書籍レビュー: お前は戦う前から負けているのだ『ワーキングメモリと日常』 著:T.P.アロウェイ、R.G.アロウェイ

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一週間前くらいに読み終わっていたのですが時間が取れずようやく今日レビューを書くことができました。

本書はワーキングメモリについて、最新の研究結果をいくつも報告した論文集という趣の本です。ワーキングメモリとはなにか、の説明は序論でちょろっと書かれているだけなので、先にこちらの本を読んでおくことをお勧めします。

やや読みにくい

全体的な印象を先に書いておくと、訳の日本語が悪いのか私の理解力が足りないのか、読むのにとてつもなく時間がかかりました。『脳のワーキングメモリを鍛える!』はするするっと読めたのですが、本書は学術書という体裁からか読むのに体力を必要とします。

また、論文集みたいなものですので、仮説をバンバン提出するも「因果関係はよくわかっていない。」と結論付けられているものが多いです。仮説自体は興味深いものが多いので以下紹介していきます。

自閉症スペクトラムとワーキングメモリのスキルには相関が無かった

低機能のASD*1児群の成績は、年齢を適合させた対照群よりも低いが、言語性と視空間性のワーキングメモリの評価は、知能指数を適合させた対照群と異ならない(Russell, Jarrold & Henry, 1996)。(中略)高機能のASDと診断された10代の子どもたちは、言語的短期記憶に問題を示したが、ワーキングメモリのスキルは平均的であった(Alloway, Rajendran & Archibald, 2009)。(P73)

自閉スペ人はワーキングメモリが有意に少ないと思っていましたが全然そんなことないみたいです。私のワーキングメモリが少ないように見えるのは個人的な特質であって、マルチタスクも余裕でこなせるスペ人もいるということですね。これは希望が持てます。鍛えることができるということだからです。近日中に鬼トレを仕入れる予定ですので、がんばってみます。

熟達と音楽とワーキングメモリー、努力

7章に「音楽」をテーマとした特集がありました。音楽は昔作曲のまねごとをしていたこともあったのでとても興味がありました。読んでみると主として「熟達・探求トレーニング」をテーマとして扱っている章でした。ヴァイオリニストやピアニストの熟練とワーキングメモリ、そして練習量の関係について述べられています。ざっとまとめるとこうです。

「ワーキングメモリの容量が高い人間はいわゆる才能がある人間を指し、伸びが早い。また、初見演奏に強い。」

しかし一方で次のようにも言われています。

国際的なソリストとなる可能性があると評価された優れたヴァイオリニストたちは、一人での練習時間が20歳までに累積1万時間に達しており、その域に達していない演奏者より何千時間も多かった。その後の研究結果はさらに劇的であり、熟達ピアニストが1万時間の単独練習をしていたのに対し、アマチュアはたった2千時間であった。(P132)

 

チャーリー・パーカーは(中略)次のように回顧している。「相当練習はしていました…(中略)少なくとも1日に11時間から15時間を練習に当てていました」(P134)

何だよ結局努力が全てじゃねえか!!!

しかし「才能」を「ワーキングメモリ」に、「努力する才能」も「ワーキングメモリ」にだいたい置き換えて考えると納得できるような気もします。というのも、『脳のワーキングメモリを鍛える!』にもあったように、ワーキングメモリの能力が高ければ、雑念を払って集中することが可能となるからです。

また、熟達トレーニングについてはワーキングメモリが少なくても心配することはありません。

Kopies & Lee(2006)の研究では、初見演奏の能力とワーキングメモリーの関連について、演奏の難しさ別の分析を行った。最も簡単な課題(レベル1~3)では、両者に有意な相関があった。しかし、課題が難しくなると(レベル4)相関は有意でなくなり、最も困難な課題(レベル5)でも、有意な相関はなかった(r=0.08)。 (P116)

つまりワーキングメモリーの能力の大小は、その場を何とか乗り切る能力に優れるが、熟達トレーニングの程度が高くなればなるほどワーキングメモリーの意味はなくなるということです。熟達とは自動化していくことですので、徐々にワーキングメモリーの必要性は薄れていくだろう、という直感とも符合します。ですので「努力が全て」で間違いありません。

戦う前から負けるな!

何か活動を行うにあたって最も我々のパフォーマンスを落とすのは「不安」です。不安はワーキングメモリーの容量を食います。いつも不安の対象のループが発生してあなたのCPU使用率を食うからです。学校生活を経験した我々にとって、最も不安をもたらす教科、、それは「数学」です。

数学不安を抱える個人にとって、数学の教材や文脈は、ネガティブな情動反応を引き起こす。この反応が強いと、指を振るわせ、ドキドキさせ、息苦しくさえさせることがある。(P216)

数学が苦手な人は多いのでこのように感じている人間はきわめて多いはずです。ところが、実は「私は苦手」という思い込み自体が、最もパフォーマンスを低下させているのです。これを本書では「ステレオタイプ脅威」と呼んでいます。次の例は「アフリカ系アメリカ人は頭が悪い」というステレオタイプが浸透しているアメリカ(マジかよ)で行われた実験です。

この研究では、参加者は、SAT*2の問題が2つの条件下で与えられた。1つは、「これは、言語能力を純粋に測定するテストである」と伝えられ、もう一方では「これは、言語的な問題解決における心理学的要因を明らかにするための調査である」と単に伝えられた。SATの問題が、言語能力を測定するものであると伝えられた場合、アフリカ系アメリカ人は、同時にテストを受けたヨーロッパ系アメリカ人よりも悪かった。この成績の差は、その問題が能力を診断しない調査という枠組みで実施された場合、減少した。(P218)

ビックリしませんかこれ?「お前は頭が悪い」という思い込みだけで成績が下がるんですよ。

私が本書で一番びっくりしたのは次の記述です。

数学のスキルを訓練するよりも、数学不安と関連した情動の部分を扱った介入が、高い数学不安の個人の成績を改善することが示されている(Hembree, 1990)。このことは、数学不安がパフォーマンスをどのように損なうかについての別の説明、すなわち、数学不安そのものが数学の問題解決中の弱さを引き起こしているという説明を支持している。(P216)

つまり数学が苦手な人間は、数学を勉強しても実は無意味で、「私は数学ができない」という思い込みを捨てることが一番の特効薬になるということです。

「私はできない」という固定観念を捨てましょう!戦う前から負けてはいけません!あなたの可能性を摘んでいるのはあなたです。「私はできる」と根拠なく思ってよいのです!

この研究結果からわかることは、一番成績を上げることができる人間とは松岡修造ということですね。

www.youtube.com

修造はすばらしい

 

他にも雑念を払うための瞑想の訓練がワーキングメモリーを飛躍的に向上させることや、人類のワーキングメモリーの歴史など話題盛りだくさんです。おすすめです。

 

*1:Autistic Spectrum Disorder: 自閉症スペクトラム障害

*2:アメリカのセンター試験みたいなやつ


書籍レビュー: 小さき光 『紺』 著:c71

追記:『紺』電子書籍版が出版されました。

 

 


一体どんな記事が読まれているのだろう、とクリックしてみて衝撃を受けたのを覚えています。初めて読者登録したのはc71さんのブログでした。それ以後も新着記事が出るたびに読んでいます。このブログがどうして気になるのか分かりませんでしたが、過去のログもさかのぼって読んでいました。
本書はc71さんが第一回文学フリマ福岡に出品した作品です。上のリンクからstore.jpでも購入できます。私はここで購入しました。内容は小品が4つ、彼女の実体験に即した*1私小説、随筆とブログの記述をさらに大鍋でじっくり煮詰めたような作品でした。

1作目『「頭蓋骨を割られたんだよ、それでも」と彼女は』はDV被害者?のためのシェルターでの出来事です。ちょっと長いですが、一番印象に残ったところを引用します。

 痩せぎすの女は続ける。「警察を呼んでね。それで、わたしの自動車だったらまだ我慢できた。だって、わたしのだものね、わたしの頭蓋骨だって、ひびが入ったんだよ。それでもね、それでもさあ、体のことならまだ我慢できた、でも、子どものものをなんてね、あれはあの子のものなんだよ」と目の周りを黒くして、堂々とした調子で言った。わたしは、なぜ、頭蓋骨を割られても我慢したのか、ということが理解できないでいる。
 「それでね、わたしは、逃げることにしたの。そうだよね、誰だって逃げるでしょう。頭蓋骨は自分のことだからなんとか逃げないでいても、ほら、子どものものだったら、自分のものじゃないから、それはひどいと思って」わたしはそれを聞きながら、魚の煮物を食べようとしている。頭蓋骨を割られても女は、我慢するものだ、という気持ちの欠片がわたしを刺している気がした。

よく読むと、実は痩せぎすの女は「頭蓋骨を割られても女は我慢するものだ」とは言っていません。「私は我慢した、子ども(を殴った?)のは許せない」と言っています。ここから「わたし」は相当に強い歪みを植え付けられたことがわかります。2作目を読むと分かるのですが、「わたし」がシェルターに避難する前に交際していた男性は拘束する男性だったということですので、四六時中、女は耐えるものだとか俺の言うことだけ聞いていろ反抗したらただではおかないとか言われ続けたに違いありません。つまり気持ちを刺したのは痩せぎすの女の言葉を借りた、男です。後述しますが男はアホです。支配自体が好きなので何でもします。

2作品目の『ブルー・ビーナス・ブルー』は個人的なことで申し訳ないのですが、あまりにも自分の状況とタイムリー過ぎて打撃をうけました。これを読んで私がなぜc71さんのブログが気になっているのかわかりました。1作目から時系列が戻り、同居男性からの拘束から脱出する前後の過程を描いています。

直接殴られることはなかったものの、生活の中で、私の意志が通ることはなかった。あれが「生活」と言えるならば。今のわたしはあれが、「生活」なんてものなんじゃないと知っている。わたしは「言葉」で、愛していると言われたから、それが約束だと信じていた。信じていたけれども、実際には、いつも譲ることが多く、だんだん、意思やからだの安全を浸食されて、友人との接触も家族との接触も禁じられるようになっていった。

わたしが探していたのは、この感覚だったようです。私の意志は、十数年間の生活の中で、葬り去られようとしていました。外出できる時間は限られ友人との接触もない、食事への無駄な浪費*2のせいで私に残るお金はゼロ、意見の違いは私の異質性と頭の回転の悪さのせいで、論駁され切り捨て、すべてどこかに置いて行かれました。
私の親がキチガイなのも悪いのですが、過去の自分と関連がある世界は全てタブーでした。口に出すことも許されていませんでした。私は過去の夢をしょっちゅう見ました。明らかに抑圧の補償のためだったと思います*3。家族との亀裂の決定打となったのは私が古い友人と会うと言ったことでした。私も決定打となることが分かっていて言い出しました。
わたしはc71さんの段階よりもさらに進んで、結婚しこどもも生まれました。そしてこどもを3人置いて家を出ました。世間一般の常識から言ってクソ人間です。自分のお金がないことで困っていたのに、結果的に生活費はワーキングプア以下となりました。通帳もカードも置いてきました。給料の80%以上が毎月そこから引かれます。しかしそこまでしてでも自分の独立が欲しかったのです。
20代の頃は愛というものが存在すると思っていました。そしてそれを求めなければいけないと思っていました。求めなければ人間としてのレベルが低い、人間失格、自己卑下すべき存在だとすら思っていました。私たちはいかに社会に思考様式を規定されてしまうことでしょう。
しかし私にはもともと愛なんて備わっていなかったようです。気が付くまで10年以上かかりました。でも指輪はしたままです。外す理由が見つからないのです。あるのかないのかどっちなんだ。まだ家を出たばかりで、気持ちが整理できるまで時間がかかるのでしょう。もっと正確に言うならわたしには愛はあるが世間一般の愛とはずいぶんと違うものなのではないかと考えています。どう違うのか説明するためにはもっと頭が良くならないといけません。

脱線しました。自分のことを話したがるのは、抱えていたものが重すぎて吐き出さないと潰れてしまいそうだからだと思います。拘束される男から逃げるくだりでは、「わたし」ははじめ歩けないと思っていたと書かれています。

風はわたしの方に吹き込んで来たので、わたしは風に抵抗するように歩いた。風を切って、振りほどくように。歩こうと思ったら、歩けた。歩き方も忘れたと思っていたのに。指示されなければ右足の出し方も忘れてしまったのだと思っていたのに。右足を出したら、左足が出た。交互に動かしたら歩けた。

とても感動的な描写です。この「右足の出し方も忘れてしまった」というところがグッとくるのです。そう思わされているだけなのです。無能力にされていたことに気づけて良かったと思います。恫喝によって近しい人間を無能力にするというのはアホの使う常套手段ですが、それはそれだけあなたが脅威であったということですので、自信持ってください。

 

3作目『柔らかにつたのつるは伸びて』稼がない男や生活能力のない男の批判がされています*4

 小菅井さんの口癖は「どう思う?」と「男なんてほんとろくでもない」で、わたしはその後者に強く同意する。本当に男はどうしようもない。働かないし、偉ぶるし。

私は男ですが、主語を大きく一般化して男はバカだと言い切ってよいと考えています。思うに、女性は生理があるため体のバランスが周期的に変わります。したがって体調を常に気にせざるを得ません。すると、あああの人も大変なんだなと他人への思いやりも湧きやすいのではないかと想像します(共感しない人もいると思います)。視点が自らの周辺に集中する以上、生活への関心も高くなるでしょう。
男は体温が一定です。自らの生存についてあまり考えないでよく、せいぜいウンコ漏れそう程度の生理現象を気にしていればよいです。なので体のことなんか無頓着です。自分の体に無頓着なら他人の体にも無頓着で想像力不足です。いきおい視点は他人ではなくオレ様に向かいがちです。しかし他人は自分の言うことを聞かないし、男は言語的能力が低いことが多いため他人を説得し納得させる能力もありません。
そこで生物学的に恵まれやすい腕力をもって他人に言うことを聞かせます。自分の体はてめぇのおかげで獲得できたわけではないのに、腕力が自分の力である、自分えらい!すごい!と考えます。口では絶対に言い負かされてしまうことが分かっているので、腕力への盲従バイアスはらせん状に強まります。暴力を振るう人間はいつも隠れてビクビクしているのです。砂上の楼閣です。このような人間にはバンバン公権力を使ってください。後ろ暗い人間は法や権力に弱いのです。

ラスト『夜には星をつかんで』はいつものc71スタイルで、とても好きな作品です。

 頭を抱えたくなることもたくさんあるし、自分がやってしまったことを後悔することもある。恥ずかしさに叫びだしたいときもある。夜には気持ちがすっと深い色になる。悲しみも、苦しみも、苦さも、秋の色のように、深く沈んだ、でも豊かな色合いになる。

c71さんは色の表現が好きですね。脳の配線が知覚と色で混線すると共感覚が発生するそうですが私は色彩が感情と分断されており夢にも色の概念が存在しないのでとてもうらやましいです。タイトルも『紺』でしたね。紺色がどのような気持ちと重なるのか興味があります。

本作品は特に最後の1ページが好きで紹介したいのですが、ここで引用すると本作品の価値が減ぜられるおそれがあるので、みなさん買って読んでください。私のブログはc71さんのものとくらべると2ケタ少ない人数しか読まれていないので、大した数にはならないですが。。

そういえばc71さんは自閉症スペクトラムであると書いていました。私は8年ほど前にアスペルガー(DSM-5では自閉症スペクトラムの一部分になりました)と診断を受けています。誤解を恐れずに言えば自閉症スペクトラムとは、先天的わがままである、と考えています。

自閉症スペクトラムは脳の配線や機能的な不均一に由来することが近年わかってきていますが器質的なことはさておき、いくつもの実証例を見てわかることは、スペクトラム星人は地球人とは思考様式が異なるということです。常に日本語とスペクトラム語に同時通訳しながら他人と関わる必要があるため、消耗します。地球人との会話は不可能ではありませんし家庭生活を営める星の人間も存在しますがきっとその人は疲れています。私も疲れた人間のうちの一人です。先天的わがままと表現したのは、他人と交わることを期待しつつ、根源的なところで孤独を好む存在であるということです。他人と有機的で実りのある、お互いに高めあうような交際をしたいんだけれど、実は心の底で自分の利得を計算している。根っこのところで他人の願いよりも自分の願いを優先したいと思っている。いま読んでいるソローもそんな人間に見えます。でもそれの何が悪いのかというと、何も悪いところはありません。地球人よりも自覚的にわがままになれる、らくーにわがままにスイッチを入れ替えることができるというだけです。ただし近年知られているように、スペクト星人には色んな惑星の出身者がいますから、みんながみんなそうという訳ではありません。これは私の主観です。どうも、スペ人には他人との密な交流を求めるも挫折する人間が多すぎるように思うのです。。

最終1ページがなぜ好きかというと私がここにものを記すスタンスと完全に一致しているからです。一人になって、誰もいない住宅街を歩き誰もいない部屋に帰る夜、この記事の下書きをほのかな光の中で作っている気持ちにジャストミート*5しました。あなたのシグナルが届いている人はたくさんいます。ここにもひとり。

 

 

紺

 

 

*1:そうじゃなかったらごめんなさい

*2:家族は無駄と思ってないでしょう

*3:「夢判断」を読まなければ

*4:1作目にもあります

*5:いつ流行ったんだっけこれ


書籍レビュー:料理の道は険しく高かった『HOMEPAL DELUXE スタンダードクッキング 料理の基本 知恵・技・レシピ』

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引っ越したらすべて自炊で食事を賄うつもりなので、図書館(といっても地域公民館の図書室)でもっとも網羅的なものを選んで借りてみました。

調理器具だけで30点以上、技術も洗う、水を切る、さらす、もどす、下茹で、塩もみ、煮る、炊く、ねかせる、まだまだ何十もの技術があり、素材も切り方も盛り方まで盛りだくさん、レシピを見るとワーキングメモリを酷使しそうな超マルチタスキング、そもそもレシピが複雑すぎて意味不明で材料も多すぎ。。。

大丈夫か!?

人間がこの世に生まれて何百万年と発展してきた料理の世界は複雑で、圧倒されるしかありませんでした。

ポテトサラダ

Q. 味がいまいち決まらない。なんだか味がぼーっとしてハッキリしない。

A.それはじゃがいもが熱いうちに下味をつけていないため。じゃがいもにしっかりとした味がついていると、あとから和えるマヨネーズの味も生きてくる。

味がぼーっとしてとかレベル高すぎでした。

この本はレシピが無駄に豪華なものが多いのですが必ず参考にはなると思います。綺麗で見やすいし、インデックスも分かりやすい。分量も完璧、調理時間の目安までついてます。欄外の一言メモは役に立つし道具の詳細な説明もすばらしい。アマゾン1円だし買ってみようかな。

 


書籍レビュー: マルチタスクへの道 『脳のワーキングメモリを鍛える! ―情報を選ぶ・つなぐ・活用する』 著: トレーシー・アロウェイ、ロス・アロウェイ

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ワーキングメモリって何!?

twitterで話題になっているワーキングメモリ。一体どんなもんなんじゃろうと思って手に取りました。

ワーキングメモリとは、一言でいうと「脳の指揮者」です。短期記憶と長期記憶をつなぐ役割、パソコンで言うとOSのタスク処理機能とIO機能をまとめたものに相当します。脳の「制御装置」と言い換えてもよいですね。主に前頭前皮質で処理される機能です。

本書のワーキングメモリの定義ではこうです。

  1. 優先順位をつけてから、情報を処理する。関係のないものは無視し、必要な情報から処理できるようにする。
  2. 情報を利用して作業できるよう、補完する。

たとえばツイッターやメール、大量のテキストなどから自分に必要な情報だけを抽出する機能、ざわざわした環境で自分の仕事に集中する能力、面接官から突飛な質問を受けたときに自分の長期記憶から適切な情報を選択して面接に応える力、さらには株価が暴落したときに狼狽売りせずホールドか売却か冷静に見極める判断力、チリ落盤事故やホロコーストのゲットー下のような絶望的な状況でも不安を抑制しポジティブに思考する力、テニスボールがネットを超え目の前でバウンドしたときに取る行動、、、などワーキングメモリの活躍する範囲は多岐にわたります。

IOとの違い

IQ・知能指数は私達もよく聞く言葉です。IQ150の天才!みたいな触れ込みの本もよく出版されています。しかし本書ではIQの効果を疑問視しています。ざっくりいうとIQとはあなたが知っていること、ワーキングメモリとはあなたが知っていることを利用してできることだ、ということができます。IQとワーキングメモリは相関関係が無く、IQと将来の成績にも必ずしも因果関係が無く、ワーキングメモリは将来の成績と因果関係がある、という研究結果があるそうです。そしてワーキングメモリと経済状況との因果関係もありません。ある意味、万人に平等な能力です。じゃあワーキングメモリが無かったらどうするんじゃ、とは言いたくなりますけど。

自閉症とワーキングメモリの関係は!?

ここまで読んで明らかに私はワーキングメモリが足りない人間だな、と感じましたがやはりワーキングメモリと自閉症とは関連がある、という記述がありました(P126)。一般人が4CPUのマルチタスクなら、自閉症者はシングルコアだという記述もあります。これ以前にも見たことがある議論ですね。しかし自閉症ならワーキングメモリが少ないとはいえず、自閉症スペクトラムのどの位置にあるかで変わってくるそうです。じゃあ必ずシングルタスクのように思える私ってなんなのさ。もっと詳しい書物が必要です。

ワーキングメモリは文章の深みにも関係しているそうです。次の文章はある修道院で書かれた自伝をワーキングメモリの強さによって分類したものです。

低い――「私はほかのどんな職業よりも、音楽を教えるのが好きです」

高い――「<鳩の小道>を歩きながら、私は思いを馳せている。あとたった三週間で、私は生涯の伴侶の足跡を追い、貧困と貞節と従順の誓いを立て、主に生涯をささげるのだ、と」

明らかに私は低い方に位置します。高い方の文章が書けるようになりたいよ。おまけにワーキングメモリが低いとアルツハイマーになりやすいそうです!低いのはやだよー。というわけでワーキングメモリを強化しなければなりません。本書はタイトル通り、強化する方法がたくさん書いてあります。列挙していきましょう。

ワーキングメモリの強化!

・走る

長距離に限ります。ランニングは運動の予測を立てにくく、スピードや走り方の変化に常に注意を向けなければいけないため、ワーキングメモリが稼働され前頭前皮質が活性化されるそうです。外界からの刺激にも絶えず気を配らなければいけません。できれば裸足で走ると、地面からの刺激にも注意を払う必要が生じてさらにワーキングメモリが活性化されるそうです。

・料理

これは児童向けとして紹介されていますが、大人の場合は「レシピに目を通したら、見ないで料理を作る」という作業で激しい負荷のかかるマルチタスク課題となります。

・ドラム

リズム・パターンはワーキングメモリと密接な関係があるそうです。

・外国語学習

あらゆる年代のバイリンガルは、一か国語しか話さない人間よりワーキングメモリを含めた認知能力が優れていた、という研究結果があります。「新たな言語を学ぶ」という行動自体がワーキングメモリの強化を促すそうです。

・暗算

様々な数字を同時に処理する必要があるため、ワーキングメモリの強化に有効です。2桁*1桁、2桁*2桁、3桁*2桁、とどんどん数を増やしていきましょう。

・難しい文章を読む

文章を読むことは短期記憶や予測、解釈、統合の機能が必要なので、ワーキングメモリを活用できます。スマホで平易な文章を読むのではワーキングメモリは鍛えられません。難しいものを読みましょう。

・寝る

睡眠不足はワーキングメモリの低下を招きます。成人は7~9時間の睡眠をとりましょう。

・食事

ワーキングメモリの劣化防止→カルチニンとビタミンB12。乳製品、赤身肉に含まれます。飽和脂肪酸は控えめに。ビタミンB12が低下するとアルツハイマーリスクがあります。

ワーキングメモリの機能増強→フラボノイド。ベリー類・ハーブ・ダークチョコレート・ほうれん草・緑茶・紅茶・赤ワインに多く含まれます。

ワーキングメモリの刺激・活性化→オメガ3脂肪酸。脂肪分の多い魚に多いです。サバ、サケ、イワシ、マス、マグロ。サプリメントでも効果があります。

ハーブも効果があります。ローズマリーとペパーミント。

・仕事

退職するとワーキングメモリの機能が極端に下がります。

 

驚いたのは私が好んでやりたいと思っていることが軒並み含まれていることです。外国語学習も読書も現在進行形だし、ランニングと料理はこれからやろうと思っていたことズバリだし、ドラムだってやりたいし、仕事は一生続けたい。ちょっと自信が持てました。

 

 

関連書籍

次はこれを読みます。

ワーキングメモリと日常: 人生を切り拓く新しい知性 (認知心理学のフロンティア)

ワーキングメモリと日常: 人生を切り拓く新しい知性 (認知心理学のフロンティア)

  • 作者: T.P.アロウェイ,R.G.アロウェイ,Tracy Packiam Alloway,Ross G. Alloway,湯澤正通,湯澤美紀
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2015/10/22
  • メディア: 単行本
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おお発達障害あったあった。読むぞ

ワーキングメモリと発達障害: 教師のための実践ガイド2

ワーキングメモリと発達障害: 教師のための実践ガイド2

  • 作者: トレーシーアロウェイ,Tracy Packiam Alloway,湯澤美紀,湯澤正通
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2011/09/23
  • メディア: 単行本
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 裸足ランニング。これも読むぞ

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

  • 作者: クリストファー・マクドゥーガル,近藤隆文
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2010/02/25
  • メディア: ハードカバー
  • 購入: 16人 クリック: 207回
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これも有名。読むぞ

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

運動と言えば、太極拳にも興味があるのです。

超入門 24式太極拳

超入門 24式太極拳

 

 

太極拳その2

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

 

 


書籍レビュー: ルビコン越えってそういう意味だったんか『ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)』 著: 塩野七生

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「ルビコンを越える」という言葉を時々聞きます。数か月前に読んだこの本でも出てきました。

どこで出てきたか正確な場所は忘れてしまったのですが、政府が税金を使った大々的な金融支援を打ち出すと決めた箇所だったと記憶しています。事態が流れに乗ったことくらいの意味かなぁと当時は考えていました。ところが本書を読むと「ルビコン越え」とはもっと深刻なものであることが分かるのでした。

 

本書はカエサルがガリアを平定し、三頭政治の一角クラッススが討ち死に、ポンペイウスは元老院派に取り込まれ対カエサルの尖峰となり、カエサルと全面対決を始める直前までの史実を扱います。

ルビコン越え=国家反逆罪

ルビコーネの流路(青線)

ルビコン川 – Wikipedia

ルビコン川とは現在の北イタリアを流れる川で、いまはルビコーネ川と呼ばれています。当時のローマの国境をなす川でした。この川の北側がガリア地方、カエサルが属州総督として派遣されていた地です。総督は軍隊を率いる権利がありますが、それは属州内限定の軍隊であり、ローマに帰る前、ルビコン川を渡る前に軍隊を解散しなければいけない、という法律がありました。これを破って、ルビコン川を軍隊を率いて渡ることは国家の反逆者となることを意味していました。

カエサルを排除したい元老院から「元老院最終勧告」(いまだとなんでしょうね。破防法適用とか国家反逆罪適用とかかな)をうけたカエサルは元老院にひれ伏すか反逆するかの二者択一を迫られ、反逆を選びました。それが「ルビコン越え」です。軍隊を率いてルビコン川を超えたところで本書は終わります。

ということはリーマンショック・コンフィデンシャルの政府融資の意味とは、アメリカではまず許されない絶対の禁じ手をやむに已まれず使うことになった、という意味での「ルビコン越え」だったのですね。あの本では当時の雰囲気として政府支出=社会主義=忌むべし忌むべし!という論調が支配的だったように書かれていますので、相当な決断だったということなんでしょうね。日本だとあっさり金使われて終わりになりそうですけれど。

気になった言葉たち

今回も目白押しです。

 ラインとドナウの両大河を視野に入れたカエサルによって、ヨーロッパの形成ははじまったのである。小林秀雄も書いている。「政治もやり作戦もやり一兵卒の役までやったこの戦争の達人にとって、戦争というものはある巨大な創作であった」。ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。そして、創作した。だが、キケロに代表される首都ヨーロッパの知識人たちは、これもカエサルの私利私欲の追求としか見なかった。先見性は必ずしも、知識や教養とはイコールにはならないのである。

後のヨーロッパの基礎を作ったともいえるカエサル。彼が平定したガリア地方は、そのまま現代フランスの土壌なりました。道なき道を行くものは必ず理解されないという常道を示す記述です。

 スレナスの死とともに、らくだと軽装騎兵を組み合わせた独創的で効果的な戦術を、パルティア人は忘れてしまう。考案者が死ねばその人の考案したことまで忘れ去られてしまうのは、オリエント(東方)の欠陥である。オチデント(西方)では、人は死んでもその人の成したことは生き続ける場合が多いのだが。

スレナスとは現在のイランに相当する国家パルティアの貴族です。独特の戦術で三頭政治の一角クラッススを死に追いやりましたが、彼の名声をおそれるパルティア王オロデスによって殺されました。ローマやギリシャの文化が今日まで詳細に伝えられているのは、文字の力に負うところが大きいと思います。東方には文字文化がなかったのでしょうか?ここではざっくり「欠陥」と切り捨てられていますが、ここまで言い切っていいのかどうか私にはまだわかりません。

 われわれシビリアンは、軍人たちが隊列を組む訓練や規則正しい行進に執着するのを笑いの種にすることが多いが、これはもの笑いにするほうがまちがっているのである。隊列が乱れていては、行軍でも布陣でも指令が行き届かないおそれがある。可能な限り少ない犠牲で可能な限り大きな成果を得ることを考えて、軍隊は構成され機能されねばならない。

ごもっともです。軍隊には必ず必要なことでしょう。自衛隊や海外の軍隊の隊列を見てみたいと思いました。しかし小学生や中学生に隊列を組ませる今の教育はどうかと思います。

 多国籍軍は、そのうちの一国の力が他を圧倒していてこそ、指揮系統も統一され、それゆえに十分に機能できるのである。

NATOのことでしょうか

ガリア連合軍が崩壊の危機にあるときを評した言葉です。

 私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、舞台に上がって後の出来具合で定まるという点において。舞台に上がる前に十割決まっていないと安心できないのは、並の指揮者でしかないと思う。先頭も演奏に似て、長い準備のあとの数時間で決まる。

戦闘も指揮もやったことがないので分かりませんが、コンサートで発表するとか、試合に出るとか全く同じ事が言えそうですね。試験なんかもそうかもしれません。カエサルは5万人で34万人のガリア連合軍と戦って勝ちましたが、彼の場合は戦う前から7割方勝負が見えていたそうです。

 しかし、人間誰でも金で買えるとは、自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。非難とは、非難される側より非難する側を映し出すことが多い。

今回一番ぐっときた言葉です。

クリオという護民官が元老院からカエサル派に寝返った時、元老院は「クリオは金で買われた」と非難しました。しかし実際の所クリオはカエサルの真摯な説得に応じたのであり、既得権益すなわち金が惜しい人間の多い元老院の内情を逆に鮮明にした、と筆者が考えて書いたと思われます。非難している人間を見たときや、自分が誰かを批判したいと考えてしまったとき、必ず思い返したいと思います。その非難はおまえのことじゃないか?

 

 

 

 

関連書籍

本書で言及されているフランスのガリア人パロディ漫画「アステリックス」は、次のサイトで全作品がダウンロードできます。フランス語版ではなく英語版です。

Asterix complete set : Free Download & Streaming : Internet Archive


書籍レビュー: 私益から他益、公益に至る『ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)』 著:塩野七生

★★★★★

 

カエサル特集の6冊中2冊目です。虚栄野郎ポンペイウス、カエサルが大き過ぎてつぶせない大口債権者クラッススと「三頭政治」を結んだカエサルは、最高権力者執政官に当選し数々の改革をしたのち、現フランス・スイス・ベルギーに相当するガリア地方の平定に向かいます。8年に渡るガリア遠征は彼が自ら「ガリア戦記」を記し、文学的にも一級品である一次資料となって現存しています。本巻と次巻は大部分が「ガリア戦記」を基にしているようです。

私益から他益、公益へ。などなど

気になった個所を引用していきます。

 だがカエサルという男は、「女」や「金」の項でも如実に示されたように、一つのことを一つの目的でやる男ではないのである。

 つまり、私益は他益、ひいては公益、と密接に結び付く形でやるのが彼の特色である。なぜなら、私益の追及もその実現も、他益ないし公益を利してこそ十全なる実現も可能になる、とする考えに立つからである。

この一説は最も感銘をうけました。現代に我々ができる私益から公益の実現とは、積極的な経済活動に他なりません。消費意欲が減退すれば貨幣の流通速度が落ち、不景気となり雇用も賃金も減ります。カエサルはビジネスをやって借金をチャラにし、しかも南仏の経済活動を活性化させてローマの商人に力を付けさせたでかすぎる男でした。

本書とは関係ありませんが、私もそう思います。一千万くらいお金を貯めたら、何かビジネスをやってみたいものです。

 私は、諸々のことをくっつけながらも、カエサルの叙述の仕方、ないし彼の肉声に、可能な限り近づこうと努めるだろう。なぜなら、私の書こうと試みているのは、カエサルという人間である。そして、人間の肉声は、その人のものする文章に表われる。

私の書く文章は、どのような人間性を他人に与えているのでしょうか。

 敵地で闘う総司令官にとって最も直接的な課題は、戦闘指揮とほとんど同じ比重をもつ重要さで、兵糧確保がある。戦争は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるのである。戦争が死ぬためにやるものに変わりはじめると、醒めた理性も居場所を失ってくるから、すべてが狂ってくる。

この観点から行けば、神風特攻隊は最も不合理な戦闘方法だったことになります。実際、彼らの命中率は1割に満たなかったと言います。そりゃあ兵士は生きたいです。私が戦地に行ったとしたって絶対に生きたい。

 ローマ人は、その中でもローマ人であることを強く意識するカエサルは、誓約をことのほか重要視する。多神教のローマ人だから、神との契約ではない。人間同士の制約である。たとえ異人種でも対等の人間と認めるがゆえに、交わされた誓いを信ずるのである。武士に二言はない、という言葉を持つ日本人の方が、一神教的な契約になれた欧米人よりも、ローマが重要視した人間同士の誓約にこめられた心情をよりよく理解できるのではないかと思う。

確かに神のもと平等、というよりも人間と人間が平等であるとした方が、日本人としては理解しやすいです。しかし、お互いの精神の高潔さが要求されるという欠点があります。戦国時代なんか裏切りの連続ですし、ヨーロッパが人間の上位概念である神を必要としたことにはそれなりに合理性があるんじゃないかな、とも考えます。

現に、カエサルは裏切りに厳しく、裏切ったガリア人の部族を全員死刑にしたり毎回厳罰に処しています。人間と人間の誓約はきびしいものです。

 カエサルは、プロパガンダの重要性を、当時では他の誰よりも理解していた男だった。なぜなら、「人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色を付けた形で信じてしまう」からである。

きをつけます。

「あの人が、金の問題で訪れた連中相手にどう対応するかを目にするたびに、わたしの胸の内はけいいでいっぱいになるのだった。それは、あの人がカネというものに対してもっていた、絶対的な優越感によるのだと思う。

 あの人は、カネに飢えていたのではない。他人のカネを、自分のカネにしてしまうつもりもなかった。ただ単に、他人のカネと自分のカネを区別しなかっただけなのだ。あの人の振る舞いは、誰もがあの人を支援するためだけに生まれてきたのだという前提から出発していた。わたしはしばしあ、カネに対するあの人の超然とした態度が、債権者たちを不安にするよりも、彼らにさえ伝染する様を見て驚嘆したものだ。そういうときのあの人は、かの有名な、カエサルの泰然自若、そのものだった」

旧東ドイツの劇作家ブレヒトによる作品中「カエサル氏のビジネス」におけるセリフです。まるで経営者がこうあらねばならないという理想形を示しているようです。

もしカエサルが現代に降臨していれば、ITベンチャー企業からグローバル大企業に成長するグーグル、フェイスブック、アップルのような企業を作ったに違いありません。

今回の紹介は引用ばかりでした。単行本版の1/3の量しかないというのに、感銘を受けた記述の多かった1冊でした。

 

 

関連書籍

つーわけで原著も読んでみたいですね。

ガリア戦記 (講談社学術文庫)

ガリア戦記 (講談社学術文庫)

 

 

 リーダーシップについて。

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

 

 

残念ながら彼とビジネスを関連付けた本はブレヒト氏のものしかないようですね。 しかも貴重書で高い。図書館にもないようです。

ユリウス・カエサル氏の商売 (1973年) (モダン・クラシックス)

ユリウス・カエサル氏の商売 (1973年) (モダン・クラシックス)

 

 

おお、洋書かつkindleなら安いぞ!来年発売だけど、買っちゃおうかな。。

The Business Affairs of Mr Julius Caesar (Methuen Drama)

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書籍レビュー: 第三の思考!?『自閉症の脳を読み解く―どのように考え、感じているのか』 著:テンプル・グランディン

★★★★★( ✧Д✧)パターン!

 

テンプル・グランディン(1947-)さんの本は初めて読みます。

彼女は最も成功した部類の高機能自閉症者です。動物学博士号持ちの学者さんで、家畜が苦しまないようにという思いで「締め付け機」を開発し、北米の肉牛は彼女が開発した装置で処理されているそうです。この機械にはかなり思い入れがあるようで、本書でもあちこちで断片が登場します。彼女の著書は邦訳本だけでもかなりの数が出版されていますし、映画も出ています。

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この本を読んで彼女のファンになったのでいずれ絶対に見ます。

本書はタイトル通り自閉症を脳科学を中心に語る本ですが、彼女の自伝的な記述や、自閉症の歴史、自閉症者がどのようにして発達していけばよいか、などその話題は多岐に渡ります。

精神分析から脳科学へ

自閉症診断については、ここ数十年で大きな変化がありました。カナーとベッテルハイム(特に後者)が自閉症の権威者であった20世紀中~後期は、自閉症の原因の半分くらいは「親の愛情不足」が原因とされていたそうです。その背後にはなんでも親のせいにしてしまいがちな精神分析論があったようです。ベッテルハイムに至っては親が子供を虐待すると自閉症になるとまで言っていたそうです。

しかし精神分析の大家フロイトは、精神分析はいずれ生物学的分析にとってかわられると予言していたそうです。彼は

「われわれの心理学的な暫定仮説はすべて、いずれは有機的担体という土台の上に基礎づけられるべきであることを、想い出さねばならない」

なんて言ってたそうです。精神分析は科学が進歩するまでの一時しのぎに過ぎないと彼は考えていました。そして、脳科学の発展の現時点での成果が、本書に記されています。

2008~2010年にニューヨーク市コロンビア大学医療センターの機能的MRI研究センターにて、上側頭回(じょうそくとうかい、発話の音を意味のある言語に処理する聴覚系の部位)の機能的MRIスキャンを受け、その活性化を測定しました。その結果、自閉症の被験者15人+対照群12人のうちから、14人を自閉症と判定することに成功したそうです。まだ精度は100%ではありませんが、脳を検査することで自閉症の「バイオマーカー」を見つける技術は、すでに発明されているそうです。

グランディンは典型的な視覚優位の人で、建物を見ただけで設計図を書くことができてしまうそうです。彼女は脳をスキャンした結果、さまざまな領域を繋ぐ白 質錐体路というところの接続が過剰であり、視覚野に繋がる回線の数が多いため視覚記憶が優れている証明されました。しかし過剰はどこかの欠乏とトレードオフです。彼女は左側側室が右側側室よりも50%以上長いため、頭頂葉が圧迫され、作業記憶(ワーキングメモリ)が妨害され、身体の動作や同時に作業をこなすことが苦手だそうです。自閉症患者は大抵の場合脳の大きさがアンバランスであるため、脳の検査によって自分の特性を正確に知ることが期待されます。

自閉症者と感覚処理問題

テンプル・グランディンさんは「予想していない大きい音」が突然聞こえることに弱かったそうです。例えば、いつ割れるか分からない風船。これを読んで、私がRPGをプレイできなかったことと全く同じである、と知り大変驚きました。

そういえば風船は苦手でした。想い出せば他にもあります。私は雷が苦手です。いつ光るか分からないからです。小さい頃は雷が鳴ると必ず布団や座布団を顔にかぶせて目をつむっていました。今は目をつむるほどではありませんがやはり苦手です。

携帯電話の着信音やバイブレーションも苦手です。特に、メールを送信した後、必ず短い時間の間に返信が返ってくることが分かっている場合です。近いうちにおきる、大きな音や皮膚への刺激が嫌なのです。なので私はメールを送信した後、必ず携帯電話を離して置いたり鞄に突っ込んだりします。現在の話です。

出会った人の中には、耳に入ってくる音がだんだん大きくなったり小さくなったりして、接続不良の携帯電話で話しているように聞こえたり、花火の大音響のように聞こ えたりするという人がいた。体育館に行きたくないのは、スコアボードのブザーの音が板だからだという子供もいた。母音しか口に出せない子供もいたが、おそらく子音が聴き取れなかったのだろう。こういう人々のほぼ全員が自閉症で、蓋を開けてみれば、自閉症の人の10人中9人が、1つ、あるいはいくつかの感覚処理問題を抱えている。

残念ながら感覚障害はほとんど研究されておらず、脳のどの部分が関わっているのか、自閉症だとなぜ感覚障害がおきるのかはほとんど研究されていないそうです。しかし、自閉症者に感覚障害、特に視覚や聴覚の過敏、アンバランスが存在することはほぼ間違いないらしく、グランディンは興味深い持論を展開していきます。第四章に詳しく書かれています。

個人的には感覚過敏はとくに精神的に不安定な時期に一層過敏になるという実感があります。ごく小さい頃と、最も危機的だった20代前半にひどく炊飯器から発せられる電子音も我慢できないほどでした。逆に、過敏であることが精神的に不安定さをもたらすのかもしれませんし、研究が待たれるところです。

第三の思考「パターン思考」

もうひとつ面白い仮説がありました。「3種類の思考仮説」です。一般的には、思考は「言語思考」「視覚思考」の2パターンがあると考えられています。言語が左脳、視覚は右脳が担当するということはよく言われますね。グランディンは先に述べたように視覚思考の人間です。しかし彼女は自閉症の研究を続けるうちに、もう一つの思考パターンがあるのではないかと考えました。それは「パターン思考」です。

例えばプログラミング。

シリコンバレーのあるIT関連企業で講演をした後で、どうやってコードを書くのか社員の何人かに尋ねた。プログラムのツリー構造全体を実際に思い浮かべ、それから、頭の中でそれぞれの枝にひたすらコードを打ち込むという返事が返ってきた。パターン思考者だ。

私はプログラマーですが、まさにこの通りです。一度プログラム構造さえ考えついてしまえばあとは単純作業ですので、音楽やら外国語リスニングやら「ながら」で作業することも楽々なのがプログラマーのいいところです。バグが出たときは構造の考え直しですので無理ですけど。

円周率を22514桁暗唱したダニエル・タメットは外国語の習得も得意だったそうです。

タメットは、たとえば、ドイツ語を独学で学んでいる時には、「小さくて丸いものは『Kn』で始まることが多い――Knoblauch(ニンニク)、Knopf(ボタン)、Knospe(つぼみ)――」ことに気づいた。長くて薄いものは「Str」で始まることが多く、たとえばStrand(海浜)、Strasse(道路)、Strahlen(光線)がある。パターンを探していたというのだ。

ドイツ語は私も鋭意勉強中ですので、大いに参考にします。そういえば、私は「試験」が得意でした。いずれ振り返りで書くつもりですが、「試験」というパターンが私に「合って」いたのです。大学入試では明らかに他人よりも少ない時間の学習で簡単に高得点を取ることができ、のめりこみました。ただしそれは今思えば、問題のパターンを覚えていったにすぎず、学問の本質など全く理解していませんでした。ただ闇雲に問題の数を解きさえすれば、本質が分からなくたってテストで点数を取るのはカンタンでした。今思えば、この表層的なパターン抽出への過剰適応が、大学に入った後に矛盾を起こしてしまうことになったのだ、と本書を読んで結論付けることができました。これはまた後日考察と共に詳述するつもりです。

社会スキルも大事だよ!!

グランディンは自閉症の特質をうまく生かせば、活躍の場は開けていると述べます。なんとも希望の持てる内容ですが、そのためには脳の特性を早期に知り、適切な教育を受けることが必要であると言っています。さらに、就労のためには他人とうまくやるスキルは必須ですので「言い訳をしない」「人と仲良くする」「感情をコントロールする」「マナーに気を付ける」などの基本的社会スキルは大事であるとも語ります。きびしいです。でも彼女の意見に耳を傾けることは、自閉症者にとって大きな力となることは間違いありません。他にも大量の興味深い話題がありましたが面白くてあっという間に読めてしまいました、とても面白い一冊でしたので、彼女の他の著書も読んでみたいですね。

 

 

関連書籍

グランディンさんの本

自閉症感覚―かくれた能力を引きだす方法

自閉症感覚―かくれた能力を引きだす方法

  • 作者: テンプルグランディン,Temple Grandin,中尾ゆかり
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2010/04
  • メディア: 単行本
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我、自閉症に生まれて

我、自閉症に生まれて

  • 作者: テンプルグランディン,マーガレット・M.スカリアーノ,Temple Grandin,Margaret M. Scariano,カニングハム久子
  • 出版社/メーカー: 学研
  • 発売日: 1994/03
  • メディア: 単行本
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動物が幸せを感じるとき―新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド

動物が幸せを感じるとき―新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド

  • 作者: テンプル・グランディン,キャサリン・ジョンソン,中尾ゆかり
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2011/12/21
  • メディア: 単行本
  • 購入: 5人 クリック: 40回
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 数字が得意なタメットさん

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

 

 

本書で紹介されていた、言葉を話さない自閉症少年の話です。読みたいけど和訳が無いので仕方がないから洋書。

How Can I Talk If My Lips Don't Move?: Inside My Autistic Mind

How Can I Talk If My Lips Don’t Move?: Inside My Autistic Mind

 

 

 


書籍レビュー: 野菜を食うか、食わないか。。『栄養素の通になる―食品成分最新ガイド』 著:上西一弘

★★★★☆

読みやすいが公平性に過ぎるか

新生活を始めるにあたってどうしても調べておかなければいけないのが栄養素。いままで家族に任せきりでしたので、一人になるにあたって意地でも不足させたくない要素の1つです。

少し前にこれを読みました。上の本は栄養素だけでなく加齢や乳幼児、病気のことなど幅広いトピックが紹介されており、栄養素も詳しかったので、栄養素の機能としては、本書からはこれと言った新しい知見をほとんど得ることができませんでした。

絵入りで読みやすいのですが、全栄養素についてほぼ等しくページ数を割いているため、情報の過不足があります。ミネラルの紹介のほとんどが「多くの食物に含まれており欠乏はほとんどない」ということで、ページ数を浪費しているように見えます。三大栄養素にもう少しページ数を割いてほしいです。

本書を読んでも食事は玄米+大豆のコンボを中心とすることに変更なさそうなのですが、一番気になっていた、玄米や大豆に含まれるフィチン酸は「鉄の吸収を阻害することが知られていますが、体に良い働きもあるのであまり気にしない方がよいでしょう」「亜鉛は日本の食事で欠乏することはなく・・・考えられるのは・・・穀物や豆類に多いフィチン酸・・・は亜鉛の吸収を妨げる」と気にしなくていいのかするべきなのか分からない記述にとどまりました。亜鉛は全粒穀物、大豆自体にもそこそこ含まれてますので、あまり気にしないでよいかもしれません。

役に立つのは各種栄養分が多い食品をリストしてくれていることです。もうすこしバラエティが欲しいところですが、イラスト入りでは仕方ないでしょう。

貧乏生活に供えていっそ大豆と玄米と少量の野菜だけにするか?とも考えましたが、本書を読んで考えなおしました。大豆に多いn-6系脂肪酸が悪玉コレステロール(LDL)だけでなく善玉コレステロール(HDL)も減少させてしまうことがわかりましたので、脂肪分の補給の必要があります。リスクヘッジのために、乳+卵も摂っておいた方がよさそうです。概算で月+1000円の出費となりますが仕方ないですね。

ビタミンで不足しそうなのは予想通りA、B12、C、そして意外にもB2でした。Aはニンジン又は葉物野菜必須、Cはジャガイモ+ピーマンでいきましょう。本書によると果物の含有量が割と少ないです。ただし、これらは調理なしで食べられるため吸収率が良いということなのでしょう。でも果物は高いので泣く泣くカットします。B12は毎日味噌汁を作る予定ですので、これに煮干しを入れてカバー。煮干5gで1日の必要量を摂取できます。あと海苔。B2は少ないと口内炎になるそうです。私は口内炎は小さい頃しょっちゅう苦しめられてきました。含有量が多いのは乳・卵ですのでやはり外せません。

 

データを補完しながら読む必要がありましたが、これでおおざっぱな食事計画を立てることができました。全粒系穀物はビタミンB群とミネラルに富んでいて助かります。

 

 

関連書籍

巻末で紹介されている中で欲しいものをリストしました。

 

原典。やっぱいりますかねこれ。

日本食品標準成分表〈2010〉

日本食品標準成分表〈2010〉

  • 作者: 文部科学省科学技術学術審議会資源調査分科会
  • 出版社/メーカー: 全国官報販売協同組合
  • 発売日: 2010/12
  • メディア: 単行本
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 いずれ買います。

イラストレイテッド ハーパー・生化学 原書29版 (Lange Textbook シリーズ)

イラストレイテッド ハーパー・生化学 原書29版 (Lange Textbook シリーズ)

 

 

サプリメントも検討しています。バカみたいに安いから。ビタミンA、Cなんか激安です。野菜抜きにして人体実験したい欲望もあります。

サプリメント栄養管理―Nutrition Care with Supplements

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例えば、ビタミンA2500日分 1899円 一粒で10日分 0.76円/日

 

 ビタミンC10000日分 1680円 0.17円/日

【1kg】高品質ビタミンC粉末100%(L-アスコルビン酸)(計量スプーン付)

【1kg】高品質ビタミンC粉末100%(L-アスコルビン酸)(計量スプーン付)

 

 

両方足して1日1円に満たないですね。さすがに腐りそうですけど。どうしよう野菜やめようかな


書籍レビュー: 変身!『ギリシア神話』 訳・編:石井桃子

★★★★★

ここで関連書籍として紹介した「ギリシア神話」です。石井桃子さんは2008年に亡くなった有名な児童文学者・翻訳家です。101歳まで生きてます。

原著はイギリス・アメリカの子供向けギリシア神話本です。

Favorite Greek Myths

Favorite Greek Myths

 

すげーなamazonに在庫あるのか

 

つまり、二重翻訳ということになります。しかし石井さんは文学者の重鎮ですので日本語に全く乱れがありませんさすが。小学校高学年がターゲットとのことですので一気に読めます。

岩波ジュニアの方で解説されていた、頭から誰を生んだだの吐き気がしそうな神々の誕生秘話は根こそぎカットされ、種々の神々や英雄を主人公とした短いお話がてんこ盛りです。富山妙子さんによる必ず横向いてるのが特徴なギリシャ風の挿絵もとてもいい雰囲気を出しています。

ギリシア神話はいわゆる「むかしばなし」ですのでよくある典型的なクエストものの話が多いです。例えば勇敢なヘラクレスを妬んだエウリュステウス王がヘラクレスに12の無理難題を言い渡し、ヘラクレスがあちこちバケモノ退治をして歩く話なんかまんまドラクエとか、ジョジョ第三部みたいな構成です。女神アプロディテの怒りをかったプシュケがあれ取ってこいそれ取ってこいといくつもの難しい仕事を押し付けられるのも、珍しい贈り物を次々と要求するかぐや姫的です。嫉妬、傲慢、勇気、不条理、昔話には物語のテンプレがつまっているようです。

いちばん印象に残った話はエコーとナルキッソスの話です。

エコーはおしゃべり好きなニンフ(女妖精)で、口が滑ってゼウスの妃である女神ヘラに失礼なことを言ってしまいました(何て言ったのか気になる)。ヘラは怒り、エコーを他人が喋った言葉の最後を繰り返すことしかできないようにしてしまいました。エコーはかなしくなって森の奥に姿を隠しました。

あるとき森の中にイケメン・ナルキッソスが現れました。エコーはドキリンコ。この後の物語を石井桃子役でお楽しみください。

ある日、ナルキッソスは、森の中で、友だちとはぐれてしまいました。耳をすますと、木のあいだで、なにかサラサラという音がします。

「だれだ、そこにいるのは?」

と、ナルキッソスがさけびました。

「そこにいるのは?」

と、エコーがこたえました。

「わたしは、こっちだ。おいでよ。こっちへ来る?」

と、ナルキッソスがいいました。

「こっちへ来る?」

と、エコーはこたえました。

そして、エコーは、木のかげからそっと出ていきました。ナルキッソスは、出てきたのが、友だちではなくて、知らないニンフだとわかると、びっくりして、いそいでにげだしました。

エコーは、それからというもの、出あるくことも、人にすがたを見せることも、二度としないようになりました。そして、かなしみのために、からだがだんだんやせほそって、消えてなくなり、とうとう、声だけになってしまいました。

うそーん。

かなしすぎ。

こうしてエコーは英語のechoと同じ存在、山びこになってしまったということだそうです。

さらにこの後、ダブルパンチでナルキッソスの話が続きます。ナルキッソスはナルシスト野郎の語源の通り水面に写った自分の顔に惚れる野郎ですが、実はこれ彼のもともとの性質ではありませんでした。かわいそうなエコーから逃げてしまったことに対して他のニンフ達が腹を立て、復讐の女神に訴えて、ナルキッソスに罰を与えたのです。ナルキッソスには、池に写る自分の姿が、一度も見たことが無いような美しいニンフの姿に見えるようになってしまったのです。

「美しい水のニンフさん、どうか、へんじをしてください。」

ナルキッソスは、たのみました。けれども、水のなかの顔は、けっしてナルキッソスにこたえませんでした。いつかのエコーとおなじように、ナルキッソスの心も、はじめてかなしむことを知りました。あんなに美しかったナルキッソスは、やがて、やせて、あおざめ、見るかげもなくなりました。

エコーの友だちのニンフたちは、それを見ると、ナルキッソスがかわいそうになって、

「女神さま、どうか、あの若者を、もう、ゆるしてやってくださいまし。」

と、また、おねがいしました。

このねがいは、ききいれられました。銀のようにきよらかな池のそばに、ある朝、一りんの花が咲いていました。かなしみにやせほそったナルキッソスは、消えてしまったのです。そして、美しいキズイセンの花になったのでした。

ええー。また悲しみによる変身+喪失。これを読んだときの寂寥感と言ったらなかったですよ。マジで悲しい。現代ドラマやら小説やらではやたらに人を殺して喪失感を演出するわけですが、ここに古代ならではの変身をぶちこまれると喪失にいろどりが加えられて一層引き立ち、心をしめ殺しにかかられます。現代で変身と言って思いつくのはFF4で石になって主人公たちを助けたパロム・ポロムくらいですかね。つってもこいつら復活するしありがたみが全然ないですね。類する話が思いつかない。。

 

他にもホメロス二部作「イリアス」「オデュッセイア」の読みやすい要約版も入っておりこれ1冊で生きたギリシア神話を概観することができます。おすすめの一冊。こども向けではあるものの私がこの本を借りたら出版から8年経っているというのにめちゃんこ綺麗でした。紐しおりも初期状態。つまり誰も読んでいない。これ、全国各地の図書館でホコリを被っているだけの本だと思います。皆さんどうぞ借りてあげてください。そうすれば、この本の中で生きている神々も大喜びすることと思います。

 

 

 

関連書籍

つぎは原著を読もう。

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

 

 

オデュッセイアは彼の10年にわたる帰国譚ですが、これもジョジョ第三部的に次々現れる敵スタンドを倒していく話でした。DIOは自国民です。

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

 

書籍レビュー: 現時点最強の思想入門書か 『ヨーロッパ思想入門』 著: 岩田靖夫

★★★★★(๑•̀ㅂ•́)و✧

 

岩波ジュニア新書すごいっすね。新書ではこれが最強です。

著者の岩田靖夫さんはほんの最近(2015/1/28)に逝去された学者です。本書がヨーロッパ思想の概観書として異色なのは、ギリシャ哲学とキリスト教に全体の2/3というほとんどの紙面を割いていることです。それは著者が、西洋思想はこの2つに大きく根差していると考えているからです。

筆者は、この本の第3部でヨーロッパ哲学のわずかな、しかし重要な節目を歌った。それは華麗な大交響曲からの、筆者の好みによって選びだされた、ほんの数小節である。しかし、それで、ヨーロッパ哲学の本質は伝わると筆者は確信している。

ちなみに第3部はアウグスティヌスやトマス=アクィナスも含まれるので、キリスト以後の思想家は全体の1/4しか記載がありません。

理想的で高慢なギリシャ人

ギリシャ人は理想を追求する民族でした。ギリシャの美しい彫像はすべて同じ表情をしています。ここには、不完全なものは存在として「劣っている」という厳しく高慢な姿勢がありました。ギリシャ神話の神とは、すべて人間が理想としたものの結晶でした。これは逆に、人間を神のようなイメージに持ち上げて賛美しているともとれます。この理想の高さが、普遍的なもの、形相的なもの、理念的なものへの追求へ向かい、豊饒な哲学が生まれたと筆者は書いています。

筆者が西洋哲学の根幹の一つとして紹介しているのがパルメニデス(前515ごろ-450ごろ)の思想です。彼が到達した真理は、「存在の不滅」でした。平家物語的な流れゆきうつろいゆく存在ではなく、単一で超時間的で普遍不動な「存在」が必ず存在する、という主張です。長いですが本書で感銘を受けた所なので、引用してみます。

まず、(論理的に)必然の真理として「あるか、もしくは、あらぬか」という二者択一がある。この二者択一において、「あらぬ」という前提は、あらぬのであるから、前提自身が前提自身の成立を否定している。もちろん、「あらぬ」と発言することはできるが、そのときには無意味な発言をしているのである。ギリシア語で文字通り「あらぬことを語る」というと、「ナンセンスなことを言う」という意味の熟語になるが、無に関する発言はパルメニデスによれば、すべてこの熟語の言うとおりナンセンスなのである。

それならば、二者択一の残る項は「ある」であるが、この「ある」はたんに論理的な前提として立てられているのではなく、絶対の所与として立てられていると言ってよい。この「ある」について、パルメニデスはその誕生を求めてはならぬと言明している。なぜか。まず、「ある」が「あらぬ」(無)から生じたと考えることはできない。なぜなら、いましがた述べたように、「あらぬ」はあらぬのであって、語ることも考えることもできぬ非実在、無意味、虚妄だからである。では、「ある」は「ある」から生じたと考えうるか。否。なぜなら、そのときには、生じた「ある」は「あるでなかった」という自己矛盾が生ずるからである。

「ある」「あらぬ」が複雑に絡み合って頭の痛くなる文章ですが、論旨は明快です。私たちが「ある」「ない(あらぬ)」と日常的に表現している当たり前のような事実がひっくり返されてしまうこの文章は驚くべきものでした。あらぬことはありえない。この後は「ある」の不滅性までもが議論され、単一で不可分な「ある」で全世界がおおわれていく様子が描かれます。おそらくこれがユダヤ・キリスト教的な「神」の存在に繋がっていくのではないかと思われます。前提をどこまでもさかのぼっていける哲学者には憧れるばかりです。

自由とキリスト教

一度新約聖書を通読したというのに、私はキリスト教を絶対神に服従する窮屈な宗教と認識していました。それが大間違いであることを、前書きで突き付けられました。

キリスト教は自由と寛容の宗教でした。神は自己の似姿として人間を創造しました。キリスト教の神は唯一絶対なるものです。ということは、その似姿である人間も一人一人が唯一絶対なるものだということです。ですから、一人ひとりを何らかの普遍的な概念で繋ぐということは、許されません。それは絶対なものであるという定義に反するからです。すなわちアンチクライストとは、全体主義者です。そうか、ヨーロッパの個人主義って、ここから来てたんだ。。なんで気づかなかったんだろう。魅力的なアンチクライストにははみ出し者、個人主義者が多いように思えますが、それは教会的な社会そのものが間違ってるんだと思います。キリスト教、もっと深く知りたくなりました。

ここから、キリスト教の核である他者への愛=他者の自由の尊重のこと、ユダヤ教の偶像崇拝の禁止=自己神聖化の禁止、という思想の帰結であることが分かります。これ、今の私の最大の課題と考えていることですので、このままだとキリスト者になってしまうかもしれません。。いまのところ、無神論ですけれど。

理性=暴力、レヴィナス

最後1/4ではデカルト以後の哲学の展開が描かれますが、筆者がパワープッシュしているのはレヴィナス(1906-1995)です。彼はユダヤ人で、現象学を基礎としつつもユダヤ教の影響を強く受けています。彼の思想で衝撃的なのは理性=暴力であるという主張です。

ヨーロッパの哲学はギリシャの初端以来根本的に無神論であった、とレヴィナスは言うが、それは、ヨーロッパの哲学が基本的に理性に真理の基準をおく哲学であったからである。理性では認識しえないもの、すなわち、根本的に自己とは異質なものを認めない。理性とは同化の力であり、全体化の力であり、それによって自己を貫徹する力であるからである。

私は理性って素晴らしいと思っていました。他者からの肉体的心理的なコントロールに屈することなく、どんなに弱いものでも自ら立つことのできる唯一の力だと思っていました。しかしレヴィナスには、それは異質なものを排除する力、端的にいえば暴力であるのだと言われてしまいました。

だが、この全体化の態度は、じつは、貫徹できないのだ。それは、他者に直面するからである。他者に直面したとき、私は冷水を浴びせかけられ、無言の否定に出会い、自己満足の安らぎから引きずり出される。私の世界が完結しえないことを思い知らされるのである。もちろん、自分の思い通りにならない他者をさまざまな暴力によって排除し抹殺することはできる。しかし、そのような殺人は全体化を完成したのではなく、むしろ、全体化が不可能であったことを証しているのである。

ユダヤ教というよりはキリスト教的思想に見えます。愛、すなわち他者を尊重しなければならない裏付けが述べられています。この記述は、一生涯私を刺し続けるように感じました。人間が人間である以上、他者を完全に抹殺することは不可能と言われてしまいました。このあと、「他者は無限である」というとても跳躍しているようで本質を射抜いた展開がなされます。

さらにこの後、たまたま通りかかった道端で苦しんでいる者を見捨てなかった「善きサマリア人」を人間の本質とし、否応なく他者と関わり責任を負うことが課されているのが人間だ、だって、みんな神から作られている者なのだもの。連帯責任があるよ。というのがラストの結論ですが、さすがにここまでは同意できません。責任を創造論に回収するのはちょっと、私にはできないですね。そんなことよりも自分の生活を第一に考えてしまいます。余裕がある人が責任を負えばいいよ、私にゃ負いきれんよ、と思ってしまいます。

 

私は読書時に小さな付箋を使って感銘を受けた箇所に貼っていき、あとでざっと読み返したりブログの素材にしたりするのに役立てています。この本、付箋を貼った個所が20か所もありました。過去最大です。それだけ、驚かされることの多い本でした。読みにくいヨーロッパ思想書は多いですが、それはあなたの頭が悪いのではなく、著者や訳者の日本語が破壊されているんだと思います。この本は読みやすい上にびっくりすることが多い本でしたので。最初の一冊、座右の一冊、どれにするとしてもおすすめです。私も時々読み返そうと思います。

 

 

 

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