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当面の金の心配はなくなりましたが将来的な金の心配が持ち上がってきました。今の仕事は保守が中心で将来性が無く、技術力も大して必要としません。したがってクビになるか会社が倒産するかすれば私の就職先はありません。私は年金を払っていないので老後に年金が出ません。すると今のうちに金を貯めておかなければなりませんが、借金さえなかなか減っていきません。
今食べている食材は間違いなく分不相応です。無農薬→有機→自然栽培、最近ではグルテンフリーに乳製品無しと着実にグレードアップしてきたことを考えると後戻りは不可能でしょう。エンゲル係数は一時40%まで高騰していました。
有機野菜などのいわゆる自然食品は農薬使ってないもんねというプレミアムのついた利益率の高い食品です。経済学が言う「効用」というやつは捉えどころがなく、データで定式化することは非常に難しいですが簡潔にいえば人間がファンタジーを持つ程度の高さ、欲望の惹起度の強さだと思います。要するに幻想です。商品付加価値というものは幻想に対して人間が支払う代価なのです。確かに自然栽培の野菜はおいしいですが、3~10倍の金を支払う価値があると私にはどうしても思えなくなりました。どれだけ体に良いというものを食べたところで、食物は人間の消化管で分解されてから吸収される以上、すべての栄養素は食物内の含有量がすべてなのであって、美味しさとは関係がありません。いままでずっと思考を停止して家の方針に従ってきましたが、世の中の9割以上の人間がスーパーの野菜を食べて健康に暮らしている事実を鑑みると私は金を支払うことが急激に嫌になってきました。しかし私には発言権はありません。食事を作ってもらっている身分ですので文句は言えません。10年以上続いた方針は変えられないでしょう。私だって喜んで従ってきたんだから。
グルテンフリー導入後私の体重は10kg以上落ちました。痩せ過ぎは健康リスクがあります。コメは高級品を食べているので、量を増やしてくれと言えません。数か月前まで筋トレを欠かさず1年以上続けていましたが、栄養のインプットが減っては糖新生により筋肉を燃やすしかなく、体中の筋肉がなくなりました。私は絶望して筋トレをやめました。30回3セット出来た腕立て伏せは1回もできなくなりました。自然食品は年収1000万円以上の人だけが買えばいいと思う。
お金を貯めたい。自分が食べたいものを食べたい。
さっき読んだアスペルガーの本に「会議終わってお茶片付けてと頼まれて、翌日様子を見に行くと、お茶だけ片付けてあって会議の資料は出したままだった。」という例が書いてあった。僕も似たこと身に覚えがあり、「1から10まで言わないと分からんか!?」と言われたことがある。
— 人狼 (@ot_mgkbck2key) 2015, 11月 28
TLでふと目がついたツイートを流用して恐縮ですが、こんなことは日常茶飯事です。Kは親譲りの完璧な生活習慣の持ち主でしたが、私はダメダメな親譲りのダメダメな生活習慣の持ち主で、しかも自へスぺ(自閉症スペクトラムを略してみました)のせいで短期記憶と動作性が極端に悪いです。
まず忘れ物。私は学校時代にほぼ毎日忘れ物をしました。どれだけ注意しても1つは物を忘れていきます。いまでも教科書が足りない夢をしょっちゅう見ます。私は今までに傘を電車や電話ボックスやコンビニなど5カ所に置き忘れ、Kに貰った時計を電車に置き忘れ、通帳一式を大学のベンチに置き忘れ(これは後日見つかった)ました。
また物をよく壊しました。Kの大事な実印を落として欠けさせたり、Kの本を借りて読んでいたらカバーを破損したり、Kに貰った靴を数か月でボロボロにしたり、洗い物をしていたら食器をぶつけて欠けさせたり割ったり、責められてパニックになった時にお茶の保温ポットを頭にぶつけて壊したりしました。私は物を大事にできません。なくすし、壊します。何回も悲しい思いをさせました。
言われたとおりに動けないし、指示を覚えられないし、歩き方は変だし、何もかもが怒られる種になりました。私はどれも直そうと努力したし、できなかったことを書きつられなノートが5冊にもなりました。しかし10年かけて何も治りませんでした。すべては無駄でした。努力の方向が間違っていたからです。
しかし怒られているうちはまだよかったのです。今年に入ってKが怒ることをやめました。すると会話が無くなりました。私には重要な話題を振らなくなりました。大事なことはすべてα(長子)と相談するようになりました。私は空白になりました。β、γとも私はほとんど関わらなくなっていきました。γに「ああなってはいけないよ」と言うのも聞きました。私は悪い見本です。でも本当のことを言っています。私だってこどもに自分のようになってほしくありません。存分に反面教師にしてほしいと思っています。
中学の同級生に、父が無職で母の稼ぎだけで暮らしている家の子がいました。彼は無気力な父を憎んでいました。彼は中学でも高校でも生徒会長になり、高潔な人間になりました。北海道で農業をやって家族を呼び寄せたいと言っていましたが、あの夢はかなったでしょうか。父がダメ人間で、かつ父に反抗する心があれば、人間は強くなります。彼のようになってくれればよいです。
Kは私に世間一般でいう愛がなかったことも見抜いていました。私にはふつうの人間のように家族を守るという義憤はありません。キチガイ親の脅威から家族を守ろうと心の底では思っていませんでした。それどころか今では同情の気持ちすらあります。父は私の欠陥を濃縮させたような人間でした。空気は全く読まないし、親らしいことをしてもらった記憶はありません。私と同じように、親になろうとしても、なれない人間だったのでしょう。私には親がいなかったのです。
半面、Kには母性も父性も備わっています。正直なところ、この10数年間は私にとって家族体験のやり直しに近い意義を持っていたと感じています。Kが親で私は子供です。子供にこどもが育てられるわけありません。ロールプレイとして、α、βの親として各地で振る舞ったことはあります。それなりに役割は果たしましたが、αがクソのような教師に攻撃されたときは全く防御してやれなかったし、これまた私の悪いところを濃縮したようなβをどう育てたらよいか、私からは何の提案をすることもできませんでした。親としての実質の機能はありませんでした。
私はこどもにとってよつばとのジャンボとかみなみけのタケルおじさんのようなポジションだと思います。私がいなくなっても、致命的な穴にはなりません。家に入り浸っていたおじさんがいなくなったかな、というくらいのものでしょう。図らずもとある教師を引退したベテランがこどもを見て「父親の存在が全く見えない」と言ったそうです。その通り。よくわかってるね。
私はつかれたので、出ていくとKに告げました。やっぱりね、という反応でした。
後向きな内省はこれで終わりにして、明日からは今後どうやって生きていくかについてエネルギーの方向を切り替えようと思います。振り返りはこれで終わりです。