家族の心を死なせた

ぼくはパートナーであるc71に傷を負わせました。

セカンドレイプの追認をしました。


c71が @psychi に「どこまでやったら許すんですか」「もし、謝ってきたら許すんですか」「強いですね」と個人攻撃されているのを、見過ごしました。@psychi を殴って彼女を連れて立ち去るのが筋でした。実際には、ぼくは何もせず、彼女が席を立ち、彼女だけが悪者になりました。

レイプした人間が謝ったぐらいで許されるのなら世界中の男はレイプし放題です。ぼくは「謝って許されるものではない」と言いましたが、この時点で席を立つべきでした。

みんな勘違いしていますが、彼女は強くありません。ブログを読めばわかりますが体は小さいころから今までずっと弱いしすぐ体力が切れて寝込むし、安定しない気分と連動してすぐに体調が悪くなります。だいたい強かったとしても、個人攻撃してよい理由にはなりません。

彼女の友人の誕生会を祝おうと、体の不調をおして遠くからやってきたのですが、散々な目にあいました。c71が被害を訴えても「@psychiにも事情があるから」と被害者の気持ちを踏みにじられました。

彼女はいつも一人で闘ってきました。彼女に向けられるあらゆる偏見、誹謗中傷、無責任なたしなめや意見、「心配」という名のもとのコントロール、どれもこれも一人で背負って、蕁麻疹や高熱を頻繁に出して潰れそうに壊れそうになりながら、ギリギリのところで今まで奇跡的に死なずに生きてきました。

ぼくは「c71を個人として尊重する、何でもやりたいようにしてほしい」という信念を持っていましたが、これは決して「c71の行動の責任を彼女一人に負わせる」という意味ではありません。しかし、ぼくは彼女の行動を見守りこそすれ、「c71が辛い思いをしないようにする」ことにあまりにも無頓着でした。ただ、傍観しているだけでした。彼女は以前と変わらず世界に一人ぼっちのままでした。

c71はぼくと「家族になりたい」と言ってくれました。ぼくは今日、家族を守れませんでした。家族を一人ぼっちにして、孤独に、闘わせて、セカンドレイプさせて、心を死なせました。ぼくは、元配偶者の窃盗についての弁護士への相談に立ち会ってもらい、先日も元配偶者の嫌がらせへの対応をしてもらったりと、これ以上なく彼女に守られてきたというのに。

どれだけ彼女に謝ったって慰めたって、一人で闘わせているのでは欺瞞です。上官が兵士にお前頑張って死んで来いって言うのと同じです。あなたは一人ぼっちではないのだといくら言っても行動が伴わなければ空虚だし絵空事です。二人で闘います。

 

彼女の魂を殺した路傍ヒューズと@psychiは死ねばいいのに。

 

路傍ヒューズの手口: ポリアモリーと浮気性

路傍ヒューズの手口: ポリアモリーと浮気性

 

石井祐希くん内定おめでとう

http://www.wiz.ac.jp/blog/blog/archives/2728/

 


清算、車、大波

過去に関するものを捨てています。近々、電話・家・名前の3つを捨てます。

元家族に番号を知られている携帯電話を今月末で解約します。来月の頭には貧乏生活をしていたときのアパートを完全に引き払います。荷物は、よくない思い出が詰まっているので大部分を捨てます。敷金礼金ゼロゼロ物件だったので、解約時にクリーニング代として家賃の約2倍の金額を取られてしまいます。契約時に分かっていたことでしたが痛いです。

ぼくはペーパー離婚するとき、戸籍法77条の2の届(離婚の際に称していた氏を称する届)を同時に提出してしまったので、戸籍上は元配偶者と同じ苗字です。これを近いうちに、両親と同じ苗字に戻します。両親と養子縁組すれば元の苗字に戻ります。幸い、両親に事情を話したところ快諾してくれました。今月中に過去の清算がほとんどできそうです。

 

今日は原付免許の講習に行ってきました。必要ができたため、近いうちに普通自動二輪の免許も取る予定です。元家族の家では車が目の敵にされており、車がないと不便な土地であるにもかかわらず徒歩で生活しなければいけなかったため、孤立化の一因になりました。車があるということは移動の自由があるということですので、元配偶者は意図的に車を排除していたのかもしれません。

 

パートナーはここ1か月ほどずっと気持ちの波が大きく揺れやすくなっていて、なかなか安定しません。いまは船の揺れに耐える時期だと考えて、静かに生活することを目指しています。できることはあまりありませんが、支えになればよいなと思っています。ときどきぼくが原因で波を揺らしてしまうことがあり、反省しています。


ケガをしたことと、負担をかけたこと

10日ほど前に大ケガをしました。ランニング中に脳貧血で倒れ、意識を失っているうちに顎を強打し血がボタボタ垂れて救急車で運ばれました。強く噛み合わせたせいで奥歯が2本欠けて顎関節にヒビが入りました。幸いにも予後がよく、顎の傷も顎関節もほぼ治り、いまでは縫合に使用したホチキスの跡が顎に少し残っている程度です。

結果的に大したことのないケガだったのはよかったのですが、この事件が一因となって、パートナーの感情の波が大きく揺れやすくなってしまいました。毎日しんどそうです。ぼくは体調管理に注意を払い、今後は無理な運動は行わないことにします。しばらくの間はパートナーを理解・支援するために時間を使っていきたいです。


不安だからといって他人を攻撃するな

昨日、神奈川の旧居に泊まることになり小田急線で西に向かっていた。夜遅く終電に近い列車で、平日夕ラッシュほどではないが混雑していた。

隣に、ジャマイカ人風(レゲエ帽をかぶっていたので)の推定50代のおじさんが立っていた。目に力があり、佇まいもカッコよく魅力的だった。この日は気分が盛り上がっていたので、機会があれば話しかけたい気持ちだった。二人はドア付近に立っていた。

経堂、成城学園前、向ケ丘遊園と乗客がたくさん降りる駅ではぼくとおじさんがドアのから出て乗客を外に出し、また中に戻った。

確か登戸だったと思う。体が大きくておどおどした顔の男が乗ってきた。そいつが乗ってきたあと、おじさんが怒った。

「お前脳みそ腐ってるよ」

「motherf**ker」

「外人だからってこんなことやっていいと思ってるの」

「日本人の印象わるくなるよ」

「motherf**ker」

10分ほど男はスマホをいじりながらおじさんを無視した。やがて開口一番

「うるさいよ、キチガイ」

おじさんが「こんなことするなんて狂ってるよ」と言っているときのジェスチャーを見ると、どうやら男がおじさんを肘で押したらしい。

ずっと黙っていたけど、どう考えても男が悪いし、おじさんに声をかけたくなった。

「肘で押されたんですか」

「そう、こうやって」肘のジェスチャー。

男が声を荒げる。

「いつまでもわけわからないこと言いやがって!だからキチガイって言ったんだよ!ほかの乗客にも迷惑になるだろうが!」

男はおびえた顔のまま、続けてまくしたてた。

「俺が電車に乗る時、こいつが、扉の前で動かなかったらだよ!日本では、客が入ってきたら中に入るの!」

ぼくは動転していたので、ちょっとずれたフォローをした。

「いや彼は、電車のマナーがわかっている方ですよ。乗客さんが降りるとき一緒に外に出てますよ」

「なんだよお前!?お前俺が押したところ見てたのか!?」

確かに見ていなかった。ぼくは何も言えなくなった。男はこのあとぼくに向けて1分ほど怒声を浴びせたが、内容を全く覚えていない。泣きそうな表情を怒りで覆い隠しているような男の顔だけを覚えている。

男はスマホの世界に戻った。ぼくとおじさんは二人でずっと男をにらみつけていた。

男が入ってきたとき、ぼくも押されたような気がしたが、確信が持てない。そもそも男が入ってきたとき満員だったからおじさんが動けないのは当たり前なのだが、という言葉も、口から出ない。腹が立ってしょうがないのに。

おじさんに「ひどい目にあいましたね、気にしないでくださいね」と言いたかったけれど、男の前で、口に出せない。何も言えない自分が情けない。

おじさんは町田で降りて行った。降りるとき、ぼくに「すみません」と声をかけていった。おじさんを追いかけて、やっと、あまり大きくない声で「ひどい目にあいましたね」という言葉が出た。おじさんは振り返らなかったから、聞こえたかどうかはわからない。おじさんの後姿が忘れられない。

一人でも味方がいるって思ってもらえたかな。

 

男に差別心があったことは明らかだった。外人がいるから腹が立ち、目の前にいたそいつに肘打ちを与えた。男は始終おどおどしていた。細い細い心の糸を切られるのが怖くてしょうがないという気持ちが伝わってきた。

差別の心は不安から始まる。差別者は「不安だからあいつのこと貶めてしまえ、貶めれば自分が上に立てる。先手必勝だ、攻撃すればいい。自分がやられる前に、攻撃して打撃を与えてあいつの自尊心を奪ってしまえばいいんだ」と考える。そこには、人には上下があり、1次元的な直線の上に人間のレベルとかランクみたいなものがあるという仮定がある。

その仮定は間違っている。レベルやランクは、あなたが決めたものでしかなく、本当はどこにも存在しない。お前の物差しが普遍的に通用すると思うな。

不安を抱える人間はかわいそうだ。かわいそうだけれど、それが人を攻撃してもよい理由にはならない。不安だからといって攻撃してはいけない。攻撃は、他人を破壊する行為だから。

不安なら、自分が成長すればいい。誰も傷つかないし、自分も得する。成長できないなら、やりすごせばいい。やり過ごすことはだれでもできる。時間が経てば状況が変わって、不安が解消することもある。

 

男がやったことは

「お前は肘打ちされてもいい人間だ」

というメッセージだ。おじさんの怒りは正当だ。人間性の否定に抗う権利は誰にだってある。

ぼくは直感ではわかっていたが、言葉にするまで1日時間がかかった。これが一瞬でできたなら、もっとやりようがあったのに。


みんなどうやって生きてるんだろう

前の家では門限が15時だった。元妻はこどもを早く寝かせるためと言って、15時に夕食を摂るためだった。

用事で15時を回りそうになると「蚊が入ったらどうする」などといやがられた。元妻は蚊にこどもが刺されることをおそれ、執念のように蚊を避けた。マンションのドアを開けるときに周りを注意深く見まわして虫1匹いないことを確認し、素早く扉を開け迅速に閉めなければいけなかった。確認、扉の開閉、どれが欠けていても罵倒された。冬でも蚊取り線香を玄関の外と中に置いていた。蚊取り線香の着火消火役はぼくが行った。陽が落ちて蚊が入る可能性が高くなることは許されなかった。どんな用事も15時までに済ませなければいけなかった。片道2時間かかる会社を13時に出なければならなかった。

昨年末に地元から友人が来てくれた時も、ぼくは15時のルールを死守した。彼と会うと元妻に告げた時、彼女はぼくへの支配が終わったことを認め、すぐにぼくがいつ出ていくのかという話になった。だから、ぼくへの支配はもう終わったはずなのに、それでも15時に帰らなければいけないと思っていた。心の支配は、恋人が、ぼくの受けた経験はDVだと教えてくれて、支配と戦う力をつけてくれるまで続いた。

11年間、外部とほとんど接触しないで過ごした。地元の知り合い、同級生、同じ部活の友人とは交渉を禁じられるどころか話題に出すこともタブーとなっていた。彼らは元妻にこき下ろされ、バカにされた。ぼくも元妻と一緒にバカにして生活に適応した。

ぼくは偽名でFacebookに登録して、昔の知り合いについて調べようとしたこともあった。しかし彼らは侮蔑の対象だったし、ぼくとあまりにも違う、彼らの生活を知ってしまうことに恐怖があった。だから連絡を取ることができなかった。

知っておけばよかったのだ。みんながどうやって生きているか。いかにぼくたちの生活が異常だったか。

自分たちと異質なもの、価値観が違う人間をバカにし、序列をつけ、あらゆる理屈をつけて正当化しないと成り立たない生活を送っていたこと、元家族にバカにされる対象にぼくまでが入っていたこと、ぼく自身もそんな状態に慣れていたし正しいと思っていたこと、どれをとっても、正常だったとは思えない。

みんな11年の間にどうやって生きていたの?知りたい。

いままで知らなかった人のことも、知りたい。


公園に行ったら

放送大学の教材など読まなければいけない本が溜まっているので、今日は天気も良いし読書しようと公園に出かけた。

公園の中央にある芝生広場では沢山の親子連れがいて、ボール遊びなどを楽しんでいた。こどもの年代は推定1-2歳が中心で、壊れそうに小さくて、ボールを追いかける姿が危なっかしく、ほほえましかった。

芝生広場の隣の区画のベンチで数十分本を読んだらお腹が空いてしまったので、コンビニにお菓子を買いに行った。

そういえばこどもとボール遊びをやったことはあったっけ?

連れ子の長女とキャッチボールをやったことはある。あれはまだ結婚生活の初期で、ぼくにかけられた制限がほとんどなかった頃だ。長女が11歳とすでに大きかったこともある。

ぼくの子である次女と長男とは、体を使った遊びをしたことがない。そもそも次女や長男をぼくが外に連れていくことは禁じられていた。ぼくが注意不全だから、こどもを交通事故に合わせるだろうということが理由だった。一家で出かけたときに、道中である1回だけ車が来る方向を見ていなかったことを元妻に見とがめられて以来、ぼくには注意不全のレッテルが張られた。ぼくは常に元家族の最後尾に位置して歩いていた。次女と長男の送り迎えはすべて元妻か長女が行った。ぼくは自分に注意力がないから仕方ないね、とその状況を受け入れていた。

ぼくは力の加減が難しいから、外遊びができる状況だったとしても、元妻に禁止されていたと思う。

公園で遊んでいる親子連れを、いいなあ遊んでもいいんだなぁ、うらやましいなあ、と感じた。ぼくに能力が足りなかったから遊ぶことができなかったのか、それとも元妻の禁止が異常だったのかはよくわからない。実際、力の加減が下手なので危険ということはある。とはいえ、ケガをさせるほどではなかったとも思う。交通事故にだってあわせないくらいの注意力はあったと思う。そもそも「公園で遊んでいる親子連れ→善」という価値観自体にも疑問がある、世間の圧力だと考えたり、その疑問はぼくのひがみの意味を無くすことが目的なんだから醜いとも考えた。

ぼくは長女とも次女長男とも分け隔てなく接したつもりだが、元妻は「私と長女は親子関係があるが、あなたは他人」と何度も言った。ぼくは父親としてこどもと関わりたかったが、名前と関係性を奪われて、その願いは果たせなかった。「父親として」というのも、常識や世間に形作られた、ステレオタイプにすぎないかもしれない。「父親は厳格でこどもの壁のような存在になるべき(元妻談)」などとは思わない。ぼくはこどもを独立した人格と認めて、必要な時に必要な援助のできる人間でありたかった。じゃあボール遊びなんて必要じゃなければしなくてもいいじゃん、うらやましいなんて思うの筋違いじゃん、「みんなのやることがうらやましい」的な主体性のなさに縛られてるだけだろ?とも思う。よくわからない。

こどもは15歳になれば親権を自分で選べるが、ぼくのことは「こどもを捨てた父」として記憶されるだろうから、もう会うことはできないだろう。いや父とすら意識されていなかったから「金をくれなくなったオッサン」か。あなたは尊敬もしていないよくわからんおっさんに会いたいですか?会いたくないですよね。

11年のうちにぼくは様々なものを奪われたけれど、楽しいことだってあったし、自由意思に基づいて始めた生活だったし、嫌なことは嫌と言うことだってできた。それをしなかったのは、自分の責任だ。

そんなことをコンビニに向かいながら考えていたら途中から泣いた。10分くらい。コンビニでお菓子を買って公園には戻らず帰った。こどものことはいままでドライに語れたけど、家を出てから5か月経ってやっと気持ちが追い付いてきてしまった。しばらくこどものことは考えないようにしたほうがよさそうだ。


ピアノ

前の家にはピアノがあった。アップライトピアノで、幅は1.5mほど。お金がなくて調律ができず、1/4音ほどずれている鍵盤もあった。前の家で過ごした11年間のうちはじめの3年間はピアノの弾けないマンションに住んでいたため、楽器はあっても音が出せなかった。4年目にしてはじめて、楽器の弾ける物件に引っ越した。

ぼくは中1までピアノを弾いていた。仕事が休みの日、10年以上ぶりにピアノに触ってみたくなった。音楽を演奏する機会なんて長い間なかったから、興奮していた。ハノンを弾いた。すると元妻に「指の形が間違っている。ひどい音だ。中1までに習った先生は一体何を教えていたのだ」と言われた。元妻は20代の頃に地元の子供にピアノを教えたことを誇りにしていた。だから音にはこだわりがあった。じゃあ次からこのように練習しよう、直していこうとは言われなかった。ただ過去ごと否定された。ぼくはこの日以来ピアノを弾いていない。

ピアノはぼく以外の全員が弾いていた。元妻がこどものピアノを指導した。長女は元妻の指導に反発し、自分の弾き方を模索していた。自己流で演奏していた時は、元妻がぼくに「いい音ではない」とひそかに言っていた。ときどき元妻が耐えられなくなり演奏に文句をつけた。やがて長女は屈服して元妻の指導を受けるようになった。

一番下の長男は不器用で、しかし言うことをそのまま聞いていつまでも努力のできる子だった。ぼくに似ていた。元妻の指導パワーは長男に最も注がれた。長男が1日前にできていたことができなくなると、元妻は「そんな音が出るのはおかしい。もうピアノなんかやめてしまえ!」と長男に言った。長男はすぐ泣く。手が止まる。手が止まったら「じゃあもう終わりだ今日は終わり終わり」と追い打ちがかけられる。泣く。泣きながら弾く。泣きながら弾くから演奏が乱れ、さらに罵倒される。自尊心を奪っていく指導に反発して汚い音を出すと「やる気がないならやめてしまえ!」と追加で罵倒される。長男は泣く。泣いて反抗する。元妻は楽譜を取り上げ、レッスンを終わらせる。長男は泣いたままピアノにうずくまっている。長男は「もう一度練習させてください」と言う。元妻は無視する。10回繰り返す。無視する。泣きながら「練習させてください」と言う。無視する。

元妻は謝っても無視する。10回謝っても100回謝っても無視する。無視された人間は無力感を覚えて自尊心が下がる。元妻の立場は上がる。これは元妻への消えない愛があることが前提条件となる。彼女は愛情を最大限に利用していた。

長男への指導を見ているのは辛かった。ぼくはやめろとは言わなかった。これが正しい指導方法なのだろうと思っていた。しかしこれはまるで調教だ。ぼくは止めなかったのだから、消極的虐待と言われても仕方がない。考えうる限り最悪の指導法だ。

次女は元妻の指導に耐えかねてピアノを練習しなくなった。次女は時々思い出したように歌のメロディーを弾いていたが、練習をすると口を出されるので、練習しなくなった。元妻には「努力のできない子だ」と評価されていたが、問題はほかの場所にあった。

ピアノとだけ題名に書いたあと以上のことを思い出した。こどもの支配のことばかりだ。ぼくに行われた支配は、家族全員に対して行われていたようだ。


愛情、感情はニセモノか

ぼくは高校時代に演劇部に所属していた。成功体験には乏しく演技に苦手意識がついた。元妻には「演技をするな」と頻繁に言われていた。わざわざ苦手な演技なんかしたくない。それでも元妻には、ぼくがどんな反応をしてもオーバーリアクションで、わざとらしく、不自然だと言われていた。元妻は「児童文化部の知り合いがそういうオーバーな反応をしていた、不快だった」と言っていた。罵倒はされなかったがバカにされた。

オーバーリアクションにならないためにどうしたらいいか考えた。

ぼくは、ここは笑わないといけないところだよな、と考えてから笑い、泣かなければいけないよな、と考えてから泣いていることに気がついた。時間と状況に合わせて、他人が求める適切な感情を選択し、出力していることに気がついた。

そしてぼくは真似が下手だった。適切な感情を選択できても、出力は不自然だった。他人から見てオーバーに見えるように振る舞っていた。

だからぼくの感情はうそっぱちなもの、ニセモノだと考えた。ぼくには感情が無い、と考えた。

泣けなくなった。

いまでも感情にフタをする癖は抜けない。

 

ぼくは愛情がない、と元妻は言った。ぼくは言い訳をして嘘をつくから誠実ではないし、ぼく自身の事しか考えていない。家族のことなんか大切に思っていない。愛情があるなら○○するはずだけどしない、××という言葉が即座に出るはずだけれどぼくには言えない(○○、××の具体的な内容は忘れた)、などなど、証拠を何度にもわたって挙げられ、愛情が無いことを証明された。

そうか、自分には愛情が無いんだな、と考えた。苦しかった。

しかし、とあるきっかけで長女に「私は愛情が無いかもしれない」と伝えたとき、長女は傷つき、元妻は激怒し、この件では10回以上責められた。

わけがわからない。

 

本当は感情も愛情も存在していたし、ニセモノではなかった。

ただ、出し方が普通の人とは違うだけ。

恋人にそう言ってもらったことが救いになった。

人前で泣くこともできるようになったし、恋人に、愛を感じると言ってもらえるようになった。

元妻の考える感情と愛情は、元妻にとって都合のよい感情や愛情のことだった。


口答えしたな

返事はハイでしょ – 六帖のかたすみ

うっかり言い訳とみなされる言葉を発すると「また言い訳したな!」という言葉と共に堰が切られ、直接関係のない「××人」などの罵倒語を次々に浴びせられた。 

言い訳、はある日「口答え」にグレードアップしたことを思いだした。ぼくの釈明は「口答えしたな!」という言葉にかき消されるようになった。

元妻には「あなたは私の言うことだけ聞いていればいい」と面と向かって言われたこともあった。

「ハイ」と答えていれば、嵐はいつか過ぎていくと思って、耐えていた。

それを見透かされて、「通り過ぎればきれいさっぱり忘れて、また同じことをするのだろう」と言われたこともある。

ぼくは同じ失敗を繰り返してしまうと思っている。元妻に「もう10年以上経ったけれどあなたは変わらなかった。諦めた。」と言われたからだ。だから前回と同じパターンが発生すると身構える。身構えるのももう終わりにしたい。

でもそんなことはない、自分は変わった。11年の間に人格が数回転くらいしたし、ここ1か月半ほどでも相当変わった。別人になった。変わらないなんて言う人間はぼくのことを何も見ていなかったのだ。見る目が無かったのだ。要するにアホなのだ。

あほーーーーー


一体化

DV被害者にとって最も生きやすい方法は、加害者と一体化することだ。加害者になれば、被害者にならなくていい。自分がまるで加害者と同じものの考え方をするように振る舞えばよい。

ぼくには、真似しかできないという特性がある。ぼくの思考様式は、今までに読んだもの聞いたもののパッチワークで成り立っている。なんでも吸収して、自分のものにしてしまう。

訓練をすれば簡単に他人の思考様式になれる。ぼくはあっという間に親を憎み、地元を憎み、スーパーの野菜を憎み、学校教育や受験勉強を憎み、そして、ぼく自身を憎む人間になった。

ぼく自身を憎むと楽に生きられた。ぼくを憎んでいるぼくを加害者に否定されることはなかった。

一体化にはもう一つ別の側面がある。自分の思考がないということは、自分に責任を持たなくてよい。何があっても、加害者の責任だと思うことができる。被害者は、自尊心の崩壊を代償として、加害者に庇護される。端的に言うと楽をしている。だからといって被害者が悪いわけではない。でも楽はしている。

ぼくのほんの少し前までの文章は、主語が明確ではない文章が多かったらしい。会話でも「誰が」にあたる語句をほとんど使わなかったらしい。ぼくが話のどこにいるのかわからず、聞き手は困惑した。ぼくはどこにもいなくて、最近やっと発見されたのかもしれない。