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「ルビコンを越える」という言葉を時々聞きます。数か月前に読んだこの本でも出てきました。
どこで出てきたか正確な場所は忘れてしまったのですが、政府が税金を使った大々的な金融支援を打ち出すと決めた箇所だったと記憶しています。事態が流れに乗ったことくらいの意味かなぁと当時は考えていました。ところが本書を読むと「ルビコン越え」とはもっと深刻なものであることが分かるのでした。
本書はカエサルがガリアを平定し、三頭政治の一角クラッススが討ち死に、ポンペイウスは元老院派に取り込まれ対カエサルの尖峰となり、カエサルと全面対決を始める直前までの史実を扱います。
ルビコン越え=国家反逆罪
ルビコン川とは現在の北イタリアを流れる川で、いまはルビコーネ川と呼ばれています。当時のローマの国境をなす川でした。この川の北側がガリア地方、カエサルが属州総督として派遣されていた地です。総督は軍隊を率いる権利がありますが、それは属州内限定の軍隊であり、ローマに帰る前、ルビコン川を渡る前に軍隊を解散しなければいけない、という法律がありました。これを破って、ルビコン川を軍隊を率いて渡ることは国家の反逆者となることを意味していました。
カエサルを排除したい元老院から「元老院最終勧告」(いまだとなんでしょうね。破防法適用とか国家反逆罪適用とかかな)をうけたカエサルは元老院にひれ伏すか反逆するかの二者択一を迫られ、反逆を選びました。それが「ルビコン越え」です。軍隊を率いてルビコン川を超えたところで本書は終わります。
ということはリーマンショック・コンフィデンシャルの政府融資の意味とは、アメリカではまず許されない絶対の禁じ手をやむに已まれず使うことになった、という意味での「ルビコン越え」だったのですね。あの本では当時の雰囲気として政府支出=社会主義=忌むべし忌むべし!という論調が支配的だったように書かれていますので、相当な決断だったということなんでしょうね。日本だとあっさり金使われて終わりになりそうですけれど。
気になった言葉たち
今回も目白押しです。
ラインとドナウの両大河を視野に入れたカエサルによって、ヨーロッパの形成ははじまったのである。小林秀雄も書いている。「政治もやり作戦もやり一兵卒の役までやったこの戦争の達人にとって、戦争というものはある巨大な創作であった」。ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。そして、創作した。だが、キケロに代表される首都ヨーロッパの知識人たちは、これもカエサルの私利私欲の追求としか見なかった。先見性は必ずしも、知識や教養とはイコールにはならないのである。
後のヨーロッパの基礎を作ったともいえるカエサル。彼が平定したガリア地方は、そのまま現代フランスの土壌なりました。道なき道を行くものは必ず理解されないという常道を示す記述です。
スレナスの死とともに、らくだと軽装騎兵を組み合わせた独創的で効果的な戦術を、パルティア人は忘れてしまう。考案者が死ねばその人の考案したことまで忘れ去られてしまうのは、オリエント(東方)の欠陥である。オチデント(西方)では、人は死んでもその人の成したことは生き続ける場合が多いのだが。
スレナスとは現在のイランに相当する国家パルティアの貴族です。独特の戦術で三頭政治の一角クラッススを死に追いやりましたが、彼の名声をおそれるパルティア王オロデスによって殺されました。ローマやギリシャの文化が今日まで詳細に伝えられているのは、文字の力に負うところが大きいと思います。東方には文字文化がなかったのでしょうか?ここではざっくり「欠陥」と切り捨てられていますが、ここまで言い切っていいのかどうか私にはまだわかりません。
われわれシビリアンは、軍人たちが隊列を組む訓練や規則正しい行進に執着するのを笑いの種にすることが多いが、これはもの笑いにするほうがまちがっているのである。隊列が乱れていては、行軍でも布陣でも指令が行き届かないおそれがある。可能な限り少ない犠牲で可能な限り大きな成果を得ることを考えて、軍隊は構成され機能されねばならない。
ごもっともです。軍隊には必ず必要なことでしょう。自衛隊や海外の軍隊の隊列を見てみたいと思いました。しかし小学生や中学生に隊列を組ませる今の教育はどうかと思います。
多国籍軍は、そのうちの一国の力が他を圧倒していてこそ、指揮系統も統一され、それゆえに十分に機能できるのである。
NATOのことでしょうか
ガリア連合軍が崩壊の危機にあるときを評した言葉です。
私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、舞台に上がって後の出来具合で定まるという点において。舞台に上がる前に十割決まっていないと安心できないのは、並の指揮者でしかないと思う。先頭も演奏に似て、長い準備のあとの数時間で決まる。
戦闘も指揮もやったことがないので分かりませんが、コンサートで発表するとか、試合に出るとか全く同じ事が言えそうですね。試験なんかもそうかもしれません。カエサルは5万人で34万人のガリア連合軍と戦って勝ちましたが、彼の場合は戦う前から7割方勝負が見えていたそうです。
しかし、人間誰でも金で買えるとは、自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。非難とは、非難される側より非難する側を映し出すことが多い。
今回一番ぐっときた言葉です。
クリオという護民官が元老院からカエサル派に寝返った時、元老院は「クリオは金で買われた」と非難しました。しかし実際の所クリオはカエサルの真摯な説得に応じたのであり、既得権益すなわち金が惜しい人間の多い元老院の内情を逆に鮮明にした、と筆者が考えて書いたと思われます。非難している人間を見たときや、自分が誰かを批判したいと考えてしまったとき、必ず思い返したいと思います。その非難はおまえのことじゃないか?
関連書籍
本書で言及されているフランスのガリア人パロディ漫画「アステリックス」は、次のサイトで全作品がダウンロードできます。フランス語版ではなく英語版です。
Asterix complete set : Free Download & Streaming : Internet Archive