最近軽いフラッシュバックのようなものが起きました。ちょっとしたパニックです。フラッシュバックという概念が今までなかったので、意識したのは初めてです。頭に浮かぶ風景は中学時代の、廊下と職員室でした。
中学時代、吹奏楽部に入っていました。中学の部活というのはいかに生徒を統制して練習量を確保するかで勝敗が決まります。顧問で部活の質が9割以上決まります。
自分はクラリネット担当でした。クラリネットには金属製のバネが多数ついていて、ボタンを押すと連動して管の穴を複数抑えて音色が変わる仕組みになっています。ぼくは手にたくさん汗をかく体質でしたので、バネがすぐ腐食し頻繁に折れました。
はじめてバネが折れた時のことです。バネが折れたことを職員室にいる顧問に報告しなければいけませんでしたが、なんて言ったらいいのかわからない。顧問は怖いし怒られるかもしれない。職員室に入るのが怖い。ビクビクしながら早く職員室から出てきてくれないかなと願って廊下を右往左往していました。
ウロウロしている姿が顧問に見つかり、ドアを開け廊下に出てきて、なぜ入ってこないのかとぼくを罵倒しました。入らなくても怒られました。
顧問は強面で生徒を罵倒し、長時間の練習で疲弊させ、生徒間に奇妙な連帯感を生ませました。音楽は大好きでしたし今も大好きですが、「指は動くのにメロディーを歌うことが全くできない」「動きが硬い」と3年間言われ続けたことは今でも尾を引いています。じゃあこうしようああしようというアドバイスはありませんでした。自分はガチガチで情感を込められない人間なんだよなと今でも考えています。
ぼくは当時とろかったのでよく怒鳴られました。怒鳴られると恐怖が育つので、顧問のいうことをよく聞くようになり、演奏に方向性が定まります。こうして、ぼくの入っていた部活は、メインストリームではないものの小規模な全国大会で金賞をとるような吹奏楽部になりました。
顧問の強権に耐えられず、脱落する者も数名いました。ぼくは口には出さなかったものの、彼らのことを「適応できなかった弱虫」と心の底で思っていました。
今思い出しましたが部活の1つ上の先輩にちょっと頭の動きの弱い人がいました。彼は目立つので標的になりしょっちゅう罵倒されていました。彼はそれでも3年間部活をやめなかったので自己評価がズタズタになり、何の仕事をやっても長続きしない人になってしまいました。何につけても自分はダメなんだと話していました。部活がすべての原因とは思いませんが彼が安寧を得られる場所はあったのでしょうか。
話がそれますが今日元バイト先の塾に給与の事務処理を行いに行きました。教室長が怒鳴りつけた生徒が今どうしているか聞いたら、怒鳴りつけた後は心を開くようになって今でも通っていると話していました。教室長は
「ああいうやつは出鼻をくじかないといけない」
と言っていました。授業態度が悪いことを怒鳴りつけてやめさせ、言うことを聞かせるようにすることができた、という意味と解しました。ぼくは何も言い返せませんでした。
たぶん軍隊もこのように動いているんでしょうね。罵倒して重労働させて自己意識を粉々に解体して、思惑に当てはまるように再構成する。極めて効率的です。
強い部活とは軍隊です。中学時代の短い3年間で効率的に強い部活を作ろうと思ったら、自己意識をぶっ壊して画一化された思考を植え付けさせ、部活マシーンにしてしまうのが手っ取り早いです。そうすれば生徒に何を命令しても言うことを聞きますし、むしろ顧問を尊敬するようになります。私も今日にいたるまで尊敬していました。同じことは職場でもあるのでしょう。耐えられない人間が退職したり、退職による社会不安に耐えられない人間は自殺します。
ぼくは平日夕方に通っていたピアノレッスンを顧問によってやめさせられました。週1で抜けて練習に行きたいんですけどと言ったら、部活が優先だからやめろと言われました。やめました。ツェルニー40番まで進んでいましたがここでキャリアが中途しました。これも話がそれますが前の家に置いてあるピアノを見て久しぶりにハノンを弾いたら元妻に指の使い方がおかしい、先生は何を教えていたのだ馬鹿じゃないのかと言われ、ぼくはそれ以来ピアノに触っていません。
3年間の練習は恐怖のうちにありました。今日も顧問が怒らなかった、よかったなあ。毎日考えていました。どれだけの生徒が同じ思いをしていたのかは知りません。ただ、中学時代に恐怖政治の影響で真面目だったのに高校になって弾ける人が多かったことを考えると、似たような思いをしていた人はたくさんいたのでしょう。
恐怖政治が敷かれると、被支配者は死ぬような思いをして空気を読むことを覚えます。ぼくは自閉症スペクトラムの影響もあって空気を感じられませんので、どうすれば怒られないか必死で迂回路を探しました。元妻と過ごした11年間でも同じことをしました。しかしこれはどうすれば怒られ「ない」か、というブラックリスト的な知識なので、演繹できません。個別のやっつけ対応を無数に用意してなんとか人生を生きていました。だから考え方がいびつです。原理原則がありません。どれだけ「ない」を集めても無限の世界の前では原理的に漏れが出るのでその度に怒られたり、罵倒されます。
しかしいびつでも世の中一般から見るとそれなりの成果がありますので、顧問のことも元妻のことも、自分の適応に役立ったと感謝していました。しかしそれは自己評価の低下や被支配と引き換えでした。