宇宙人の行きつく先はどこへ

今日はちょっと詳しく書けない出来事があって、私の引っ越し後の生活費がワープアもびっくりの年100万、借金返済を除くと年56万で生きることになりました。こどもに関連したごく正当な理由なので仕方ありません。もう大学どころではなさそうです。本も新古書店からはほぼ買えなくなるでしょう。図書館だけが頼りです。本気で副収入を探さないとなりません。このブログの更新頻度も落ちることが予想されます。電気代、交通費、日用品を極限まで削る方法を考えます。日曜日だけできるバイトはないかな。これを生き延びることができれば私はきっとなんでもできます。これぞチャレンジ東芝。

でも半分くらいは親のせいなので、親に私の引越先住所と引き換えに魂を売って金をせびることにしました。どこまでクズになれるか興味があります。もちろん、もう半分はそんな状況でも家から出ていこうとする私のせいです。そこまでしてでも金が欲しい自分に心の一部分であきれます。

やっぱり平日遊びに行ったのはまずかったかな。私が選択した道なのでしゃーない。

私は完全に宇宙人になってしまったようです。いやなったのではなくて、もともと宇宙人だったのでしょう。言葉は私の前でかき消え、何の意味も持たなくなってしまいます。「おれは人間をやめるぞ!ジョジョ!」と12年前に宣言していればよかった。私の思考方法はきっと誰にもわかりません。理解しよう、理解されようと考えていたのがそもそもの間違いだったのです。

クズというのは一般的な人間から見た価値観なのであって、本質的にはクズに良いも悪いもありません。ただクズなだけです。それは自己評価に影響を与えません。

d.hatena.ne.jp

この記事大好きです。

今日は時間が無くなってしまったので、明日からはビタミンの補給源を考えます。サプリも視野に入れます。


新しい部屋を契約した/怒りの理由/観察者になりたい

23:00 大幅加筆・改題しました

 

新居の契約が済みました。8日後には引っ越します。管理会社さんは今までで一番感じが良かったけど、退去時のクリーニング代も家賃の1.5倍くらいと今までで一番高くてげんなり。敷金礼金ゼロゼロ物件は、退去時の料金が高くなりがちですね。法律の定めがないので、ピンハネし放題です。敷金を払っていれば敷金内に収まることは多いでしょうから、今後は敷1物件を狙っていくか、事前にクリーニング料金を明確にしてもらおうと思います。

新居付近のリサイクルショップをチェックしました。店主さんはまとめ買いしたら値引きしてくれると言ってくれました。家財の大半をここで買っちゃおうかなぁ。冷蔵庫、レンジ、なんとスロークッカーのようなものもありました。時間が足りずざっとしか見てないので、後日また来店します。

引越直後はスーパーを渡り歩いて最低価格をチェックする作業を続けることになるでしょう。卵が高い。なんで10個200円もするの。牛乳もリットル200円近い。

 

家を出る前にKが私のことを自分勝手である、自分だけが大事で、ずるくて、嘘つきで、無責任で、自分のことをバカにしている(自分を軽んじているわけではなくて、頭が悪くなったという意味)と怒ったのですが、私は反抗もせずああその通りだな、と言いました。心からそう思っているのです。そのことがKをさらに怒らせました。私は以前のように萎縮したり、否定し逆上して訳の分からないことを言うことは全くなくなりました。しかし感情がぶつかってくるときは心拍数が上がります。思考力が落ちます。ですので言葉にまともに反応することはやめて、それ以上の会話は拒否しました。建設的に応答することができる状態にないのだから。

なぜ人は怒るのでしょう。他人に自分の声を届けるため、他人を思い通りに動かすためだと理解しています。怒ることは人間が遺伝的に獲得している形質ですし、怒られることをおそれる気持ちも遺伝的に備わっています。人間のコミュニケーション、特に操作機能を円滑に動作させるために誰もが共通に生得的にもっている感情です。怒ることと怒りをおそれる気持ちが会話の前提としてあります。だから他人を怒らせまいとみな心を砕くわけですね。

私は怒りをおそれる気持ちを邪魔だと考えました。おそれれば、脳の機能が低下して正しい理解ができないからです。その結果、他人の意図を正確に読み取ることができなくなります。私には怒りの持つ操作機能が通用しにくくなりましたが、それはあなたの気持ちを正確に把握したいからです。もちろん、あなたの望む反応を返すことができるかどうかとは、別問題です。私はあなたの期待を無視し、私が適切と考える反応を勝手にやりました。合理的な拒否は、独立な人間に認められた判断の一つにはなりませんか。

私は自分のことを無限遠から他の人間をみつめる「観察者」になることを望んでいるのかもしれません。怒りや感情についてさえ、科学的な分析がされた本をたくさん読んでみたいと考えています。そして自分のネガティブな感情が湧き上がる余地を無くし、最高のパフォーマンスで色々な物事を見つめてみたいと考えています。いや、ここまで書いて、それでは片手落ちだ、自分のネガティブな感情だって見つめてみたいな、と考えを変えました。ネガティブな感情を保持しつつ、さらにその自分から距離を置いた観察者となって、「おおわたし悲しんでる、怒ってる、落ち込んでる。しめしめ」と思いながらもう一つのCPUを使って他のタスクをこなせるようになるのが理想です。これで表面上は相手の望む反応をしながら内心では冷静に分析ができればいいのですが、シングルタスクな私にとっては高望み過ぎます。シングルタスクから脱却できない以上は、ネガティブな感情を避雷針のように脇にそらすくらいしか、できることはありません。エヴァンゲリオン風な子供じみた「傷つきたくないから」という気持ちが芯にある可能性は否定できません。私は自分のことを子供じみていると思うし、言われて腹も立ちません。腹を立てるということに興味が無くなりました。

 

私の親と一緒で、考えていることが分からないとも言われました。しかし私の親が自分の決めた道、ストーリー以外の出来事を感情的に受け付けないのとは対照的に、私は一切感情を排すように心がけ、冷静にあらゆるストーリーを考慮に入れる・受け入れる準備ができているつもりです。ただしそのストーリーに従うとは限りません。

 

一週間ちょい後には私は家族を捨てて家を出ます。わがままです。冷静に考えて妻子を捨てて移り住む新居にワクワクするなんて世間から見れば人でなしだと思います。そう考えるのが普通です。家族を捨てた作家は瀬戸内寂聴くらいしか思いつきませんが他にもいるのでしょうか。客観的に自分を見つめると私でさえ色々なものがボロボロ出てくるので海外作家まで目を向けたらいくらでもいそうなので探してみたいです。

真実を見抜く力は幻想を崩壊させる原動力です。彼女はいつも真実をつきます。私も真実を見抜きたくてたくさん本を読むし、twitterでひっきりなしにやってくる常識破壊記事を読み漁っています。言葉は力になります。私がバカになったというのは、あなたの思い通りになることなのでしょうか、それとも本当に思考力が落ちたということなのでしょうか。

私は残念ながら口下手ですので、当意即妙な反応ができない、思考が散乱して大事なことを言えない、相手の感情に情報量が取られて話の内容がどこかに行ってしまう、一つ前の話題が何だったかすぐ思い出せなくなる、という人間です。これを回避するためには、感情のベクトルを曲げて受け流すしかないんです。あれから15時間経たないと分析一つできませんでした。

 

ずいぶん散乱してしまいました。今日考えたことは以上です。


読書するわけ

今日は地元から何百キロも高速に乗って、友人がわざわざ訪ねて来てくれました。ありがたいことです。車で何県分も離れた所に遠出するなんて車の免許も持ってない私には想像もつかないことです。

予想通りごちゃごちゃといろんなことが頭を駆け巡り、話したいことの半分も話せなかったので、1点だけここで回答を書いておきたいと思います。

私は読書を生涯の趣味にするつもりです。お金を使うこと自体にはあまり興味がありませんが、図書館にない欲しい本がたくさんあるので、手に入れるためにお金を使いたい気持ちはとても強いです。

人間と本。この2つは私の知らないことをいっぱい知っています。人間はみな何十年という集積で出来上がったものですから、一人一人みな私にとって完全に知ることが不可能な無限に大きな存在です。あなたと話すことは無限の世界を知ることであり、その世界を自分のうちに取り込むことです。だからあなたと話せて本当に良かった。

本もこれと同じ存在です。どんな本でも、人間が無限の一部分をありったけ注いで書かれたものです。本を読むことは、それを書いた人間と一体化することです。こうして自分の知らなかったことが、知っていることに変わります。あれも知りたいし、これも知りたい。本を読む人間とは、知りたい欲望が肥大化しているのです。知らないことが許せないのです。自分が知らないことを人が知っていると、嫉妬心と不安がわきます。でも読めば、知ることができます。何と簡単なこと!

何かを追い求める人は、それがカネであれ、美食であれ、ゲームで高得点をたたき出すことであれ、マラソンで1秒でも早くゴールすることであれ、その気持ちに変わりはありません。あなたは趣味を持ったり、遊んだりすることが大事と言ったけれど、わたしは十分に遊んでいます。本を読むなんて時間を浪費するし買えば金がかかるし収納スペース(電子書籍なら、記憶容量)も取る、最高に贅沢な遊びです。ハマってしまった以上抜けることは難しい、一生かけても壁が一生大きくなるばかりの、やりがいのある遊びだと思っています。

話したいことや聞きたいことはまだまだたくさんあるので、またよろしく。


今後やりたいこと

未来に目を向けます。

大学卒業

大学を中退して10年経ちます。もはや大卒に就職上有利な点はありません。私は中退後しばらくして、放送大学に編入学しました。弁理士試験との兼ね合いで大卒を取っておこうおかと思ったからです。ここ数年、金銭面・時間面の都合でずっと休学していましたが、とうとう休学可能期間が切れました。放送大学は、1単位5,500円と言う超リーズナブルな価格の割に、教授陣の顔ぶれが豪華です。私は編入学なので単位は半分でよいのですが、フルでとっても卒業までせいぜい70万円程度、国立大学の初年度納付金よりも安い金額で卒業できます。正規の大学です。ただし就職については、Fラン大(もう死語かな?)と同じ扱いと思われます。就職斡旋も職業訓練も全くありません。

就職というよりは、テキストが優れているので様々な学問の入り口に使いやすいこと、質問がいくらでもできること、あと、卒論を書いてみたいという動機が大きいです。試験はちょろい部類に入りますので、何を学ぶか、が最も重要となります。

卒業まであと30万円ほどかかりますので借金の返済期間が伸びますが、やってみたいことの一つに数えています。

読書

一生続けたい趣味です。言葉は力です。お金を使うことには快楽を感じませんが、本を手に入れることには感じます。それはより多くの言葉を自分のものにしたいという欲望の達成だからです。いままで読書してこなかったという負い目が渇望となり、尽きることはないでしょう。

金がない金が欲しい→経済・金融書かじる→ソロスが哲学と歴史が大事って言ってた→哲学・歴史書かじる→古代ギリシャを知らないと無理→ギリシャ神話と哲学かじる→物語も読まなきゃ

自閉症スペクトラムが気になる→読んで感銘を受ける→物質的、ボトムアップアプローチな考え方が自分の基礎にあると知る→自然科学系も読みたいので勉強し直す

などなど興味が分散してしまいましたが、長い時間をかけて、沢山読んでいきたいです。

外国語

現在チマチマと英語・フランス語・中国語・韓国語・ドイツ語を並行して勉強しています。外国語は最強の趣味です。毎日の努力が一つとして無駄にならず、頻繁に結果を体感できます。一番力を入れているのは英語で、目標は日本語と同じスピードと理解力で洋書を読むことです。そうすればより一層読める本の幅が広がるからです。フランス語は大学で選択したので残り3つよりも多少理解できますが、まだまだ入門レベルです。

プログラミング

プログラマーとして思うに、私はプログラミングに向いていません。デバッグは得意ですが、抽象化が苦手です。ユーザーの要求を正確に仕様に落とし込み、必要な機能を設計する段階の思考力が欠けています。しかし最新技術は知っておきたいので、折に触れて知識を取り込んで実践していきたいです。さしあたって、次はAndroidアプリを作ってみたいですね。

音楽

昔DTMもどきのことを行っていました。もう一度やってみたいとは思いますが、次はきちんと音楽理論を身につけてからにしたいです。理論の勉強からスタートです。

ランニング

体力が極端に落ちてしまったので走りたいです。長距離走は、唯一私がそれなりに頑張れるスポーツでした。一人で行う競技だからだと思います。目標はマラソン走破ですが、何年かかるか分かりません。当面、10km走れるようになることを目標にします。

料理

私は料理の経験がほとんどありませんので、1からのスタートです。料理はマルチタスクですので、私の苦手な部類に入ります。ド貧乏な材料でどこまで美味しい料理を作れるかどうか試してみたいです。

資格試験

せっかく試験が得意なので趣味の一つに入れていいと思います。興味があるのはTOEIC、情報処理技術者試験、漢検、宅建です。ただし金がかかるので、ほどほどに。

 

こんなところでしょうか。時間はきわめて限られていますので、全部満足にこなすことは不可能でしょう。少しずつ長く続けていきます。


書籍レビュー:料理の道は険しく高かった『HOMEPAL DELUXE スタンダードクッキング 料理の基本 知恵・技・レシピ』

★★★★★

 

引っ越したらすべて自炊で食事を賄うつもりなので、図書館(といっても地域公民館の図書室)でもっとも網羅的なものを選んで借りてみました。

調理器具だけで30点以上、技術も洗う、水を切る、さらす、もどす、下茹で、塩もみ、煮る、炊く、ねかせる、まだまだ何十もの技術があり、素材も切り方も盛り方まで盛りだくさん、レシピを見るとワーキングメモリを酷使しそうな超マルチタスキング、そもそもレシピが複雑すぎて意味不明で材料も多すぎ。。。

大丈夫か!?

人間がこの世に生まれて何百万年と発展してきた料理の世界は複雑で、圧倒されるしかありませんでした。

ポテトサラダ

Q. 味がいまいち決まらない。なんだか味がぼーっとしてハッキリしない。

A.それはじゃがいもが熱いうちに下味をつけていないため。じゃがいもにしっかりとした味がついていると、あとから和えるマヨネーズの味も生きてくる。

味がぼーっとしてとかレベル高すぎでした。

この本はレシピが無駄に豪華なものが多いのですが必ず参考にはなると思います。綺麗で見やすいし、インデックスも分かりやすい。分量も完璧、調理時間の目安までついてます。欄外の一言メモは役に立つし道具の詳細な説明もすばらしい。アマゾン1円だし買ってみようかな。

 


書籍レビュー: マルチタスクへの道 『脳のワーキングメモリを鍛える! ―情報を選ぶ・つなぐ・活用する』 著: トレーシー・アロウェイ、ロス・アロウェイ

★★★★★

ワーキングメモリって何!?

twitterで話題になっているワーキングメモリ。一体どんなもんなんじゃろうと思って手に取りました。

ワーキングメモリとは、一言でいうと「脳の指揮者」です。短期記憶と長期記憶をつなぐ役割、パソコンで言うとOSのタスク処理機能とIO機能をまとめたものに相当します。脳の「制御装置」と言い換えてもよいですね。主に前頭前皮質で処理される機能です。

本書のワーキングメモリの定義ではこうです。

  1. 優先順位をつけてから、情報を処理する。関係のないものは無視し、必要な情報から処理できるようにする。
  2. 情報を利用して作業できるよう、補完する。

たとえばツイッターやメール、大量のテキストなどから自分に必要な情報だけを抽出する機能、ざわざわした環境で自分の仕事に集中する能力、面接官から突飛な質問を受けたときに自分の長期記憶から適切な情報を選択して面接に応える力、さらには株価が暴落したときに狼狽売りせずホールドか売却か冷静に見極める判断力、チリ落盤事故やホロコーストのゲットー下のような絶望的な状況でも不安を抑制しポジティブに思考する力、テニスボールがネットを超え目の前でバウンドしたときに取る行動、、、などワーキングメモリの活躍する範囲は多岐にわたります。

IOとの違い

IQ・知能指数は私達もよく聞く言葉です。IQ150の天才!みたいな触れ込みの本もよく出版されています。しかし本書ではIQの効果を疑問視しています。ざっくりいうとIQとはあなたが知っていること、ワーキングメモリとはあなたが知っていることを利用してできることだ、ということができます。IQとワーキングメモリは相関関係が無く、IQと将来の成績にも必ずしも因果関係が無く、ワーキングメモリは将来の成績と因果関係がある、という研究結果があるそうです。そしてワーキングメモリと経済状況との因果関係もありません。ある意味、万人に平等な能力です。じゃあワーキングメモリが無かったらどうするんじゃ、とは言いたくなりますけど。

自閉症とワーキングメモリの関係は!?

ここまで読んで明らかに私はワーキングメモリが足りない人間だな、と感じましたがやはりワーキングメモリと自閉症とは関連がある、という記述がありました(P126)。一般人が4CPUのマルチタスクなら、自閉症者はシングルコアだという記述もあります。これ以前にも見たことがある議論ですね。しかし自閉症ならワーキングメモリが少ないとはいえず、自閉症スペクトラムのどの位置にあるかで変わってくるそうです。じゃあ必ずシングルタスクのように思える私ってなんなのさ。もっと詳しい書物が必要です。

ワーキングメモリは文章の深みにも関係しているそうです。次の文章はある修道院で書かれた自伝をワーキングメモリの強さによって分類したものです。

低い――「私はほかのどんな職業よりも、音楽を教えるのが好きです」

高い――「<鳩の小道>を歩きながら、私は思いを馳せている。あとたった三週間で、私は生涯の伴侶の足跡を追い、貧困と貞節と従順の誓いを立て、主に生涯をささげるのだ、と」

明らかに私は低い方に位置します。高い方の文章が書けるようになりたいよ。おまけにワーキングメモリが低いとアルツハイマーになりやすいそうです!低いのはやだよー。というわけでワーキングメモリを強化しなければなりません。本書はタイトル通り、強化する方法がたくさん書いてあります。列挙していきましょう。

ワーキングメモリの強化!

・走る

長距離に限ります。ランニングは運動の予測を立てにくく、スピードや走り方の変化に常に注意を向けなければいけないため、ワーキングメモリが稼働され前頭前皮質が活性化されるそうです。外界からの刺激にも絶えず気を配らなければいけません。できれば裸足で走ると、地面からの刺激にも注意を払う必要が生じてさらにワーキングメモリが活性化されるそうです。

・料理

これは児童向けとして紹介されていますが、大人の場合は「レシピに目を通したら、見ないで料理を作る」という作業で激しい負荷のかかるマルチタスク課題となります。

・ドラム

リズム・パターンはワーキングメモリと密接な関係があるそうです。

・外国語学習

あらゆる年代のバイリンガルは、一か国語しか話さない人間よりワーキングメモリを含めた認知能力が優れていた、という研究結果があります。「新たな言語を学ぶ」という行動自体がワーキングメモリの強化を促すそうです。

・暗算

様々な数字を同時に処理する必要があるため、ワーキングメモリの強化に有効です。2桁*1桁、2桁*2桁、3桁*2桁、とどんどん数を増やしていきましょう。

・難しい文章を読む

文章を読むことは短期記憶や予測、解釈、統合の機能が必要なので、ワーキングメモリを活用できます。スマホで平易な文章を読むのではワーキングメモリは鍛えられません。難しいものを読みましょう。

・寝る

睡眠不足はワーキングメモリの低下を招きます。成人は7~9時間の睡眠をとりましょう。

・食事

ワーキングメモリの劣化防止→カルチニンとビタミンB12。乳製品、赤身肉に含まれます。飽和脂肪酸は控えめに。ビタミンB12が低下するとアルツハイマーリスクがあります。

ワーキングメモリの機能増強→フラボノイド。ベリー類・ハーブ・ダークチョコレート・ほうれん草・緑茶・紅茶・赤ワインに多く含まれます。

ワーキングメモリの刺激・活性化→オメガ3脂肪酸。脂肪分の多い魚に多いです。サバ、サケ、イワシ、マス、マグロ。サプリメントでも効果があります。

ハーブも効果があります。ローズマリーとペパーミント。

・仕事

退職するとワーキングメモリの機能が極端に下がります。

 

驚いたのは私が好んでやりたいと思っていることが軒並み含まれていることです。外国語学習も読書も現在進行形だし、ランニングと料理はこれからやろうと思っていたことズバリだし、ドラムだってやりたいし、仕事は一生続けたい。ちょっと自信が持てました。

 

 

関連書籍

次はこれを読みます。

ワーキングメモリと日常: 人生を切り拓く新しい知性 (認知心理学のフロンティア)

ワーキングメモリと日常: 人生を切り拓く新しい知性 (認知心理学のフロンティア)

  • 作者: T.P.アロウェイ,R.G.アロウェイ,Tracy Packiam Alloway,Ross G. Alloway,湯澤正通,湯澤美紀
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2015/10/22
  • メディア: 単行本
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おお発達障害あったあった。読むぞ

ワーキングメモリと発達障害: 教師のための実践ガイド2

ワーキングメモリと発達障害: 教師のための実践ガイド2

  • 作者: トレーシーアロウェイ,Tracy Packiam Alloway,湯澤美紀,湯澤正通
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2011/09/23
  • メディア: 単行本
  • クリック: 2回
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 裸足ランニング。これも読むぞ

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

  • 作者: クリストファー・マクドゥーガル,近藤隆文
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2010/02/25
  • メディア: ハードカバー
  • 購入: 16人 クリック: 207回
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これも有名。読むぞ

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

運動と言えば、太極拳にも興味があるのです。

超入門 24式太極拳

超入門 24式太極拳

 

 

太極拳その2

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

 

 


書籍レビュー: ルビコン越えってそういう意味だったんか『ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)』 著: 塩野七生

★★★★★

 

「ルビコンを越える」という言葉を時々聞きます。数か月前に読んだこの本でも出てきました。

どこで出てきたか正確な場所は忘れてしまったのですが、政府が税金を使った大々的な金融支援を打ち出すと決めた箇所だったと記憶しています。事態が流れに乗ったことくらいの意味かなぁと当時は考えていました。ところが本書を読むと「ルビコン越え」とはもっと深刻なものであることが分かるのでした。

 

本書はカエサルがガリアを平定し、三頭政治の一角クラッススが討ち死に、ポンペイウスは元老院派に取り込まれ対カエサルの尖峰となり、カエサルと全面対決を始める直前までの史実を扱います。

ルビコン越え=国家反逆罪

ルビコーネの流路(青線)

ルビコン川 – Wikipedia

ルビコン川とは現在の北イタリアを流れる川で、いまはルビコーネ川と呼ばれています。当時のローマの国境をなす川でした。この川の北側がガリア地方、カエサルが属州総督として派遣されていた地です。総督は軍隊を率いる権利がありますが、それは属州内限定の軍隊であり、ローマに帰る前、ルビコン川を渡る前に軍隊を解散しなければいけない、という法律がありました。これを破って、ルビコン川を軍隊を率いて渡ることは国家の反逆者となることを意味していました。

カエサルを排除したい元老院から「元老院最終勧告」(いまだとなんでしょうね。破防法適用とか国家反逆罪適用とかかな)をうけたカエサルは元老院にひれ伏すか反逆するかの二者択一を迫られ、反逆を選びました。それが「ルビコン越え」です。軍隊を率いてルビコン川を超えたところで本書は終わります。

ということはリーマンショック・コンフィデンシャルの政府融資の意味とは、アメリカではまず許されない絶対の禁じ手をやむに已まれず使うことになった、という意味での「ルビコン越え」だったのですね。あの本では当時の雰囲気として政府支出=社会主義=忌むべし忌むべし!という論調が支配的だったように書かれていますので、相当な決断だったということなんでしょうね。日本だとあっさり金使われて終わりになりそうですけれど。

気になった言葉たち

今回も目白押しです。

 ラインとドナウの両大河を視野に入れたカエサルによって、ヨーロッパの形成ははじまったのである。小林秀雄も書いている。「政治もやり作戦もやり一兵卒の役までやったこの戦争の達人にとって、戦争というものはある巨大な創作であった」。ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。そして、創作した。だが、キケロに代表される首都ヨーロッパの知識人たちは、これもカエサルの私利私欲の追求としか見なかった。先見性は必ずしも、知識や教養とはイコールにはならないのである。

後のヨーロッパの基礎を作ったともいえるカエサル。彼が平定したガリア地方は、そのまま現代フランスの土壌なりました。道なき道を行くものは必ず理解されないという常道を示す記述です。

 スレナスの死とともに、らくだと軽装騎兵を組み合わせた独創的で効果的な戦術を、パルティア人は忘れてしまう。考案者が死ねばその人の考案したことまで忘れ去られてしまうのは、オリエント(東方)の欠陥である。オチデント(西方)では、人は死んでもその人の成したことは生き続ける場合が多いのだが。

スレナスとは現在のイランに相当する国家パルティアの貴族です。独特の戦術で三頭政治の一角クラッススを死に追いやりましたが、彼の名声をおそれるパルティア王オロデスによって殺されました。ローマやギリシャの文化が今日まで詳細に伝えられているのは、文字の力に負うところが大きいと思います。東方には文字文化がなかったのでしょうか?ここではざっくり「欠陥」と切り捨てられていますが、ここまで言い切っていいのかどうか私にはまだわかりません。

 われわれシビリアンは、軍人たちが隊列を組む訓練や規則正しい行進に執着するのを笑いの種にすることが多いが、これはもの笑いにするほうがまちがっているのである。隊列が乱れていては、行軍でも布陣でも指令が行き届かないおそれがある。可能な限り少ない犠牲で可能な限り大きな成果を得ることを考えて、軍隊は構成され機能されねばならない。

ごもっともです。軍隊には必ず必要なことでしょう。自衛隊や海外の軍隊の隊列を見てみたいと思いました。しかし小学生や中学生に隊列を組ませる今の教育はどうかと思います。

 多国籍軍は、そのうちの一国の力が他を圧倒していてこそ、指揮系統も統一され、それゆえに十分に機能できるのである。

NATOのことでしょうか

ガリア連合軍が崩壊の危機にあるときを評した言葉です。

 私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、舞台に上がって後の出来具合で定まるという点において。舞台に上がる前に十割決まっていないと安心できないのは、並の指揮者でしかないと思う。先頭も演奏に似て、長い準備のあとの数時間で決まる。

戦闘も指揮もやったことがないので分かりませんが、コンサートで発表するとか、試合に出るとか全く同じ事が言えそうですね。試験なんかもそうかもしれません。カエサルは5万人で34万人のガリア連合軍と戦って勝ちましたが、彼の場合は戦う前から7割方勝負が見えていたそうです。

 しかし、人間誰でも金で買えるとは、自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。非難とは、非難される側より非難する側を映し出すことが多い。

今回一番ぐっときた言葉です。

クリオという護民官が元老院からカエサル派に寝返った時、元老院は「クリオは金で買われた」と非難しました。しかし実際の所クリオはカエサルの真摯な説得に応じたのであり、既得権益すなわち金が惜しい人間の多い元老院の内情を逆に鮮明にした、と筆者が考えて書いたと思われます。非難している人間を見たときや、自分が誰かを批判したいと考えてしまったとき、必ず思い返したいと思います。その非難はおまえのことじゃないか?

 

 

 

 

関連書籍

本書で言及されているフランスのガリア人パロディ漫画「アステリックス」は、次のサイトで全作品がダウンロードできます。フランス語版ではなく英語版です。

Asterix complete set : Free Download & Streaming : Internet Archive


振り返り 悪い見本

前回記事

 

当面の金の心配はなくなりましたが将来的な金の心配が持ち上がってきました。今の仕事は保守が中心で将来性が無く、技術力も大して必要としません。したがってクビになるか会社が倒産するかすれば私の就職先はありません。私は年金を払っていないので老後に年金が出ません。すると今のうちに金を貯めておかなければなりませんが、借金さえなかなか減っていきません。

今食べている食材は間違いなく分不相応です。無農薬→有機→自然栽培、最近ではグルテンフリーに乳製品無しと着実にグレードアップしてきたことを考えると後戻りは不可能でしょう。エンゲル係数は一時40%まで高騰していました。

有機野菜などのいわゆる自然食品は農薬使ってないもんねというプレミアムのついた利益率の高い食品です。経済学が言う「効用」というやつは捉えどころがなく、データで定式化することは非常に難しいですが簡潔にいえば人間がファンタジーを持つ程度の高さ、欲望の惹起度の強さだと思います。要するに幻想です。商品付加価値というものは幻想に対して人間が支払う代価なのです。確かに自然栽培の野菜はおいしいですが、3~10倍の金を支払う価値があると私にはどうしても思えなくなりました。どれだけ体に良いというものを食べたところで、食物は人間の消化管で分解されてから吸収される以上、すべての栄養素は食物内の含有量がすべてなのであって、美味しさとは関係がありません。いままでずっと思考を停止して家の方針に従ってきましたが、世の中の9割以上の人間がスーパーの野菜を食べて健康に暮らしている事実を鑑みると私は金を支払うことが急激に嫌になってきました。しかし私には発言権はありません。食事を作ってもらっている身分ですので文句は言えません。10年以上続いた方針は変えられないでしょう。私だって喜んで従ってきたんだから。

グルテンフリー導入後私の体重は10kg以上落ちました。痩せ過ぎは健康リスクがあります。コメは高級品を食べているので、量を増やしてくれと言えません。数か月前まで筋トレを欠かさず1年以上続けていましたが、栄養のインプットが減っては糖新生により筋肉を燃やすしかなく、体中の筋肉がなくなりました。私は絶望して筋トレをやめました。30回3セット出来た腕立て伏せは1回もできなくなりました。自然食品は年収1000万円以上の人だけが買えばいいと思う。

お金を貯めたい。自分が食べたいものを食べたい。

 

TLでふと目がついたツイートを流用して恐縮ですが、こんなことは日常茶飯事です。Kは親譲りの完璧な生活習慣の持ち主でしたが、私はダメダメな親譲りのダメダメな生活習慣の持ち主で、しかも自へスぺ(自閉症スペクトラムを略してみました)のせいで短期記憶と動作性が極端に悪いです。

まず忘れ物。私は学校時代にほぼ毎日忘れ物をしました。どれだけ注意しても1つは物を忘れていきます。いまでも教科書が足りない夢をしょっちゅう見ます。私は今までに傘を電車や電話ボックスやコンビニなど5カ所に置き忘れ、Kに貰った時計を電車に置き忘れ、通帳一式を大学のベンチに置き忘れ(これは後日見つかった)ました。

また物をよく壊しました。Kの大事な実印を落として欠けさせたり、Kの本を借りて読んでいたらカバーを破損したり、Kに貰った靴を数か月でボロボロにしたり、洗い物をしていたら食器をぶつけて欠けさせたり割ったり、責められてパニックになった時にお茶の保温ポットを頭にぶつけて壊したりしました。私は物を大事にできません。なくすし、壊します。何回も悲しい思いをさせました。

言われたとおりに動けないし、指示を覚えられないし、歩き方は変だし、何もかもが怒られる種になりました。私はどれも直そうと努力したし、できなかったことを書きつられなノートが5冊にもなりました。しかし10年かけて何も治りませんでした。すべては無駄でした。努力の方向が間違っていたからです。

しかし怒られているうちはまだよかったのです。今年に入ってKが怒ることをやめました。すると会話が無くなりました。私には重要な話題を振らなくなりました。大事なことはすべてα(長子)と相談するようになりました。私は空白になりました。β、γとも私はほとんど関わらなくなっていきました。γに「ああなってはいけないよ」と言うのも聞きました。私は悪い見本です。でも本当のことを言っています。私だってこどもに自分のようになってほしくありません。存分に反面教師にしてほしいと思っています。

中学の同級生に、父が無職で母の稼ぎだけで暮らしている家の子がいました。彼は無気力な父を憎んでいました。彼は中学でも高校でも生徒会長になり、高潔な人間になりました。北海道で農業をやって家族を呼び寄せたいと言っていましたが、あの夢はかなったでしょうか。父がダメ人間で、かつ父に反抗する心があれば、人間は強くなります。彼のようになってくれればよいです。

Kは私に世間一般でいう愛がなかったことも見抜いていました。私にはふつうの人間のように家族を守るという義憤はありません。キチガイ親の脅威から家族を守ろうと心の底では思っていませんでした。それどころか今では同情の気持ちすらあります。父は私の欠陥を濃縮させたような人間でした。空気は全く読まないし、親らしいことをしてもらった記憶はありません。私と同じように、親になろうとしても、なれない人間だったのでしょう。私には親がいなかったのです。

半面、Kには母性も父性も備わっています。正直なところ、この10数年間は私にとって家族体験のやり直しに近い意義を持っていたと感じています。Kが親で私は子供です。子供にこどもが育てられるわけありません。ロールプレイとして、α、βの親として各地で振る舞ったことはあります。それなりに役割は果たしましたが、αがクソのような教師に攻撃されたときは全く防御してやれなかったし、これまた私の悪いところを濃縮したようなβをどう育てたらよいか、私からは何の提案をすることもできませんでした。親としての実質の機能はありませんでした。

私はこどもにとってよつばとのジャンボとかみなみけのタケルおじさんのようなポジションだと思います。私がいなくなっても、致命的な穴にはなりません。家に入り浸っていたおじさんがいなくなったかな、というくらいのものでしょう。図らずもとある教師を引退したベテランがこどもを見て「父親の存在が全く見えない」と言ったそうです。その通り。よくわかってるね。

私はつかれたので、出ていくとKに告げました。やっぱりね、という反応でした。

 

後向きな内省はこれで終わりにして、明日からは今後どうやって生きていくかについてエネルギーの方向を切り替えようと思います。振り返りはこれで終わりです。


振り返り 地元、試験、袋小路、親、引っ越し

前回記事

 

私が地元に予告もせず押しかけ追跡の中止を求めると「当然のことをしている」と全く悪びれないどころか久しぶりに顔を見られてうれしいという始末でこちらもやる気がなくなりました。私の怒りは借り物に過ぎませんでした。いままで親絡みのトラブルがあっても私はKの言うままに母を駅まで連れていって置き去りにしたり自発性がありませんでした。本来なら不正入手(法的には不正ではない)した住民票を奪い取ってくるくらいのことはしなきゃならなかったのでしょうけれど私は不徹底のまま新幹線代を浪費しただけで帰りました。後々まで責められる種になりました。

私達は結婚後Kの両親とも交際を絶っていましたが、たまたま親類に出した年賀状の住所を見たKの両親から連絡があったので私たちはKの実家付近に住むことになりました。

この頃Kが紹介してくれた弁理士試験を受けました。私は結晶性知能検査が得意だったようで、1次試験と2次試験を一発で突破しました。1次試験の多肢選択式はもとより、2次試験の論文試験は文章を書くものなので難しいと決めてかかっていましたが、問題集の模範答案を要約しながら100問書き写したら合格しました。残すは3次試験の口頭試問のみとなりました。

しかし2次試験後の私の言動がキモかったという理由でKに受験を禁止されました。私は弁理士試験を大学を辞めたリベンジだと思っていました。中退後数年が経ち同期の人間はみな就職しています。いつまでもバイトのみの私には相当の劣等感がありました。これを克服するため受験勉強を再開したようなものです。私の優越感が復活したのをKが見て取ったのでしょう。私は勉強を放棄せざるを得ませんでした。

しかし私はあきらめきれず勉強ゼロで3次試験の受験に強行しました。もちろん惨敗でした。何を思ったか私は支離滅裂な反省文を書き、家族に呆れられました。

ひょんなことから猫を拾い、出費が増えました。ペット可の物件にしか住めなくなったので、選択肢が大幅に狭まり出費が増えました。私はまた労働時間を増やしました。

もともと有機野菜などを食べていましたが、これをさらにグレードアップした自然栽培野菜を食べることになり、こどもも大きくなってさらに出費が増えました。私はさらに労働時間を増やしました。私は労働基準法の適用対象外ですが、通常の労働時間で言うとだいたい残業月100時間分に相当すると思います。月に1度しか東京に行かなくなった上に自由時間もほとんどないので、アーケードゲームをプレイすることはなくなりました。プレイ終了時はDDR(DP LV16相当)もIIDX(DP LV10~11相当)もポップンミュージック(LV47相当)も上級者レベルに達していました。

出費が大幅に増えたので身動きできないまま数年が過ぎました。一昨年のことです、親からまたも追手が来ました。Kの両親から電話がありました。不審な人物がタバコ屋に電話し、Kの両親の所在を聞いた。それを親切なタバコ屋がKの両親に連絡してくれたそうです。電話した人間の名を聞くと私の親でした。がっくりきました。一体どうやって調べたのやら。親に問いただすと、私を直接探すと引越しなければいけなくなって迷惑がかかるから、Kの親に私が元気か聞きたかったというのです。信じがたい話です。普通の人間ならKの親に脅迫する目的だと思うでしょう。だいたい探偵まがいのことをしている方が迷惑です。

でも今では親の思考方法が見えます。本当に悪意が無かったのでしょう。私以外の人間をカボチャかジャガイモかパイナップルだと思っているだけなのです。人間性の否定こそ私の親類の本質です。人間性が失われている家庭に育った私は人間性が欠けていて当然です。

住民票の取得履歴を自治体に問いあわせてみたら、弁護士の名前で戸籍が抜かれていました。親が弁護士に依頼して取得したことは明らかです。防衛のため、形式的にKと離婚して戸籍を分けました。離婚結婚は私が親の苗字を捨てる目的で一度行っているので特に抵抗はありませんでした。

去年、こどもの学習環境のためにと勇気を出して借金し東京に引っ越しました。ところが風呂が汚いという理由でまた引っ越すことになりました。私はがっくりしました。100万円超+次の引っ越し代をドブに捨てたことになります。私は風呂が気にならなかったのに。ここで溜まった借金は現時点、まだ返済できていません。

引っ越し後あまり借金も減らないまま、さらに私の月給が大幅に減るかもしれない事態に陥りました。いまではその心配はなくなりましたが、この出来事が私を大きく変えました。私は金を貯めるための方法を大急ぎで調べました。アフィリエイトブログを読み漁り、大量に本を借りて勉強し始めました。JavaScript、PHP、HTML5+CSSと株式投資の知識がつきました。はてなブログに投稿を増やして書籍レビューも書くようになったのはこの頃です。

心配がなくなってくると関心は自閉症や歴史、哲学、経済、食物などに向かいました。自閉症については診断後もほとんど調べることはありませんでしたが、はじめて読書の習慣がついた私は考えが変わっていきました。

 

続きます。ここ6年くらいは部屋に引きこもってほとんど仕事しかしてこなかったので、時間の割にあまり書くことがありませんでした。


幻想について

ちょっと脱線します

 

 

面白い記事でした。

はてなブログに移行して半年程度、記事を書く前に表示されるトップページには注目記事が表示され、恋愛工学などモテ関連の話題がしばしば上位に上がります。その中でも私は「男らしさ」「女らしさ」という共同幻想を相対化する記事に目が行くようになりました。日本人は概して同質性を好み異端を排除するが、彼らは言葉の力を使って同質性の圧力を無力に変えてしまう方法をとって抗う人たちでした。

私は「男らしさ」を要求されていました。Kの父は典型的な明治型父権の人でしたから、私にも同様の要求がありました。しかしKはその父を乗り越えた存在でしたので、私よりも父性が強いです。私の父は父性?男らしさ?なにそれ?という人間だったため私にロールモデルは存在しませんでした。私は「男らしさ」についての圧力を苦にしたこともありませんでしたし、アムロが「だって僕は男なんだから」と独白しても何の気持ちも湧いてきません。むしろアスペルガー(自閉症スペクトラム)の診断が降りてからは、「人間らしさ」という全人類から受ける圧力に苦しんできたことの方が大きいです。自閉症が脳の気質由来の新しい思考のありかただという動きがありますが、私は親近感をおぼえつつも連帯感を持つことには違和感を抱いています。明確に言語化できなくてもどかしい。言語を自在に操れる人間ってバケモノじゃないの。わたしゃ他人の思考のつぎはぎしかできないっちゅうのに。

私は10年以上周囲の圧力に対応できるように奮闘してきたつもりでしたが、何も進歩しませんでした。すべての努力は方向が間違っており、無駄でした。死ぬまで未成熟のまま、男らしさも人間らしさも身につけることなく年を重ねるでしょう。はてこさんの記事は物語による救済をテーマにしていますが、私は物語が、形を変えた圧力になるとしか思えません。それは自分に適した物語を私が見つけていないだけなのかもしれません。幻想の効用は認めます。今後も私はファンタジーを探して様々な本を読み続けることでしょう。しかしそれはいろんな人間が何を考えているか知りたいという純粋な興味からであって、自分を救うかもしれないとは期待していません。私はもう疲れました。幻想に自らを従える意味が分かりません。それは自分じゃない。もうこんな不毛な階段から降りたい。