書籍レビュー: ルビコン越えってそういう意味だったんか『ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)』 著: 塩野七生

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「ルビコンを越える」という言葉を時々聞きます。数か月前に読んだこの本でも出てきました。

どこで出てきたか正確な場所は忘れてしまったのですが、政府が税金を使った大々的な金融支援を打ち出すと決めた箇所だったと記憶しています。事態が流れに乗ったことくらいの意味かなぁと当時は考えていました。ところが本書を読むと「ルビコン越え」とはもっと深刻なものであることが分かるのでした。

 

本書はカエサルがガリアを平定し、三頭政治の一角クラッススが討ち死に、ポンペイウスは元老院派に取り込まれ対カエサルの尖峰となり、カエサルと全面対決を始める直前までの史実を扱います。

ルビコン越え=国家反逆罪

ルビコーネの流路(青線)

ルビコン川 – Wikipedia

ルビコン川とは現在の北イタリアを流れる川で、いまはルビコーネ川と呼ばれています。当時のローマの国境をなす川でした。この川の北側がガリア地方、カエサルが属州総督として派遣されていた地です。総督は軍隊を率いる権利がありますが、それは属州内限定の軍隊であり、ローマに帰る前、ルビコン川を渡る前に軍隊を解散しなければいけない、という法律がありました。これを破って、ルビコン川を軍隊を率いて渡ることは国家の反逆者となることを意味していました。

カエサルを排除したい元老院から「元老院最終勧告」(いまだとなんでしょうね。破防法適用とか国家反逆罪適用とかかな)をうけたカエサルは元老院にひれ伏すか反逆するかの二者択一を迫られ、反逆を選びました。それが「ルビコン越え」です。軍隊を率いてルビコン川を超えたところで本書は終わります。

ということはリーマンショック・コンフィデンシャルの政府融資の意味とは、アメリカではまず許されない絶対の禁じ手をやむに已まれず使うことになった、という意味での「ルビコン越え」だったのですね。あの本では当時の雰囲気として政府支出=社会主義=忌むべし忌むべし!という論調が支配的だったように書かれていますので、相当な決断だったということなんでしょうね。日本だとあっさり金使われて終わりになりそうですけれど。

気になった言葉たち

今回も目白押しです。

 ラインとドナウの両大河を視野に入れたカエサルによって、ヨーロッパの形成ははじまったのである。小林秀雄も書いている。「政治もやり作戦もやり一兵卒の役までやったこの戦争の達人にとって、戦争というものはある巨大な創作であった」。ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。そして、創作した。だが、キケロに代表される首都ヨーロッパの知識人たちは、これもカエサルの私利私欲の追求としか見なかった。先見性は必ずしも、知識や教養とはイコールにはならないのである。

後のヨーロッパの基礎を作ったともいえるカエサル。彼が平定したガリア地方は、そのまま現代フランスの土壌なりました。道なき道を行くものは必ず理解されないという常道を示す記述です。

 スレナスの死とともに、らくだと軽装騎兵を組み合わせた独創的で効果的な戦術を、パルティア人は忘れてしまう。考案者が死ねばその人の考案したことまで忘れ去られてしまうのは、オリエント(東方)の欠陥である。オチデント(西方)では、人は死んでもその人の成したことは生き続ける場合が多いのだが。

スレナスとは現在のイランに相当する国家パルティアの貴族です。独特の戦術で三頭政治の一角クラッススを死に追いやりましたが、彼の名声をおそれるパルティア王オロデスによって殺されました。ローマやギリシャの文化が今日まで詳細に伝えられているのは、文字の力に負うところが大きいと思います。東方には文字文化がなかったのでしょうか?ここではざっくり「欠陥」と切り捨てられていますが、ここまで言い切っていいのかどうか私にはまだわかりません。

 われわれシビリアンは、軍人たちが隊列を組む訓練や規則正しい行進に執着するのを笑いの種にすることが多いが、これはもの笑いにするほうがまちがっているのである。隊列が乱れていては、行軍でも布陣でも指令が行き届かないおそれがある。可能な限り少ない犠牲で可能な限り大きな成果を得ることを考えて、軍隊は構成され機能されねばならない。

ごもっともです。軍隊には必ず必要なことでしょう。自衛隊や海外の軍隊の隊列を見てみたいと思いました。しかし小学生や中学生に隊列を組ませる今の教育はどうかと思います。

 多国籍軍は、そのうちの一国の力が他を圧倒していてこそ、指揮系統も統一され、それゆえに十分に機能できるのである。

NATOのことでしょうか

ガリア連合軍が崩壊の危機にあるときを評した言葉です。

 私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、舞台に上がって後の出来具合で定まるという点において。舞台に上がる前に十割決まっていないと安心できないのは、並の指揮者でしかないと思う。先頭も演奏に似て、長い準備のあとの数時間で決まる。

戦闘も指揮もやったことがないので分かりませんが、コンサートで発表するとか、試合に出るとか全く同じ事が言えそうですね。試験なんかもそうかもしれません。カエサルは5万人で34万人のガリア連合軍と戦って勝ちましたが、彼の場合は戦う前から7割方勝負が見えていたそうです。

 しかし、人間誰でも金で買えるとは、自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。非難とは、非難される側より非難する側を映し出すことが多い。

今回一番ぐっときた言葉です。

クリオという護民官が元老院からカエサル派に寝返った時、元老院は「クリオは金で買われた」と非難しました。しかし実際の所クリオはカエサルの真摯な説得に応じたのであり、既得権益すなわち金が惜しい人間の多い元老院の内情を逆に鮮明にした、と筆者が考えて書いたと思われます。非難している人間を見たときや、自分が誰かを批判したいと考えてしまったとき、必ず思い返したいと思います。その非難はおまえのことじゃないか?

 

 

 

 

関連書籍

本書で言及されているフランスのガリア人パロディ漫画「アステリックス」は、次のサイトで全作品がダウンロードできます。フランス語版ではなく英語版です。

Asterix complete set : Free Download & Streaming : Internet Archive


振り返り 悪い見本

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当面の金の心配はなくなりましたが将来的な金の心配が持ち上がってきました。今の仕事は保守が中心で将来性が無く、技術力も大して必要としません。したがってクビになるか会社が倒産するかすれば私の就職先はありません。私は年金を払っていないので老後に年金が出ません。すると今のうちに金を貯めておかなければなりませんが、借金さえなかなか減っていきません。

今食べている食材は間違いなく分不相応です。無農薬→有機→自然栽培、最近ではグルテンフリーに乳製品無しと着実にグレードアップしてきたことを考えると後戻りは不可能でしょう。エンゲル係数は一時40%まで高騰していました。

有機野菜などのいわゆる自然食品は農薬使ってないもんねというプレミアムのついた利益率の高い食品です。経済学が言う「効用」というやつは捉えどころがなく、データで定式化することは非常に難しいですが簡潔にいえば人間がファンタジーを持つ程度の高さ、欲望の惹起度の強さだと思います。要するに幻想です。商品付加価値というものは幻想に対して人間が支払う代価なのです。確かに自然栽培の野菜はおいしいですが、3~10倍の金を支払う価値があると私にはどうしても思えなくなりました。どれだけ体に良いというものを食べたところで、食物は人間の消化管で分解されてから吸収される以上、すべての栄養素は食物内の含有量がすべてなのであって、美味しさとは関係がありません。いままでずっと思考を停止して家の方針に従ってきましたが、世の中の9割以上の人間がスーパーの野菜を食べて健康に暮らしている事実を鑑みると私は金を支払うことが急激に嫌になってきました。しかし私には発言権はありません。食事を作ってもらっている身分ですので文句は言えません。10年以上続いた方針は変えられないでしょう。私だって喜んで従ってきたんだから。

グルテンフリー導入後私の体重は10kg以上落ちました。痩せ過ぎは健康リスクがあります。コメは高級品を食べているので、量を増やしてくれと言えません。数か月前まで筋トレを欠かさず1年以上続けていましたが、栄養のインプットが減っては糖新生により筋肉を燃やすしかなく、体中の筋肉がなくなりました。私は絶望して筋トレをやめました。30回3セット出来た腕立て伏せは1回もできなくなりました。自然食品は年収1000万円以上の人だけが買えばいいと思う。

お金を貯めたい。自分が食べたいものを食べたい。

 

TLでふと目がついたツイートを流用して恐縮ですが、こんなことは日常茶飯事です。Kは親譲りの完璧な生活習慣の持ち主でしたが、私はダメダメな親譲りのダメダメな生活習慣の持ち主で、しかも自へスぺ(自閉症スペクトラムを略してみました)のせいで短期記憶と動作性が極端に悪いです。

まず忘れ物。私は学校時代にほぼ毎日忘れ物をしました。どれだけ注意しても1つは物を忘れていきます。いまでも教科書が足りない夢をしょっちゅう見ます。私は今までに傘を電車や電話ボックスやコンビニなど5カ所に置き忘れ、Kに貰った時計を電車に置き忘れ、通帳一式を大学のベンチに置き忘れ(これは後日見つかった)ました。

また物をよく壊しました。Kの大事な実印を落として欠けさせたり、Kの本を借りて読んでいたらカバーを破損したり、Kに貰った靴を数か月でボロボロにしたり、洗い物をしていたら食器をぶつけて欠けさせたり割ったり、責められてパニックになった時にお茶の保温ポットを頭にぶつけて壊したりしました。私は物を大事にできません。なくすし、壊します。何回も悲しい思いをさせました。

言われたとおりに動けないし、指示を覚えられないし、歩き方は変だし、何もかもが怒られる種になりました。私はどれも直そうと努力したし、できなかったことを書きつられなノートが5冊にもなりました。しかし10年かけて何も治りませんでした。すべては無駄でした。努力の方向が間違っていたからです。

しかし怒られているうちはまだよかったのです。今年に入ってKが怒ることをやめました。すると会話が無くなりました。私には重要な話題を振らなくなりました。大事なことはすべてα(長子)と相談するようになりました。私は空白になりました。β、γとも私はほとんど関わらなくなっていきました。γに「ああなってはいけないよ」と言うのも聞きました。私は悪い見本です。でも本当のことを言っています。私だってこどもに自分のようになってほしくありません。存分に反面教師にしてほしいと思っています。

中学の同級生に、父が無職で母の稼ぎだけで暮らしている家の子がいました。彼は無気力な父を憎んでいました。彼は中学でも高校でも生徒会長になり、高潔な人間になりました。北海道で農業をやって家族を呼び寄せたいと言っていましたが、あの夢はかなったでしょうか。父がダメ人間で、かつ父に反抗する心があれば、人間は強くなります。彼のようになってくれればよいです。

Kは私に世間一般でいう愛がなかったことも見抜いていました。私にはふつうの人間のように家族を守るという義憤はありません。キチガイ親の脅威から家族を守ろうと心の底では思っていませんでした。それどころか今では同情の気持ちすらあります。父は私の欠陥を濃縮させたような人間でした。空気は全く読まないし、親らしいことをしてもらった記憶はありません。私と同じように、親になろうとしても、なれない人間だったのでしょう。私には親がいなかったのです。

半面、Kには母性も父性も備わっています。正直なところ、この10数年間は私にとって家族体験のやり直しに近い意義を持っていたと感じています。Kが親で私は子供です。子供にこどもが育てられるわけありません。ロールプレイとして、α、βの親として各地で振る舞ったことはあります。それなりに役割は果たしましたが、αがクソのような教師に攻撃されたときは全く防御してやれなかったし、これまた私の悪いところを濃縮したようなβをどう育てたらよいか、私からは何の提案をすることもできませんでした。親としての実質の機能はありませんでした。

私はこどもにとってよつばとのジャンボとかみなみけのタケルおじさんのようなポジションだと思います。私がいなくなっても、致命的な穴にはなりません。家に入り浸っていたおじさんがいなくなったかな、というくらいのものでしょう。図らずもとある教師を引退したベテランがこどもを見て「父親の存在が全く見えない」と言ったそうです。その通り。よくわかってるね。

私はつかれたので、出ていくとKに告げました。やっぱりね、という反応でした。

 

後向きな内省はこれで終わりにして、明日からは今後どうやって生きていくかについてエネルギーの方向を切り替えようと思います。振り返りはこれで終わりです。


振り返り 地元、試験、袋小路、親、引っ越し

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私が地元に予告もせず押しかけ追跡の中止を求めると「当然のことをしている」と全く悪びれないどころか久しぶりに顔を見られてうれしいという始末でこちらもやる気がなくなりました。私の怒りは借り物に過ぎませんでした。いままで親絡みのトラブルがあっても私はKの言うままに母を駅まで連れていって置き去りにしたり自発性がありませんでした。本来なら不正入手(法的には不正ではない)した住民票を奪い取ってくるくらいのことはしなきゃならなかったのでしょうけれど私は不徹底のまま新幹線代を浪費しただけで帰りました。後々まで責められる種になりました。

私達は結婚後Kの両親とも交際を絶っていましたが、たまたま親類に出した年賀状の住所を見たKの両親から連絡があったので私たちはKの実家付近に住むことになりました。

この頃Kが紹介してくれた弁理士試験を受けました。私は結晶性知能検査が得意だったようで、1次試験と2次試験を一発で突破しました。1次試験の多肢選択式はもとより、2次試験の論文試験は文章を書くものなので難しいと決めてかかっていましたが、問題集の模範答案を要約しながら100問書き写したら合格しました。残すは3次試験の口頭試問のみとなりました。

しかし2次試験後の私の言動がキモかったという理由でKに受験を禁止されました。私は弁理士試験を大学を辞めたリベンジだと思っていました。中退後数年が経ち同期の人間はみな就職しています。いつまでもバイトのみの私には相当の劣等感がありました。これを克服するため受験勉強を再開したようなものです。私の優越感が復活したのをKが見て取ったのでしょう。私は勉強を放棄せざるを得ませんでした。

しかし私はあきらめきれず勉強ゼロで3次試験の受験に強行しました。もちろん惨敗でした。何を思ったか私は支離滅裂な反省文を書き、家族に呆れられました。

ひょんなことから猫を拾い、出費が増えました。ペット可の物件にしか住めなくなったので、選択肢が大幅に狭まり出費が増えました。私はまた労働時間を増やしました。

もともと有機野菜などを食べていましたが、これをさらにグレードアップした自然栽培野菜を食べることになり、こどもも大きくなってさらに出費が増えました。私はさらに労働時間を増やしました。私は労働基準法の適用対象外ですが、通常の労働時間で言うとだいたい残業月100時間分に相当すると思います。月に1度しか東京に行かなくなった上に自由時間もほとんどないので、アーケードゲームをプレイすることはなくなりました。プレイ終了時はDDR(DP LV16相当)もIIDX(DP LV10~11相当)もポップンミュージック(LV47相当)も上級者レベルに達していました。

出費が大幅に増えたので身動きできないまま数年が過ぎました。一昨年のことです、親からまたも追手が来ました。Kの両親から電話がありました。不審な人物がタバコ屋に電話し、Kの両親の所在を聞いた。それを親切なタバコ屋がKの両親に連絡してくれたそうです。電話した人間の名を聞くと私の親でした。がっくりきました。一体どうやって調べたのやら。親に問いただすと、私を直接探すと引越しなければいけなくなって迷惑がかかるから、Kの親に私が元気か聞きたかったというのです。信じがたい話です。普通の人間ならKの親に脅迫する目的だと思うでしょう。だいたい探偵まがいのことをしている方が迷惑です。

でも今では親の思考方法が見えます。本当に悪意が無かったのでしょう。私以外の人間をカボチャかジャガイモかパイナップルだと思っているだけなのです。人間性の否定こそ私の親類の本質です。人間性が失われている家庭に育った私は人間性が欠けていて当然です。

住民票の取得履歴を自治体に問いあわせてみたら、弁護士の名前で戸籍が抜かれていました。親が弁護士に依頼して取得したことは明らかです。防衛のため、形式的にKと離婚して戸籍を分けました。離婚結婚は私が親の苗字を捨てる目的で一度行っているので特に抵抗はありませんでした。

去年、こどもの学習環境のためにと勇気を出して借金し東京に引っ越しました。ところが風呂が汚いという理由でまた引っ越すことになりました。私はがっくりしました。100万円超+次の引っ越し代をドブに捨てたことになります。私は風呂が気にならなかったのに。ここで溜まった借金は現時点、まだ返済できていません。

引っ越し後あまり借金も減らないまま、さらに私の月給が大幅に減るかもしれない事態に陥りました。いまではその心配はなくなりましたが、この出来事が私を大きく変えました。私は金を貯めるための方法を大急ぎで調べました。アフィリエイトブログを読み漁り、大量に本を借りて勉強し始めました。JavaScript、PHP、HTML5+CSSと株式投資の知識がつきました。はてなブログに投稿を増やして書籍レビューも書くようになったのはこの頃です。

心配がなくなってくると関心は自閉症や歴史、哲学、経済、食物などに向かいました。自閉症については診断後もほとんど調べることはありませんでしたが、はじめて読書の習慣がついた私は考えが変わっていきました。

 

続きます。ここ6年くらいは部屋に引きこもってほとんど仕事しかしてこなかったので、時間の割にあまり書くことがありませんでした。


幻想について

ちょっと脱線します

 

 

面白い記事でした。

はてなブログに移行して半年程度、記事を書く前に表示されるトップページには注目記事が表示され、恋愛工学などモテ関連の話題がしばしば上位に上がります。その中でも私は「男らしさ」「女らしさ」という共同幻想を相対化する記事に目が行くようになりました。日本人は概して同質性を好み異端を排除するが、彼らは言葉の力を使って同質性の圧力を無力に変えてしまう方法をとって抗う人たちでした。

私は「男らしさ」を要求されていました。Kの父は典型的な明治型父権の人でしたから、私にも同様の要求がありました。しかしKはその父を乗り越えた存在でしたので、私よりも父性が強いです。私の父は父性?男らしさ?なにそれ?という人間だったため私にロールモデルは存在しませんでした。私は「男らしさ」についての圧力を苦にしたこともありませんでしたし、アムロが「だって僕は男なんだから」と独白しても何の気持ちも湧いてきません。むしろアスペルガー(自閉症スペクトラム)の診断が降りてからは、「人間らしさ」という全人類から受ける圧力に苦しんできたことの方が大きいです。自閉症が脳の気質由来の新しい思考のありかただという動きがありますが、私は親近感をおぼえつつも連帯感を持つことには違和感を抱いています。明確に言語化できなくてもどかしい。言語を自在に操れる人間ってバケモノじゃないの。わたしゃ他人の思考のつぎはぎしかできないっちゅうのに。

私は10年以上周囲の圧力に対応できるように奮闘してきたつもりでしたが、何も進歩しませんでした。すべての努力は方向が間違っており、無駄でした。死ぬまで未成熟のまま、男らしさも人間らしさも身につけることなく年を重ねるでしょう。はてこさんの記事は物語による救済をテーマにしていますが、私は物語が、形を変えた圧力になるとしか思えません。それは自分に適した物語を私が見つけていないだけなのかもしれません。幻想の効用は認めます。今後も私はファンタジーを探して様々な本を読み続けることでしょう。しかしそれはいろんな人間が何を考えているか知りたいという純粋な興味からであって、自分を救うかもしれないとは期待していません。私はもう疲れました。幻想に自らを従える意味が分かりません。それは自分じゃない。もうこんな不毛な階段から降りたい。


振り返り 借金生活~引越生活

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お金が無くなったのでキャッシングで生きることにしました。Kはバブル期に大量に作ることができたキャッシングカードを持っていました。私はプログラマーのバイトの口を見つけ、収入が増えました。しかし大学はあきらめられず、次の学期も授業料免除を申請して通いました。やはり単位は楽勝で取れました。ふつうならキャッシングなどせず働くべきだったとは思います。ここで大学に固執してどうする。

生活にはカネがかかるもので、1年間で借金は300万円近くまで膨れ上がりました。私が以前バイトしていた法律事務所は破産専門の事務所で、そこでの経験から破産はちょろいことが分かっていました。書類は定型文にちょいと文章を入れるだけ、弁護士は下働きが作った書類を週に1回裁判所に抱えて持っていくだけです。破産開始通知者が債権者に渡ると弁護士パワーが伝わり債権者は訴訟を一瞬で取り下げます。弁護士はヒマなのかスケジュールに「キックボクシング」などと堂々と入っていました。

お前らのことです。

私はバイトをやめる前に書類をコピーしてきていたので、これと書籍を参考にして完璧な破産書類を作り、印紙代だけで借金をチャラにすることができました。

もう潮時だと思って大学を辞め、バイトに専念することにしました。給料も上がり、3人家族なら十分暮らしていけるだけのカネを稼ぐことができるようになりました。今でも勤務先は同じです。

βが生まれました。私は家事がまともにできないので、産後一週間もせずに退院したKが授乳からオムツ替え、家事まですべて行いました。私ができるのは食器洗いくらいでした。出産祝い金は破産でカバーの出来ない保険料の未払い分に全額消えました。

親からは嫌がらせがひどいので、引っ越しました。具体的には、東京まで出てきて家の前で大声を上げられたり、手紙が頻繁に来たり、Kの悪口を書いたビラを撒いたりされました。引っ越し資金を借りようとまだ問題になっていない振り込め詐欺の被害にも会いました。荷物が多く初期費用も掛かるファミリーの引っ越しには100万円ほどかかります。しかし私が選んだ物件は失敗で、また引っ越しました。この頃から私は引っ越しのために働くような生活をつづけることとなりました。必要な金が増えたので、労働時間を増やしました。

音ゲーは未だに中毒状態から脱しておらず、主にDDRの腕前が上がる一方でした。音ゲーはキャッシング生活時も続けていました。借金してもパチンコがやめられない人間の心理と同じだと思います。

私とKはよくケンカしました。喧嘩と言っても、私が一方的に怒鳴られました。Kは家庭の事情もあり理路整然と相手を叩きのめす能力に優れており、かたや私はケンカの経験はゼロ、一方的に言葉で殴りつけられるだけです。しかも全てが正しいので言い返す余地もありません。原因はキチガイの親を放置したことや、私が過去に家族や他の女の自慢をしたことですので自業自得です。私にできることといったら、否定されることの怒りを相手にぶつけることもできないので自分を殴りつけたり、電気ポットで自分の頭を殴って壊してみたり、支離滅裂に逆ギレしたりすることだけでした。私は他人の気持ちを読む、すなわち相手が何をしてほしいか、どんな言葉をかけてほしいか全く予想ができない人間でしたので、必ず期待と異なる返事や反応をしてしまい、Kが怒ります。そんなことが10年以上も続きました。私は濃密なコミュニケーションの経験が無かった(不可能だったのかもしれません)ので、言語的能力と精神的発達が遅れており、彼女に大人の対応をすることはできませんでした。自分を殺し、自分の意見を言わず、Kが言うとおりに生きる以外の選択肢はありませんでした。

2年後にγが生まれました。このころ、NHKでアスペルガー障害の特集を放送していたので試聴してみると、話し方や言葉から染み出る自意識が自分にそっくりであると感じました。しかし家族はだれも気付かなかったそうです。この番組ではじめて自閉症やアスペルガー症候群について知りました。当てはめてみると、まんま私です。医者にかかったら何の疑いもなく診断がおりました。

すぐに近隣住民とタバコの煙で揉め、引っ越すこととなりました。引っ越し先は多摩ニュータウン。次の記事を書いた頃です。

年末に親から手紙が来ました。弁護士と親の特権を使って住民票を調べたそうです。「どこにいても見つけてやる」と脅迫まがいの文章でした。何年たってもキチガイは変わりません。私はやむなく、実家に行って今度こそ息の根を止めてくる役目を負うこととなりました。

 

続きます。

 


振り返り 21歳(2)

前回記事

 

 

ここから先はどこまでオープンにすればよいのか判断がつきかねますが、自分のためなので、おおむね事実を書きます。

Kとは話が合い、そのまま交際することとなりました。しかし私はこの時に限ってトーダイ生であること(勉強についていけなくなったのに)や素晴らしい合唱部にいたこと、先輩も頭がよく尊敬していること(いやな思いもいっぱいしたのに)、Dさんという彼女がいたこと(2週間で捨てられたのに)、親兄弟も優秀(後述するように、キチガイでした)などと吹聴しました。もちろんKは激怒し、長期間これをネタに怒られたものです。今でも怒ってるかも。

最近になるまで分かっていなかったことなのですが、愛とは他人を飲み込むものです。私は他人を欲していながら、自己同一性を保ちたいという相反した気持ちを抱えていたと推測されます。必要以上に自慢をしました。自分はこんなにすごいんだぞと言いたい、でも自分の中には何もないから、他人を使って自慢する典型的なアホの思考です。しかも認知の歪みによって、嫌だったはずのことがみな美化されている。思い出してみると不可解です。なんであんなことをしたのか。他人事のような文体なのですがあの時期は心が衰弱しておりどのような思考体系だったのか思い出すことが難しいのです。あと知恵で考えると、バイトは長続きしそうでしたし社会との接点もあったので、長い目で見てそのままの生活を続けていればよかったとも思います。

ラグナロクオンラインは役割を終えつつありました。私はもうこのゲームをやめなければいけない時期に差し掛かっていたので、BOTを使ってアイテムを荒稼ぎし、RMTで他人に売りつけるということを行っていました。これまでに支払った金額分くらいは取り戻すことができました。しかしKとのデートを「今日ギルド戦があるから」と言って途中で切り上げるようなこともしていました。離れたいけど未練のある状態でした。余ったゲーム内通貨はラグナロクを紹介してくれた高専生のI君に上げました。RMT相場で5000円相当くらいだったと記憶しています。

Kはシングルマザーで頭の切れる女性でしたが、訳あってギリギリの生活をしていました。私はその頃金がない金がないと言っていたそうです(記憶がない)。そこでKは同居と入籍を提案しました。私は住居費が無くなり、Kは税金が減るからです。私は驚きましたがなんだか壁を飛び越えた世界に移行できる気がして、少し悩んだ後賛成しました。

夏に単身帰省し、親に事情を話すと猛反対されました。何度も何度もKと別れるよう説得されました。私はこれ以上話しても無駄だと思い、同意したふりをして実家を後にしました。

Kのすすめでパキシルをやめることにしました。禁断症状は激しく、頭の中が目まいの起きた状態と同じようになります。かなり苦しいですが希死念慮が起きることは全くなく、数か月すると禁断症状はおさまりました。抗鬱病薬は大多数の人間にとって依存性を高めるだけの薬だと今でも信じています。よく調べると麻薬とほぼ同じ働きをすることも分かりました。私はパキシルを飲むことで精神状態はむしろ悪化しました。グラクソスミスクラインの懐を温めるだけとなりました。

秋以降、私はバイト先を家庭教師、法律事務所と点々としつつ、1年遅れの2学期の授業に出ました。なんと楽勝で単位を獲得できました。しかも高得点で。私がつまづいていたのはモテ願望やお粗末な生活習慣などというごく些末なことであり、落ちついていれば簡単にこなせる程度のことだったのでした。

しかしこの頃Kが妊娠し、雇用主から減給と時短を強制されます。嫌がらせもうけていたようです。たぶん、雇用主はKが好きだったのでしょう。Kは退職することとなり、収入は0となりました。同じ時期、私がうけていた奨学金が止まりました。留年したことが日本学生支援機構にばれたからです。

さらに悪いことに親はキチガイでした。私は一緒に暮らしていて気が付きませんでした。というより、私もキチガイだったのでしょう。親はKと私の関係を一切認めず、子供も産むなと言いました。執拗に自宅に電話をかけ続けてきました。母が東京まで乗り込んできたりもしました。何とか追い払いましたが、ここで私が煮え切らない態度をとったので、Kとα(連れ子です。親はαの人権も認めていません)と私との間に禍根を残すこととなりました。こんなキチガイからの仕送りを当てにするのは間違っているので、通帳とカードを実家に郵送し、収入源は私のバイト代5万円だけとなりました。家賃も払えません。

 

続きます。


振り返り 21歳(1)

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ラグナロク漬けになって半年経ち操作やルールにも慣れ、上級職に転職することができました。サークルは綺麗ごとばかりで嫌になってきたことと会計の役職を押し付けられそうになったことから、春の合宿に参加したのを最後に疎遠になりました。試験期間が過ぎ、半年分単位を丸々落としたので留年は確実です。しかし留年する仲間もいました。大学には時々通っていたので社会との接点が完全になくなっていたわけではありませんでした。同じ県出身のJ君は天文部の部長で、なんと小学校の時私が受けさせられるはずだった私立小中一貫校の出身でした。同じクラスになったことから出会い、田舎者同士気が合いうちとけ、気が付くと一緒に留年していました。

私はモテ野郎共の呪縛から逃れられず、この頃は出会い系サイトに手を出していました。サクラだらけのあれです。向精神薬のせい、単に世間知らずだっただけ、空気読めないのが高じた、色々と組み合わさって私にはサクラと判断する能力もなく、8万円ほどサイトに注ぎ込みました。もちろん親のカネです。さみしい人間の毒々しいパワーは資本主義でも実証されていて、多種多様な集金システムが開発されています。東証一部出会い系上場企業の6071IBJなんか直近かなり調整したというのに未だにPER34.7倍(日本株平均の2倍以上の株価という意味です)を保っていますよおそろしい。

全く満たされない私は新学期の授業にも数回出ただけでまたひきこもりました。しかしよくよく考えると、授業についていけない人間は大学内に多数いたはずなのです。学内では、授業毎の単位の取りやすさを研究しているアホな団体がいてその出版物はみんな持っていましたし、クラス単位で人員が決まっているはずの必修授業に出ると必ず見慣れない人間が10人はいました。彼らは単位を落としたため再履修した人間だったのです。また大学のクラスとはいわば互助会で、試験対策を各科目ごとに割り振ってレジュメを作ったりして他のメンバーに役立てる組織でした。つまり私と同じように能力不足を単調作業の力で克服して入学した人間も大勢いたはずで、彼らの真似をすればよかっただけだったのです。何も引きこもることはなかった。ただ精神が安定していさえすればよかったのです。

またも大学に行かなくなりましたがいい加減家にばかりいるのはまずいと考え、クラスで何度か話題に出ていた東京個別指導学院に空手でフラフラと歩いていってその場でバイトの志願をしました。人生初バイトです。マックやコンビニは無理だが勉強系なら大丈夫だろうという見込みでした。エントリーシートの「自分の欠点」のところに「コミュニケーションが苦手」と正直に書いたら室長に「正直に書いちゃあだめだよ」と諭されました。一緒に受けた学力テストの点数はよかったので採用されました。

時給は900円と悪くありませんでしたが、一日の報告である日報や生徒別のスケジュール作成、夏期講習前には綿密な学習計画作成など時間外労働が多く、実質の時給は500円くらいでした。ブラックです。東京個別指導学院略してTKGは研修会などでバイトを感動させ帰属意識を高めてブラックぶりを隠す典型的な企業でした。しかし仕事はやってみると案外できるものでした。労働という向こう側の世界がこちら側になりつつありました。週3回の拘束で月給は約3万円でした。

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TKGは3倍バガーですね。ベネッセ傘下になってから勢いづいています。前述のJ君は私に続いてTKGに入り、塾業界が気に入ったのかこの前名前で検索したら湘南ゼミナールの名物講師になっていました。J君はもし心当たりがあれば連絡ください。

8万円損して懲りた私は一切金が発生しない出会い系サービスにも入会します。メールのやり取りに1円もかからないサイトを選んでメッセージを送り続けました。そこで出会ったのが元妻のKです。今後はKと呼称します。夏目漱石のこころとは違います。Kとの出会いにより私の人生は思わぬ方向に進むこととなりました。


振り返り 20歳

11/26 トーダイに書き換えました

11/29 Hさんの言及を忘れていたので加筆

 

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トーダイに入った私は増長しました。周りもみんな増長していました。開成とか麻布とかトーダイに行ってアタリマエの人間を除くと、トーダイは地方の自称トップ高からぽつぽつと出てきた人間が多いところです。駒場は歩いて渋谷に行ける場所ですので、初めて見る金が川のように流れる場所である都会も自意識を肥大させる一因となります。「俺はトーダイなのに~しちゃうもんね~」という思いで、全裸で噴水に入る、公園ででかい花火をぶっ放す、ひたすら酒を飲ませたり飲んだりするとかそんなことに夢中になります。高校3年間、人によっては中学受験から9年間我慢してきたことを爆発させる場でもあったでしょう。駒場祭という秋に行われるイベントは自意識の塊でひどいですよ。彼らがキモイのは、バランスよく脳を発達させてこなかったからだと思います。もちろん私もそうでした。年を取って経験を積んでいくと50歳くらいで随分とキモくなくなるようです。

私はインカレの混声合唱団に入りました。同じ高校の先輩から男声合唱団に誘われましたが、別の部に入ってしまいました。もちろん下心からです。先輩ごめんなさい。

大学に入ると授業についていくのがきつくなりました。何故なら講義では問題演習をせず、延々と論理展開をしていくだけだからです。問題を解いて、その手続きを記憶することを繰り返してきた私にとっては「新しい概念」が苦手だったのです。受験勉強とは必ず学習指導要領の範囲内の問題が出題されます。その範囲は、非常に狭いものです。大学で習うことの一部分を取り入れる場合は、必ずヒントがつきます。音ゲーの類似ばかりで恐縮しますが、音ゲーはせいぜい10のボタンくらいしか使用しません。10のボタンの範囲を組み合わせる方法は限界があるため、視覚と反射のサイクルを自動化することができます。あれと似たような頭の使い方をしていたため、ボタンが20、30とあれよあれよと増えていく大学の講義は苦しいものでした。私は数学も物理も何もわかっていなかったことを突き付けられました。比較的簡単なはずの相対論や記号論理学の授業はすぐ挫折し、講義に出なくなりました。

講義は一方通行ですから分からなくても後戻りができません。今思うと、私には講義は向いていません。受験勉強時代、最も成績が良かったのは唯一予備校の授業をサボって問題集で自習していた物理でした。講義は人のペースですが、自学は自分のペースでできるからです。他人のペースに合わせることほど苦痛なことはありません。宿題ができなかったのも、自分のペースと合わない量・質の課題を押し付けられるからだと考えています。

同じ高校から上がった女子が時々恋愛相談に来ました。Dさんとします。DさんはE君が好きなんだけどつれない。そうかいそうかい。ラブひなの成瀬川に彼女を重ね合わせていた私にとって受験勉強のモチベーションでした。ある日DさんはとうとうE君に振られてしまった。これを好機と考えた私は傷心のタイミングで彼女に告白しOKを貰いました。告白って変な制度ですよね。中高大学生の皆さんにとってこれが一大イベントであるのは

  • つまんねぇ日常から非日常に移るための区切り、けじめとしての意味
  • OKなら持続的な多幸感、キャンセルなら不幸のどん底というハイリスクハイリターンな投機的ドキドキ感
  • 「告白」という単語の含むなんとなく重大な気がする雰囲気

これらが「告白」という商品の魅力を高める要素だと思います。みなさん入学式とか卒業式とかああいう儀式めいたもの好きですよね。ラノベやアニメは学園モノが多く、必ず「式」が一つの場となってイベントが発生します。みんなで協力して出すあの荘厳っぽいような雰囲気。一人一人がそれに同調しなければいけないような圧力。これと同じように「告白」という儀式も国民の皆さんの協力によって成り立つ共通了解的な儀式なのです。だってバカ臭くないですか?「好きです」って言葉がどうして呪文のような効果を持つのですか。別にそんな段階踏まなくてもいいんちゃう?

とは当時の私が思っているわけもなく、ただ周りの人間の真似をすることしか生きるすべがなかったので、やはりこの手続きを踏むことにしたのでした。そして、彼女は2週間後に「やっぱりE君が好きだから」と言って去っていきました。私は2週間分の現実逃避に使われただけだったようです。Dさんは1か月前くらいにはてなブログの「こんなブログもあります」の所に偶然見慣れた顔+実名で出てきてギョッとしたこともあるのでぼかして書いてますが、幸い、ここは弱小ブログなのでばれることはないでしょう。元気でやっているようです。へこむので中身は見ていません。

ダメージを受けた私は合唱団に精を出しますが、やはりそこで知り合った女子から恋愛相談を受けるのでした。Fさんとします。私の方も毎日Dさんの相談を持ち掛けていたからギブ&テイクではありました。FさんはG先輩が好きでした。そうかいそうかい。G先輩は私のパートの先輩でしかも私の志望学部に所属していたのでよく話す間柄でした。合唱団にはサークル恒例のイベント夏合宿がありますがそこでFさんとG先輩がいつのまにか相思相愛になっていましたよかったね。あれ?よかったのかな。

すっきりしない気分のまま夏合宿が終わり、元演劇部とバレたことが原因で参加させられたサークルの別動隊、子どものために歌や劇を上演する20人程度のサブユニットの活動が始まりました。FさんもG先輩も参加していました。そこはたまたまHさんの地元でした。ある夜にHさんは「6君ってFさんのことよくわかってるよね」というのです。私の名前を仮に6としました。何だーすっきりしないのは私Fさんが気になってたからなのねーっておいマジか。そりゃまいったな。若さというのは、思い込みを殊の外大きなエネルギーに変換しがちなものです。私はブラックホールの中にでも入ったような気分になり、枕の中に潜って出てこなくなるなどの奇行を繰り返しつつ、無駄に心を傷つけながら公演を終えました。そもそも元演劇部っつったって演技が得意なわけじゃないし、人前に出ることは超苦手なのだから二重にストレスがかかって本当につらい公演でした。Fさんはその後部活をやめましたが、実は一家が全員音楽人だったり会社経営してたり異世界の金持ちだったので、もう人生が交差することはないと思います。

Hさんは後に私を突然呼び出してサークルの愚痴を言ったり(私が役職についたのにサークルを抜け出したからだと思う)、私の結婚時に一人だけ口調が変だったので何か気持ちを抱いていたのではないかと思っていますが、その後名前で検索をかけて見たら地元に帰って教師になってしまったようなので確かめるすべはありません。

半年の間に疲弊した私を待っていたのはフランス語で「不可」を取ったことでした。トーダイには進学振り分けという制度があり、学科平均点が高くないと3年生以降に希望の学部に進めません。私の志望学部はそこそこ平均点が高く、必修科目の外国語の点数が低いと進学にかなり不利です。 2学期以降大幅に巻き返す必要がありました。

フランス語教養課程文法中心学習 1 (トレーニングペーパー)

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私はこいつを購入して死ぬ思いで復習しました。すると熱が出ました。

もともと体力がない上に自炊もサボりがちで半年間適当に食事していたツケがたまったのでしょう。2週間寝込むハメになり学習が大幅に遅れました。

私は中高のときしばしば仮病で学校をずる休みしました。だいたい月1度くらいの頻度だったと思います。学校というシステムは、自分のリズムとは関係なく一定のビートを押し付けるものです。位相がずれたリズムは疲労のもととなり、時々リセットする必要がありました。

2年間の集中した受験勉強で疲弊した後に新しい環境、人間関係の破綻、慣れない公演、体力の低下と学習リズムへの不適応で休む暇もなかったのでしょう。ここでなにもやる気が起こらなくなりました。高騰した株価は必ず急落するように、増長した気持ちは極度の劣等感に変わるものです。

私は学校に行くのをやめました。そういえば地元の友達I君がラグナロクオンラインの話ばかりしていたことを思い出しました。

I君にはネトゲは人生食いつぶすからやめなよ、と言いつつも内心気になっていたゲームなので、試しに初めて見るとみるみるハマってしまいました。このあと1年ほど私はラグナ廃人となります。持ちキャラはアサシンとプリースト。アサシンは金を稼がないと成長限界が来るので途中であきらめ、プリーストを使ってパーティーで経験値を稼ぐ作業をずっと続けていました。食事は学食よりもさらにグレードを落としてコンビニ弁当で固定です。いまでもあのサンクスとハンバーグ弁当は覚えています。I君は高専生だったので、ラグナ廃人でも教授のプッシュの力でトヨタの関連会社にねじ込まれたそうです。ずるい。あ、でも奇跡的にこのブログ見ていたら連絡ください。

最新版 「うつ」を治す (PHP新書)

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こんな生活をしていると根本的にむなしいので、上の本(改定前)に騙されてパキシルも飲み始めました。パキシルは酒と相性が悪いのですが、私はやけくそでわざと酒と同時に飲んで酩酊状態を楽しむこともしていました。寂しいので一人ではやりません。必ず宴会などの席でやりました。この頃はわざと変なことをして他人の注意を引く行動がピークに達していたようにも思います。抗鬱薬は本当に必要な人に投与するもので、私のように病名が欲しくて行った人間に投与するものではありません。

医者には親にも報告しろと言われたので地元から親が出てきました。年末~正月は地元で過ごし、成人式に出て地元の友人に会ったりもしましたが、居心地が悪くまた東京に一人で戻ってラグナロクをして過ごしました。私はバイトをしてなかったので親のカネです。バイトとは見知らぬ人間と関わることですので、初対面に弱い私にとって世界の向こう側の存在でした。高校でバイトやってる人間ってどんな超人なんだよ!?と思っていました。

音ゲーも大学に入って以来再開したので、あちこちのゲーセンを行脚したりもしていました。このころポップンミュージックも始め、レベル44(当時は38)くらいまではこなせるようになっていました。もちろん親のカネです。そんな風にして音ゲーとラグナロク漬けのまま春が来ます。眠くなってきたので次回に続きます。ちょっと勢いで書きすぎたので、あとでもう少し考察を入れるかもしれません。

 

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振り返り 高3~浪人

11/26 トーダイに書き換えました

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3年生になり私は兼部していたパソコン部の部長をやらされることになりました。肩書だけの存在で私は演劇部の活動がメインでした。しかし部長として新入部員にスピーチしろと言われたときは困りました。私は人の前で話をすることなんてできません。じゃあ演劇は何だと言われたらあれはアドリブのいらない自動機械だから全然違うと答えます。本当は演劇こそアドリブの必要な世界なんですが私にはそんなことできませんので、何が起きようと同じバターンの中にとどまります。人前で話すなんてアドリブだけで構成されているようなもんです。無理です。私はその日学校をサボりました。副部長が代わりにスピーチしてくれたそうです。ごめんね。

サボるといえば私は定期テストを時々サボりました。なぜかというと定期テストは同時に宿題が出るものだからです。宿題が終わっていないのにテストができるわけがないので休みました。

夏に部活が終了し、残すは大学受験だけとなりました。私は中学校のときと同様に宿題を全然やらなかったので、宿題が試験範囲である定期テストこそ相変わらず壊滅状態でしたが、模試の成績は何故か悪くありませんでした。今考えると、これは受験勉強の出題パターンにたまたま私が適合していただけに過ぎません。意味が分からなくても点が取れていたからです。そこに部活の顧問が目を付けました。

「お前トーダイ受けろ」

アホちゃうか。わたしゃ地元の工業大学がいいとこだと思ってましたが、高望みして東京にある某工業大の情報科を受けようかなと考えていた所でした。それでもっと上を受けろと。アホちゃうか。

でも期待されたことがうれしくて勉強を始めてみたら、2年生終盤時点で800点満点の500点からはじまったセンター模試の点数が受けるたびに30点ずつ上がり、センター試験本番では660点になりました。私大も受かりました。勢いに乗って私大の入学金は払わず二次試験は前期後期とも東大にしましたが前期は自己採点3点差の首の皮一枚で落ち、後期試験はボロボロで落ちました。後期試験会場の医学部校舎のエビみたいな薬品の匂いは今でも覚えています。

予備校に入って浪人しました。公立上位の高校は浪人率が高いので抵抗はありませんでした。同じ中学高校だった3人でいつも行動していました。このうちの1人が読書家で、彼がダンテの「神曲」を読んでいたことを今でも覚えています。彼のおかげで私の中に「読書しなきゃいかんな」という感覚が培われました。ですがそれを実践に移すまで12年かかりました。名前で検索してみたら彼は気象庁に入ったようです。

恥ずかしい話ですが私が当時読んでいた漫画はこれです。

読んだ方は知っていると思いますがこれはトーダイに行く萌え漫画です。またオタク方面に戻っていた私はこれを読んでモチベーションを上げました。

予備校は月~金までみっちり授業が詰まり土日がほとんど模試で潰れるので休む暇は少なかったものの、時々名古屋の図書館に通ってシンセサイザーの本に感銘を受けたり駅ビルの大型書店に入って感動したりできました。成績が良かったので学費は半額になりました。最終的にセンター試験は9割を超え、二次試験は合格者平均点を上回りました。

受験勉強は大部分が暗記と手続き学習で構成されています。私にもってこいの分野でした。ただひたすら問題を解くだけの単調作業ですので、音ゲーと同じです。学問の深遠な理解など必要ありません。極端な話、意味が分からなくてもよいです。英語も物理も数学もみんな暗記と慣れだけで点数が上がります。後の経験で分かったことですが、文系科目も間違いなくそうです。一部の数学の発想力が要求される問題には歯が立ちませんでしたが、高1のときから時間をかけて数学の問題の全パターンの問題を解いてたらもう少し点数は上がったでしょう。「東ロボ君」のような人工知能が入試解けるってのもわかります。私の頭の中はコンピュータに近いので、似たような認知手続きを踏めば解けるのは当たり前です。こんな非人間的なペーパーになんでみんな命かけて取り組んでるんでしょうね。もう少しで大学入試制度も変わるらしいですけれど。

みんなゲームするくらいなら受験勉強の点数上げた方が将来のためだよ、と言いたいところですが実はゲームのように勉強することには落とし穴があります。これは次の記事で書きます。

今ならこう言うでしょう。みんなゲームするくらいなら、デイトレやったほうがいいよ。頭の柔らかいうちなら大口取引のパターンを掴めるから億稼げるよ。

合格発表で号泣したりキモイ叫び声を上げている人を脇目で見つつ番号を確認して、そのまま学生課の賃貸斡旋コーナーへ行き、世田谷区ワンルーム家賃6万というボッタクリ価格の物件を契約しました。最近不動産で資料を見ていたら似たような物件が4.5万で出てました。田舎者という言葉はカモと同義です。情報の非対称性という言葉を知っていればよかった。私はそこに住むことになりました。しかし今思うとこの物件がある周辺って高すぎてこの先一生住めそうにありません。身分相応に郊外に借りりゃよかったのにな。いま私が学生なら、大学の近くの風呂無しボロアパートに2万で住み、トレーニングルームのシャワー室を使うでしょう。どうせ図書館にこもるのだから。

 

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必要なもの

PC、服、食器、少量の本と書類以外の家具を持たずに家を出る予定なので、大量の必需品を仕入れなければなりません。引っ越し費用と合わせて10万円以内に抑えたいところです。引っ越しは見積もりを出したら距離が遠くて3万円くらいかかりそうなので、予算は7万円です。思いつく限りリストしました。

 

家電

品目 価格 備考
炊飯器 5000 必須 中古でよい
洗濯機 10000 必須 小型二層式
冷凍冷蔵庫 10000 必須 中古でよい
オーブンレンジ 10000 必須 中古でよい
体組成計 3000 必須 中古であると嬉しい
スロークッカー 2946 次点 大豆料理用
サーキュレーター 4000 次点 洗濯物を乾かす
ヨーグルトメーカー 2030 次点 賞味期限延長+乳酸菌補給+乳糖を減らす
ミルサー 4672 余裕ができたら 大豆粉 米粉 乾物粉の作成に必要
小計 51648  

キッチン用品

品目 価格 備考
ガスコンロ 4000 必須 中古でよい 二口だと10000円くらい
フライパン(鉄) 2000 必須
片手鍋 1000 必須
包丁 1500 必須
まな板 108 必須 100均でいい
キッチンばさみ 108 必須
スコッチブライト 200 必須 風呂にも使う
木べら 108 必須 コメを乾煎りするのに必須
ざる 108 必須 コメを洗うのに使う 100均にあるか?
ボール 108 必須 金属のものは100均にあるか?
クレンザー 100 必須
菜箸 108 必須
両手鍋 1000 次点
計量カップ 108 次点
おたま 108 次点
フライ返し 108 次点
タッパー4つくらい 420 次点
サランラップ 108 次点
小計 11300  

バス・トイレ・洗濯用品

品目 価格 備考
便座カバー 108 必須
シャワーカーテン 1000 必須
タオルかけ 108 必須
バス用洗剤 108 必須 初日の掃除用
トイレットペーパー 300 必須
物干し竿 1000 必須
ハンガー 108 必須
ピンチハンガー 108 必須
液体石鹸 600 必須 そよ風かな
石鹸 600 必須 パックスナチュロン
スクイージー 300 次点 湿気取り
トイレ用スポンジ 108 次点
トイレ用洗剤 300 次点
小計 4748  

生活用品

品目 価格 備考
5000 必須 PC用
電気スタンド 3000 必須 PC用
自転車 10000 必須 中古でよい できれば変速付き
カーテン 10000 必須 2セット必要 遮光が良い
ゴミ箱 216 必須 2個
ティッシュペーパー 300 必須
カレンダー 108 必須
粘着フック 108 必須
ドライバー 108 必須
カッター 108 必須
10段引き出し 5000 次点 書類整理用
自転車用ライト 1000 次点
つっぱり棒 540 次点
S字フック 540 次点
小計 36028  

合計 103724円

 

次点のものを省いても9万円はかかりそうですね。まいりました生活は大変です。本棚も欲しいのですが全く余裕がなさそうなので、しばらくの間は段ボールに入れっぱなしにするしかなさそうです。日中音楽をかけっぱしにしたいけど、スピーカーも当分無理。