振り返り 21歳(2)

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ここから先はどこまでオープンにすればよいのか判断がつきかねますが、自分のためなので、おおむね事実を書きます。

Kとは話が合い、そのまま交際することとなりました。しかし私はこの時に限ってトーダイ生であること(勉強についていけなくなったのに)や素晴らしい合唱部にいたこと、先輩も頭がよく尊敬していること(いやな思いもいっぱいしたのに)、Dさんという彼女がいたこと(2週間で捨てられたのに)、親兄弟も優秀(後述するように、キチガイでした)などと吹聴しました。もちろんKは激怒し、長期間これをネタに怒られたものです。今でも怒ってるかも。

最近になるまで分かっていなかったことなのですが、愛とは他人を飲み込むものです。私は他人を欲していながら、自己同一性を保ちたいという相反した気持ちを抱えていたと推測されます。必要以上に自慢をしました。自分はこんなにすごいんだぞと言いたい、でも自分の中には何もないから、他人を使って自慢する典型的なアホの思考です。しかも認知の歪みによって、嫌だったはずのことがみな美化されている。思い出してみると不可解です。なんであんなことをしたのか。他人事のような文体なのですがあの時期は心が衰弱しておりどのような思考体系だったのか思い出すことが難しいのです。あと知恵で考えると、バイトは長続きしそうでしたし社会との接点もあったので、長い目で見てそのままの生活を続けていればよかったとも思います。

ラグナロクオンラインは役割を終えつつありました。私はもうこのゲームをやめなければいけない時期に差し掛かっていたので、BOTを使ってアイテムを荒稼ぎし、RMTで他人に売りつけるということを行っていました。これまでに支払った金額分くらいは取り戻すことができました。しかしKとのデートを「今日ギルド戦があるから」と言って途中で切り上げるようなこともしていました。離れたいけど未練のある状態でした。余ったゲーム内通貨はラグナロクを紹介してくれた高専生のI君に上げました。RMT相場で5000円相当くらいだったと記憶しています。

Kはシングルマザーで頭の切れる女性でしたが、訳あってギリギリの生活をしていました。私はその頃金がない金がないと言っていたそうです(記憶がない)。そこでKは同居と入籍を提案しました。私は住居費が無くなり、Kは税金が減るからです。私は驚きましたがなんだか壁を飛び越えた世界に移行できる気がして、少し悩んだ後賛成しました。

夏に単身帰省し、親に事情を話すと猛反対されました。何度も何度もKと別れるよう説得されました。私はこれ以上話しても無駄だと思い、同意したふりをして実家を後にしました。

Kのすすめでパキシルをやめることにしました。禁断症状は激しく、頭の中が目まいの起きた状態と同じようになります。かなり苦しいですが希死念慮が起きることは全くなく、数か月すると禁断症状はおさまりました。抗鬱病薬は大多数の人間にとって依存性を高めるだけの薬だと今でも信じています。よく調べると麻薬とほぼ同じ働きをすることも分かりました。私はパキシルを飲むことで精神状態はむしろ悪化しました。グラクソスミスクラインの懐を温めるだけとなりました。

秋以降、私はバイト先を家庭教師、法律事務所と点々としつつ、1年遅れの2学期の授業に出ました。なんと楽勝で単位を獲得できました。しかも高得点で。私がつまづいていたのはモテ願望やお粗末な生活習慣などというごく些末なことであり、落ちついていれば簡単にこなせる程度のことだったのでした。

しかしこの頃Kが妊娠し、雇用主から減給と時短を強制されます。嫌がらせもうけていたようです。たぶん、雇用主はKが好きだったのでしょう。Kは退職することとなり、収入は0となりました。同じ時期、私がうけていた奨学金が止まりました。留年したことが日本学生支援機構にばれたからです。

さらに悪いことに親はキチガイでした。私は一緒に暮らしていて気が付きませんでした。というより、私もキチガイだったのでしょう。親はKと私の関係を一切認めず、子供も産むなと言いました。執拗に自宅に電話をかけ続けてきました。母が東京まで乗り込んできたりもしました。何とか追い払いましたが、ここで私が煮え切らない態度をとったので、Kとα(連れ子です。親はαの人権も認めていません)と私との間に禍根を残すこととなりました。こんなキチガイからの仕送りを当てにするのは間違っているので、通帳とカードを実家に郵送し、収入源は私のバイト代5万円だけとなりました。家賃も払えません。

 

続きます。


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