書籍レビュー: 面会まではゆっくりしかし確実に 『子どもに会いたい親のためのハンドブック』 著: 青木聡, 宗像充, 蓮見 岳夫, 共同親権運動ネットワーク

★★★★☆

類書は3冊目です。前2冊と違って執筆者は弁護士ではありません。そのため法的根拠よりも家庭裁判所の実務や「片親疎外」についての記述など、社会学的・カウンセリング的な内容に重点が置かれています。子どもに会えない親が初めて読むならこの本が最も適当でしょう。

片親疎外とは

狭義には、両親の離別をきっかけに、子どもが別居親に対してだけ強い拒絶反応を起こすことを指します。これは

・同居親が自分の意向(別居親への嫌悪感や恐怖感)を子どもに刷り込むことと

・子どもが同居親に嫌われないために親の意向を「察知」して行動すること

この2つの無限ループによって増幅されます。前者は当然起きるとして、後者は子どもにとっての暴力にほかならないと考えます。「子どもが会いたくないと言っている」という論理の欺瞞がここにあります。

「片親疎外」は広義には、子どもと別居親の面会交流が、子ども本人あるいは同居親+その親族によって、正当な理由なく拒絶されている状況全般を指します。狭義と意味違い過ぎるんとちゃうんかとツッコみたくなりますが本書全体ではどちらかというと広義の意味でつかわれることが多いです。狭義の「片親疎外」は本書では「片親引き離し症候群(PAS)」と呼ばれています。PASはDSM-5にも記載されておらず社会的な地位はありません。いち社会学的現象のような扱いです。

アメリカでは1970年代に離婚やPASが社会問題となり、映画(クレイマー・クレイマー)もできました。フランスに至っては2週間以上の面会拒否が軽犯罪法の対象だそうです。

日本は面会拒否に罰則がありません。西洋個人主義の伝統を汲むアメリカ・フランスと一概には比較できませんが、日本は単独親権主義、すなわち親権がない人間が法的にヨソモノ扱いされる先進国では稀有な国家です。人々の意識も同様に、別居親=もう関係ない人となりがちです。別居親にとっては最悪の環境の中、本書はどのようにして子どもにアプローチしていくのでしょうか。

まず生き残りましょう

別居親はショックや失意から仕事ができなくなったり生活もままならなくなりがちです。まず次の3点を基礎にしましょう。

・「子どもと会うためにできることをする」という気持ちをはっきりとさせる

現状を受け止め自分を変化させ、子どもに会った時に良い状態でいるためのイメージを作りましょう。

・ストレスに対処する

ストレスはあって当たり前です。体力をつけ、心療内科の力も借りましょう。

・経済的に安定する

子どもに安定的に会うためには生活を安定させることが第一です。面会にはコストもかかります。弁護士費用がかかることもあります。

面会交流の調停を申し立てましょう

「試行的面会交流」などというかなりうっとおしい名前がつきますが会えないよりマシです。PASの影響で子どもに激しく拒絶される可能性もありますが、覚悟しましょう。激昂しないで無償の愛情を注ぐ姿を示しましょう(きついなー)。ただし、嘘を吹き込まれている場合は冷静に毅然とした態度を示しましょう。第三者に事実を伝えてもらうなどして、他の人間の助けを借りましょう。

会えなくてもアプローチしましょう

調停を申し立てても無視される可能性があります。それでも手紙やメールを送り続けましょう。重要なのは、手紙やメールのコピーをファイルなどに保管しておくことです。同居親やその親族が、おしんの清バーさんの如く手紙を密かに破棄するなどして子どもとの連絡を絶つことは多いです。しかし手紙やメールを送ったという事実が、将来運よく子どもに会うことができたときにその効力を発揮するでしょう。また、裁判所などの第三者の評価を必要とする時にも力になります。

フェイスブック、ブログに子供宛の日記を綴る、子ども用の通帳を作って貯金しておくなどという方法も紹介されています。

第三者の助けを借りましょう

大都市には別居親の自助グループがあります。インターネット上にもグループがあります。ぜひ活用しましょう。



 

なお巻末で、同居親(父親)が再婚したために1年半引き離された別居親(母親)の交流開始の体験記が記されています。弁護士の助けを借りてやっとのことで会えたそうです。文章から彼女の苦労がしのばれます。交流が実現しても、父親の妨害行為は「お母さん」と呼ぶことを禁じる、本人が言っていないのに「会いたくないと言っている」など種々に及んでいます。ゲスですね。

 

 

関連書籍

 

片親疎外について

離婚毒―片親疎外という児童虐待

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 クレイマー、クレイマー

クレイマー、クレイマー [SPE BEST] [Blu-ray]

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クレイマー、クレイマー コレクターズ・エディション [SPE BEST] [DVD]

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面会交流シリーズはいったん一区切りです。


書籍レビュー: 面会交流を拒む親は親権者としての適格性に疑問あり『男の離婚術 弁護士が教える「勝つための」離婚戦略』 著:マイタウン法律事務所

★★★★☆

 

次は男側がどれだけ手を尽くして妻を追い出すか調べようと思って借りたのですがどちらかというと「浮気してものすごく立場が悪くなったんだけどできるだけ被害を少なくして離婚したい」という立場から書かれている本でした。ですので拍子抜け、目的は果たせませんでしたが、しかしいくつか有用な記述もありました。

公正証書は執行力がある

離婚協議書を普通の文章で作成すると、履行されない時は調停→裁判→強制執行という手順を踏む必要がありますが、公正証書で作成するとなんと即!強制執行が可能です。(P30)

調停委員は退職者ばっかり

てっきり法曹関係者で構成されていると思っていた調停委員は、弁護士10.9%、会社役員9.7%、その他士業16.9%、そして無職41.6%でした。なんだ無職って!?と思ったら年齢構成が50代24.6%、60代69.4%なんですね。つまりほとんどが退職した高齢者というわけです。(P46)

親権ってそもそも何?

親権とは、未成年の子どもを監護、教育し、その財産を管理するため、子どもの父母に与えられた権利と義務の総称です。(P173)

つまり著作権のような様々な権利の束である、という性質のもののようです。そして上記のように監護権は親権の一部でもありますが、親権から分離して別々の親に与えることが可能だ、ってことがわかりました。

面会交流を拒む親は親権者としての適格性に疑問あり

本書で一番驚いた記述です。この論法は使えます。

 しかし、それまで一緒に生活してきた父親に「会わせない」とか「1か月に1回くらいなら会わせてやる」というのはずいぶんと酷い話ではないでしょうか。離婚前であれば、その時点では共同親権者なわけですからなおのことです。妻がこどもを連れて一方的に別居を開始したケースであれば、なおさら不当な扱いと言わざるを得ません。

 さらにいえば、親の都合で父親と離ればなれにされてしまった子どもにとっても、その後、父親とほとんど会えなくなるのはよいこととは言えないでしょう。

 面会交流の実施に、母親にとって前述のような負担(注:元夫と顔を合わせなくないということです)があることは、子どもと父親との交流に消極的になる理由にはなりません。親権者として子どもの面倒をみる責任を引き受けたのであれば、面会交流に伴う負担も当然引き受けなければいけません。また「子どもが父親に会いたくない」と言っているという理由で面会交流を拒むとすれば、子どもを強い葛藤に追い込んでいる疑いが濃厚と言えます。いずれにせよ、親権者としての適格性に疑問を持たざるを得ない対応と言えます。

目から鱗の論理でした。私は「父親」と「母親」を逆転させて読んでいますが、十分通用します。男の方は浮気やDVしたんだからダメだろ―バカだなぁと思うのでした。

面会交流を拒まれたら記録にして残すこと

上記の「親権者としての適格性に疑問」を立証するためには証拠が必要です。そのため本書ではメールなど記録が残る媒体で面会交流の依頼をしたり、相手に弁護士がついていたら弁護士に文章を作らせるように依頼するよう推奨しています。また、文章を拒まれた場合でも次のように詳細に記録をつけておく戦略も書いてありました。

f:id:happyholiday:20160117221642j:plain(P190)

なるほどなぁ。

 

本文とはあまり関係ありませんが巻末の養育費算定表(年収と子どもの数にほぼ比例)を見たら私は一般的相場の4倍以上払っていることが分かりました。自慢できそうです。

 


書籍レビュー:じゃあ男がクソだった場合はどうすればいいんだよ『離れていても子どもに会いたい―引き離された子どもとの面会交流をかなえるために』 著:小嶋勇

★★★★☆

 

先に断っておくと、私の話ではありません。いやもちろん私も会いたいですけど、私の話ではなく、身近な人間のために調べていることです。

 

日本では離婚した夫婦に子があった場合は、離婚後は共同親権をとらず単独親権を採用しています。つまり父か母のどちらかが親権を独占します。親権を得られなかった親は子に対する権利を失います。

日本では「追い出し離婚」といって夫が密かに離婚届を提出し、気に入らない妻を追い出し締め出してしまうことが横行していました。今では離婚届の不受理制度というものが導入されたらしく(詳細については書いてありませんでした)このようなことは原理的には不可能となったらしいですが、それでも強制的に協議離婚にサインをさせれば似たようなことは可能です。いわば「外様」となってしまった元配偶者は子に合わせてもらえなくなったり、面会の希望を出しても一々理由をつけて断られるとなどということは日常茶飯事です。

本書はDV法を使用して妻に締め出された夫についての話が大部分を占めますが、正直な話、夫側の主張はどれも粘着質でお前それだから出ていかれたんちゃうんかと言いたくなるような例ばかりです。

しかし逆のパターン、夫が妻を追い出す「追い出し離婚」の例は深刻です。何故なら男はアホなので暴力や恫喝に訴えて相手を支配する生き物だからです。体裁は協議離婚という形をとりつつ、脅迫して無茶な内容の取り決め書にサインさせられます。また男の方が経済力を握っていることが多く、カネに物を言わせて弁護士も雇うこともできます。

 

以下は個人的メモとして残しておきます。

監護親が再婚すると親権の変更ができない

そもそも、離婚後、子どもが再婚相手と養子縁組をするに際し、非監護者・非監護親の同意は不要とされている上、家庭裁判所の「実務」では、離婚後、再婚相手とこどもの養子縁組がなされた場合には、もはや非親権者・非監護親には、親権者変更の申立ては認められないとされている(P99)

別れた元夫が妙に再婚を急いでいると思ったら、上記の「実務」目当ての知恵を弁護士に吹き込まれてると思った方がいいでしょう(そんな理由で再婚するのはクソだけど)。

面会交流が親の権利である根拠

東京家庭裁判所1964年12月14日審判

親権もしくは監護権を有しない親は、未成熟子と面接ないし交渉する権利を有し、この権利は、未成熟子の福祉を害することがない限り、制限されまた奪われることはない。」

 

子どもの権利条約第九条 (日本では条約は法律より上位の規定です)

一 締約国は、児童がその父母の意志に反してその父母から分離されないことを確保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として摘要のある法律及び手続きに従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りではない。このような決定は、父母が児童を虐待し若しくは放置する場合又は父母が別居しており児童の居住地を決定しなければならない場合のような特定の場合において必要となることがある。

三 締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する

 

平成24年改正民法766条

第1項 父母が協議上の離婚をするときは,子の監護をすべき者,父又は母と子との面会及びその他の交流,子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は,その協議で定める。この場合においては,子の利益を最も優先して考慮しなければならない

(太字部分は平成24年改正前には存在していなかった文言です)

 

なお、著者は一方の親が他方の親に面会を認めないことは憲法24条にも違反するとの見解です。

第二十四条 

第一項

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

第二項

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

筆者はまず、子どもの利益が最優先されるべきであるという原則から、面会交流はこどもの権利であるとします。こどもの権利は親の義務です。そしてそれは、監護親の非監護親に対する義務でもあると主張します。それは憲法24条の「夫婦両当事者の個人の尊厳と本質的平等」に合致するものだ、というわけです。引用します。

 ここであらためて指摘すれば、離婚後の親権者・監護者の指定と監護者とならなかった親とこどもとの面会交流は関連して論じられるべきです。そして、共同親権・共同監護に変わる方法として、親権者と監護者を両親に別々に帰属させるということ、その上で、現在の民法を前提として、離婚後の監護者を一方の親に指定した場合、当然の権利として、監護者とならなかった親と子どもとの面会交流が保証されなければなりません。以上が、憲法24条の趣旨に基づく、夫婦両当事者の個人の尊厳と本質的平等に則っていると評価できるのです。

日本では共同親権・共同監護の制度はありませんから、せめて親権と監護者を別々にしないか、という提案もしています。すごいですね。でも暴力夫はそんなもん認めるわけありません。家庭裁判所の実務でも、面会交流が非監護親に対する義務であるなんて全く考えていないらしいです。

ではどうすればいいのか。本書は残念ながらその答えを全く提供してくれませんでした。まだまだ他の本を調べる必要があります。

 

 

関連書籍

次はこれですね。私が知りたいのは夫が妻を追い出した場合です。はたして書いてあるのでしょうか。

子どもに会いたい親のためのハンドブック

子どもに会いたい親のためのハンドブック

  • 作者: 青木聡,宗像充,蓮見岳夫,共同親権運動ネットワーク
  • 出版社/メーカー: 社会評論社
  • 発売日: 2013/01
  • メディア: 単行本
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書籍レビュー:わたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである『ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(上)』 著:塩野七生

★★★★★

 

舞台は紀元前49-44年。ルビコン川を超え国賊扱いとなったカエサルと、かつての盟友で反カエサルのためにかつがれてしまったポンペイウスとの戦いがメインとなります。カエサルは50-55歳。カッチョ良さが肌に刻み付けこまれた後の年齢です。

まとめ

ガリア地方(いまのフランス・スイスの相当)を平定したものの、ローマ国内の反カエサル派の台頭により、軍隊を解散しないでローマに戻れば失脚は確実となったカエサルは、軍隊を率いたままルビコン川を超えてローマを目指します。反カエサル派の代表となったポンペイウスはあまりの電撃作戦に驚きローマを放棄し、ギリシャまで逃げ自分の地盤である地中海の経済力を生かして打倒カエサルを目指します。

スペイン、北アフリカでの戦闘を経て最終決戦上はギリシャのファルサルス。兵力はポンペイウス5万4千(うち騎兵7千)、カエサル2万3千(うち騎兵1千)。しかもポンペイウスのもとにはかつてのカエサルの戦友ラビエヌスが参戦しているという絶望的な戦力差です。Zガンダムで例えるとなぜかクワトロがハマーンの元に去りアクシズ側に寝返ってるわキュベレイが7体いるわガザCの数がジムIIの2倍以上いるわというような状況です。わかりにくいですか?ごめんなさい。

主戦力の非戦力化

ファルサルスの戦いのテーマはまたも「主戦力の非戦力化」でした。ポンペイウスにはラビエヌス率いる機動力の高い騎兵7千という怖い怖い戦力がいます。こいつらに背後を取られた瞬間オシマイです。

カエサルは考えました。「じゃあ、騎兵を囲めばいい」彼はガリア戦記をともに戦ったベテラン歩兵2千を騎兵にぶつけ、身動きを取れなくして見事「主戦力の非戦力化」に成功し勝利を収めました。

ローマ人列伝:ポンペイウス伝 4 – 浅草文庫亭

百戦錬磨のシャア百式に大量のジムIIをぶつけている間に背後からリックディアスが援護射撃するようなもんですね。かなり無謀ですが成功させちゃったんだからすごい。ラビエヌスは逃亡に成功した後の行方は分かっていませんので、後日また出てくるのだと思います。ポンペイウスは逃亡先のエジプトで厄介者扱いされてあっけなく殺されます。このエジプトでお家騒動の真っ最中だったのが、あのクレオパトラなのです。次巻以降の主要人物になること間違いありません。

気になった言葉

カエサル「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている」(P36)

カエサルは捕虜を一切殺しませんでした。ポンペイウス側に立って戦った人間も全員釈放しました。ローマの内戦であるという特殊な状況もあり、極力人を殺さないことを第一に考えていました。彼が釈放した人間の中には、後にカエサルを暗殺することになるマルクス・ブルータスも含まれていたのです。

高潔な考えだと思いますが、最後の一文だけは同意できません。他の人々は変えられないです。しかしカエサルは変えられると確信していたのでしょう。しかも有言実行、本当に人を変えていく人でした。すごい人物です。

…まことに不利な情勢になったということであった。このような状態になった場合、人は二種に分かれる。第一は、失敗に帰した事態の改善に努めることで不利を挽回しようとする人であり、第二は、それはそのままでひとまずは置いておき、別のことを成功させることによって、情勢の一挙挽回を図る人である。カエサルは、後者の代表格と言ってもよかった。(P123)

私もこう生きたい。発達障害に置き換えると、第一の方法は不毛ということが身に染みています。

カエサル「人間は、自分が見たいと欲する現実しか見ない」(P285)

『内乱記』の一節だそうです。カエサルは箴言を多く残しています。

ただし、クレオパトラの方がそれを、自分の魅力のためであったと思いこんだとしても無理はなかった。女とは、理によったのではなく、自分の女としての魅力に寄ったと信じる方を好む人種なのである。(P291)

塩野さん女だからって女見くびり過ぎちゃいます?これはさすがにないと思います。

 

次巻は目次によるとカエサルの行った改革についての話題が中心になるようです。全巻制覇するまではまだ1年以上かかりそうですね。

 

 

関連書籍

 つうわけでこれは必読ですね。必ずいつか読みます

内乱記 (講談社学術文庫)

内乱記 (講談社学術文庫)

 

 

エジプト関連

アレクサンドリア (ちくま学芸文庫)

アレクサンドリア (ちくま学芸文庫)

 

書籍レビュー: 日本語使いは空気読まないと死ぬ『日本語学入門』 著:近藤安月子

★★★★☆

 

新年3冊目です。このペースでは年100冊に到達できるかどうかギリギリですね。

から九時まで五時です

私は日本語が上手ではないという自覚がありますので、日本語に関する本をいくつも読んでいきたいと思っています。外国語学習が趣味なので、言語をシステマチックに分析するのも大好きです。そんな欲望を満たすのにうってつけなのが外国語学習者が手に取る日本語学習本です。日本人だとアタリマエに思っていることは外国人からするとすべてアタリマエではないということが分かります。

例えば英語圏の人がよくやる間違いは次のようなものだそうです。

郵便局は、から九時まで五時です。(P2)

これは”The post office is open from 9 a.m. to 5 p.m.”をそのまま訳したことによる間違いです。でもなぜだめなんでしょう?語順を変えて「郵便局は、九時から五時までです。」なら問題ありません。文の要素は全く同じなのに上の例だと文になりません。これは日本語が後置詞型言語といって、「から」や「まで」などの接続詞を名詞のあとに持ってくる言語だからだそうです。英語は逆にfrom~やto~などを名詞の前に持ってくる前置詞型言語です。そういえば学校では後置詞なんて習いませんでしたね。

日本語は活用形多すぎ

外国人から見た日本語、のように日本語を客観的な学問の体系として組み立てた「日本語学」は私達が中学校で習う文法とはいくつか違いがあります。

例えば形容動詞。「きれいだ」「元気だ」など「だ」がついたことで私達を惑わせたうっとおしい品詞でしたが、日本語学に形容動詞は存在しません。日本語学では

「名詞+だとほぼ同じじゃん?区別する意味なし」

と判断されています。また、助動詞もありません。これらは全て動詞の活用として扱われます。ですので動詞の活用は次のようなとんでもない数に膨れ上がります。

辞書系:書く

マス形:書きます

テ形:書いて

タ形:書いた

タラ形:書いたら

タリ形:書いたり

否定形・ナイ形:書かない

受け身形:書かれる

使役形:書かせる

使役受身形:書かせられる

可能形:書ける

バ形:書けば

意向形:書こう

(P8)

13もあります!私たちが習った五段活用と比べるとずっと多いですね。フランス語やドイツ語の活用の数多すぎだろとごねるのはやめます。日本語の方が難しいです。英語に至っては活用なんて過去形と過去分詞くらいしかないしちょろいもんですよね。

常に空気読まされる日本語

日本語に特徴的に多い助詞が終助詞です。「ね」「よね」「よな」「な」などを文末につけて、どのように出来事をとらえているか、どのように聞き手に伝えたいかを表します。

日常会話から「ね」「よね」「よな」「な」などの終助詞を無くすと、伝達に支障をきたす恐れがあります。「いい天気ですね」ではなく「いい天気です」、「そこに段差がありますよ」ではなく「そこに段差があります」と言われたら、聞き手は一瞬反応に戸惑うことでしょう。(P123)

終助詞は、日本語使いに空気を読むことを強いています。終助詞が断定なのか疑問なのか同意なのかにいつも耳を澄まさなければいけませんし発話のたびに毎回適切な終助詞を選ばなければいけません。例えば次の天気についてのよくある会話のバックグラウンドについての解説をご覧ください。

(1) A:いい天気です。 B:そうです

(中略)

(1)では、Aは、Bが知っているはずの情報についてBの同意を求めています。このような場合には、AもBもネを使わないと、伝達に支障をきたします。言うまでもなく、いい天気であることはAとBが会話の場で共有している情報で、新しくはありませんが、それを確認することを通してAはBに共同注意を促したり、BはAに対する共感を表明したりすることができます。このような場合のネは、対人コミュニケーション上必須の要素です。(P125)

いい天気ですねそうですねって言ってるだけなのに実はここまでのコンテキストを解釈しないと適切に会話できないのです。こりゃー難しいわ。

余談ですが「~ナリ!」「~だわさ」などなど特殊な終助詞を使ってあるキャラを表すという効果をあげたり「~やな」「~だがや」で住んでいる(育った)地域を表すような例もありますね。

うなぎ文

もう一つ日本語の特徴として文脈依存性の高さがあります。文脈に応じて語の意味文の意味が変わったり、大胆に省略したり通常あり得ない文も意味が通るようになるのです。典型的なのが次の「うなぎ文」と呼ばれるものです。

A:何にする?

B:僕はうなぎにする。

A:君はうなぎか。じゃあ、僕もうなぎだ。(P32)

「僕もうなぎだ」は僕=うなぎという意味ではありません。「僕もうなぎを注文する」という意味です。英語ではありえない構文です。この文の意味は文脈によってさまざまに変わります。例えば劇でうなぎの役を何人にも割り当てていれば「僕はうなぎの役をする」という意味になりますし、アナゴチームウナギチームなどの名前で団体競技をやっていれば「僕はうなぎチームが勝つのに100万円賭ける」という意味になるかもしれません。同じように「ここはだれ?」「僕はどこ?」という意味不明の文も文脈によっては有効になります。

文脈依存性が高い=空気が読めないと話についていけないということです。日本語は根本的にKY人間を締め出す構造の言語でした。まいったまいった。

 

本書は日本語学のイントロということでこれでもかというくらい要素が詰め込まれていますが、いかんせん200Pに満たないため文量が少ないのが欠点です。図が全くないので日本人が読むのも辛く外国人が読むことはまず不可能でしょう。また、日本語学の教授(しかも東大大学院)なのに所々日本語がおかしく文章が読みづらいです。 日本語学を極めても読みやすい文章が書けるようになるわけではないということなのでしょうか??

また、たまたまなのですが翻訳の副業をすることになるにあたり、日本語学は自然な文章の書き方を教えてくれるものとして非常に有効であると分かりました。この手の本をもっと読みこむ必要があります。

 

 

関連書籍

もっとわかりやすい本を読みたい。次はこれですね。定評もあるようです。

初級を教える人のための日本語文法ハンドブック

初級を教える人のための日本語文法ハンドブック

  • 作者: 庵功雄,松岡弘,中西久実子,山田敏弘,高梨信乃
  • 出版社/メーカー: スリーエーネットワーク
  • 発売日: 2000/05
  • メディア: 単行本
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中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック

中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック

  • 作者: 庵功雄,中西久実子,高梨信乃,山田敏弘,白川博之
  • 出版社/メーカー: スリーエーネットワーク
  • 発売日: 2001/10
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 動詞について。

「する」と「なる」の言語学―言語と文化のタイポロジーへの試論 (日本語叢書)

「する」と「なる」の言語学―言語と文化のタイポロジーへの試論 (日本語叢書)

 

 

 日本語学習の最難関と言われるらしい「のだ」について。著者が野田なのはなぜだ

「の(だ)」の機能 (日本語研究叢書 (9))

「の(だ)」の機能 (日本語研究叢書 (9))

 

 

 敬語の定番テキスト。ほしい

敬語 (講談社学術文庫)

敬語 (講談社学術文庫)

 

 


書籍レビュー: 発酵する物語『ピンザの島』 著:ドリアン助川

★★★★☆

 

刊行は2014年2月。最近の小説も読んでみようと思いamazonで適当に評価が高そうなやつを選んでターゲットにしました。といっても完全なランダムというわけではありません。ドリアン助川さんは前住んでいた家で取っていた新聞に時々人生相談で登場しており、最も好きな回答者でした。

舞台は沖縄(と思われる)の架空の離島。うさんくさいバイトの斡旋でやってきた3人の男女。この設定だけ見ればかるーい愛憎劇に発展するのかと思ったら全然違いました。文体こそ読みやすく軽快にサラサラ進んでいけませんが、ドリアンさんの人柄のまんま、無駄な濡れ場なども全く存在せずとても上品な作品でした。テーマは途中まで全く想像のつかなかった「発酵」です。文章も物語も後半に行くにしたがって熟成していきます。ラストの描写は作者も熟成チーズを作るような気持ちで文章を書いたことが想像できるようです。

本書を貫いている感覚は「負け」の感覚です。主な登場人物は20代後半、人生をドロップアウトしたと思っている人たちです。主要人物の一人、立川のセリフです

「だけど、そんなことで頭に来てる自分ってのも、オレ、嫌なんだよね。だから過去のことをさ、くそみてえな、そういう日々のことを忘れてえなって思って。それでずっとふわふわして、遊び半分みてえに生きてきたんだけれど……あのさ、全然ダメなんすよ。そうやって流れてても、なんも変わんねえの。リアルってのが無いんすよ。生きてるって感じがしねえの。だからいつまでも昔のことが気になるんだ。」

これの答えと思われることを主要人物の一人「ハシさん」60代が主人公の涼介に語ります。

「涼介さん、私は思うんですが……人生の節目という意味では、敗北も勝利もそう変わらないのではないでしょうか。むしろ勝利は、気付きを与えない分だけたちが悪い。あなたは敗北してよかったんだ」

人間は勝ち負けにこだわります。しかし「勝ち」「負け」が明確に定義されてることってほとんどないのではないでしょうか?20代後半というと私もそのような勝ち負け意識にさいなまれたことがありましたが、もうそこは乗り越えてしまいました。人生長いスパンで考えると勝ちも負けも全く意味をなしません。この観点からすると帯で煽りに煽られてるラストシーンは若干がっかり感がありますので★マイナス1つとさせていただきます。あと10年早く読んでいたら得るものがあったと思います。

 

 

関連書籍

似たようなテーマだと思います。特に下巻。

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

 

 

自虐の詩 (下) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

自虐の詩 (下) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

 

 

次の本を読んでいたので発酵については知識がありました。

 


書籍レビュー: 日本は資本主義じゃなかった『最新版 法人資本主義の構造』 著:奥村宏

★★★★★

 

新年1冊目です。

この本、昨年末から読んでいたのですが読み終わるのに1週間もかかりました。本文に独特の癖があって読解が大変でした。文体は私に似ています。私の文章はお世辞にも読みやすいとは言えません。読むのに気力が必要でした。内容はいいんですけどね。以下紹介していきます。

会社マニア

著者の奥村さんは肩書こそ元中央大教授・経済評論家ですが、実際のところは会社マニアと称するのが正確だと思います。特に日本の会社についての資料が膨大で詳しすぎます。本書はバージョンを変えながらどんどん加筆されていって2005年のこの岩波現代文庫版が最新版です。最新版に当たってアメリカや韓国などの会社の書籍も調べまくったそうですやはりマニアです。

何故マニアと即断するかというと普通は次のような執拗な書き方をしないからです。

持株会社指定時における三井財閥の持株関係を見ると、三井鉱山が三井化学、三井農林、三井軽金属の株式を所有し、三井生命が三井本社、三井物産、三井鉱山、三井信託、日本製粉、大正海上火災、東洋レーヨン、東洋高圧、三井軽金属の株式を、三井化学が東洋高圧の株式を、三井物産が三井造船、大正海上火災、三井本船の株式を、三井造船が三井木船の株式を、日本製粉が三井本社、三井物産、三井鉱山の株式を、大正海上火災が三井本社、三井物産、三井鉱山、東洋レーヨン、東洋高圧の株式を、東洋綿花が東洋レーヨンの株式をそれぞれ所有していた。(P29-30)

いや図にしろよこれ!!!三井三井うるさいよ!!でも奥村さんにしてみれば全部書きまくることが大切なのであり、彼の頭の中では把握できているのでしょう。すごいですね。私は無理です。ちなみにこのあと、三菱系列についてほぼ同じような文章がもう一度並びます。目が痛いです。本書ではこのような反復が頻発し、復習になって助かりますがくどいです。たぶん発達障害です。

株式持ち合い?

さてこの「株式持ち合い」が本書のキモとなります。「株式持ち合い」とは法人同士が示し合わせてお互いの会社の株を所有する、日本独特の流儀のことです。例えばA社がB社の株を10%買うから、B社もA社の株を10%買ってくれよ、というようにします。この奇妙な慣習が、実は日本の独特な形式の資本主義や、「会社人間」が生まれる風土を育んだのである、というのが著者の主張です。

なぜ株式持ち合いが日本で発生したのか、その歴史を前半まるまるかけて詳述します。戦前をカットして思いっきり圧縮すると、初めは会社の乗っ取りを防ぐためだったんだけど株価釣り上げとか相手の会社と談合しやすいから便利だね~とズブズブ続けていってしまった、という経緯でした。会社同士でお互いの株を買っていれば、残りの株を買い占めることは難しくなるので乗っ取りができなくなるし、A社がB社の株を買っていればA社がB社の経営に口を出せる、逆にB社もA社の経営に口を出せるので運命共同体のようになり、連帯感が生まれますしお互いの損になる取引もやりにくくなります。

会社がまるで人間のようだ

著者は根本的な疑問を投げかけます。

「そもそも法人が株買うのっておかしいんちゃう?」

事実、アメリカではこのような取引は禁止されています。会社は株主、つまり自然人が株券を買うことによって共同出資して成り立つものです。法人も株を買って他の会社の一部を所有することができるとすると、じゃあその会社は誰のものなのか?社長?取締役?それとも「トヨタ」とか「セブン&アイ」という人間がいるものとしてそいつが所有してるの?それっておかしくない?という話になります。著者はこの議論を次のようにしてばっさり切り捨てます。

A社がB社の株式を所有し、B社がA社の株式を所有するという相互持合いは自社株所有と同じであって資本充実の原則に反する。(P256)

株式の買占めによる乗っ取りを防止すること自体が株式会社の原理を否定するものである。なぜなら株式は売買自由であり、株式を買い占めて会社を乗っ取るのも自由であるというのが株式会社の原理だからである。(P261)

×資本主義  ○会社資本主義

端的に言うと日本は資本主義ではありません。会社資本主義です。会社がまるで人間であるかのように社会の中に存在しており、しかも会社が人間よりも有利な取り扱いを受けています。なぜなら会社は犯罪を犯しても自由刑(禁固とか懲役とか)を科すことができないので東電やチッソのように潰れずに残るし、スカイマークのようにたとえ潰れたとしても債権放棄してオシマイで、実際のところ誰も責任を取らないで済むからです。

日本人は会社に所属することでモチベーションの上がる人が多い奇妙な民族です。この特性のおかげで労働者の多くはサービス残業や低賃金によって会社に奉仕します。私は次の引用を読んで笑ってしまいました。「会社主義」は会社礼賛の立場、「会社資本主義」は著者の立場です。

「日本企業は運命共同体であるがゆえに競争力をもち、それゆえに経済的成功を収め得たのだというのが会社主義だとすれば、ゴーイング・コンサーンとしての企業が自己存続と自己拡大を図るために、経営者や従業員の忠誠を調達するというのが会社本位主義である(『現代日本社会Ⅰ 課題と資格』P207 東大出版)」。(P286)

これで結びとさせていただきます。

 

 

本書を紹介してくださったふかくささんありがとうございました。

 

参考書籍

なんとジュニア新書にも奥村さんの本が。気になる

会社とはなにか (岩波ジュニア新書)

会社とはなにか (岩波ジュニア新書)

 

 

 これもよさげ

粉飾資本主義

粉飾資本主義

 

 

 J.S.ミルの会社論の古典。いずれ読む

経済学原理〈第1〉 (1967年) (岩波文庫)

経済学原理〈第1〉 (1967年) (岩波文庫)

 

 

 これも古典。

企業の理論

企業の理論

 

 

企業が自己存続と自己拡大を図るために経営者や従業員の忠誠を調達。いい言葉です。このセリフは間宮陽介という人が書いたそうです。

課題と視角 (現代日本社会)

課題と視角 (現代日本社会)

 

 

 間宮氏の経済思想史。

市場社会の思想史―「自由」をどう解釈するか (中公新書)

市場社会の思想史―「自由」をどう解釈するか (中公新書)

 

書籍レビュー: 日本人って執着し過ぎじゃない!?『幽霊画談』 著:水木しげる

★★★★★

 

先月末に亡くなった水木しげる先生の追悼の想いを込めて読みました。私は水木サン大好きでした。連続テレビドラマ小説のゲゲゲの女房も見ました。ドラマはいまいちだったけど。

幽霊について大量のカラー絵と水木サンの解説が収録されています。水木サンはスクリーントーンやPCでの彩色などという軟弱なものは一切使いませんのでとにかく線と点の数がすごい!毎回見るたびに思いますが執念のようなものを感じます。水木サンの生霊がどの絵にもこもっていますね。

幽霊というものはほとんどが「志半ばで死んでしまったため、恨みを残したり土地に執着する」というパターンです。これは生きている者が「無念だったろうなぁ俺もそう思うぜ」という想像力を働かせていろんな物語を作ったのでしょうけれど、私はこれ、幽霊に取っちゃ迷惑な話だろうと思うんです。

死後の世界が存在するとしての仮定ですが、私がいちばん疑問なのは、なぜ幽霊たちが死後の世界をエンジョイしようと思わないのか!?ということです。だって死後の世界って何やったって生前の自分には未体験なんじゃん!!幽霊世界の一般的価値観というものはわかりませんが、幽霊として自分ができること、何をやったらよい幽霊生活を行えるか、なんて幽霊もみんな考えると思うんですよ。恨みを晴らすため現実世界の人間を取り殺してやるといったマイナス思考に陥らない幽霊だってたくさんいると思いませんか?私だったらどれだけ恨みがあったとしてもしないよ。死んじゃったもんはしょうがないじゃん。そんな暇なことするくらいだったら今日は昨日よりも1km遠くまで浮遊してみようとか、人魂15個作れたぜ!とか、念力トレーニングしたら消えているはずの足が見えるようになったぞwwwとか面白いこといっぱいできると思うんですよね。

といっても現実の人間でも幽霊でも後世に話が残るのは人助けをしたか犯罪者になるかどちらかのパターンが多いですから、私の心配なぞ的外れで、大多数の幽霊は話題にもならず地道な幽霊ライフをエンジョイしているのかもしれません。毎日死んでゆく人間の数を思えば残っている幽霊話の数はごく少ないことがそれを証明していると考えました。

内容に全然触れてなくてすいません。水木サン現世ではお疲れさまでした。100歳まで生きられなくて残念でしたが、今ごろ妖怪か幽霊になってるでしょうから面白おかしいライフを続けてください。

 


書籍レビュー: 下品過ぎて残念 『中国入門』 著:ジョージ秋山

★☆☆☆☆

 

副業で中国朝鮮の記事を書かなければいけなくなったので勉強のため借りましたが大失敗しました。

小林よしのり氏の漫画もそうなのですがギャグマンガ出身の人は人物をみんな劇画化して、ある一定方向の印象を関東うどんのだし汁のように濃く濃ーく書き連ねていく手法を取るので、丁寧さとか取材の徹底とかまったくありません。おまけに例外なく下品。無駄にセクシー女性キャラを出し過ぎ。描きたい気持ちはわからなくもないがページ数と地球環境の無駄なのでやめてほしいです。

中国については知識豊富な方とお見受けしますが表現方法が私には全然合いませんでした。内容についてはコメントする気になれないです。もっと面白おかしいアホな中国像を読みたかったな。歴史はおもしろそうなのでもっと勉強します。

 


書籍レビュー: モルギアナさんの裁縫『少年少女世界の名作文学 古典1』 小学館

f:id:happyholiday:20151222211822j:plain★★★☆☆ 横になっちゃった 

 

近くの公民館に『少年少女世界の名作文学』全集が揃っていました。

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荘厳な眺めです。こういうのを見ると手に取りたくなりますよね。様式美ですよね。こども用の文学全集というのはだいたい昔に編集されたものですので、概して文章が綺麗です。それを期待してこの全集を読破してやろうと一度決めました。

 

最初200ページは「アラビアン=ナイト」でした。千夜一夜物語としても知られるこの話は、女性不信で毎晩女性を部屋に連れるなり殺してしまう恐ろしい王様のところへ行ったシェヘラザードという女性が毎晩毎晩合計1001の面白い話をして王様を楽しませ、王は続きが聞きたくなって殺すのをやめるというストーリーです。アラビアに伝わる昔話集という位置づけでしょう。

実は千夜一夜の名前は伊達じゃなく原典は岩波文庫で全13巻もあるという超大作です。しかしこの全集には200ページしかありません、、つまり抜粋なのです。上のようにあんなにたくさん本が詰まっているのに、世界中の話を詰め込んだら抜粋を免れないとは、一体物語とはどのくらい存在するのでしょう。

読んでみると本文も凝縮されていました!例えばシンドバットの冒険。次の超展開をご覧ください。

わたしは、また船で海に乗り出した。そのうちに、あらしがきた。ものすごい大波に押し流された。ガツーン!メリメリッ!と、船が岩にぶつかった。

「あっ!」

 そこはさるの島だった。数えきれないほどのさるどもが、岩の上から船の中へ飛び込んできた。さるどもは、あばれまわって、帆をずたずたに破ってしまった。

 わたしたちは船から逃げ出して、島の奥深いところまで逃げ込んだ。大きなほら穴が見つかった。

こんな調子で超簡潔にものすごいスピードで話が進んでいきます。シンドバットは7回冒険をしますが毎回難破してそこで必ず宝を見つけ必ず金持ちになるというお約束を漬け込みまくった話でした。

アラビアと言えばイスラム教、本書もイスラムな要素があちこちで出てきます。たとえば「りこうなダリラと娘のゼブラ」の記述です。

明くる日、ダリラは、あまさんのかっこうになって、白い毛織のマントを着け、太い数珠を首にかけ、手に水を入れたツボを抱えて広場へ出かけた。このツボの中には、小さい金貨が入れてある。

「ありがたや、ありがたや・・・アラーの神様は、ありがたや・・・」と大臣の屋敷の前で大きな声を張り上げた。

このあとダリラはこの金貨を使って口八丁手八丁で門番に自分を神の使いと思いこませ、人をだましまくります。アラーアラー言って神の使いを装うなんてめっちゃ神の冒涜で、今を時めくイスラム国には禁書にされてしまいそうです。これが余裕で流通していたアラビア世界のイスラム信仰は、かなりライトだったと思われます。千夜一夜物語の発祥は8世紀ごろと言われています。他にも「魚が取れないからアラーにお願いしろよ。アラーなら魚くらい取ってくれるだろ」などという困った時のアラー頼み的記述も見受けられました。

「アリババと7人の盗賊」は「開け、ゴマ」で有名ですね。この話、かなり荒唐無稽でした。隠し財産を入れたほら穴が開く盗賊の呪文「開け、ゴマ」を盗み聞きしたアリババは財宝を盗んで貧乏を脱出します。兄の金持ちのカシムがそれを聞くと欲が出て、真似して「開け、ゴマ」を唱え財宝を手に入れるものの、嬉しさで呪文を忘れ洞窟から出られなくなり、盗賊に見つかってなんとバラバラに惨殺されます

アリババは山のほら穴に行ってみた。びっくりした。兄のカシムの、ばらばらにされた体を袋に入れると、あわてて町へ帰ってきた。

カシムの家では、おかみさんが待っていた。

「うちの人は?」

「こんな姿になっちゃった!」

「あーん!」

あーんじゃねぇよ!まるでドラクエを見ているようです。どこまでも簡潔すぎます。

この後盗賊が兄カシムの死体を探して追ってくるのですが、モルギアナという召使の機転で、なんと靴屋にカシムの死体を縫わせて「バラバラじゃないからこいつじゃねぇ」と盗賊に思わせて一時を凌ぐという離れ業を披露します。モルギアナさんぱねぇ。

若くて美しいという設定のモルギアナさんの挿絵をご覧ください

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昔のこども向け小説は絵がとってもきれいですね。

 

他にはギリシャ神話やオデュッセイアなどが入っていたのですが重複するのでスキップしました。また、どの話も編者のフィルターを通してあまりに圧縮されすぎていてとても悔しいので、残念ですがこのシリーズはこれ1冊でやめにして、世界の名作は全訳か原文で読むことを目標にします。