口答えしたな

返事はハイでしょ – 六帖のかたすみ

うっかり言い訳とみなされる言葉を発すると「また言い訳したな!」という言葉と共に堰が切られ、直接関係のない「××人」などの罵倒語を次々に浴びせられた。 

言い訳、はある日「口答え」にグレードアップしたことを思いだした。ぼくの釈明は「口答えしたな!」という言葉にかき消されるようになった。

元妻には「あなたは私の言うことだけ聞いていればいい」と面と向かって言われたこともあった。

「ハイ」と答えていれば、嵐はいつか過ぎていくと思って、耐えていた。

それを見透かされて、「通り過ぎればきれいさっぱり忘れて、また同じことをするのだろう」と言われたこともある。

ぼくは同じ失敗を繰り返してしまうと思っている。元妻に「もう10年以上経ったけれどあなたは変わらなかった。諦めた。」と言われたからだ。だから前回と同じパターンが発生すると身構える。身構えるのももう終わりにしたい。

でもそんなことはない、自分は変わった。11年の間に人格が数回転くらいしたし、ここ1か月半ほどでも相当変わった。別人になった。変わらないなんて言う人間はぼくのことを何も見ていなかったのだ。見る目が無かったのだ。要するにアホなのだ。

あほーーーーー


一体化

DV被害者にとって最も生きやすい方法は、加害者と一体化することだ。加害者になれば、被害者にならなくていい。自分がまるで加害者と同じものの考え方をするように振る舞えばよい。

ぼくには、真似しかできないという特性がある。ぼくの思考様式は、今までに読んだもの聞いたもののパッチワークで成り立っている。なんでも吸収して、自分のものにしてしまう。

訓練をすれば簡単に他人の思考様式になれる。ぼくはあっという間に親を憎み、地元を憎み、スーパーの野菜を憎み、学校教育や受験勉強を憎み、そして、ぼく自身を憎む人間になった。

ぼく自身を憎むと楽に生きられた。ぼくを憎んでいるぼくを加害者に否定されることはなかった。

一体化にはもう一つ別の側面がある。自分の思考がないということは、自分に責任を持たなくてよい。何があっても、加害者の責任だと思うことができる。被害者は、自尊心の崩壊を代償として、加害者に庇護される。端的に言うと楽をしている。だからといって被害者が悪いわけではない。でも楽はしている。

ぼくのほんの少し前までの文章は、主語が明確ではない文章が多かったらしい。会話でも「誰が」にあたる語句をほとんど使わなかったらしい。ぼくが話のどこにいるのかわからず、聞き手は困惑した。ぼくはどこにもいなくて、最近やっと発見されたのかもしれない。


耐えられる

ぼくはストレス耐性が高い。よっぽどのことがないと、心身症は出ない。

多摩ニュータウンで暮らしていた時、ある日の夕方に家族全員分の布団を敷きながら、激しい腹痛に襲われたことがある。

引越と食費のせいで慢性的に金がないのでぼく自身に医療費をかけたくなかった。ぼくは腹痛をやり過ごすことにした。いつもと何も変わらない表情で布団を引き、会話の受け答えもいつも通り行った。10分後に腹痛は去っていった。誰もぼくが腹痛だったことを知らない。今考えると、連日の満員電車通勤のストレスだったと思う。

これぐらい耐えられると思った。

食費が月25万円になっても、借金が130万円になっても、体重が40kgになっても、月8万5千円で暮らせと言われても、これぐらい耐えられると思った。

なんだって大したことがないと考えていた。

ストレス耐性が高いというのは、問題が起きている部分をなかったかのように扱うこと、つまり自らの問題から目をそらし考えることをやめることと等しく、搾取者を更にエスカレートさせるだけである。


疑問を持たないこと

疑問をもってはいけなかった。疑問を持つと、その質問をすること自体がおかしい、とねじ伏せされた。

言葉として発されない疑問はいつまでも疑問のまま残る。疑問を積み重ねて放置すると腐敗して脳が苦しい。

疑問は少ない方がいい。イエスマンは楽だ。いい人のレッテルも貼ってもらっちゃえるしー。ぼくちゃんうれしー。

理解したふりをして、はいはいと言っているのが心地いい。。

 

もうそんなのは嫌だ。


何がわからないのかわからない

弁護士と警察に相談したことで、元妻に受けた精神的な支配を克服することはできた。しかし、11年間の間に反復した習慣が取れなくて困っている。

返事はハイでしょ – 六帖のかたすみ

元妻に1秒以内に返事をしなければいけないと怒られる、というプレッシャーは、意味が分かっていなくても返事をする習慣を作った。例えば外で店員さんが言っていることが分からなくても、つい「わかりました」と返事をしてしまう。一緒にいた人に「店員さんはなんて言っていたの?」と聞かれても答えられない。

これに加えて、元妻の言うことに疑問を持って否定してはならない圧力が、「わかっていなくてもわかったつもりになる」習慣を作った。元妻には「分からないことがあるのになぜ質問しないのか」とよく怒られたが、それは質問の答えが文脈的に明らか(と元妻が考えるとき)に「その質問が出てくるのはおかしい」と何十回も激怒されたからだ。

習慣はおそろしい。熟練した習慣は無意識的どころか肉体の反射と同じ速さでバッチ処理される。長い時間をかけて沁み込んだ塗料をどうやって取っていけばいいのかわからない。

わからないことをわからないと言える人間がうらやましい。ぼくはわからないことが怖いから、何がわからないのかわかりにくい。

わからないことがAなのかBなのかCなのか、即座に把握する能力がほしい。他人と会話していて、わかったつもりになっている自己を認識することが時々ある。

質問することを怖れていたから、質問ができなくなった。

もう怖れる必要なんかない。

もう怖れる必要なんかない。

何度も唱えていたら、質問できるようになるのかな。


返事はハイでしょ

ぼくは生活の中でよく失敗をして、元妻に怒られた。怒るだけならいいのだが、元妻は人格攻撃も同時に行う。元妻は「人格を否定しているのではなくて、起きたことにそれ自体対して怒っている」と言っていたが、嘘だ。

ぼくが間違いを指摘して「それは違う」と言うと、元妻は「言い方がきつい」と怒った後、「トーダイ野郎は他人を見下す」と付け足した。元家族の家ではぼくは東大中退であることで驕っている、えらそう、ということになっていたからだ。中退なのに。東大なんか入ってごめんなさい。勉強していてごめんなさい。今でもぼくは東大への評価を低く見積もるバイアスをかけている。

人の気持ちが読めなかったときは、元妻に「××人は他人の気持ちを踏みにじるもんな!」と毎回言われた。××にはぼくの地元の名前が入る。これは元妻とぼくの親の仲が悪かったためだ。ぼくの親のことは家では「××人」と呼ばれていて、ぼくも××人と呼ばれていた。元家族の家では僕が生まれ育った地域も土地も忌み嫌われていた。これも尾を引いていて、ぼくが他人に地元のことを話す時にはマイナスイメージしか語ることができず「ここが美しい」「こんないい所がある」と紹介することができない。

誰だって怒られるたびに人格否定されたら耐えられない。言い返すための論理的思考、ニュートラルな気持ちも備わっていない。気分が地底まで落ちていくのを防ぐために、ぼくはまず、怒られそうになったら言い訳することにした。

例えばぼくの返事が遅いと怒られた。おおむね1秒以上間が空くと怒られる。ぼくは「2つのことを同時に考えていたら時間がかかった」「扇風機に気を取られていた」「◇◇という言葉は意味1と意味2の2通りが考えられるから、どちらかわからなくなって時間がかかった」などと言い訳をした。元妻には「◇◇は状況的に意味1に決まっているじゃないか、意味2を思いつくのはおかしい、さぼっている」などと否定された。

うっかり言い訳とみなされる言葉を発すると「また言い訳したな!」という言葉と共に堰が切られ、直接関係のない「××人」などの罵倒語を次々に浴びせられた。

ぼくは真面目に理由を説明しているつもりだった。しかし、何十回も何百回も「言い訳するな!」と言われ続けたため、ぼくが言い返す行為はすべて言い訳であると認識するようになった。

元妻は「返事はハイでしょ!」と言い、ハイ以外の返事を許さなかった。相手を怒らせたとき、怒らせそうになった時に反射的にハイと言ってしまう癖は今でも抜けていない。

これ調教だよね?


電子書籍を作ります

DVをうけた男性の体験について書きます。自閉症スペクトラムについても大きな要素の一つですので、書きます。

しばらくの間、草稿を兼ねて過去のことを書いていきます。

〆切は7月末です。自分を追い込むためにコミットメントしました。