: 昔の人の精神に感服『名著復刻 日本児童文学館 23トテ馬車 ほか5冊』 著:千葉省三ほか5名

★★★★★ヽ( ε∀ε )ノ

児童文学読まなきゃ

いくつか小説を読んで考えました。

私はそもそも子供のときに全然物語を読んでいませんでした。せいぜい道徳の授業中に内職して授業でやらない所ばっかり読んでいたくらいのものです。あとは小5の時図書室にあった「吾輩は猫である」を猫か面白そうと読んで挫折した記憶しかありません。今思えば無理に決まってるのですが。なんつーかこの、想像力の源泉のようなものが全くないんですよね。無から有を生み出すことはできません。種を蒔いておかなければ刈り入れはできません。

ですので、まずこども向けの物語をたくさん読むことからやり直さないといけないと考えました。幸い家にはこども向けの本が大量にあります。折に触れて、ガンガン読んでいこうと思います。家にある本を全部読めば、精神年齢15歳くらいまでは取り戻せるのではないかと思います。

そこでまず手に取ったのがこのシリーズ。いつだったか神保町で捨て値で売られていたもので、明治大正昭和の名著を復刻して出版したという非常に意欲的なシリーズです。執筆陣は尾崎紅葉、幸田露伴、小川未明などかなり気合の入った面々です。

家にあったのは次の5冊でした。全部読みました。

  • 28 塚原健二郎 七階の子供たち
  • 20 江口渙 かみなりの子
  • 23 千葉省三 トテ馬車
  • 25 槇本楠郎 赤い旗
  • 15 浜田廣介 大将の銅像

このシリーズ、文字のカスレ具合から巻末の書籍広告まで本当に当時のまんまでスゲェです。表紙はどれも凝っていてキレイだし、人気がないので手垢もついてないし、二重箱のものが多いので中身の保存状態も完璧。100年くらい前の本がそのまんま新しくなったような感覚です。もちろん旧字旧仮名遣いですが、こども向けなので全ルビつき。難しすぎて読めない漢字が出てきても安心です。

ふつくしい

5冊とも本当に文章が綺麗でした。明治大正昭和初期って、商業的要素は無視してこどもに最高の物語を読ませてやろうと意気込む人間が沢山いたんですね。どの作品からも、こどもに対する真摯な態度が伝わってくるのです*1。一番感動した「トテ馬車」収録の「高原の春」の文を引用します。現代仮名遣いに直します。舞台は、高原に引っ越してきた小学校高学年くらいの主人公が善ちゃんという利発そうな子と友達になり、仲良くなってしばらくした春、善ちゃん自慢の湧水を探して高原に向かうときの描写です。

丘の裾には、紐のように、水草が柔らかく茂っていた。その水路を伝わって、十間ばかり進むと、もう小さい谷はおしまいで、そこに、誰かが造ったような、きれいな泉があった。柔らかい水苔だの、青笹が、縁かざりのように丸くそのまわりを取り巻いている。右も、左も、すべすべした草丘で、ただ正面に、灌木や雑木に小松の混じった明るい林が、くさびの形に丘の上から泉まで落ち込んでいる。日の光が、水を透きて、底の砂を金色に光らしている。モッコン、モッコン、湧き上がる水が、その金色の砂を絶えず揺り動かしている。そして、あふれて、音を立てて、水草の中へ流れていく。

水は、かんろのように甘くて冷たかった。私たちは、泉に口を付けて、お腹一杯飲んだ。それから、少し離れた猫柳の蔭へ行って、草の上にのびのびと寝ころんだ。

真白な、綿のような雲が、いくつもいくつも浮かんでる。動くのか、動かないのかわからないほど静かだ。

私は山のふもとの田舎の出身なんですが、ゲーム漬けであまり自然には親しんでおらず、上記のような光景は記憶にかすかに残る程度です。こんな綺麗な描写を読まされると山の中を何時間でも探検したくなってしまいます。今後も自然描写がある度に私の中の何かが掻き立てられ想像力が逞しくなっていくかもしれません。と言うのも私は現在ほとんど家から出られない状況にあるからです。それくらいドキドキしながら読むことができました。なお、この描写の前には善ちゃんが主人公という友達ができて嬉しくてしょうがなくてひたすら走ったりばーちゃんに突進したりエネルギーに満ちていてああ眩しい眩しすぎるよと感じさせる描写もあります。「トテ馬車」はあとがきで、ほぼ作者の千葉省三さんの回想で作られていると書いてありますので、描写もリアルになるわけです。

プロレタリア童謡って

もう一つぶっ飛んでいたのは「赤い旗」です。作者の槇本楠郎さんは早くに無くなっているので、青空文庫に原本がありました。

図書カード:赤い旗

何となくマルクス臭のするタイトルですが、開けてみればやっぱり「プロレタリア童謡」を自称していました!しかも過激!

 ではみんなよ、はやおおきくなつて、きみたちも勇敢ゆうかんなプロレタリアの鬪士とうしとなつて、きみたちやきみたちのおとうさんおかあさんをくるしめてゐるやつらをたゝきのめしてくれ!

前文です。かなりアレですね。

メーデーごつこ

一人ひとり
二人ふたり
みんな

長屋ながや子供こども
みんな

おいらははらがへつた
をつなげ
まちのまんなか
ねりあるかう

メーデーごつこだ
勢揃せいぞろ

おそれな
みだれな
前進ぜんしん

誰がやるんだこれ、、

 

なわとびうた

一つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  むらからさと
  ×いはたがとんだ

二つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  ×いはたうへ
  てツぽだまがとんだ

三つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  お×の屋根やね
  かまつちがとんだ

四つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  まつ
  てんまでとんだ

五つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  邪魔じやまになるものは
  なにもかも、ほらとんだ

よくこれくらいの伏字で済んだものです。これで縄跳びしろってか!!

 

あとがきは次の文章です。

図書カード:プロレタリア童謡の活用に関する覚書

僅か數行、或は單に一行一句が直ちに×の掲ぐるスローガンに結合させ、即ち「×の思想的政治影響の確保、擴大」を結果づけるところの、「×動、×傳、組織の言葉」ともなり得るのである!

とか

とにかく政治的鬪爭に身を置く同志達は、ややもすれば從來藝術的鬪爭を輕視しがちであつた。これは誤りである。吾々の藝術は「政治的鬪爭」を前提としての「藝術アート」(技術アート)ではないか! それ故私は特に兒童に向つてはこれを強調せざるを得ないのだ。藝術の利用を考へよ! 藝術は活用されてこそ眞に「武器」となり得るのだ! そして「童謠」は兒童藝術中の粹である!

とか読むと、当時アカが取り締まられたのもやむを得ないのではないかと思いました。

 

あーもっと読まなきゃ

 

 

全巻2000円台なんて衝撃プライスですね。児童文学は死んだ。

*1:後述の1冊は方向性がアレですが真摯であることに変わりはありません