★★★★★
著者のR.D.レイン(1927-1989)は「反精神医学」を掲げたイギリスの精神科医です。精神病棟に患者を隔離するのは人権侵害だとし、患者を実存的に理解し治療することで地域に開放することを目指した、当時としては急進的な活動家だったそうです。現代では精神病棟の需要は減りました。皮肉なことに、その原因は患者を理解することからはかけ離れている向精神薬の発展によるものです。
統合失調症、統合失調的気質の原理と彼らとの対話
本書は統合失調症(本書刊行時は精神分裂病)の原理を理論づけて病理に至るまでの道筋を明らかにし、臨床例を引用しながら彼らとの対話と理解を試みる目的で執筆された本です。
「実存的研究」とは、彼の当時の精神医学に対する批判が強く込められたタイトルです。当時はフロイト精神学が氾濫し、患者の病理を過去の性的コンプレックスと結び付けたり、患者の言葉とは異なる「精神医学用語」でカテゴライズして患者を理解することが主流でした。レインはこの姿勢に疑問を呈し、「患者の病理は患者の言葉で語られるべきである」というアプローチで彼らと向き合いました。とくに終盤の「一分裂病者の自己とにせ自己」「庭園にたつ影」ではレインが患者の作り出した世界の中に入り込んで、病理を分析していく様子が具体例と共に生々しく描かれており、文学作品として読んでも一級品です。
序盤~中盤にかけては、統合失調症の理論的概念の構築がなされます。これらは最初の章「人間の科学のための実存的-現象学的基盤」で断言される通り、可能な限り日常語をもって記述されており、門外漢でもそれなりに(私には時間がかかりましたが)理解することが可能です。以下、私なりの理解を書いていきます。
統合失調症まとめ
統合失調症患者と言うのは、他人の心情を「極端に読み過ぎる」人々です。彼らは他人の期待に正確に応えることをいとも容易く行うことができ、自己を完全に空虚にして他人そのものになりきってしまうレベルまで達することが可能です。
また、彼らは総じて自己肯定感がないか、非常に乏しいことが特徴です。これは先天的な場合も、暴力を受けるなどして後天的に失われることもあるでしょう。自己はきわめて弱いものとなるがゆえに、彼らは自己を外側に出さなくなります。彼らは自己と世界との接点が「にせ自己」を通して行われていると認識しています。「にせ自己」とは、現代的にいえば「ペルソナ」「仮面」みたいなものです。通常の人間は世界と関わるインターフェースは自分自身だと意識しています。これが「正気」です。統合失調症患者は世界とのインターフェースは「自分ではない何か」を通して行われていると認識しています。自分ではない想像上の人間が外側に向かって会話をし、動いているのです。
ふつう人間は、極めて幼い頃に「自己-他者の境界線」を確立します。いわゆる「アイデンティティの確立」です。15年前に椎名林檎が歌って有名になりましたね。「私は私であって他の誰でもない」という自然で健康的な感覚のことです。自己と他者の境界線は親との関係の構築の失敗に起因することが多いようです。
以上3つの条件が揃うと、成長に伴い病理が表出します。というのも、これら3つの要因は原理的に増幅しあう関係となっているからです。過剰に他人の期待に応えることが常態化すると、ただでさえ委縮しがちな自己がさらにしぼんでいきます。自己と他者の境界線が薄ければ、弱い自己は他者に侵略されまいと「にせ自己」をさらに強化し増殖させます。しかし「にせ自己」が膨張すればやがて「自己」を押しつぶしてしまうことは明白です。
やがて彼らは自己を喪失したと感じます。彼らの中には「にせ自己」しか残っていません。精神世界はバーチャルな幻想的な世界に変化し、しかも「にせ自己」は複数ありますから、論理的整合性も失われます。これが彼らの話現実感のなさと文脈がすぐにぶっ飛ぶ理由です。また、典型的な症状である被害妄想は次のように説明できます。普通の人間は「自己」が「他者」に語りかけて他者に何らかの反応を引き出そうとします。しかし彼らは「自己」「他者」の区別がつかなくなっている上にその境界線の意識もありませんから、「他者」が超弱い「自己」を直接操作し脅かすことができると認識します。すると「あなたは私を殺すと考えている」「電波で殺される」というようなよくある妄想が生まれるというわけです。
参考文章
【1541】皆と同じようにipodの手術を受けたい
まだまだ盛り込まなければいけない条件や理論はたくさんあるのですが、単純化すると大体以上のようなことになると思います。
動機
さて、私がこの本を読もうと思った直接のきっかけになったのは次のイミさんと言う人の記事でした。
彼は文章がうまく本書の内容については私のまとめよりも優れていますので、時間がある人は読んでみてください。
私は自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)という診断を8年ほど前に受けました。統合失調症の病理は、表面だけ見ると「他人とのコミュニケーション不全」「世界の了解の仕方が通常人と異なる」という現れ方をするので、自閉症と共通するところがあります。彼らの生きづらさ生きにくさを知ることで何か自分の理解に参考になるのではないかと思ってこの本を取り寄せ、読んでみようと思った次第です。
感想
さて読んでみると、、彼らには全く共感できませんでした!!全く!!!
レインの分析を読んでいくと、共感できないのは当たり前です。だって彼らは「他人の感情を過剰に読み過ぎてしまう人」達なんですもの。どうやったって他人の感情なんぞ読めるわけがない自閉症患者とは、両極端に離れている存在だということが分かりました。
先日読んだ広沢先生の著書でも「自閉症と統合失調症は根本的に異なる」「統合失調症は一般人の心の理論アプローチから理解可能だが、自閉症は体系そのものが異なるため、新しい理論が必要となる」と書かれていましたが、まさにその通りでした。
読み違い?
さて上記のイミさんのブログは根本的な読み違いをしていると思います。
この本の力点は、身体と精神の分離、分離することによる自己の「石化」「モノ化」です。他人の「モノ化」については1Pしか記述はありません。それはあくまでの自己の「石化」を防ぐための数多くの手段の1つでしかありませんでした。後半で出てくる臨床例でも他人の「石化」の記述はありません。破壊衝動が向けられるのは自分です。彼らの関心は自己を殺しつくすことにあるからです。そして、彼らに自意識は存在しません。他人と融合してほんのわずかしかない自意識を喪失してしまうことが統合失調症の本質だからです。
ですので何故共感したのかわかりません。私も共感できませんでしたが。とはいえ、彼らに共感することが目的で本書を読むわけではないでしょうから、分裂病うんぬんは完全に脇に置いておいて、このテキストの一部分を抜き出して自己について見直すきっかけになったのなら、それはそれで正しい読み方ともいえます。
自閉症と統合失調症の共通点、非共通点
次の箇所を読むとさらに、彼らの根本的な自意識のなさが明らかになると思います。私が一番衝撃を受けた箇所でもあります。レインが担当していた、ある回復へ向かった女性患者の次の告白に基づくものです。
私が存在するのは、あなたがそう望んだからに過ぎないのです。そして私は、あなたが見たいとおりのものでしかありえません。私は、あなたのなかに私の惹き起こした反応のゆえに、自分を現実と感じることができたにすぎません。もし、あなたをひっかいても、あなたがそれをお感じにならなかったのだったら、そのとき私は本当に死んでいたことでしょう。
あなたが私の中に善を見たとしたら、そのときだけ私は善でありえたのです。私はあなたの目を通して私自身を見た時にだけ、何か善なるものを見ることができたのです。でなければ、私は皆に憎まれる、飢えた、人を嫌がらせる餓鬼として自分を見るにすぎず、そしてこのような生き方をしているということで自分自身を憎んだに違いありません。そして、飢えのために、胃をむしり取ろうとしたに違いありません。(P243)
なんと、彼女が回復に向かったのは、レインの「あなたは存在する」と認識する自己と彼女自分の自己を一体化したためだって言うんですよ!!マジで驚きました。とことん自分の自己なんてものは存在しないみたいです。
そしてここに自閉症患者との表面的な共通点と差異も見出すことができました。自閉症者は、通常の人間とは違う方法で世界を把握します。上記の広沢先生の本でfolk physicsと呼ばれている方法、つまり世界から心的共感能力を排除し、理論的な枠組みだけで世界を理解する方法です。一般的な常識である共感をベースとしていないので、世界との関係は必ずきわめてぎこちないものとなります。このぎこちなさ、不自然さが統合失調症と自閉症の表面的な共通点です。しかし根本的な原理はこれほどまでに異なります。
ですので、自閉症者が統合失調症になることは、ありえないのではないかと思いました。もちろんこれはレインも述べているように過度に単純化したモデルでしかも想像上のものですから、これをひっくり返すような知見も見受けられるでしょう。しかし直感的には、自閉症者と統合失調症者は、とてつもなく対照的な存在でした。共感の右翼が統合失調、非共感の左翼が自閉症といったイメージを持ちました(右と左は適当です)。
結局自分についての理解は深まりませんでしたが、彼らの世界を覗くことができたのは「定型発達者の」ことを理解する一端になりそうです。
レインすごすぎ
ところで本書は著者が28歳のときに書かれた本だそうです。どうやったら28歳でこんな緻密で堅牢な文章が書けるんでしょうね。すごすぎます。
また、統合失調症患者の世界は本質的に独特で理解するのに時間も負担もかかり、また彼らの世界を構築するにあたって自らの世界が破壊される恐れも高いというのに、レインはこれを何人もの患者にたいしてやってのけ、しかも彼らより進んだ解釈を本書でもたらしてくれるのです。彼のあとに後進が続いてない(らしいです)ことからも、レインの取ったアプローチの特異性と彼の能力の高さが現れていると思います。
参考文献
自伝です。いつか必ず読みます。
共感を学ぶために。
絶望を理解したいなら読めとレインが言っていました。
レインの友達。
引用されていました。