ノモンハンの夏

ノモンハンの夏」読了。1か月以上かかった。1日10ページくらいしか読む時間がないが継続すればそこそこ分厚い本も読むことができた。辞書を引いた回数約80回。
半藤さんの定義する「絶対悪」とは次のようなものである。

かれらにあっては、正義はおのれだけにあり、自分たちと同じ精神をもっているものが人間であり、他を犠牲にする資格があり、この精神をもっていないものは獣にひとしく、他の犠牲にならねばならないのである。

本書でこの精神を最も体現していたのが辻政信だ。兵士への思い入れはゼロ、自分の意見に反対する者には上司だろうと罵倒し(しかも自己を顧みない)、ソ連軍との物量の差を調査もせずソ連はアホだから勝てると決めつけ大量の兵士を犠牲にし、書き残すものにおいてもあいつのせいだこいつのせいだと巧妙に責任を転嫁している。
そしてもっとも驚くのは戦後の彼の態度だ。

戦後の参謀は狂いもしなければ死にもしなかった。いや、戦犯からのがれるための逃亡生活が終ると、『潜行三千里』ほかのベストセラーをつぎつぎとものし、立候補して国家の選良となっていた。議員会館の一室ではじめて対面したとき、およそ現実の人の世には存在することはないとずっと考えていた「絶対悪」が、背広姿でふわふわとしたソファに坐っているのを眼前に見るの想いを抱いたものであった。

はだしのゲンの町内会長、鮫島伝次郎よりも激しい変わり身である。私はこいつ(安保)とかこいつ(原発)にも同じ思いを抱いている。
さて「絶対悪」は例えばエンリコ・プッチ神父などにも描かれるように、割とありふれたステレオタイプでもある。ありふれているということは、この「絶対悪」は人間の根底として誰もが持っているであろうものである、ということだ。辻はそれを表に出すのを憚らなかっただけなのであって、断罪だけすればよいというものではない。
いや俺は持っていないと思っている人間ほど性質が悪い。誰もがそのような気持ちに意識無意識を駆使して蓋をしている。精神病患者がほぼ例外なく自分が正常と思っているのと同じ。辻もプッチ神父もまったく思ってない。


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