書籍レビュー: 内戦してる場合じゃない『ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) 』 著:塩野七生

★★★★☆

スッラとマリウスの対立

7冊目です。本書のカバー範囲は紀元前88~63年まで。主人公はルキウス・コルネリウス・スッラ(前138-78)とポンペイウス(前106-48)です。特に目立っていたのはスッラでした。

ルキウス・コルネリウス・スッラ – Wikipedia

 

前回に引き続きローマ内では権力闘争がおこります。国内格差からはじまった「同盟者戦役」が平定されてすぐ、前88年にスッラは最高権力者の執政官に就任しますが、平民代表の護民官との対立が激しくなり、「同盟者戦役」の結果として成立した選挙法改革を巡って揉め、貴族側代表のスッラはクーデターを起こし、平民代表のガイウス・マリウス(前157-86)を追い出します。

ガイウス・マリウス – Wikipedia

このマリウスという人は百戦錬磨のヒーローで、彼は怒って逆にクーデターを起こし、反対派および中立派を皆殺しにして権力を奪取します(前87年)。

一方スッラは内戦のゴタゴタの隙に侵略してきたポントス王ミトリダテスを制圧するためギリシャに遠征していました。マリウスがローマの権力を得たことでスッラは賊軍となりました。しかしスッラがミトリダテスを倒す前83年までの間にマリウスは病死し、代わって権力を得たキンナをスッラが破り(前82年)また反対派を大粛清しました。マリウスに味方した部族の兵士4000名を一斉に処刑したりマリウスの子孫を皆殺しにしたり、密告制度を作って徹底的に反対派を排除しました。これで多くの人材が失われたことでしょう。争いというのは優秀な人間が必ず死にますのでいやなものですね。

結果的にスッラは絶大な権力を握ることとなり、数々の元老院(貴族)に有利な法案を通しまくりました。これはローマの帝政に繋がっていくそうです。ちなみに彼は弩級の贅沢野郎であり、モーツァルトの「ルーチョ・シッラ」というオペラで「傲慢で退廃した女好きの独裁者」として登場させられたそうです。

Lucio Silla – Wikipedia, the free encyclopedia

100000対5

後半の主役はポンペイウスで、しぶといミトリダテスとの戦いが描かれますがどの戦いもあっさり描かれすぎていてやや不満です。体制の移り変わりを描いているのだから仕方ないのかもしれませんが、ミトリダテス側の戦死者十万、ポンペイウス側の死者5人などというとんでもない戦いの様子はもうちょっと詳述してくれてもよかったかな。

ミトリダテスの軍事力が弱かったからよかったものの、弱くなかったらローマは隙だらけでぶっ潰れてますね。この戦いでローマはアジア側(今のトルコ、シリア、イスラエル)にも領土を広げ、地中海全体を制圧することとなりました。

引用

ローマ人シリーズはずっとそうなのですが、事実を抽象化した歴史の大原則とも思える言葉が書かれていることがあります。いくつか気になった言葉を引用します。

システムの持つプラス面は、誰が実施者になってもほどほどの成果が保証されるところにある。反対にマイナス面は、ほどほどの成果しかあげないようでは敗北につながってしまうような場合、共同体が蒙らざるをえない実害が大きすぎる点にある。

ローマの「元老院体制」というシステムについて述べた段落ですがこれは現代政治にも十分通用する言葉だと思いました。

ツキティディスは、著作『ペロポネソス戦史』の中で、「大国の統治には、民主政体は適していない」とまで言っている。民主制だけが、絶対善ではない。民主制もまた他の政体同様、プラス面とマイナス面の両面を持つ、運用次第では常に危険な政体なのである。

民主制の最たるものであるギリシャが実質的独裁のあと衆愚制に陥ったことを評しています。現代の何とかうまくいってる中国を見ていても民主制が本当に正しいのかどうかわかりません。これはもっと歴史を学んでいかないと結論は出せませんので、引き続き沢山読書していきたいです。

 

 

関連作品

モーツァルト:歌劇「ルーチョ・シッラ」(全曲)

モーツァルト:歌劇「ルーチョ・シッラ」(全曲)

  • アーティスト: アーノンクール(ニコラウス),グルベローヴァ(エディタ),シュライアー(ペーター),バルトリ(チェチーリア),アップショウ(ドーン),ケリー(イヴォンヌ),アルノルト・シェーンベルク合唱団,モーツァルト,オルトナー(エルヴィン),ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2006/06/21
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なんとモーツァルト16歳のときの作品だそうですよマジ天才。かなりマイナーな曲ですね。

 


書籍レビュー: ウホッ、いいソクラテス…『饗宴』 著:プラトン 訳:森進一

★★★★★

知的飲み会

プラトン2冊目です。いわゆる「プラトニック・ラブ」の出典と言われています。

饗宴というのは飲み会みたいなもんだけど、参加する人はみんな哲人なので酒飲みつつ言論発表会もするというような知的な集会でした。本作では紀元前416年ごろに行われた饗宴を、紀元前400年ごろにアポロドロスという人が友達にせがまれて思い出しながら話す、という形式をとっています。

饗宴の参加者はアポロドロスの他に悲劇詩人アガトン、悲劇作家アリストパネス、そしてソクラテスなど錚々たるメンツが揃い、28名(wikipedia情報、そんなにいたっけ?)で行われました。医者のエリュクシマコスが、今日の議題は「エロース」についてにしようぜ!と提案し、5名が順々に演説をしていくという形式で、「ソクラテスの弁明」と同様にほとんど物語でした。演劇にするともっとしっくりきそうです。十分耐えうる素材だと思います。訳は不自然なところなどなく完璧でとても読みやすかったです。脚注も充実していて助かりました。

哲人エロースを語る

「エロ―ス」といっても、現代の肉欲的なエロとは全然違います。そもそもエロースとは愛の神です。しかも、ギリシャ神話でのエロースは美の神アプロディーテーの子であり神の中でも古参の部類に入ります。高尚なエロースを5名が順々に讃えていきます。

古代ギリシャ人は古代ギリシャは男性同士の同性愛が異性愛よりも高尚なものとみなされていました。演説者の一人パウサニアスの言うことには、アプロディーテーは2人いて一方が肉欲を生じさせる神、もう一方は男性の理性や強さへの憧憬を生じさせる神と定義し、

つまり、この種のくだらぬ人々は、第一に少年を愛すると同じように女性をも愛する。次に、その愛する者の魂より肉体を愛する。さらに、できるかぎり知恵なき愚者を愛する。

と肉欲をけなしたあと

このアプロディーテーにつながる愛の息吹をうけたものは、生まれつきより強きもの、より知性ゆたかなる者を愛して、男性に愛を向けるのである。そして、かの、少年への愛においても、ただひたすら、この愛にだけ動かされている人々への姿が見られるはずである。

と少年愛を賛美するのです。これは演説者ほぼ全員に共通の認識であり、みんな大抵男性の恋人がいます。ソクラテスにもいます(後述)。子孫の繁栄とかそういった言葉は全然出てきませんでした。肉体的<精神的なもの、という価値観を突き詰めるとこうなるのかもしれません。同性愛といってもくそみそテクニック的なものは論外というわけです。パウサニアスはこのあと、オッサンが少年に向ける愛を長々と賛美します。なんとなく自己正当化っぽい気もしますが文字だけ見ると美しいです。

アリストパネスは人気作家だけあって面白い解釈をしていました。カンタンにまとめると次のようなことになります。人間はもともと2体がくっついて出来ていた。2体でできてる時代の人間は強くて傲慢だった。そこでゼウスが人間を懲らしめるため、2体を分離した。人間の傷はふさがったが、1体では中途半端で常に欠乏感がある。そしてもともともう一つの自分であった1体と出会うと一つになりたいという気持ちが湧き上がってくる。。という説を語っていました。この物語に即するなら、一目惚れとか運命とかが説明できてロマンチックですね。ただアリストパネスの説は、昔の人間は「男×女」の2体だけではなく「男×男」や「女×女」の組み合わせもあった(しかも同じぐらいいたみたい)ということになってますから、やはり同性愛は正当化されうるのです。

愛=不死?

5名のうち最後に語るソクラテスは、全員の論を包括した上でもう一次元上にのぼる論を展開します。一言で言うと、エロースすなわち愛とは「不死への希求」だということです。

エロース(私達、と読み替えてもいいと思います)は完全なものではなく、欠乏をもっている。それゆえに美、善きものを追い求める。そしてこれらを手にしたならば、永久に自分の手にしたいと考える。自らは刻々と変化していく存在なので、なんとかしてこれら善きものを保存する方法を手に入れなければならない。そこで私たちは「懐妊」する。。

生物学的に「懐妊」すればそれは肉体的な愛となりますが、金銭、創作、名誉、知恵という方法を使って「懐妊」することも可能です。いずれも、永遠すなわち不死を追い求めることが「懐妊」だと言っています。私がこのようなブログを執筆するのも愛の一つの姿ということなのかもしれません。ここでも肉体<魂という序列が付けられます。肉体はどれだけ美しくとも他のものと似たり寄ったりで、しかも崩れゆく運命にありますが、あらゆる肉体から抽象した「美」は永遠のものとなります。知識も永遠です。これがいわゆるイデアって奴ですかね。イデアは永遠の体現なのですね。

プラトニックラブって純潔とか肉体的な結びつきの否定とかいわゆる「純愛」みたいなものと思ってましたが全然違いますね。人間同士の結びつきというよりは、もっと芸術的なものです。それに永遠や不死とは「自己保存」の最たるものですから、直感的には美しいですが本質的にオレ本位でわがままです。自己増殖して後世に俺様を残すことだけが目的のDNAが、彼の理想を一番表しているように感じました。

ウホッ、、とは違った

ラスト、アルキピアデスという酔っ払いが乱入してくるのですがこいつはなんとソクラテスの恋人です。アルキピアデスは美少年で、自分の容姿にも自信を持っていました。彼はソクラテスに告白してOKをもらい、隣で寝るのですがソクラテスはなにもしてくれなかったぜ!という愚痴を言いに来ました。そりゃそうですソクラテスは外面的な肉体には興味はなく彼の魂に興味があったのですから。このときソクラテス53歳なんですが憧れられるなんてすげーですね。

 

書いてみるとこの本の内容を全然理解できていない事実を突き付けられ落ち込みますがこれが今の自分の力ですのでしゃーないです。もっと色々読んで考えないといけません。すくなくとも姿勢だけはプラトンと同じように、究極の美なるものを追い求めたいと思っています。

 

 

参考文献

手前味噌ですがパイドロスやアリストパネスの話はギリシャ神話の引用ばっかですから、前提として必ず知識が必要になります。読んでおいてよかったと思っています。

 

イデア―美と芸術の理論のために (平凡社ライブラリー)

イデア―美と芸術の理論のために (平凡社ライブラリー)

  • 作者: エルヴィンパノフスキー,Erwin Panofsky,伊藤博明,富松保文
  • 出版社/メーカー: 平凡社
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 イデアについて。ちなみに本書には「イデア」という単語は出てきませんでした。


書籍レビュー: エジプト人はいい迷惑、あと人死に過ぎ 『旧約聖書 出エジプト記・レビ記』

口語訳聖書(新約および旧約 索引)

★★★★☆

 

だいたい本1冊分くらいになったので一度レビューを加えます。日課でつけているtwitterに書いたまとめを自分で読み返してみました。1日260文字程度とはいえ1か月で8000文字くらいになるのでかなりの量ですね。

 


 

自作自演の脱出劇

「出エジプト記」は前半がモーセの誕生、神とエジプト王との対決から例の海を割る有名なシーンを通したユダヤ人の脱出まで、後半は宗教的行事の細かい定めを中心とした神のおことば全集です。

前半は神話的でダイナミックです。特に神がエジプト王に様々な嫌がらせをしてユダヤ人を追いだすように仕向ける逸話の数々は、カエルやイナゴを大量発生させるなど想像力を刺激される話が多いです。といってもエジプト王は頑固なので神の嫌がらせもエスカレートして、長子が全部死ぬとか国中が腫物の病気になるとか凄惨なものになっていきますが。。

で、エジプト王が頑固なのは、神がわざとそうしている、ということが作中に何度も出てきます。つまりこの嫌がらせ合戦は神の自作自演なのです。神の言い分はこうです。

そこで、主はモーセに言われた、「パロのもとに行きなさい。わたしは彼の心とその家来たちの心をかたくなにした。これは、わたしがこれらのしるしを、彼らの中に行うためである。また、わたしがエジプトびとをあしらったこと、また彼らの中にわたしが行ったしるしを、あなたがたが、子や孫の耳に語り伝えるためである。そしてあなたがたは、わたしが主であることを知るであろう」。

―出エジプト記10章1~2

つまり神の物語を作るためにエジプト中を大混乱に陥れ、家畜や人間殺しまくってるってわけです、大迷惑!神学的には一体どのような解釈になっているのか興味があります。

不必要なほど詳細な儀式の指定

後半は儀式のやり方が中心ですので正直言って退屈です。やれ幕にはあれ使え、器具は金を何タラント使えだの、そんな記述が延々と続くのです。たとえば祭壇に置く燭台についての指定はこんなものです。

また純金の燭台を造らなければならない。燭台は打物造りとし、その台、幹、萼、節、花を一つに連ならせなければならない。また六つの枝をそのわきから出させ、燭台の三つの枝をこの側から、燭台の三つの枝をかの側から出させなければならない。あめんどうの花の形をした三つの萼が、それぞれ節と花をもって一つの枝にあり、また、あめんどうの花の形をした三つの萼が、それぞれ節と花をもってほかの枝にあるようにし、燭台から出る六つの枝を、みなそのようにしなければならない。また、燭台の幹には、あめんどうの花の形をした四つの萼を付け、その萼にはそれぞれ節と花をもたせなさい。すなわち二つの枝の下に一つの節を取り付け、次の二つの枝の下に一つの節を取り付け、更に次の二つの枝の下に一つの節を取り付け、燭台の幹から出る六つの枝に、みなそのようにしなければならない。

ー出エジプト記25章31~35 (まだ二倍くらいの似たような記述があるよ!)

執拗なくらい詳細な規定が大量に書かれています。現代に生きているユダヤ教では一体どれほどこの戒律が守られているのでしょうか。

強力な汚れ思想

レビ記も出エジプト記も後半と同じく、1巻まとめて全部法律書的です。主に罪祭や燔祭などの儀式の執り行い方と、「汚れ(けがれ)」思想について書かれています。

「汚れ」思想は今の私たちから見れば極めて迷信的で、不合理です。病気のもの、とくにらい病(らい病ではなく重度の皮膚病を指しているという説もあります)患者への「汚れ」の烙印は強力で、触った人間も汚れたことになるし、キチガイ的に詳細なお祓いの儀式をしなければいけないし、病人が出た家は壁を削って専用の廃棄物処理場に投棄しろと書かれているほどです。大地の治療が必要でふ!

またほとんどの面で女性は男性より汚れていることになっていますし、ラストで出てくる「値積もり」とやらでも、女性は男性より価値が低いことになっています。私達の常識からみれば許されないことではありますが、彼らの価値観ではこれは当然のことなのであって、批判する権利は私たちにはありません。当時はそれなりの合理性があったのであろうと思います。

死に過ぎだろ

律法には「~すると死ぬ」という記述が非常に多く出てきます。聖書は「民のうちから断たれる」などというもう少し上品な表現が使われていますが、まあ死ぬんです。死にます。

まとめに入れたものだけでもこれくらい死にます。

  • 聖なるシナイ山に触れると死ぬ(出エジプト記19章)
  • 父母をのろうと死ぬ(21章)
  • ケンカして相手を殺すと死ぬ(21章)
  • 魔女は死ぬ(22章)
  • 異教徒は死ぬ(22章)
  • 祭司が神に指定された服を着ないと死ぬ(28章)
  • 祭壇に捧げる薫香や油を私的に作ると死ぬ(30章)
  • 安息日に働くと死ぬ(31章)
  • 偶像を作るとみんな死ぬ(32章)
  • 神の顔を見ると死ぬ(33章)
  • 主に捧げた肉を3日以上経ってから食べると死ぬ(レビ記7章)
  • 自然に死んだ獣の肉を食べると死ぬ(7章)
  • 祭りを行っている7日のうちに祭司が幕屋を出ると死ぬ(8章)
  • 異教の祭りをすると死ぬ(10章)
  • 幕屋の前まで持ってきた動物をささげなければ死ぬ(17章)
  • 動物の血を食べると死ぬ(17章)
  • とにかく主の言うことを聞かないと死ぬ(18章)
  • 子供をモレク(異教の神)に捧げる者、口寄せや占い師を慕う者、父母をのろう者、隣人やこの妻と姦淫する者、同性愛者、獣姦する者、きょうだいの裸を見る者、生理中の女と寝た者、父母の姉妹を犯すもの、は死ぬ(20章)
  • 7/10の贖罪の日に悩まないと死ぬ(23章)
  • 神をのろうと石打ちで死ぬ(24章)
  • 奉納物を譲渡すると死ぬ(27章)

これによれば私も3回くらい死んでますね。ユダヤ・キリスト教徒はスぺランカー並みに死にやすいんじゃないかと心配です。

 

モレクやケルビムなどいくつか分からない言葉を調べていたら、聖書ほぼすべてについて詳細に解説をしてくれているありがたいサイトを発見しました。初見の印象を大事にしたいので聖書を全部読んでからになりますが、いずれ読んでみます。

Logos Ministries | ロゴス・ミニストリー


書籍レビュー: 昔の人の精神に感服『名著復刻 日本児童文学館 23トテ馬車 ほか5冊』 著:千葉省三ほか5名

★★★★★ヽ( ε∀ε )ノ

児童文学読まなきゃ

いくつか小説を読んで考えました。

私はそもそも子供のときに全然物語を読んでいませんでした。せいぜい道徳の授業中に内職して授業でやらない所ばっかり読んでいたくらいのものです。あとは小5の時図書室にあった「吾輩は猫である」を猫か面白そうと読んで挫折した記憶しかありません。今思えば無理に決まってるのですが。なんつーかこの、想像力の源泉のようなものが全くないんですよね。無から有を生み出すことはできません。種を蒔いておかなければ刈り入れはできません。

ですので、まずこども向けの物語をたくさん読むことからやり直さないといけないと考えました。幸い家にはこども向けの本が大量にあります。折に触れて、ガンガン読んでいこうと思います。家にある本を全部読めば、精神年齢15歳くらいまでは取り戻せるのではないかと思います。

そこでまず手に取ったのがこのシリーズ。いつだったか神保町で捨て値で売られていたもので、明治大正昭和の名著を復刻して出版したという非常に意欲的なシリーズです。執筆陣は尾崎紅葉、幸田露伴、小川未明などかなり気合の入った面々です。

家にあったのは次の5冊でした。全部読みました。

  • 28 塚原健二郎 七階の子供たち
  • 20 江口渙 かみなりの子
  • 23 千葉省三 トテ馬車
  • 25 槇本楠郎 赤い旗
  • 15 浜田廣介 大将の銅像

このシリーズ、文字のカスレ具合から巻末の書籍広告まで本当に当時のまんまでスゲェです。表紙はどれも凝っていてキレイだし、人気がないので手垢もついてないし、二重箱のものが多いので中身の保存状態も完璧。100年くらい前の本がそのまんま新しくなったような感覚です。もちろん旧字旧仮名遣いですが、こども向けなので全ルビつき。難しすぎて読めない漢字が出てきても安心です。

ふつくしい

5冊とも本当に文章が綺麗でした。明治大正昭和初期って、商業的要素は無視してこどもに最高の物語を読ませてやろうと意気込む人間が沢山いたんですね。どの作品からも、こどもに対する真摯な態度が伝わってくるのです*1。一番感動した「トテ馬車」収録の「高原の春」の文を引用します。現代仮名遣いに直します。舞台は、高原に引っ越してきた小学校高学年くらいの主人公が善ちゃんという利発そうな子と友達になり、仲良くなってしばらくした春、善ちゃん自慢の湧水を探して高原に向かうときの描写です。

丘の裾には、紐のように、水草が柔らかく茂っていた。その水路を伝わって、十間ばかり進むと、もう小さい谷はおしまいで、そこに、誰かが造ったような、きれいな泉があった。柔らかい水苔だの、青笹が、縁かざりのように丸くそのまわりを取り巻いている。右も、左も、すべすべした草丘で、ただ正面に、灌木や雑木に小松の混じった明るい林が、くさびの形に丘の上から泉まで落ち込んでいる。日の光が、水を透きて、底の砂を金色に光らしている。モッコン、モッコン、湧き上がる水が、その金色の砂を絶えず揺り動かしている。そして、あふれて、音を立てて、水草の中へ流れていく。

水は、かんろのように甘くて冷たかった。私たちは、泉に口を付けて、お腹一杯飲んだ。それから、少し離れた猫柳の蔭へ行って、草の上にのびのびと寝ころんだ。

真白な、綿のような雲が、いくつもいくつも浮かんでる。動くのか、動かないのかわからないほど静かだ。

私は山のふもとの田舎の出身なんですが、ゲーム漬けであまり自然には親しんでおらず、上記のような光景は記憶にかすかに残る程度です。こんな綺麗な描写を読まされると山の中を何時間でも探検したくなってしまいます。今後も自然描写がある度に私の中の何かが掻き立てられ想像力が逞しくなっていくかもしれません。と言うのも私は現在ほとんど家から出られない状況にあるからです。それくらいドキドキしながら読むことができました。なお、この描写の前には善ちゃんが主人公という友達ができて嬉しくてしょうがなくてひたすら走ったりばーちゃんに突進したりエネルギーに満ちていてああ眩しい眩しすぎるよと感じさせる描写もあります。「トテ馬車」はあとがきで、ほぼ作者の千葉省三さんの回想で作られていると書いてありますので、描写もリアルになるわけです。

プロレタリア童謡って

もう一つぶっ飛んでいたのは「赤い旗」です。作者の槇本楠郎さんは早くに無くなっているので、青空文庫に原本がありました。

図書カード:赤い旗

何となくマルクス臭のするタイトルですが、開けてみればやっぱり「プロレタリア童謡」を自称していました!しかも過激!

 ではみんなよ、はやおおきくなつて、きみたちも勇敢ゆうかんなプロレタリアの鬪士とうしとなつて、きみたちやきみたちのおとうさんおかあさんをくるしめてゐるやつらをたゝきのめしてくれ!

前文です。かなりアレですね。

メーデーごつこ

一人ひとり
二人ふたり
みんな

長屋ながや子供こども
みんな

おいらははらがへつた
をつなげ
まちのまんなか
ねりあるかう

メーデーごつこだ
勢揃せいぞろ

おそれな
みだれな
前進ぜんしん

誰がやるんだこれ、、

 

なわとびうた

一つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  むらからさと
  ×いはたがとんだ

二つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  ×いはたうへ
  てツぽだまがとんだ

三つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  お×の屋根やね
  かまつちがとんだ

四つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  まつ
  てんまでとんだ

五つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  邪魔じやまになるものは
  なにもかも、ほらとんだ

よくこれくらいの伏字で済んだものです。これで縄跳びしろってか!!

 

あとがきは次の文章です。

図書カード:プロレタリア童謡の活用に関する覚書

僅か數行、或は單に一行一句が直ちに×の掲ぐるスローガンに結合させ、即ち「×の思想的政治影響の確保、擴大」を結果づけるところの、「×動、×傳、組織の言葉」ともなり得るのである!

とか

とにかく政治的鬪爭に身を置く同志達は、ややもすれば從來藝術的鬪爭を輕視しがちであつた。これは誤りである。吾々の藝術は「政治的鬪爭」を前提としての「藝術アート」(技術アート)ではないか! それ故私は特に兒童に向つてはこれを強調せざるを得ないのだ。藝術の利用を考へよ! 藝術は活用されてこそ眞に「武器」となり得るのだ! そして「童謠」は兒童藝術中の粹である!

とか読むと、当時アカが取り締まられたのもやむを得ないのではないかと思いました。

 

あーもっと読まなきゃ

 

 

全巻2000円台なんて衝撃プライスですね。児童文学は死んだ。

*1:後述の1冊は方向性がアレですが真摯であることに変わりはありません


書籍レビュー: 人々は大きな物語に支配される 『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』 著: ロレッタ・ナポリオーニ

★★★★☆

 

今年初めの日本人2名殺害事件で一躍日本でも有名になった過激派テロ組織、イスラム国の本です。

イスラム教については今後の要学習テーマですがキリスト教を学んでからなのでまだ先の話なのです。しかし彼らは最近のニュースで頻出ですので一体どんな組織なのか気になって本を手に取ってみました。

2015年10月時点、トップのアブ・バクル・アル・バクダディは最近の報道で空爆を受けて生死不明の状態です。

イスラム国?IS?ISIL?ISIS?

イスラム国はISだったりISILだったりISISだったり名称が一定しません。海外メディアではISISで固定ですがこれは本書で2つの理由が語られています。それは「アイシス」と単に発音しやすいから、もう一つは略称だと「国」が入らないので彼らを国と認めたくない政治家にとって都合が良いからだそうです。

日本国内メディアが「イスラム国」なのも単に短くて読みやすいからなんでしょうね。「イラクとシリアのイスラム国」とか「イラクとレバントのイスラム国」なんて見ただけで飛ばしたくなりますね。なお本書ではあえて「イスラム国」と呼ばれています。それは「国」を強調するためです。

当社の強み

21世紀初頭、2001年に911アメリカ同時多発テロが発生し「アルカイダ」「タリバン」が流行語となりました。ちょうど高校生の頃でライブ映像で2台目の飛行機がビルに衝突する映像を見てしまったことを覚えています。あれから14年が経ち台頭してきたイスラム国は、アルカイダと大きな違いがあります。手段として武力を使うことは同じですが、大きな相違点は彼らのもつ誇大妄想ともいえる物語と、手法の近代性の2点にあるようです。

1点目は「カリフ制に則る国を作る」ということが存在意義であることです。本書では何度も出てきますが中東イスラム国家は独裁の腐敗国家ばかりですので、厳格なイスラム主義はこれらの国に絶望したイスラム民にとって大きな訴求力があります。また彼らの領土獲得手段は暴力ですが、同時に道路補修、食料配給、電力供給などのインフラを強力に整備するという大きな特徴があります。内戦続きで崩壊しまくっているイスラム諸国にとってどれだけ魅力があることでしょう。

カリフ(ムハンマドの後継者たる預言者のこと)を掲げるなんて、生活に密着した歴史的なロマンたっぷりな物語で人々を釣るやり方ですね。カリフを日本で言うと征夷大将軍とか天皇みたいなもんだと思います。しかし日本には武士がいないので「将軍復活!」を掲げるテロ集団を立ち上げても支持は得られなさそうですね。没落士族の多かった明治時代ならウケたかも。「天皇を再び現人神に」なら愛国人が賛同しそうですがやっぱり人数が限られるかな。今や宗教の全くない日本じゃ無理ですね。人々に共通する強力な物語がないと。

2点目は日本でもよく知られていることですが、SNSの有効活用です。youtubeで首切り動画をばらまき、twitterで瞬時に全世界に魅力的なメッセージを発信します。

「欧米を支配しているのは銀行だ。議会ではない。おまえたちは、それを知っているはずだ。自分が一つの駒にすぎないこと、臆病な歩兵に過ぎないことに、お前たちは気づいている。だから自分のこと、自分の仕事のこと、家族のことしか考えない…それ以外のことには何の力もないと分かっているからだ。しかしいま、ジハードが始まった。イスラムの声を聴くがいい。イスラムは自由をもたらす。」

イスラムが自由かどうかは置いておいて前半はその通りですので、こんなメッセージがfacebookなんかで流れてきたら欧米のイスラム人を刺激することは間違いないです。

PLOという先例

実はイスラム国には先例があります。パレスチナ自治区です。彼らの代表PLO(パレスチナ解放機構)はテロビジネスで金を儲け、インフラ構築して定住し、いまでは国連のオブザーバー国家扱いになるまで発展しました。私はPLOの成り立ちを知らなかったので驚きました。テロってそんなに金になるんだねぇ。

というのも本書によればテロは必ず後ろ盾がいるものだからです。現在主権国家は表立って戦争を行うと経済封鎖などで瞬時にして痛手を負うので、様々な国家が彼らのような武装集団を密かに武器と金銭支援を行って代理戦争させ、武力を行使するという形をとっているからです。さらに、冷戦時代はアメリカかソ連しかスポンサーがいなかったのに、冷戦が終わった近年では各国の利害が複雑になり、スポンサー国家があちこちに出現して武装集団にとってはありがたい状況です。おかげでイスラム国も金を掻き集め短期間で大きくなることができました。

カリスマ統率者は必要か

最後に、アラブの春とイスラム国の違いについての筆者の言及が鋭いです。アラブの春はイスラム国と同様にSNSを使って広まり、世論を盛り上げて一定の変革をもたらしたように見えましたが、エジプトの軍部再クーデター、シリア内戦の泥沼化などいずれも失敗に終わりました。一方、SNSを効果的に利用したイスラム国は今のところ成功しているように見えます。これを筆者は、前者が個人の自主的な集まり、後者が求心的リーダーによる統率に依拠していることへの違いと見ました。自主的な集まりでは、メンバー間の関係性や交流により翻弄されてしまうから、と。なるほど歴史的に見てもカリスマに率いられた集団は強いです。ヒトラーしかり、天皇しかり、キリスト教の神しかり、、この論点からすれば、個人からなる日本の反安保同盟は失敗します。現に失敗しそうです。

でも、アメリカの手先なの?

ちなみに私が時々読んでいるあるジャーナリストによると、イスラム国はほぼアメリカの傀儡であり、中東の紛争恒久化(軍産複合体が儲かる)のために意図的に過大評価されているという見方もあります。メディアの使い方が洗練されすぎているので、米国が関わっていると考えるのは自然っちゃ自然です。

何が真理なのか私には全く分かりません。本書は短いながらも複雑で、所々重要な論点だけ抜き出してみましたが全体としては混沌としていてまとまりのない印象を受けました。単に私の知識と理解力が足りないだけなのかもしれません。国際情勢については、歴史を勉強したあと100冊くらい本を読まないとだめそうです。。

 

 

参考書籍

 

やっぱこれ読まなきゃダメだな

国際紛争 原書第9版 -- 理論と歴史

国際紛争 原書第9版 — 理論と歴史

  • 作者: ジョセフ・S.ナイジュニア,デイヴィッド・A.ウェルチ,田中明彦,村田晃嗣
  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2013/04/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (9件) を見る
 

 

 イスラム

イスラーム世界の論じ方

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 いつか読みたい中田考

日亜対訳 クルアーン――「付」訳解と正統十読誦注解

日亜対訳 クルアーン――「付」訳解と正統十読誦注解

  • 作者: 中田考,黎明イスラーム学術・文化振興会,松山洋平,中田香織,下村佳州紀
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2014/08/02
  • メディア: 単行本
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 戦争っつたらやっぱこれだけど、歴史を学んでからじゃなきゃ無理そう

戦争論〈上〉 (岩波文庫)

戦争論〈上〉 (岩波文庫)

 

 


書籍レビュー: 無知は高くつく 『カラー図解 アメリカ版 大学生物学の教科書 第3巻 分子生物学』 著:デイヴィッド・サダヴァ他

★★★★★

 

第三巻は分子生物学。細胞間情報伝達、遺伝子組み換え、遺伝子病と癌、免疫、発生が大きなテーマです。やはり図表が豊富で、非常に分かりやすい優れた本でした。

本書も知らないことだらけで驚きの連続でした。内容は実際に読んでいただくとして気になったテーマを取り上げていきます。

においは分子

私たちが匂いを嗅ぐとそれは脳に伝わり、美味しそうな匂いや不快なにおいなどを識別することができます。これは、鼻の匂い受容体に匂い分子が付着することにより、イオンチャネルが開いてカルシウムとナトリウムが細胞内に流入し、電位差が生じて神経に電流が走り、これが脳に伝わることで匂いを感知しているということだそうです。

人体の仕組みはもちろん驚くべきですがこれを読んでちょっと参ったなあと思ったのは匂いが分子であるということです。匂いって、熱とか音波みたいになんとなく物体から発せられる実体のない「気」みたいなものだと思いませんか?私はそのようなイメージでした。ところが受容体に分子が結合しないと匂いを感知できないということは、ウンコから出た匂い分子は鼻腔内の受容体に結合するということです。つまりウンコからはものすごい勢いで匂い分子が発散しているのです。すぐ隣に毎日律儀にウンコする猫が常に控えている身としては彼らの匂い分子を毎日鼻腔に結合しまくっているのだと考えると複雑な気持ちです。

免疫システムについて。リンパ管が全身を巡っていることは知っていましたが図解で見せられるとざわりとするどころかぞぞっとします。人間が管でできていることを見せつけられると人間の概念が変わっていくような気持ちがします。医者というのは人間を見る目が普通人とどこか違うと思います。私も生物学の本は一生かけてたくさん読みたいので人間に対する認識が変わっていくでしょう。

HIVこわい

おなじみHIVウイルスは人間の免疫システムを破壊するふてえ野郎という程度の認識しかありませんでしたが、本書で読んでさらに恐ろしいものと分かりました。

HIVには潜伏期間というものがあります。人によってまちまちで感染から発現までに8~10年かかるそうです。この潜伏期間というのが曲者で、HIVウイルスに感染した当初は免疫機構がHIVウイルスを病原体と認識して、大部分をやっつけてしまうことができるそうなのです。ところがHIVウイルスは免疫のうちのT細胞に感染するという特性があるため、完全には排除できません。で、潜伏期間の間にすべてのT細胞に徐々に徐々に感染していき、最終的には全T細胞が機能不全になった時はすでにHIVウイルスも他の病原体も退治する能力は失われていて、ここではじめて発症する、というメカニズムだそうです。まるで死へのカウントダウンという感じがします。

学習はつらい

一番心を打たれたのは生物学とは直接関係のない記述でした。発生応答という、環境に応じて特異な遺伝的形質が発現するという現象(例えば、マメ科植物の長さが太陽光の量によって決まるなど)の解説の中に挟まれていた次の一説です。

動物では、学習が環境変化に対する発生応答である。この本の内容を吸収しようと格闘している人は、学習がつらいものであることが分かっているだろう、学習には多くの努力と時間が必要であり、学習中は他の有益なことをすることができない。しかし、学習は大人になってもずっと続けることができ、物理的、生物学的、社会的環境に自分の行動を適応させることが可能になる。学習は、複雑な環境システムを持つ種ではとくに重要である。これらの種の個体は、多くの仲間のアイデンティティと個別の特徴を学習し、それに応じて自らの行動を修正しなければならない。しかしながら、どんなに学習がつらいものでも、無知の方がずっと高くつくものであることを忘れないでほしい。

突然現れたこの段落に私は右ストレートを食らい歯が折れたような気持ちになりました。分からないことだらけの学習はつらいし苦しいです。しかし私はもう知らないことには耐えられません。何故なら、他人が言うことを鵜呑みにせずに自分でものを考えるためにはどうしても考える材料である知識が必要となるからです。と薄々考えていた時にこんなジャストな記述に出会って、おったまげてしまいました。無知は高くつく。肝に銘じて今後一生を過ごしていきます。

なお、本書はこの後何事もなかったかのように生物学の解説に戻っていきます。

 


書籍レビュー: 障害ってなおすものなの?『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか』 著: 岡田尊司

★★★★☆

 

著者の岡田尊司さんは2005年に「脳内汚染」を書いていわゆる「ゲーム脳」論で有名になった人ですね。哲学科をやめて医師になったという変わった経歴の持ち主です。

新書の割に300Pもあり分厚目ですが内容は平易で、サクサク読めます。

10種類のパーソナリティ障害

パーソナリティ障害等はDSM-IVによれば「著しく偏った、内的体験及び行動の持続的様式」です。本書では10種類のパーソナリティ障害が紹介されています。岡田さんによればそれは著しく偏ったパターンを単に列挙したものではなく、いずれも次の2点が核に存在するものである、と主張します。

  • 自分へのこだわり
  • 傷つきやすい自己

この2点が「対等で信頼しあった人間関係を築くこと」を障害している、これをパーソナリティ障害と定義しています。

具体的な10パターンは次の通りです。聞いたことがある名前もあると思います。

 

  • 境界性パーソナリティ障害
  • 自己愛性パーソナリティ障害
  • 演技性パーソナリティ障害
  • 反社会性パーソナリティ障害
  • 妄想性パーソナリティ障害
  • 失調型パーソナリティ障害
  • シゾイドパーソナリティ障害
  • 回避性パーソナリティ障害
  • 依存性パーソナリティ障害
  • 強迫性パーソナリティ障害

本書では10種類すべて解説がついています。盛り込み過ぎて1つ1つへの言及は短いような感があります。気になったパーソナリティ障害については、別途他の本を読むのが良いでしょう。

気になった累計2つ

さて私がなぜこの本に興味を持ったかと言うと、身内にパーソナリティ障害のような人がいるからです。この本を読むとどうも境界性パーソナリティ障害(+演技性?)っぽいのです。

境界性パーソナリティ障害とは簡単に言うと「最高」と「最低」を行き来する思考が極端な人です。ついさっきまで最高の気分だと思ったら、何かのきっかけで世界の終わりのようなどん底の気分に変わります。そして、その気分には持続性がありません。いわゆる「メンヘルちゃん」の類型を思い浮かべてもらえばよいです。躁鬱病はきっとこれに含まれるでしょう。

思考にグレーゾーン、中間がありません。米田先生は自閉症スペクトラムの人は思考のコントラストが高すぎるという説を唱えていたので、自己の傷つきやすさという要素が加われば境界性パーソナリティ障害に分類される確率は高いでしょう。

ちなみに最悪な気分のときに典型的な症状は自殺企図です。リスカする人とは違います。あれは死なないこと前提ですので。彼らはマジですので注意が必要です。

個人的に気になるのはシゾイド型です。絶望ちゃんセーレン・キルケゴールもこれに分類されるそうです。彼らの特徴は孤独を好み対人接触を望まないこと、しかも傷つけられるのが怖いのではなく本質的に孤独が好きだということです。欲に乏しく名声も望まない。最近私はこのシゾイド型の思考が育っててきているので、彼らの生き方は大いに参考になるのではないかと思いました。私の生涯の目標は「どうやったら老後に年100万円程度使える金を残し(もしくは稼ぎ)、その金額でいかに生存するか」です。

障害は治すものなのか

自閉症は人間の生物学的な基盤ですが、パーソナリティ障害は人間の適応上の表現型だと思いました。自閉症スぺクトラムだろうが定型だろうがどの障害にだって陥る可能性があります。さて「障害」とはなんでしょうか。それは社会生活が困難になるかどうかで判断されるようです。誤解を恐れずに言えばそれは社会から見て目障りかどうかです。本書では、10種類すべてのパーソナリティ障害について、「克服」の仕方が記述してあります。

今日、この記事を読みました。

私は「障害」を治すという考えが嫌いです。例えばこういう本です。

発達障害を治す (幻冬舎新書)

発達障害を治す (幻冬舎新書)

 

 

自閉症は漢方でよくなる! (健康ライブラリー)

自閉症は漢方でよくなる! (健康ライブラリー)

 

 

でしさんの記事には全面的に同意します。ある特性を持って生まれてきたことは社会的に不利でしょう。それを他人に「社会にそぐわないよ」と言われるのは嫌です。いや本当にそぐわないので、おっしゃる通りで反論はできないんですけど。しかし一生ものの障害を「私たち素晴らしい普通人が矯正してあげます」と言われるのはもっと嫌です。岡田さんは誠意をもって克服法を書いてくれているのでしょうけれど、「障害」をどこか「未熟なもの」とみなし「克服」すべきものとする姿勢には、どうしても背後に大多数の普通人の圧力を感じてしまうのです。それがこの本で唯一引っかかる点です。

一般的なふつうの社会生活を送りたいならそりゃあ「克服」する必要はあるでしょう。でも克服したところで根っこは変わりませんから毎日苦しいに決まってます。ストレスでおかしくなるくらいだったらはじめっから普通じゃない道を究めた方が精神的にも可能性的にもいいんじゃないでしょうか。このような道は基本的に金になりにくいので甘すぎる考えだとは思っていますが、、

 

 

参考書籍

つー訳で次はこれですね。

境界性パーソナリティ障害=BPD 第2版

境界性パーソナリティ障害=BPD 第2版

  • 作者: ランディ・クリーガー,ポール・メイソン,荒井 秀樹
  • 出版社/メーカー: 星和書店
  • 発売日: 2010/12/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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岡田先生も書いてました。

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

 

 

 シゾイドも本出てますね。

シゾイド人間―内なる母子関係をさぐる (ちくま学芸文庫)

シゾイド人間―内なる母子関係をさぐる (ちくま学芸文庫)

 

 

サイコパスも気になります。

良心をもたない人たち (草思社文庫)

良心をもたない人たち (草思社文庫)

 

 


書籍レビュー: 信用創造ってなんだ 『金融入門』 著: 岩田規久男

★★★★★

 

岩田規久男さんは経済学者。現在(2015年)、日銀副総裁です。任期は2018年まで。

副総裁:岩田規久男(いわたきくお) :日本銀行 Bank of Japan

本書は貨幣とは何か、というところから始まります。銀行の役割、金融とは何かの解説とその必要性、金利や金融市場とは何か、などなどを経て最終的にはマクロ経済学と金融政策にまで至ってしまう非常に射程の広い本です。専門用語のオンパレードですが繰り返しも多く、付いていくための工夫もされています。欲をいうならもっと図やグラフが多ければさらに分かりやすいのですが、ページ数の都合を考えると仕方ないでしょう。

金融ってなんですか

読んで字のごとく「金の融通」です。Aさんはお金が足りないが、Bさんはお金が余っている。Aさんは1か月後に金が入る当てがあるが、今すぐお金が入るわけではない。Bさんは金が余っているが、1か月寝かしておくのも勿体ない。そこでBさんはAさんに金を貸して、Aさんが1か月後返す時に一定の利子を取って儲けたい。

しかしAさんは本当に金を返してくれるのかどうか信用できない。夜逃げされたらおしまいだ。でもAさんの収入状況を調べるのはとても手間がかかる。Aさんからしてみても、Bさんがどんな人かわからないし暴利を要求されるかもしれない。支払いが遅れるとスマキにされて東京湾に沈められるかもしれない。

そこで登場するのが、銀行をはじめとする専門の金融機関です。調査のプロフェッショナルにより調査コストを抑え、AさんとBさんのような顧客を多数抱えてマッチングさせ、仲介料を取る仕事、それが金融だということが序盤で説明されています。この方式ならAさんは金を借りる機会が増え、Bさんは安全に資産を運用でき、銀行は仲介で儲けられる。3者が得するという関係になります。

銀行は貨幣を創造する

私全く分かってなかったんですが、銀行が会社に融資する時って、銀行が貨幣を文字通り「創造」するんですね。金を借りたい企業が銀行に行って融資を頼み、審査が終わると次のようになります。

…銀行が企業Aに100万円貸し出すとしてみよう。銀行はこの貸し出しを、企業Aに預金口座を開設させ、その預金口座に100万円だけ入金することによって実行する。この企業Aへの預金口座の入金は、単に、企業Aの預金口座に100万円と印字するだけであり、銀行は1円の現金も必要としない。

えー!!!知らなかった!!!てっきり、銀行は顧客が預けた金全額がプールされていて、そこにある金額を上限として貸し出せるんだと思ってました!

信用の力で金が生まれる

もう少し読み進めていくと謎が解けました。銀行には顧客の預金全額が常に存在するわけではありません。顧客の数が多ければ、顧客が預けている金の何%かを持っていさえすれば日常の引き出しには十分応じることができますので、銀行にある現金は少ない量でよいのです。残りは貸してしまって利子をつけ儲けることができます。なので、上記のような「突然預金が100万円増えた」なんてことをしてしまっても、顧客が日常使用する金額さえ銀行内に存在すれば業務が十分成り立つわけです。こうして銀行は貨幣を創造し、利潤を極限まで高めます。この創造機能が信用です。そこに存在しない金をあたかも存在するように変える、「ない」を「ある」に変換する機能が信用だと言えます。

「あの銀行はやばい」という噂が流れるとこの信用が崩れ、顧客が預金を引き出しまくると銀行は潰れます。顧客が預けているお金全部が銀行にあるわけではないからです。信用は現物を遥かに超える量のお金を生み出しますが、前提が崩れると何もかも無くなります。危ういですね。

他にも、今私が金を借りている消費者金融、すなわちノンバンクは何故~銀行系列って言うのかなと思ってましたが、それはノンバンクが必ず銀行に金を借りて営業しているから、でした。ですのでノンバンクは金の又貸しです。親玉の銀行に利子を払わなければいけませんので、金利が高いのは当たり前というわけです。

基本的なことで知らないことだらけだったので、非常に良い本でした。1999年に発行された本ですが古さが気になりません。90年代ですからバブル崩壊はストック過剰の調整だった、などの考察も載っています。おすすめの1冊です。岩田さんが今の国債や手形を買いまくる量的緩和をどう思っているか、知りたいものです。

 

 

関連書籍

わかりやすかったので、次はこれを読んでみようと思います。

国際金融入門 (岩波新書)

国際金融入門 (岩波新書)

 

 

推進派でしたか。

リフレは正しい アベノミクスで復活する日本経済

リフレは正しい アベノミクスで復活する日本経済

 

 

 これも面白そうですね。

昭和恐慌の研究

昭和恐慌の研究

 

 

金融と言えばこれ。以前立ち読みしたことがありますが、この本を読んでからにすればよかったと後悔しています。またゆっくり読みたい。

ナニワ金融道 文庫 全10巻 完結セット (講談社漫画文庫)

ナニワ金融道 文庫 全10巻 完結セット (講談社漫画文庫)

 

 


書籍レビュー: 苦しいことは良いことだ 『力学 (物理入門コース1)』 著: 戸田盛和

★★★★★

物理入門という触れ込みだが。。

12年ぶりに物理の勉強本です。目標は学士卒業くらいの知識をつけること。理由は知らないことが嫌だからです。

市内の図書館にあったので、次にどんな勉強が必要か目を通して調べるためにとりあえず取り寄せてみたのですが、数学入門を読んで微積分をなんとなく思い出したのでもういいかな?と思って試しに読んでみました。

大学初年度向けの初心者向けという触れ込みだったのですが12年も経つと数式は忘れていて難しすぎ!微積分の公式はなにも説明なしでポンポン使われるし微分方程式も「~の解は~なので~」と勝手に解いてしまうし苦しいよう。1982年の本なので、当時の大学1年生にとってはちょろい本だったのでしょうが、私達ゆとり一歩手前の世代は微分方程式なんて知らんよ、数学入門でもついてくのヒーコラだったよ、と思いつつ苦行だと思ってなんとか読み通すことはできました。高校では習わないベクトルの外積を1から定義してくれていたので助かりました。

読むのが苦行というのは頭を使うということですから苦しんだ分効果は非常に高くしかも達成感のあるもので、終盤の剛体の運動のところではバットにどのようにボールを当てると手に衝撃が加わらないのか、という問題やビリヤードの問題などとても面白い例題が書かれていて、なんとか理解できた時にはエキサイトしました。

一番面白かったのは歳差運動ですね。なぜ地球ゴマの円盤が周りコマ自体も別の運動をするのか、ということが明らかになります。

歳差 – Wikipedia

さらに地球の歳差運動を別の原理で導き、地軸は僅かな速度で回転していて、1万年くらいすると北極星から外れてしまうということを導いたときには感動しました。天体論は必ずスケールのでかい話になるので心がぶわっと広がります。そういえば大学時代の知り合いに天文部の部長がいました。彼が天体に惹かれる理由が分かった気がします。彼の名前を思い出したので検索してみたら、宇宙学者ではなく、塾講師になっていました。。

https://www.youtube.com/watch?v=xHK_ppa7vk8

当時よりも声が高くて喋るのが早い。元気にしていたようでよかった。

 

一般的なことを言うと、高校のときに数学と物理で受験した人ならきっと読めます。大学1年の授業と並行するもよし、春休み中に読むもよし。それでも高校とはかなりギャップがありますのでこれで慣れておくのは有効です。

 

 

参考文献

さて教科書っていうのは得てして内容が詰まり過ぎているので何回でも読まなきゃいけません。本書も3回は読み返したいのですが今日が返却日だったので残念ながら手放さざるを得ませんでした。そういう意味で図書館で借りたのは失敗でした。買わなきゃダメ。

私が教科書にしたいのはこの本です。

ファインマン物理学〈1〉力学

ファインマン物理学〈1〉力学

 

ところがこの本5分冊で1冊3000円以上もするのです。痛い。ところが検索しているうちになんと、原書が全文web公開されていることが分かりました!!

The Feynman Lectures on Physics

うおおカルテック(カリフォルニア工科大)すばらしい!神!というわけでこのサイトの記述を何度も読み返すことにします。時間かかりそう。

 

その前に数学を復習しないと話になりません。理工書は荷物を減らすため一度大半を売ってしまいました。今思うと愚行です。一冊だけ残っていたこれで復習をするつもりです。

解析入門 原書第3版

解析入門 原書第3版

 

 

 

 


書籍レビュー: わかりやすい哲学者列伝107傑『哲学大図鑑』 著: ウィル・バッキンガム 訳:小須田健

★★★★★

 

以前「経済学大図鑑」という本を読みました。これがなかなか面白かったのでこのシリーズ、全部読んでみたくなりました。分厚くてでかいので時々1冊読む程度のペースで全部読もうと思っています。

 

哲学は私にとって昔から気になる分野です。というのも私は頭が悪い、特に論理的思考力に問題があるという自覚がありますので、論理の原理原則を追求し思考の基盤となる(と信じている)哲学をどうしても学びたかったのです。そしてそれは、ふつーの人が当たり前に考えている常識のようなものへの架け橋になると考えていました。私にとって全く理解できない常識がどんなものか完全に解体してしまえば理解できるようになるかもしれないという期待があります。哲学が本当にそんなものなのかどうかについてははまだ結論は出ていません。

そこでまず西洋哲学の概説書を読んでみようと思いました。古本屋の100円コーナーにカバーなしで捨て置かれたような状態になっていたこの本が目に留まりました。

西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

 

ゴミ箱から救い出すような気持ちで購入し上下巻とも読んでみましたが、意味不明でした。死にそうになりながら最後まで読みましたがさっぱりわかりません。私の頭が足りないのか訳が悪いのか著者がアホなのかすらわかりません。ここから得た知識は「人間どんなことを基盤にしても生きられるものなのだなあ」という分かったような口をきくことくらいでした。

数年経ち、目に留まったのが本書です。経済学大図鑑と同じく、年代順に107人もの哲学者をずらずらと並べ、ひたすら解説していくというスタイルをとります。本書はシュヴェーグラーのものとは違い、極めて分かりやすかったです。著者は経済学大図鑑の人とは違いますが訳は同じ小須田さんです。訳者の専門ど真ん中だったことも分かりやすさに寄与しているようです。

分量は哲学者によって異なり、一人当たり1P~6Pの解説がなされます。著者が重点的に解説しようと思った人については長くなっているようです。ブッダや老子、田辺元、和辻哲郎、イスラム思想家など東洋の思想家についても取り上げられているのが特徴的です。訳者のあとがきによると著者は哲学の根本特徴である「理性的推論」に重点を置き、解説もこの視点からなされ類書と比べるとかなり斬新な解釈がなされているそうです。

以下では私が気に入った哲学者を5人紹介します。

5位 ウイリアム・ジェイムズ(1842-1910)

ジェイムズはアメリカ人。「プラグマティズム」という、真理を有用性に認める立場を確立した哲学者です。彼は、真理は絶対的1つのものではなく時と共に移り変わるものであると考えます。例えば地球が平らだと信じられていた時代はそれが真理であり、その時代においては十分機能していました。しかし時代が進みコロンブスの時代では地球が平らである解釈していたのでは不都合が起きます。そこで真理は「地球は丸い」へ変化することが要請されます。ここからジェイムズは、真理とは内在するものではなく我々の観念の中に「生じる」ものである、真理は真理に「なっていく」、様々な出来ことによって「真理にされる」ものであると推察します。

ジェイムズの論理の魅力的な点は、この考察から真理がダイナミックで動的なものとなる点です。一見して荒唐無稽な信念もその有用性が評価されれば彼の論に照らせば真理となります。新しい真理が次々と生まれますし、多様な真理の束が構成されることが期待されます。ただしその真理の有用性は、非常に厳密に評価されなければなりません。そして、信念が本当に真理であるのかどうかは私たちが生きている現在には決して評価しえず、あとになって振り返ってはじめて真理であったかどうかが分かります。とても厳しい考えですが、豊富な可能性を感じさせるジェイムズの考え方は好きになりました。

自分のなすことがちがいをもたらすかのようにふるまえ。そうすればそうなる。

4位 デイヴィド・ヒューム(1711-1776)

スコットランドのエディンバラ生まれのヒュームは、「イギリス経験論者」と言われるそうです。当時支配的だった考え方はデカルトによって打ち立てられた「合理主義」でした。人間が「生得概念」をもって生まれてくるとし、これを原理としてあらゆる知識には理性によって到達できるという理性バンザイな考え方でした。ヒュームは、そんなもんないんじゃね?とこれらを攻撃します。

例えば「AがBを引き起こす」という言明があったとします。例えば「明日になると太陽が昇る」という言明です。これは経験的には必ずそうなのですが未来永劫続くとは限りません。なぜなら未来の事象は観察できないからです。ヒュームはこれを突き詰めて、「科学的・帰納的推論はすべて論理的ではない」と結論します。どこまで推論を厳密にしても、論理的でない以上、それは信念もしくは蓋然的な習慣に過ぎません。科学が習慣にすぎないという主張はラディカルでびっくりするものでしたが、言われてみればその通りです。

ただしヒュームは科学が習慣だからと言ってそれが無意味だと説くわけではありません。むしろ理にかなったことであると考えていました。私達が信念によって引き出した結論は「論証的な結論と同じくらいに精神にとって満足のゆくものなのだ」と述べています。なんだかジェイムズとかぶってますね。ヒュームのことも、私がそう信じたいので気に入ったのでしょう。

習慣は人間生活の偉大なガイドだ。

3位 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)

ドイツはウィーン生まれのウィトゲンシュタインは、高機能自閉症の疑いがあると言われています。これだけでも気になる人なのですが、本書の解説によれば彼が目指したのは 「世界と言語の構造化」です。おお、めっちゃシステム化ド直球やん!しかも、両者はすべて構成要素に分解可能であると言い切っているそうです。希望が持てます。

ウィトゲンシュタインは、世界は命題で成り立っていると考えました。命題とは「波平はハゲだ」のように真偽が決定できる主張のことです。これを主著『論理哲学論考』の冒頭で「世界とは成立していることがらの総体だ」と表現しているそうです。

さらにウィトゲンシュタインは言語が世界を「写像」化していると主張します。写像とは数学的にはある世界の1つのものと別世界の1つのものを、1対1で対応させることです。つまり言語は世界のマッピングであるというわけです。地図を思い起こしていた抱ければよいと思います。地図上では、現実世界と紙の上の世界が1対1で対応しています。言語と世界は独立した論理形式をもつが、写像の働きにより私たちは世界を語ることができると彼は考えました。

私の言語の限界が私の世界の限界だ。

ところが世界が命題で成り立っているので、言語も命題で成り立っている、したがって真偽が判断できないこと、例えば倫理学や宗教は言語で語りえないとヴィトゲンシュタインは結論してしまいました。

語りえないことについては沈黙するほかない。

後年ヴィトゲンシュタインはこの考えを改めていくらしいですが、本書では詳しく触れられていません。言語によるマッピング・写像という考え方は私の世界観と激しくマッチするのでとても興味がありますが、のちにどうして考えを変えていったのかとても興味のある人です。

2位 ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)

フランスの現代哲学者サルトルは、ボーヴォワールとの奇妙な生活が取り上げられることが多いようですが、本書によれば彼は「自由」を考え抜いた哲学者であったようです。

実存は本質に先立つ。

サルトルはペーパーナイフを例にとって上記の言明の説明をしました。ペーパーナイフの本質は包装を開くことです。効率的に包装を開くためには、人間工学的にデザインされた持ち手や、スムーズに切れる鋭い刃が必要です。そしてこれを設計するためには、ペーパーナイフの本質を理解する職人という実存が必要です。言い換えると、ペーパーナイフは目的・本質が先行し結果として実存しているのではなく、人間という実存が先立っているということです。

西洋で本質とされるのはもちろん神です。サルトルは神が先にあったのではない、人間が先にあるのだ、と考える無神論者でした。神は人生に目的を与えます。神学者はそれを人間の本質と考えます。サルトルはそんな強いられた本質なんかやなこったと考える人間でした。

自由には制約があります。例えば私たちは羽をもたないので飛べません。食わなければ死にます。しかし有限とはいえ私たちには選択の自由があります。無意識的に習慣のまま行動するのではなく、どう行動するか選択に向き合わなければならないというのがサルトルの主張でした。このため彼は政治的活動に積極的に関与していくそうです。

人間は自由の刑に処せられている

また、自由とは責任を伴うものです。なぜなら外部的なものに制約されないということは、同時に外部に自分を正当化する根拠が何もないということだからです。自分の行動に言い訳は許されません。なかなかヘビーな概念ですが、これは以前読んだ「7つの習慣」で言われていたことと全く同じですね。

自由についての彼の考え方は大好きです。フランスの個人主義はサルトルの影響を強く受けているそうです。私がなんとなくフランスに憧れて大学でフランス語を選択したのはあながち間違っていませんでした。彼の著作は必ず読んでみたいと思います。

1位 ゲオルク・ヘーゲル (1770-1831)

ヘーゲルはいわゆる「ドイツ観念論」と呼ばれる学者の代表だそうです。昨日の記事でも書きましたが、ヘーゲルは「弁証法」の提唱者です。弁証法は、あらゆる観念は完全なものではありえずかならず矛盾を含むものである、という考えを基礎とします。かれは観念を「定立」と呼び、内部の矛盾を「反定立」と呼びました。そしてこの矛盾は「綜合」という一層豊かな内容を持った観念が、もともとの観念それ自体から出現して解消する、というプロセスを辿ると考えました。「定立」の観念は私たちの理解が足りなかったために「反定立」が見えてきたのであって、「綜合」によってより正確な観念が把握できるようになったと考えます。これが弁証法です。

真理とは全体だ。

この論理の何が魅力かというと、その発展性です。定立はどこまでも拡大させることができますが、どこまでいっても「綜合」の余地があるということですから、無限大に広がることができます。そのイメージに私は魅了されてしまいました。動的に自己増殖可能な観念、それを身につけられたらどれだけ素晴らしいことか。

番外 フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)

キリスト教に壮大なケンカを売った人間です。本書で唯一爆笑した人物でした。死後の世界を信じているために現実の世界を置き去りにしているキリスト教や、「真」なるものが存在すると主張し現実世界はくだらないものだとするプラトン達のことが本当に気に入らなかったようです。すげー厨二めいたものを感じますがぜひ読んでみたい思想家でした。

振り返って

気に入った哲学者には偏りがあります。ジェイムズ、ヒューム、サルトル、ニーチェといわゆる「真なるもの」への私の疑念がそのまんま形になっているようです。ヘーゲルの思想は憧れです。ますますもって歴史を学ぶことの必要性が明らかになりました。

次は彼らの思想を原著でたくさん読んでみたいですがきっとすごく難しいんだろうなあ。

 

 

参考書籍

 

今回は多いです。100冊くらい読みたい本が増えた

 

ジェイムズ

ウィリアム・ジェイムズ入門―賢く生きる哲学

ウィリアム・ジェイムズ入門―賢く生きる哲学

 

 

宗教的経験の諸相 上 (岩波文庫 青 640-2)

宗教的経験の諸相 上 (岩波文庫 青 640-2)

 

 

ヒューム

人性論 (中公クラシックス)

人性論 (中公クラシックス)

 

 

社会契約論: ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ (ちくま新書 1039)

社会契約論: ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ (ちくま新書 1039)

 

 

ウィトゲンシュタイン

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

 

 

ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)

ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)

 

 

サルトル

 

嘔吐 新訳

嘔吐 新訳

 

 

サルトル 失われた直接性をもとめて シリーズ・哲学のエッセンス

サルトル 失われた直接性をもとめて シリーズ・哲学のエッセンス

 

サルトル本の邦訳はあんまり出てないのでフランス語を極めないとだめかも

 

ヘーゲル

精神現象学

精神現象学

 

 

歴史哲学講義 (上) (岩波文庫)

歴史哲学講義 (上) (岩波文庫)

 

 

使える 弁証法

使える 弁証法

 

 なんじゃこりゃ

 

ニーチェ

ツァラトゥストラは こう言った 上 (岩波文庫)

ツァラトゥストラは こう言った 上 (岩波文庫)

 

 

道徳の系譜 (岩波文庫)

道徳の系譜 (岩波文庫)

 

 

善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)

善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

他に気になった人。

 

ゴータマ・シッダールタ(釈迦)

スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫)

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トマス=アクィナス

神学大全I (中公クラシックス)

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モンテーニュ

エセー 1 (岩波文庫 赤 509-1)

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ウルストンクラフト

フェミニズムの古典と現代―甦るウルストンクラフト

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ルソー

エミール 上 (岩波文庫)

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ショーペンハウアー

意志と表象としての世界〈1〉 (中公クラシックス)

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ソシュール

一般言語学講義

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ラッセル

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

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クワイン

ことばと対象(双書プロブレーマタ3)

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 デリダ

声と現象 (ちくま学芸文庫)

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リオタール

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

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 ボーヴォワール

決定版 第二の性〈1〉事実と神話

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