次女は私や親の悪いところばかりを受け継いで生まれたため、自閉症と境界性障害(躁うつ病?)の症状が見られます。感情の起伏がめちゃめちゃです。
私は出ていくと決めてから家族のことに関わらないようにし、同時に関わらされないようにされてきましたが、今日は次女が風船で遊んで躁になった後に反動で気分が荒れ、ものを傷つけたり嫌がらせをするようになったので、明日朝早く出かける必要のある家族は困り、対処を求められました。
私の作業部屋に連れていこうとしましたがいやがるので、隣に何もしないで2時間ほど座っていました。次女はじきに落ち着き、そのあとはカーテンの内側に隠れていました。いまは押し入れの中にいます。まるで猫のようです。彼女は何もしないことを一番望んでいたと分かりました。でも物を傷つけたりすることは、明らかに「自分を見てくれ」というメッセージです。ここにソローと同じ二面性があります。手前味噌ですが引用します。
著者がソローについて、全く同じ点を指摘しています。彼は一貫して孤独を好みますが、一方で自分について知ってほしいという願望も読み取ることができるというのです。確かに「森の生活」を出版したこと自体がそうです。私がブログ上で文章を書くのもそうなのです。
書籍レビュー: ソローを取り込みたい『作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響』 著: ジュリー・ブラウン – 六帖のかたすみ
彼女の内面は私やソローと同じなのでしょう。自分のことに関わらないでほしいけど、自分のことは知ってほしい。自分から相手への一方通行のコミュニケーションと、それへの同意だけが欲しい。わがままです。でもどうしようもないです。わがまま、子どもっぽさ、は自閉症スペクトラムの人間にとって一生逃れられない問題でしょう。
私は自分のわがままで来月上旬に家を出ますが、久しぶりに次女と何もしないとはいえ長時間二人きりになり、ああもうこの子の支えになることはできないのだと思うと、号泣してしまいました。家族は次女を不憫に思ったのかと聞きましたが、違います。「私が」次女と離れるのが嫌なのです。自分勝手です。出ていく相談をする時、次女は引き取りたいと言いましたが、秒速で却下されました。仕方ありません。私のわがままなのだから。
今日はもう少し振り返りに時間を取りたかったのですが、上記理由で中断しました。忘れられない日になりそうです。
(追記)これを書いている時に2回目の発作が起きました。押し入れの扉を蹴りまくり、お腹痛いお腹痛いと自家中毒を起こしていました。落ち着くと腹痛はケロッと治りました。