http://koshian.hateblo.jp/entry/2018/10/09/184510
を読んだ。オタクをおっさんになってもこじらせているって怖いと思った。
歴史は個人的なものだ。客観的に正しい歴史などない。なので主観的な歴史を書く。タイトル絵になっているkanonは、ぼくが高校生の時に流行っていた葉鍵系と言われるギャルゲーの金字塔だった。周りはみんなやってた。ぼくは友人にBGMのリミックスを依頼されゲームをプレイしないまま音楽だけ聴いてCDを作り、名古屋の同人誌即売会で売った。完売して1万円の利益が出た。それくらい流行っていた。
葉鍵系はLeafとKeyというメーカーが作ったいわゆる「泣きゲー」と言われるジャンルで、2000年前後に大ヒットして「萌え」の普及に一役買った。秋葉原がオタク街になったのもこいつらのせいだ。泣きゲーでは、主人公がヒロインとセックスした後ヒロインが死んだり死にかけたり逆に主人公が世界から忘れ去られたりする。つまりプレイヤーに幸福感に続けて消失感を味わせることで泣かせトラウマを植え付けるという恐ろしいゲームだ。なおかつすべて学園モノであり、学校生活でうだつの上がらないプレイヤーはゲームに理想郷を見出し、耽溺していった。男子高校生のネット上の口癖で多いのは「うぐぅ」「あははー」「了承」etcであった。当時の男子高校生はビジュアルノベルこそが文学だと信じていた。
彼らは得られないセックスの補償として、泣きゲーを求めた。泣きゲーの主人公はもれなくやる気がなく、わけのわからん冗談を言ってヒロインを困らせる。でも嫌われない。意味なくモテる。常に女が何人もいる。適当に話しかけていれば仲良くなってセックスできる。ああそんな日常を俺も送りたい!萌えとは得られないセックスの結晶だった。直接的な欲求に基づいていた。「ああ○○ちゃん!」と言ってオナニーしている人間は多かった。当時発行された大量の18禁同人誌が欲望の大きさを物語っている。
(現代のライトノベルも主人公がやれやれ系でやる気ないし女はいっぱい寄ってくるし、ほぼ同じ論理で成り立っているだろう。20年間何も変わっていない。変わったのは表紙の女の子の性的アピールが露骨になったことくらいだ。実に直接的だ。)
高校生時代ぼくはゲームと同じ男子高校生がプレイしている様子を見ていたので、萌えは今まさに送っているつまらない高校生活の補償として機能していた。ところが、最近の萌え論争を見ていると、どうもいい年した30~50代の大人が全く同じ論理で萌えを語っているようだ。つまり彼らは灰色の青春時代を悔い、何十年もやり直しているということだ。
何十年も経てば過去は結晶化され、理想化される。彼らの萌えを語る論調は変質し、「萌え」は「エロ」と切り離される、という主張が生まれた。ここ数週間の論争を見る限り、「萌え」は「エロ」みたいな汚らわしいものとは違うもっと神聖なものだ、と信じている人は、多数いるらしい。馬鹿じゃないの。
高校生時代を思い出してほしい。お前は何回○○でオナニーした?
以上を踏まえて、
なにやら近年、「萌え絵」をポルノだと認識してるおかしな弁護士だの社会学者だの大学教授だのが跳梁跋扈している。
ポルノだよばーか
そもそもオタクというのはある種のクィアであった。
家父長制ど真ん中だよバーカ
誰もが経験したことはあるのではないか。猫の異様にかわいい仕草をみてしまったとき、犬のつぶらな瞳に見つめられたとき、子供の無邪気な姿を目の当たりにしたとき、壁に頭を打ち付けたくなるような激しい情動を覚えたことはあるのではないか。
そう、それが「萌え」である。
月宮あゆと犬子供が同列!?バカも休み休み言えよ
いのまたむつみ、出渕裕、結城信輝を経ておそらくはこうしたアールヌーヴォーのスタイルの影響を竹井正樹らにも与えたであろう。同様にミュシャの影響が色濃く見えるCLAMPの漫画作品らの大ブームもあって、「萌え絵」はアールヌーヴォーの影響を強く受けて成立してることは想像に難くない。
それはあなたがCLAMP好きなだけでは!!????
知らない人にはただの絵にしか見えないそれには、膨大な物語を想起させる情報が織り込まれている。そこにはラノベなりアニメなりエロゲなり、物語を知ってる人でなくては読み取れない情報がある。だからこそただの絵にオタクたちは興奮するのである。
知らねーよ!!!そんな物語知らねーよ!!!!私らに見せないでいいよ!!!!内輪でやってくれよ!!!!!!
「スレイヤーズ」で多くの人に知られる白蛇のナーガも、中身を知らなければただの露出狂である。
だろ!!!!だろ!!!!!露出狂見せるのほんとやめてくれよ!!!!!
以上です。