

★★★★★(*’∀’人)
著者の広沢正孝さんは順天堂大の精神科医・教授です。専門は精神病理学・保健学。他に統合失調症関連の本も書いています。
発達障害者の精神構造を明らかにする目標で書かれた本
タイトルから一般向けの単行本的なものを想像していましたが内容はバリバリの医師向け医学書でした。でも最高に面白かったし、人生が変わるかもしれないほどの衝撃を受けました。いいですね医学書。もう医師にはなれないけど医師になるための勉強がしたくなりました。
この本はいわゆる「発達障害あるある本」とは一線を画します。まず発達障害者に対して一般の人間がどう接すればいいか、発達障害者はどのようにして社会に適応すればいいかという実践的な要素は皆無です。1冊かけて、発達障害者の精神構造を明らかにするための考察が膨大な参考文献とともに行われていきます。文献はほとんどが英語圏・ドイツ語圏のもので日本のものも精神医学系の雑誌が多く、医学書はみんなそうなんでしょうけれど著者の情報収集力の高さとそれを統合する力には驚嘆しました。
folk physicsとfolk psychology
書くべきポイントは大量にあってまだ自分の中で消化できていないので本書を貫く重要概念の2点に絞って書きます。1点目はである「folk physics」と「folk psychology」という概念です。これはBaron-Cohen(サイモン・バロン=コーエン)の提唱した概念だそうです。
これは脳が対象を認識する働きを2つの領域に分割して捉える考え方です。folk physicsは「庶民物理学」つまり対象が物質的存在としてどのような働きをするかということを捉える働き、folk psychology「庶民心理学」は対象を社会的存在としてとらえようとする働きを指します。大まかに言ってfolk physicsは分類し細部を突き詰める働き、folk physicsは共感し統合する働きです。
バロン=コーエンによれば、一般人は2つの働きをバランスよく発達させ、重なり合わせることで対象との適切な距離や二面性、多層性などを認識することができますが、発達障害者はfolk psychologyが障害されており物事をfolk physicsを使ってしかとらえることができません。物事は様々な観念の集合体としては捉えられず、バラバラのままです。
タッチパネル的自己
folk physicsへの偏りという仮説をベースにして、実際の臨床例から筆者が提示した理論が「タッチパネル的自己」です。これはある患者が次のように自己を認識していたことによるものです。
このころA氏は、主治医に以下のように述べた。「僕の頭はタッチパネルで、縦横に規則正しくアイコンが並んでいます。その1つひとつに重要な内容が入っていて、僕は必要な時に必要なアイコンにタッチするんです。そうするとそこにウインドウのように世界が開けていき、僕はそこを生きて、そこで仕事をするのです。それが社会人の僕です。つまりプログラマーの僕ですよ。先生もご存知のプログラマーってやつで生きている僕なんです。(中略)別の部分をタッチすると、そのウインドウにまた僕がいます。全体としてタッチする順番が決まれば、僕の1日は順調に流れます。でも今は順番が滅茶苦茶で、タッチパネルの情報もどこに入っているのかわかりません。これは危機です。」
A氏の自己イメージ図が添付されていました。HTMLで再現してみます。
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 6:30AM 朝の支度 
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 7:12AM 電車通勤 
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 8:23AM 駅から会社 
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 8:45AM 仕事前 
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 9:00AM-5:20PM 仕事 
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 0:20PM-1:20PM 昼食 
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 (予備) 
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 (今日はパス) SF活動 
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 6:05PM 帰り道 
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 7:03PM 電車通勤 
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 7:55PM 駅から自宅 
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 (今日はパス) 秋葉原 
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 8:45PM 夕食 
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 9:20PM 入浴 
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 10:00PM ブログ 
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 (予備) 
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以上の2理論は衝撃的でした。なにしろこの2つから発達障害者にまつわる諸症状がほぼ全て演繹可能だからです。米田先生の著書の1点集中・極端なコントラスト理論では説明不足なところも補えそうです。
演繹例1
私の例を挙げます。私はきわめて受動的です。他人との関わり方は典型的にな積極奇異(積極的だが挙動不審だったり躁状態だったり変な感じのこと)で、話しかけるまでは時間がかかりますが一旦他人と関係を築くと自己が他人に取り込まれ、自己を喪失します。もうブログの存在がばれたって構わないので書くと、いま隣の部屋にいる元妻との関係が完璧にそうです。私は元妻に思考体系を依存し、子供からは「自分の考えが無い」と非難されバカにされました。
一方、私は自己喪失どころか過剰なまでの自己保持を表すことがありました。例えば私は大学休学後復学し1年通いましたがその時収入はありませんでした。ところがその時元妻がある事情で働けなくなり解雇されました。ところが私は収入が全くない状態で、1年間大学に通い続けました。お金は消費者金融で借金した後に破産して踏み倒しました。今思うとぞっとする行為です。生活が首の皮1枚で繋がっていた状態です。ふつうは収入が無ければ働きますが私は働くことを選ばず、それまでの世界であった大学を保持することを選びました。しかも収入もないのに帰りにゲーセンに寄っていました。私は音ゲー中毒者だったので、この世界を手放すこともできませんでした。さすがにキャッシング枠が無くなったので1年後は中退して就職しました。
以上の行為はタッチパネル的自己で説明が可能です。私の自己はタッチパネル風に分割されおり、「大学生の自分」「音ゲー奏者の自分」「夫としての自分」が独立して存在していて、統合されていません。したがっていとも簡単に「夫としての自分」を切り離して生活を顧みず大学に行ったりゲーセンに行ったりすることが並立して可能となります。
自己に一貫性が無いことが発達障害者の本質です。これは本当に衝撃で、いろんなことがひっくり返りそうな思いがしました。
少し前から発達障害と分裂病(統合失調症)との類似点を感じていましたが、本書では分裂病はあくまで一般人が自己を中心とした心的構造の保持ができなくなった状態、すなわち「定型発達者が陥る病気」であることが示され、すっぱり切り捨てられてしまいました。
一貫性が無いことから多重人格との類似もできそうですが、多重人格は幽遊白書の仙水忍の例からも分かるように、普通の人間がトラウマ的出来事から逃避するために自分の一部を隔離するものとして自らが生み出す適応的行為です。ところが発達障害者は先天的に一貫性が無いのですから話が違います。
様々な精神医学書を読んで示唆するところを得たいと思っていましたが、この知見によって「定型の人の話だし・・・」と一つのフィルターを感じながら読まなければいけなくなりました。できるのかな。
自動的に空気を読むJavascript、必死で空気を読むJava
プログラムの話です。JavaScriptは定型発達者言語、Javaは発達障害言語だと思いました。
JavaScriptは動的型付け言語です。定型人オブジェクトにはあらかじめ「常識」という一連のメソッドが備わっており、適当なメソッド名を与えると何らか「常識」に沿って動作することが期待されています。「常識」には明示的な宣言無しにつけたり外したりすることが可能です。定型発達者は2行で実装できてとても便利です。
var teikei = function(){};
teikei.prototype = 常識; //実装完了。うらやましいなおい!
var man = new teikei;
if(上司が来た)
{
 man.空気読め(); //軽快に動作
 man.率直に意見 = nothing; //動作しなくなる。正しい態度。
}
一方Javaは静的型付け言語で、オブジェクトのメソッドはあらかじめすべて定義しておかなければなりません。「常識」はすべて明確な実装がされている必要があります。一つでもなければ悲鳴を上げてエラーリターンするのです。
class PDD implements 常識 //PDDは発達障害の略語です
{
 public 空気読め()
 {
   if(一人でいるとき)
  {
    何もしないでいい;
  } 
  else if(二人でいるとき)
  {
    相手の気持ちを考える();
    会話を途切れないようにする();
   if(相手が怒ったら?)
   {
     どうしよう
   }
    etc…
  }
  else if(10人でディスカッション)
  {
    無理
  }
 else
  {
     想定外。パニック
  } 
 }
 public 率直に意見()
 {
   いつも通りに発言();
 }
}
interface 常識
{
 public 空気読め();
 public 率直に意見();
}
 
class 実社会()
{
  public static void main (String args[])
 {
   PDD man = new PDD();
  if(上司が来た)
  {
   man.空気読め(); //大変な条件判断。フリーズの恐れあり。
   man.率直に意見(); //消せない。
  }
 }
}
なんという冗長性。ちなみに私はJavaを使ったことはありませんが、類似言語のC#は毎日仕事で使っています。とても使いやすい原語です。書きながらJavaScriptを習得するのに手間取った理由もなんとなくわかりました。
発達障害者は適応するために大量の「常識」を実装する必要があります。これは私が大量に本を読みたい理由です。無数の言語による配線を張り巡らせておけば、何かどこかに引っかかるかもしれない、、という期待があるためです。
私が読む本はほとんどが図書館で借りた本ですがこの本ははじめて「買って定期的に読み直さなければいけない」と思わせる本でした。地味な本ですが全文暗記したいくらいの気持ちがします。だからといって何かが好転したりするわけではないのですが。
 
 
参考書籍
本書の基礎となったバロン=コーエンさんが書いた本。
 
何回も引用されていた本。教師のため、って書いてあるけど中身は濃いみたい。
 
これも何度も引用されていた。高い。分厚い。
 
これも多数引用。発達障害者のほとんどは天才ではないが、何か得るものがあるかも。
 
 よく名前を聴く本。読んでみたい。
 
広沢先生の本。
 
これも引用あり。上の本と合わせて分裂病を知るために。
 
発達心理学。自分の発達過程がどのくらい一般とずれているのかを確認するのに有益。