CDレビュー: Electric Wizard – Electric Wizard(1995)

★★★★★┐(´ー`)┌

今回のロック枠ではイングランド出身のドゥーム・メタルバンド、エレクトリック・ウィザードのアルバムを順に聴いていきます。ドゥームとは「遅くて重い」ぐらいの意味で解釈しています。1993年結成、現時点でアルバムを10枚発表しています。2014年発表の”Time To Die”が最新作品です。以前”Black Mass”という曲を聴く機会があり、こいつらやばいんじゃねと記憶していたので聞いてみることにしました。

遅い重いだるい、内臓に物を詰め込む音楽

1枚目の1曲目Stone Magnetからもうダウナー炸裂です。イギリス的ロックを踏みつけた上に墨を塗りたくったようなこのバンドを選んだのは間違いではなかったと確信しました。後半もともと気怠いのにさらにテンポを落として仕事も何もかも嫌んなっちゃうような雰囲気に突入します。歌詞も”No hope, no future, no fuckin’ job, yeah”と今書いた気持ちそのまんまでしたビックリ

2曲目Mourning Prayerなんてイケてるタイトルの曲は音弄りすぎでお腹に応える、ずっと古い油で揚げたメンチカツを胃袋に突っ込まれてる感じです。褒め言葉です。

3曲目Mountains Of Marsもベースだけでお腹一杯、ついでにエコーの聴いた触れると危険そうなギターが異世界の扉を開きそうです。

4曲目Behemothはもうイントロだけで勘弁してくれという気持ちになります。最速どころか最遅、ボーカルの二日酔いみたいな声のせいですべての意欲が削がれていきそうです。中盤のベースゾーンも強烈。このテンポと音圧で繰り出されるリフはラーメン二郎で言うと山盛りの野菜を食べ終わった後に出現する極太麺と油の浮きまくったスープくらいのインパクトがあります。

全部紹介していくと腹に悪いのでクライマックスのバンド名を冠した7曲目Electric Wizardについて書いて終わります。6/8拍子なのですがビートが時々前後に揺れていて船酔いのような目まいをおこします。意図的なのか計算ずくなのか分かりませんが曲に陶酔するための大きなベースになっています。メインメロディー?の合いの手として入るギターのジョワーンという音が背脂の役割を果たして内臓が揺れます。やはり中央にギター抜きの豚骨味な間奏が流れ次のような歌詞が気の抜けた声で流れます。

Higher and higher, through the cosmos we had tripped
Seeing stars turned inside out, we thought our minds had flipped
Colors swirling, sounds are drifting, thinking we were dead
The wizard turned and spoke to us and, this is what he said

ってこれ明らかに幻覚じゃねーか!

ラストは繰り返しにグッチャグチャなギターを混ぜてはいゲテモノ丼~!

www.youtube.com

2006年リイシュー版ボーナスのIllimitable Nebulieもゴアトランスを強引にバンドでやった感じのかなりやばい曲でした。デモテープ音質なのが気味悪さを助長しています。1枚目からこの内容で、レビューによると2ndや3rdの方がぶっ飛んでるってどういうバンドなんだよ。。

 

 

ロック等の他のCDレビューはこちらです。


書籍レビュー: 昔の人の精神に感服『名著復刻 日本児童文学館 23トテ馬車 ほか5冊』 著:千葉省三ほか5名

★★★★★ヽ( ε∀ε )ノ

児童文学読まなきゃ

いくつか小説を読んで考えました。

私はそもそも子供のときに全然物語を読んでいませんでした。せいぜい道徳の授業中に内職して授業でやらない所ばっかり読んでいたくらいのものです。あとは小5の時図書室にあった「吾輩は猫である」を猫か面白そうと読んで挫折した記憶しかありません。今思えば無理に決まってるのですが。なんつーかこの、想像力の源泉のようなものが全くないんですよね。無から有を生み出すことはできません。種を蒔いておかなければ刈り入れはできません。

ですので、まずこども向けの物語をたくさん読むことからやり直さないといけないと考えました。幸い家にはこども向けの本が大量にあります。折に触れて、ガンガン読んでいこうと思います。家にある本を全部読めば、精神年齢15歳くらいまでは取り戻せるのではないかと思います。

そこでまず手に取ったのがこのシリーズ。いつだったか神保町で捨て値で売られていたもので、明治大正昭和の名著を復刻して出版したという非常に意欲的なシリーズです。執筆陣は尾崎紅葉、幸田露伴、小川未明などかなり気合の入った面々です。

家にあったのは次の5冊でした。全部読みました。

  • 28 塚原健二郎 七階の子供たち
  • 20 江口渙 かみなりの子
  • 23 千葉省三 トテ馬車
  • 25 槇本楠郎 赤い旗
  • 15 浜田廣介 大将の銅像

このシリーズ、文字のカスレ具合から巻末の書籍広告まで本当に当時のまんまでスゲェです。表紙はどれも凝っていてキレイだし、人気がないので手垢もついてないし、二重箱のものが多いので中身の保存状態も完璧。100年くらい前の本がそのまんま新しくなったような感覚です。もちろん旧字旧仮名遣いですが、こども向けなので全ルビつき。難しすぎて読めない漢字が出てきても安心です。

ふつくしい

5冊とも本当に文章が綺麗でした。明治大正昭和初期って、商業的要素は無視してこどもに最高の物語を読ませてやろうと意気込む人間が沢山いたんですね。どの作品からも、こどもに対する真摯な態度が伝わってくるのです*1。一番感動した「トテ馬車」収録の「高原の春」の文を引用します。現代仮名遣いに直します。舞台は、高原に引っ越してきた小学校高学年くらいの主人公が善ちゃんという利発そうな子と友達になり、仲良くなってしばらくした春、善ちゃん自慢の湧水を探して高原に向かうときの描写です。

丘の裾には、紐のように、水草が柔らかく茂っていた。その水路を伝わって、十間ばかり進むと、もう小さい谷はおしまいで、そこに、誰かが造ったような、きれいな泉があった。柔らかい水苔だの、青笹が、縁かざりのように丸くそのまわりを取り巻いている。右も、左も、すべすべした草丘で、ただ正面に、灌木や雑木に小松の混じった明るい林が、くさびの形に丘の上から泉まで落ち込んでいる。日の光が、水を透きて、底の砂を金色に光らしている。モッコン、モッコン、湧き上がる水が、その金色の砂を絶えず揺り動かしている。そして、あふれて、音を立てて、水草の中へ流れていく。

水は、かんろのように甘くて冷たかった。私たちは、泉に口を付けて、お腹一杯飲んだ。それから、少し離れた猫柳の蔭へ行って、草の上にのびのびと寝ころんだ。

真白な、綿のような雲が、いくつもいくつも浮かんでる。動くのか、動かないのかわからないほど静かだ。

私は山のふもとの田舎の出身なんですが、ゲーム漬けであまり自然には親しんでおらず、上記のような光景は記憶にかすかに残る程度です。こんな綺麗な描写を読まされると山の中を何時間でも探検したくなってしまいます。今後も自然描写がある度に私の中の何かが掻き立てられ想像力が逞しくなっていくかもしれません。と言うのも私は現在ほとんど家から出られない状況にあるからです。それくらいドキドキしながら読むことができました。なお、この描写の前には善ちゃんが主人公という友達ができて嬉しくてしょうがなくてひたすら走ったりばーちゃんに突進したりエネルギーに満ちていてああ眩しい眩しすぎるよと感じさせる描写もあります。「トテ馬車」はあとがきで、ほぼ作者の千葉省三さんの回想で作られていると書いてありますので、描写もリアルになるわけです。

プロレタリア童謡って

もう一つぶっ飛んでいたのは「赤い旗」です。作者の槇本楠郎さんは早くに無くなっているので、青空文庫に原本がありました。

図書カード:赤い旗

何となくマルクス臭のするタイトルですが、開けてみればやっぱり「プロレタリア童謡」を自称していました!しかも過激!

 ではみんなよ、はやおおきくなつて、きみたちも勇敢ゆうかんなプロレタリアの鬪士とうしとなつて、きみたちやきみたちのおとうさんおかあさんをくるしめてゐるやつらをたゝきのめしてくれ!

前文です。かなりアレですね。

メーデーごつこ

一人ひとり
二人ふたり
みんな

長屋ながや子供こども
みんな

おいらははらがへつた
をつなげ
まちのまんなか
ねりあるかう

メーデーごつこだ
勢揃せいぞろ

おそれな
みだれな
前進ぜんしん

誰がやるんだこれ、、

 

なわとびうた

一つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  むらからさと
  ×いはたがとんだ

二つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  ×いはたうへ
  てツぽだまがとんだ

三つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  お×の屋根やね
  かまつちがとんだ

四つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  まつ
  てんまでとんだ

五つとんだ
    とんだ
なにがとんだ
    とんだ
  邪魔じやまになるものは
  なにもかも、ほらとんだ

よくこれくらいの伏字で済んだものです。これで縄跳びしろってか!!

 

あとがきは次の文章です。

図書カード:プロレタリア童謡の活用に関する覚書

僅か數行、或は單に一行一句が直ちに×の掲ぐるスローガンに結合させ、即ち「×の思想的政治影響の確保、擴大」を結果づけるところの、「×動、×傳、組織の言葉」ともなり得るのである!

とか

とにかく政治的鬪爭に身を置く同志達は、ややもすれば從來藝術的鬪爭を輕視しがちであつた。これは誤りである。吾々の藝術は「政治的鬪爭」を前提としての「藝術アート」(技術アート)ではないか! それ故私は特に兒童に向つてはこれを強調せざるを得ないのだ。藝術の利用を考へよ! 藝術は活用されてこそ眞に「武器」となり得るのだ! そして「童謠」は兒童藝術中の粹である!

とか読むと、当時アカが取り締まられたのもやむを得ないのではないかと思いました。

 

あーもっと読まなきゃ

 

 

全巻2000円台なんて衝撃プライスですね。児童文学は死んだ。

*1:後述の1冊は方向性がアレですが真摯であることに変わりはありません


CDレビュー: Oliver Messiaen Complete Edition – Vingt Regards sur l’Enfant-Jesus (CD3, 4)

★★★★★=͟͟͞͞(✹)`Д´)

 

3,4枚目は「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」という邦題です。メシアンは作曲家であるとともに神学者ですので、超敬虔なキリスト教徒でキリストが主題の曲も沢山作曲しています。なにしろ彼への眼差しを想像するだけで2時間に及ぶ大曲を作ってしまうほどなのですからその信仰の深さたるやどれほどのものでしょう。

20曲の邦題は次の通りです。

1. 父の眼差し
2. 星の眼差し
3. 交換
4. 聖母の眼差し
5. 子を見つめる子の眼差し
6. それに全ては成されたり
7. 十字架の眼差し
8. 高き御空の眼差し
9. 時の眼差し
10. 喜びの聖霊の眼差し
11. 聖母の初聖体
12. 全能の言葉
13. 降誕祭
14. 天使たちの眼差し
15. 幼子イエスの接吻
16. 予言者たち、羊飼いたちと博士たちの眼差し
17. 沈黙の眼差し
18. 恐るべき感動の眼差し
19. 我は眠っているが、私の魂はめざめている
20. 愛の教会の眼差し

イエスの誕生日と言われているクリスマスに何となくノリでクリスマスソングをかけたり、「聖夜」のイメージだけでイチャイチャしたりそれに嫉妬したりするライトユーザー日本人から見るとドン引き間違いなしのタイトルが勢ぞろいです。

しかし欧米人の多くの人にとっては神が存在するかどうかは死活問題ですから、これくらい真面目に考える方が健全なのです。イエスのことを思って思って苦しみぬき絞り出した慈愛に満ちた曲がこれらと考えました。言い換えるとイエス好き好き大好き俺どうにかなっちゃうぜという曲です。

理解不能な生の迫力

内容は、、意味が分からないがすごい!!音楽理論はまったく理解できませんがそれだけ全体に漂う愛と死と迫力だけが生々しく伝わってきます。むしろ耳に馴染みのある音がほとんど排除されてますので、それらから生じる経験的な観念がノイズとなって邪魔をせず、彼の伝えたいこと(具体的には「イエス愛してる!イエス偉大!イエス見守ってるよ!」)がダイレクトに耳に入ってくるのかもしれません。音楽だけに言葉で伝えるのがあほくさい。単に前衛的なだけだったら以前に聴いたドナウエッシンゲン音楽祭のボックスセット(一番下のリンクから飛べます)のように乱雑過ぎて感想も抱けないようなめちゃめちゃな曲ばっかになりますが、それらとはまた質が大きく異なる曲集でした。

10分程度の長めの曲がどれもこれも優れています。6,10,14,15,19,20曲目あたりです。特に最終曲「愛の教会の眼差し」は久しぶりに音楽を聴いていて涙が出ました。クラシック部門だと最も感動した曲にランクインです。なぜって言われると理由は答えられませんわかりません。演奏者の気迫によるところも大きいように思います。

 

最終曲。ボックス収録と同じピアニストだけど録音は違うっぽい

www.youtube.com

ピアニストはイエス好き好き人間なんでしょうか。

 

イエスの曲のはずなのにところどころ鳥の鳴き声を入れるメシアンさんパネーっす。っていうか、ここまでの鳥へのこだわりようは異常です。たぶん少し自閉症入ってると思います。だから余計自分にマッチしたのかもしれません。なお13曲目の原題は「Noel」ですからこれはクリスマスそのまんま、なんとクリスマスソングでした!!まじか

 

 

クラシックの他のCDレビューはこちらです。


書籍レビュー: 盛者必衰の理 『ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下) 』 著:塩野七生

★★★★★(つω`*)

 

第5巻の舞台は紀元前205年~146年です。第二次ポエニ戦争、第三次ポエニ戦争を経てマケドニア、カルタゴが滅亡し、ローマが地中海の覇者となるまでを辿ります。

戦力の非戦力化

前半の山場はやはり、カルタゴの天才策略家ハンニバルと、ハンニバルを戦略の師匠としたと思われるローマのスキピオの師弟対決でしょう。地中海の覇者となる運命を決定づけた戦いは、北アフリカのザマで行われました。

Battles second punic war.png

ザマの戦い – Wikipedia ザマは図の下の方にあります。現在のチュニジアあたりです

3~5巻の「ハンニバル戦記」において、もっとも重要な軍事上のポイントは「敵の主戦力の非戦力化」でした。相手の最も力のある兵力を包囲したり逃げ場を無くしたりその他様々な方法をもって無力化することで、圧倒的な勝利を収める戦いがほとんどでした。ローマ軍がハンニバルにボロ負けした前216年のカンネの戦いでも、ハンニバルは機動力に優れたヌミディア騎兵を操り、ローマ自慢の重装歩兵の四方を包囲することで無力化し、ローマ軍死者6万(兵力は7万なのでほぼ全滅)、カルタゴ兵の死者6千という圧勝に導きました。

ザマの戦いではスキピオがこの方針を取り入れ、隊列をうまく整えてカルタゴの象(戦車代わり)を避けた後に、更に隊列を左右に大きく広げて、後ろから騎兵をもって包囲しました。

ザマの戦い – Wikipedia

結果はカルタゴ軍戦死者2万人、ローマ側1500人。カンネの戦いと正反対です。この戦略のオリジナルはもちろんハンニバル。カンネの戦いの時点ではヌミディア騎兵はカルタゴ側についていたので、彼らを引き抜き事前に騎兵力を強化することのできたスキピオの根回し勝ちともいえます。「主戦力の非戦力化」の効果はすさまじく、この戦法を熟知したローマ軍は他の戦いでも圧勝続きとなります。

私は戦略ものをやったことがないので実感はないのですが、これはあらゆる戦略で非常に重要な概念なのではないでしょうか。

盛者必衰

さてこの巻はハンニバルvsスキピオの他に、もう一つ大きなテーマがあります。「盛者必衰」です。日本の中高生も「平家物語」でこの言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

カルタゴは紀元前5世紀に興ったと言われています。ローマよりも歴史のある商業大国でした。ローマに何度も負けても、賠償金の支払いなんて余裕でできてしまうくらい金がありました。それがシチリア島をめぐる小競り合いから、滅亡へと進んでいってしまいます。

ローマをズタボロにした第二次ポエニ戦争終結後、カルタゴと結ばれた講和条約では自治は認められるわ賠償金は少ないわ意外にもゆるいものでした。しかしカルタゴは、国内改革を断行するハンニバルに謀反の疑いをかけて追い出したり、ローマの許可なく戦闘してはいけないのに隣国と戦争したり、自らの失策から自滅してしまうのです。第三次ポエニ戦争は首都カルタゴの籠城戦のみで、食料が尽き決壊した首都カルタゴは徹底的に破壊され不毛の地と化します。国破れて山河在り。

ローマの英雄スキピオはマルクス・カトーという粘着質な政治家の手によりスキャンダルをでっち上げられ失脚、隠遁生活を送り数年後死にます。

スキピオの生涯のライバルであるハンニバルも、カルタゴから追放された後はシリアに亡命し、シリアでは対ローマ戦に担ぎ出されるも周りの嫉妬に寄り意見が採用されず結局負け、更に逃亡してクレタ島やらビテュニア王国(今のトルコの一部)に逃げ、そこにもローマの追手が来たので毒を飲んで自殺します。二人とも、偶然にも紀元前183年に亡くなったそうです。

歴史ある国、大ヒーロー2人が相次いで後味の悪い滅び方をしたこの巻ではかなり衝撃を受けました。

憧れの有名人は必ずいつか死にます。アメリカも日本も、人類も地球もいつか滅びる時が来ます。そんなとき私達はどんな感慨を抱くのでしょう。

カルタゴ滅亡時のスキピオ・エミリアヌス(スキピオの長男の養子)の叙述の引用で締めくくりたいと思います。文中のポリビウスというのはエミリアヌスの友人で歴史家(つまり次の記述を残した人)です。

勝者であるにもかかわらず、彼は想いを馳せずにはいられなかった。人間にかぎらず、都市も、国家も、そして帝国も、いずれは滅びることを運命づけられていることに、思いを馳せずにはいられなかったのである。トロイ、アッシリア、ペルシア、そしてつい二十年前のマケドニア王国と、勝者は常に必衰であることを、歴史は人間に示してきたのであった。

(中略)

「ポリビウス、今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡と言う、偉大なる瞬間に立ち会っている。だが、この今、私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかはわがローマも、これと同じ時を迎えるであろうという哀感なのだ」

 

 

参考動画

ハンニバル戦記関連の映画を探してみましたが、意外なことにまともな映画がありませんでした。一番よさそうなのはBBCのドキュメンタリーです。貼っておきます。

www.youtube.com

英語字幕がついていて、やった!勉強になる!と思っていたらこれがトンデモで、

聴き取り「The ancient empire of Carthage ruled the mediterrenean, until Caltage is challenged, and brutally defeated by war, by Rome」

字幕「the ancient empire of Carthage ruled at the moment, it’s raining into caffeine which was challenged and brutally defeated by, world

と、カルタゴがカフェインになっていたり、何故か雨が降っていたり、カルタゴは戦争でなく世界に滅ぼされていたりローマが省略されていたり、もうめちゃめちゃです。使い物になりません。残念。死ぬ気で聴き取るしかなさそうです。


書籍レビュー: 刺激的な数学教養書『数学入門 <上>』 著:遠山啓

★★★★★(≧ω≦)

2年生の途中までしか終えていない大学教育の水準に追いつくため、まずは数学の勘から取り戻さないといけません。そこで尊敬している遠山先生の新書、名前もそのものずばり「数学入門」という本があるというので手に取ってみました。

数学者は語学マニア

著者の遠山啓(とおやまひらく、1909-1979)さんは数学者・数学教育者です。タイルを使って量の概念を確実に身に着ける「水道方式」で有名です。

1959に出版されたという本書では、「ものを数える」という概念の誕生から始まって加減乗除~方程式・代数学~幾何学~複素数までの説明を新書1冊で(演習無しで!)完結させるというなかなか野心的な書でした。

あちこちで目を引くのは遠山先生の教養レベルの高さ、というかマニアさです。まず数の概念についてはあらゆる言語や部族の数詞に言及します。

たとえば、英領ニューギニアのビュギライ族はつぎのような数詞をもっている。

1→タランジェサ

2→メタ・キナ

3→ギジメタ

4→トペン

5→マンダ

6→ガベン

7→トランクジンベ

8→ボデイ

6→ンガマ

10→ダラ

これは身体の各部分の名であるという。人間の身体の各部に関連させて数えていく、という流儀によると数百の数まで数えられるだろうが、これは覚えこむのが大変で会って、これでは記憶力をひどく酷使することになる。

この調子でいろんな方言などを比較しつつ数の概念の誕生に迫っていきます。。現代の天才数学者ピーター・フランクルさんは14か国語を話せるそうですので、数学者というのは語学に精通していることが多いようです。言語は面白いパターンに溢れていますから数学者好みと言えましょう。私も外国語は大好きですが数学は苦手です。

まさかクラメルの公式の意味が分かるとは

数論・四則演算で最も驚くべき個所は分数の足し算引き算・通分約分のところです。約分を「たたむ」、通分を「ひろげる」と折り紙に例えている個所はマジ感動しました(画像が無いのが残念です)。ここから量をタイルで考えるという発想に至り「水道方式」に繋がっていったのでしょう。

代数の章では一次方程式→行列→クラメルの公式までぶっ飛ばします。行列が多元1次方程式の解を求める要請から出てきたので必然とはいえここまで進むとは思いませんでした。さすがにここはしんどかったですが線形代数の授業で丸暗記するしかなかったクラメルの公式の意味が分かり驚きました。

公理を積み上げてできた幾何学

幾何学の章では浪人になる直前になんとなく本屋で手に取ったこの本を要約したような感じでした。

幾何への誘い (岩波現代文庫―学術)

幾何への誘い (岩波現代文庫―学術)

 

幾何学は「2点を通る直線は必ずあり、しかも1本しかない」などの公理と呼ばれる直感的に「当たり前」な数少ない事実だけを基にして複雑な証明を組み立てていく美しい学問です。と上の本を読んで感動したことを思い出しました。大学1年で買わされた杉浦「解析入門」も公理から微積分を導いていく本なのですがこちらは美しいと思えずただ苦痛だった記憶しかありません。いつか読破してやるんだ。。

 

あちこちにダンテやらプラトン、ショーペンハウエル、デカルト、スタンダールなどの引用が散りばめてあり、著者の教養の高さが伺えるとともにそれらの書物もまとめて読みたくなってしまう素敵な本でした。 下巻は関数、極限、微積分です。どういった説明が出てくるのかワクワクです。

 

 

参考書籍

イスラム数学者の話。

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

 

 

数学が得意だったダンテ。7や100といった数字が大きな意味を持つ。

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

 

 

幾何学の聖書。

ユークリッド原論 追補版

ユークリッド原論 追補版

 

 


CDレビュー: Claudio Monteverdi, John Eliot Gardiner(cond.) – Vespro della Beata Vergine (DG111 CD18, 19)

★★★★★─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

 

クラウディオ・モンテベルディ(1567-1643)はイタリアの作曲家です。2枚組100分ちょいの長大なこの楽曲の邦題は『聖母マリアの夕べの祈り』。いつまで祈るんだ!

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fc/Portrait_of_an_Actor%2C_copy_after_Fetti%2C_detail_-_Robbins-Landon_1991_p60.jpg/220px-Portrait_of_an_Actor%2C_copy_after_Fetti%2C_detail_-_Robbins-Landon_1991_p60.jpg

クラウディオ・モンテヴェルディ – Wikipedia

いい感じのじーさんですね。

単純なのに爽快

この曲が作曲されたのは1610年。有名な作曲家の中では古株のモーツァルトが生まれるより146年も前です。ですので曲はとても古風、というか単純です。1曲目なんて同じ和音でずっと押しまくるだけです。アーメンでシメるお馴染みのラストも多発します。

ところが2枚組であるにもかかわらず、このCD、全く飽きません。それどころか演奏から感じられる異様な熱気と、独特の音響(教会内で演奏しているらしいです)により演奏中ずっと興奮しっぱなしになりました。昔の曲は単調で飽きるというイメージがあったのですが完全に裏切られました。このCDすごい。私は人間の持つ迫力が直接ぶつかってくる声そのものが大好きなのかもしれませんね。

 

動画ありました!2014年、ヴェルサイユ宮殿・王家礼拝堂(すごい名前)での収録です。ということはこのCDとはバージョン違いですが、やべーマジで大聖堂だよ、、


Monteverdi – Vespers, &quot;Vespro della Beata Vergine …

本CDでは中央に穴が空いているかのような音場効果を感じることができたのですがこの動画を見て納得しました。教会って上部が巨大な空洞になってるんですね。壁画がきれいすぎます。ヨーロッパの人々の宗教心には本当に恐れ入ります。奏者真ん中の大きな素敵楽器はリュートというそうですよ。CDだと見えない独唱の人の表情が濃すぎてちょっと引きます。

なぜ魅力的?

私はこんな古い曲にどうして惹かれてしまったのでしょう?疑問が尽きません。人間の声の力?教会のパワー?実は祖先がイタリア人だった?最近仕事中にヘビーローテーションしているバッハのカンタータのせい?

音楽が人間の感情を喚起するためには音というただの空気の振動を脳が分析して一定のパターンを解釈して意味づけをすることでしか得られないと考えます。したがってより感情を動かすのは「慣れている」曲であるパターンが多いはずです。現代音楽みたいな訳わかめの曲を聴いたとしても「わかんねえよバカ」とか「眠い」と感じてオシマイになりがちです。ですが、本CDのような曲を聞くのはほぼ初めてで馴染みはありません。一聴して気に入る曲ってなんでしょう?一目惚れみたいなもの?一聴き惚れ?色々要素はあると思いますが引き続き考え続けていきたいと思います。

 

 

 

Vespro Della Beata Vergine [DVD] [Import]

Vespro Della Beata Vergine [DVD] [Import]

 

こっちが本CDに対応する映像のようです。イタリアはヴェネチア、サン・マルコ教会での収録。

 

 

クラシックの他のCDレビューはこちらです。


書籍レビュー: 発達障害者が読むと人生変わるかも『成人の高機能広汎性発達障害とアスペルガー症候群』 著:広沢正孝

★★★★★(*’∀’人)

著者の広沢正孝さんは順天堂大の精神科医・教授です。専門は精神病理学・保健学。他に統合失調症関連の本も書いています。

発達障害者の精神構造を明らかにする目標で書かれた本

タイトルから一般向けの単行本的なものを想像していましたが内容はバリバリの医師向け医学書でした。でも最高に面白かったし、人生が変わるかもしれないほどの衝撃を受けました。いいですね医学書。もう医師にはなれないけど医師になるための勉強がしたくなりました。

この本はいわゆる「発達障害あるある本」とは一線を画します。まず発達障害者に対して一般の人間がどう接すればいいか、発達障害者はどのようにして社会に適応すればいいかという実践的な要素は皆無です。1冊かけて、発達障害者の精神構造を明らかにするための考察が膨大な参考文献とともに行われていきます。文献はほとんどが英語圏・ドイツ語圏のもので日本のものも精神医学系の雑誌が多く、医学書はみんなそうなんでしょうけれど著者の情報収集力の高さとそれを統合する力には驚嘆しました。

folk physicsとfolk psychology

書くべきポイントは大量にあってまだ自分の中で消化できていないので本書を貫く重要概念の2点に絞って書きます。1点目はである「folk physics」と「folk psychology」という概念です。これはBaron-Cohen(サイモン・バロン=コーエン)の提唱した概念だそうです。

これは脳が対象を認識する働きを2つの領域に分割して捉える考え方です。folk physicsは「庶民物理学」つまり対象が物質的存在としてどのような働きをするかということを捉える働き、folk psychology「庶民心理学」は対象を社会的存在としてとらえようとする働きを指します。大まかに言ってfolk physicsは分類し細部を突き詰める働き、folk physicsは共感し統合する働きです。

バロン=コーエンによれば、一般人は2つの働きをバランスよく発達させ、重なり合わせることで対象との適切な距離や二面性、多層性などを認識することができますが、発達障害者はfolk psychologyが障害されており物事をfolk physicsを使ってしかとらえることができません。物事は様々な観念の集合体としては捉えられず、バラバラのままです。

タッチパネル的自己

folk physicsへの偏りという仮説をベースにして、実際の臨床例から筆者が提示した理論が「タッチパネル的自己」です。これはある患者が次のように自己を認識していたことによるものです。

このころA氏は、主治医に以下のように述べた。「僕の頭はタッチパネルで、縦横に規則正しくアイコンが並んでいます。その1つひとつに重要な内容が入っていて、僕は必要な時に必要なアイコンにタッチするんです。そうするとそこにウインドウのように世界が開けていき、僕はそこを生きて、そこで仕事をするのです。それが社会人の僕です。つまりプログラマーの僕ですよ。先生もご存知のプログラマーってやつで生きている僕なんです。(中略)別の部分をタッチすると、そのウインドウにまた僕がいます。全体としてタッチする順番が決まれば、僕の1日は順調に流れます。でも今は順番が滅茶苦茶で、タッチパネルの情報もどこに入っているのかわかりません。これは危機です。」

A氏の自己イメージ図が添付されていました。HTMLで再現してみます。

6:30AM
朝の支度

7:12AM
電車通勤

8:23AM
駅から会社

8:45AM
仕事前

9:00AM-5:20PM
仕事

0:20PM-1:20PM
昼食

(予備)

(今日はパス)
SF活動

6:05PM
帰り道

7:03PM
電車通勤

7:55PM
駅から自宅

(今日はパス)
秋葉原

8:45PM
夕食

9:20PM
入浴

10:00PM
ブログ

(予備)

 

以上の2理論は衝撃的でした。なにしろこの2つから発達障害者にまつわる諸症状がほぼ全て演繹可能だからです。米田先生の著書の1点集中・極端なコントラスト理論では説明不足なところも補えそうです。

演繹例1

私の例を挙げます。私はきわめて受動的です。他人との関わり方は典型的にな積極奇異(積極的だが挙動不審だったり躁状態だったり変な感じのこと)で、話しかけるまでは時間がかかりますが一旦他人と関係を築くと自己が他人に取り込まれ、自己を喪失します。もうブログの存在がばれたって構わないので書くと、いま隣の部屋にいる元妻との関係が完璧にそうです。私は元妻に思考体系を依存し、子供からは「自分の考えが無い」と非難されバカにされました。

一方、私は自己喪失どころか過剰なまでの自己保持を表すことがありました。例えば私は大学休学後復学し1年通いましたがその時収入はありませんでした。ところがその時元妻がある事情で働けなくなり解雇されました。ところが私は収入が全くない状態で、1年間大学に通い続けました。お金は消費者金融で借金した後に破産して踏み倒しました。今思うとぞっとする行為です。生活が首の皮1枚で繋がっていた状態です。ふつうは収入が無ければ働きますが私は働くことを選ばず、それまでの世界であった大学を保持することを選びました。しかも収入もないのに帰りにゲーセンに寄っていました。私は音ゲー中毒者だったので、この世界を手放すこともできませんでした。さすがにキャッシング枠が無くなったので1年後は中退して就職しました。

以上の行為はタッチパネル的自己で説明が可能です。私の自己はタッチパネル風に分割されおり、「大学生の自分」「音ゲー奏者の自分」「夫としての自分」が独立して存在していて、統合されていません。したがっていとも簡単に「夫としての自分」を切り離して生活を顧みず大学に行ったりゲーセンに行ったりすることが並立して可能となります。

自己に一貫性が無いことが発達障害者の本質です。これは本当に衝撃で、いろんなことがひっくり返りそうな思いがしました。

少し前から発達障害と分裂病(統合失調症)との類似点を感じていましたが、本書では分裂病はあくまで一般人が自己を中心とした心的構造の保持ができなくなった状態、すなわち「定型発達者が陥る病気」であることが示され、すっぱり切り捨てられてしまいました。

一貫性が無いことから多重人格との類似もできそうですが、多重人格は幽遊白書の仙水忍の例からも分かるように、普通の人間がトラウマ的出来事から逃避するために自分の一部を隔離するものとして自らが生み出す適応的行為です。ところが発達障害者は先天的に一貫性が無いのですから話が違います。

様々な精神医学書を読んで示唆するところを得たいと思っていましたが、この知見によって「定型の人の話だし・・・」と一つのフィルターを感じながら読まなければいけなくなりました。できるのかな。

自動的に空気を読むJavascript、必死で空気を読むJava

プログラムの話です。JavaScriptは定型発達者言語、Javaは発達障害言語だと思いました。

JavaScriptは動的型付け言語です。定型人オブジェクトにはあらかじめ「常識」という一連のメソッドが備わっており、適当なメソッド名を与えると何らか「常識」に沿って動作することが期待されています。「常識」には明示的な宣言無しにつけたり外したりすることが可能です。定型発達者は2行で実装できてとても便利です。

var teikei = function(){};

teikei.prototype = 常識; //実装完了。うらやましいなおい!

var man = new teikei;

if(上司が来た)

{

 man.空気読め(); //軽快に動作

 man.率直に意見 = nothing; //動作しなくなる。正しい態度。

}

一方Javaは静的型付け言語で、オブジェクトのメソッドはあらかじめすべて定義しておかなければなりません。「常識」はすべて明確な実装がされている必要があります。一つでもなければ悲鳴を上げてエラーリターンするのです。

class PDD implements 常識 //PDDは発達障害の略語です

{

 public 空気読め()

 {

   if(一人でいるとき)

  {

    何もしないでいい;

  } 

  else if(二人でいるとき)

  {

    相手の気持ちを考える();

    会話を途切れないようにする();

   if(相手が怒ったら?)

   {

     どうしよう

   }

    etc…

  }

  else if(10人でディスカッション)

  {

    無理

  }

 else

  {

     想定外。パニック

  } 

 }

 public 率直に意見()

 {

   いつも通りに発言();

 }

}

interface 常識

{

 public 空気読め();

 public 率直に意見();

}

 

class 実社会()

{

  public static void main (String args[])

 {

   PDD man = new PDD();

  if(上司が来た)

  {

   man.空気読め(); //大変な条件判断。フリーズの恐れあり。

   man.率直に意見(); //消せない。

  }

 }

}

なんという冗長性。ちなみに私はJavaを使ったことはありませんが、類似言語のC#は毎日仕事で使っています。とても使いやすい原語です。書きながらJavaScriptを習得するのに手間取った理由もなんとなくわかりました。

発達障害者は適応するために大量の「常識」を実装する必要があります。これは私が大量に本を読みたい理由です。無数の言語による配線を張り巡らせておけば、何かどこかに引っかかるかもしれない、、という期待があるためです。

私が読む本はほとんどが図書館で借りた本ですがこの本ははじめて「買って定期的に読み直さなければいけない」と思わせる本でした。地味な本ですが全文暗記したいくらいの気持ちがします。だからといって何かが好転したりするわけではないのですが。

 

 

参考書籍

本書の基礎となったバロン=コーエンさんが書いた本。

自閉症スペクトラム入門―脳・心理から教育・治療までの最新知識

自閉症スペクトラム入門―脳・心理から教育・治療までの最新知識

  • 作者: サイモンバロン=コーエン,Simon Baron‐Cohen,水野薫,鳥居深雪,岡田智
  • 出版社/メーカー: 中央法規出版
  • 発売日: 2011/08
  • メディア: 単行本
  • 購入: 4人 クリック: 30回
  • この商品を含むブログ (4件) を見る
 

 

何回も引用されていた本。教師のため、って書いてあるけど中身は濃いみたい。

教師のためのアスペルガー症候群ガイドブック

教師のためのアスペルガー症候群ガイドブック

  • 作者: バルクミン,ギルスティーブンソン,ジュリアリーチ,Val Cumine,Gill Stevenson,Julia Leach,斉藤万比古
  • 出版社/メーカー: 中央法規出版
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 

これも何度も引用されていた。高い。分厚い。

総説 アスペルガー症候群

総説 アスペルガー症候群

  • 作者: アミー・クライン,サラ・S・スパロー,山崎晃資,フレッド・R・ヴォルクマー,小川真弓,徳永優子,吉田美樹
  • 出版社/メーカー: 明石書店
  • 発売日: 2008/05/30
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 11回
  • この商品を含むブログ (5件) を見る
 

 

これも多数引用。発達障害者のほとんどは天才ではないが、何か得るものがあるかも。

アスペルガー症候群の天才たち―自閉症と創造性

アスペルガー症候群の天才たち―自閉症と創造性

 

 

 よく名前を聴く本。読んでみたい。

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

 

 

広沢先生の本。

統合失調症を理解する―彼らの生きる世界と精神科リハビリテーション

統合失調症を理解する―彼らの生きる世界と精神科リハビリテーション

 

 

これも引用あり。上の本と合わせて分裂病を知るために。

分裂病の現象学 (ちくま学芸文庫)

分裂病の現象学 (ちくま学芸文庫)

 

 

発達心理学。自分の発達過程がどのくらい一般とずれているのかを確認するのに有益。

ハヴィガーストの発達課題と教育―生涯発達と人間形成

ハヴィガーストの発達課題と教育―生涯発達と人間形成

  • 作者: R.J.ハヴィガースト,Robert J. Havighurst,児玉憲典,飯塚裕子
  • 出版社/メーカー: 川島書店
  • 発売日: 1997/12
  • メディア: 単行本
  • クリック: 3回
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 


書籍レビュー: ざわりとする生物学『カラー図解 アメリカ版 大学生物学の教科書 第1巻 細胞生物学』 著: D・サダヴァ他

★★★★★٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ 

 

高校の時生物が苦手でした。覚えることが多く暗記ばかり、計算が無いしイメージできず辛い。世界史と並んで毎回赤点寸前の劣等科目でした。もちろん大学入試には使わず、うっちゃっておいた領域の一つです。

しかし食や環境の本を読むにつけ色々な主張の生物学的根拠に一々疑問を持ってしまい、本当にそうなんけ、間違ってるんとちゃうんかい、一体どこまで妥当なの?と考え生物学の必要性を痛感しました。その後いろいろ物色してこの本に辿りつきました。

本書はLIFEという向こうではポピュラーな生物学テキストの抄訳です。 MITでは全員(生物学専攻以外の学生も含む)がこの教科書で学ぶそうです。

Life: The Science of Biology

Life: The Science of Biology

 

本シリーズ全5巻で、この教科書の約半分をカバーします。第1巻である本書では生物の基本のキである細胞を取り扱う、「細胞生物学」というタイトルがついています。

生物すごすぎ

内容は見事というしかありません。いや生物学が専門の人から見たら物足りないとか翻訳がダメとか言うんでしょうが私のような生物初心者にとっては最大級のインパクトがありましたよ。生物すげぇ!

まず丁寧な図解。しかもカラー。文字だけではわけのわからんカタカナ語の羅列にしか見えない複雑な反応系が図に落とし込まれることで脳に優しい形に変化し、葉緑体のホラーな生物工場っぷりやファゴサイトーシスのキモさ、クエン酸回路の美しさや膜内タンパク質の不気味さを存分に味わうことができます。

そして生物の奇跡。超蝶々複雑であると同時に美しくキモく絶妙なバランスで安定を保つ完璧な構造をしています。人間がどんなに頑張って作業ラインを組み立てたって敵いそうにない最強の物質生産・消費工場です。しかもこれがあらゆる生物の微小な細胞一つ一つに備わっているなんて!何十億年という地球環境の厳しさによって絶え間なく破壊され続けてもそれに抗って生き延びてきた生命の所業ということなんでしょう。

空気を読む細胞

(以下は生物学に詳しい方にとっては当たり前の内容です)

最も感動したのは好気呼吸における正のフィードバック・負のフィードバックの仕組みを読んだ時でした。

好気呼吸をざっと説明します。我々が炭水化物や脂肪類を食べると唾液や胃酸などでグルコース(ブドウ糖)に分解され、それが各細胞に行き渡ってエネルギーに変換されます。細胞内では次の図のような複雑な反応が行われています。これは単細胞生物のような原核生物を除いた全生物ほぼ共通です。

呼吸 – Wikipedia

目が痛くなりそうな図ですね。細胞内ではまずグルコースを炭素数半分のピルビン酸*2に分解し(解糖系、上図の左半分の反応)、それをミトコンドリア内のクエン酸回路(上図の右下の反応)に放り込んで二酸化炭素まで分解します。グルコースに蓄えられていたエネルギーは解糖系とクエン酸回路で各種物質と結びついたH+として化学的に保持された後、これらはミトコンドリアの電子伝達系(上図の右上の反応)を通じて大量のエネルギーを生み出します。

こんな超複雑な化学反応を連続して安定的に起こすためには、バーのマスターなんか目じゃないくらい各種物質を絶妙な割合で混合し、しかもその状態が恒常的に持続する必要があります。どれか1つの中間物質が少なくなる・過剰になるだけで、分子のバケツリレーが止まり細胞は死にます。おそろしい。

生物はフィードバック機構という化学的な仕組みを取り入れこの問題を解決しました。すべての反応には酵素が関わります。酵素とは化学反応を円滑に進めるための生体触媒です。矢印一つ毎に別々の酵素が関わっていると考えて良いです。好気呼吸においては、各所の産生物がいろんな場所の酵素にくっつき、反応速度を速めたり(正のフィードバック)、遅くしたり(負のフィードバック)するのです。

http://homepage2.nifty.com/nutriology/top-page/molecular-nutriology%286%29/kouso-10.gif

サブページ 1

上図は負のフィードバックの例です。例えるなら、ドラえもん(上の図の最終産物D)を量産する工場があったとします。ドラえもんを1日100体製造するペースを保ちたいのに、今日は組み立てラインの工員(上の図の酵素Ⅰ~Ⅲ)が頑張りすぎて正午なのに80体も製造してしまったとします。すると最終産物であるドラえもん自身が「お前ら働き過ぎ!休め!」と言いながら工員にくっついて邪魔をします。以後はラインの速度が低下し1日100体という計画をずれることなく見事操業時間を終了することができました。これが負のフィードバックです。

最終産物自らが酵素に働きかけ、自立的に物質の流れを制御する…なんてエレガントで美しいの!感動しました!いわば細胞内の物資たちが勝手に空気を読み、永遠の秩序を保つわけです。空気の読めない発達障碍者のみなさん、あなたが生きているということは、あなたの身体の中の物質は立派に空気読みまくってるわけですよ!誇ってください!

ざわざわする

このような奇跡は一方で危うさを感じさせます。ちょっとバランスが崩れたら死ぬんじゃないか。実はその通りで、1カ所の酵素が機能不全であるだけで慢性的な難病になることが多いのです。バランスが崩れるの怖い。すぐ死ぬ。同じことは宇宙に関する本を読むたびにも思います。地球があと少し太陽からはなれていたら寒くて死ぬし、少し近づいていたら焼け死んでる。本質的にスケールのでかい本を読むといつも気分がざわつきます。最悪の想像ばかりしてしまい、ああ1秒後に死ぬかも。次の瞬間に世界が終わるかも。という気持ちになります。我々は無数の奇跡の上に生きていると強く感じさせられる本でした。

化学知識と原書

本書の欠点は高校程度の化学の知識が必須であることです。私はたまたま化学で大学受験したので何とか読めましたが、そうでないと厳しいでしょう。

でも原書には化学の基礎知識の章が1つもうけられてますね。

Life: The Science of Biology

Part One. The Science of Life and Its Chemical Basis

  1. Studying Life
  2. Small Molecules and the Chemistry of Life
  3. Proteins, Carbohydrates, and Lipids
  4. Nucleic Acids and the Origin of Life

さすがは1冊で独習できる書の揃ったアメリカ。ちゃんと完結していてすばらしい。いずれ原書も読んでみたいものです。訳者がこの本を読むのは化学を高校で勉強した人間だけだぜって仮定したからなのか、紙面の都合(こっちかな)で大事な1章をばっさりカットしたことは欠点の一つです。

 

しかしそんな欠点なんぞ全く気にならない内容でした。すばらしい。生物すごすぎる。まじすげぇ。まずはこのシリーズを5巻全部読破することが目標です。

 

 

 

全部読み終わったらこれかな。

 

キャンベル生物学 原書9版

キャンベル生物学 原書9版

 

 16200円1728ページ!!たけーーー。なげーーーー。

 

Campbell Biology (10th Edition)

Campbell Biology (10th Edition)

  • 作者: Jane B. Reece,Lisa A. Urry,Michael L. Cain,Steven A. Wasserman,Peter V. Minorsky,Robert B. Jackson
  • 出版社/メーカー: Benjamin Cummings
  • 発売日: 2013/11/10
  • メディア: ハードカバー
  • この商品を含むブログを見る
 

原書は10版がすでに出てるじゃん!買うならこっちだね。でも3万円。死ぬ。100ページ当たり約200円と考えれば安いかも。でも一度に15冊大人買いするのと同じ意味だからやっぱり死ぬ。アメリカamazonでは絶賛されています。

 


CDレビュー: Great Pianists of the 20th Century Vol.8 – Wilhelm Backhaus(CD1)

★★★★★(*´ω`*)

ヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)は、ドイツ出身のピアニストです。

なんとベートーベン→ツェルニー→リストの直系、師匠はオイゲン・ダルベールというリストの弟子ということでこりゃ音楽的に純血のピアニストと言えますね。そんな彼が一番有名なのは無論、ベートーヴェンのピアノソナタの録音です。

天才ピアニストが一生を賭けて目指した境地

1枚目はベートーヴェンのピアノソナタから4点、第8番「悲愴」、第17番「テンペスト」、第26番「告別」、そして第32番。どれも有名なものばかりです。

第8番はのっけから彼の非常に特殊な歌い方を味わうことができます。とにかく溜める溜める。うねってうねって竜巻でも起こっているかのような演奏です。第17番も今まで聴いたどんな演奏とも違う弾き方です。

圧巻は26番の第3楽章と32番全部です。ベートーヴェンのピアノソナタは、以前にこのボックスで全曲通して聴いた(全部レビューを付けました)ことがあります。後期になるほど技術的にはもちろん高度な精神性が必要とされると感じました。バックハウスの演奏は、技術的にはよくとちるのですが、精神的には完璧に弾きこなしています。26番の第3楽章はピアノの間から光でも漏れてくるかと思いました。

32番は現時点、すべてのピアノ曲の中で最高傑作だと思っています。このCDでも強く感じました。第一楽章は全ベートーベンまとめとも言うべき密度の濃い曲ですが、奏者の脳血管切れるんじゃないかとくらいの熱演です。ベートーヴェンのどんな作曲家にも真似のできないダサカッコパワーとその美しさには与える言葉が見つからないほどです。第二楽章は中盤のスウィング部分が胸が張り裂けんばかりに美しく、ジャズの発祥という人までいるほどの宇宙を感じさせる異次元ピアノ曲です。やっぱりこの曲が最強だな。

backhaus beethovenで検索をかけると32番がまずヒットしました。やっぱりこれなんですね。

www.youtube.com

収録日が2年違うので、このCDとはまた別録音のようです。彼は活躍した時期が20世紀前半であるため録音が軒並み古いのが残念です。しかし、古さを超えてお腹にずっしりと響く演奏でした。このCDに収録されているのは1954年の演奏。つまり70歳のときの録音です。すげぇ。ピアノだけに打ち込んだ天才が、70年かけて辿りついた境地と言えましょう。

 

 

ここにすんばらしい紹介文があります。もっともっとピアノ曲を聴いて、全身で味わえるようになったらここで紹介されているアルバムを聞いてみたいです。

このバックハウスの『最後の演奏会』の模様は録音されて残っており、CDとして聴くことができる。人生の最後の瞬間まで演奏家として生きた感動的な記録で あると同時に、音楽が肉体を飛び越えてしまった稀有な演奏として僕には響いてくる。鍵盤の獅子王も晩年になるとミスタッチが見られるが、それ以上に曲と戯れているような優しさが演奏から感じられるのである。
とりわけ、シューマンの「夕べに」と「なぜに」はもはやこの世の音楽とは思えない。辞世の歌である。

 

最後の演奏会

最後の演奏会

  • アーティスト: バックハウス(ウィルヘルム),ベートーヴェン,シューベルト,モーツァルト,シューマン
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1997/09/10
  • メディア: CD
  • クリック: 1回
  • この商品を含むブログ (4件) を見る
 

 

Track List:

Ludwig van Beethoven

1. Piano Sonata In C Minor, Op.13 ‘Pathetique’: 1. Grave – Allegro di molto e con brio
2. Piano Sonata In C Minor, Op.13 ‘Pathetique’: 2. Adagio contabile
3. Piano Sonata In C Minor, Op.13 ‘Pathetique’: 3. Rondo. Allegro
4. Piano Sonata In D Minor, Op.31 No.2 ‘Tempest’: 1. Largo – Allegro
5. Piano Sonata In D Minor, Op.31 No.2 ‘Tempest’: 2. Adagio
6. Piano Sonata In D Minor, Op.31 No.2 ‘Tempest’: 3. Allegretto
7. Piano Sonata In E Flat, Op. 81a ‘Les adieux’: 1. Das Lebewohl. Adagio – Allegro
8. Piano Sonata In E Flat, Op. 81a ‘Les adieux’: 2. Abwesenheit. Andante expressivo, 3. Das Wiedersehn. Vivacissimamente
9. Piano Sonata In C Minor, Op.111: 1. Maestoso – Allegro con brio ed appassionato

10. Piano Sonata In C Minor, Op.111: 2. Arietta. Adagio molto semplice e cantabile

 

(リンク先の曲リストは間違っています)

 

 

クラシックの他のCDレビューはこちらです。

 


書籍レビュー: 何だよ自分やっぱりアスペルガーじゃん『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える』 著: 米田衆介

★★★★★(ノ≧ڡ≦)てへぺろ

 

著者の米田衆介氏は明神下診療所の院長です。実はこの人、8年ほど前に私にアスペルガー障害であると診断を下した医者です。自閉症・アスペルガー関連の書籍を探していたらなんと明神下診療所の院長が本出してる!けしからん!これは読まなければ!と全面対決する気持ちで手に取ったわけですが、、結果は完敗でした。

アスペルガーの3つの特性

米田さんは一般的によく使用される自閉症の「三つ組み」仮説、すなわち

・社会的相互交渉の障害(他者と上手く関われない、興味が無い)

・コミュニケーションの障害(会話や意思の伝達の困難)

・想像力の障害(空気が読めない)

は、現実に表れている症状を分類したことに過ぎず原因そのものではないと述べ、いくつかの仮説を並べた後に次の三点にまとめられる「情報処理過剰選択説」を現場で使用していると述べます。

・シングルフォーカス特性……注意、興味、関心を向けられる対象が、一度に一つと限られていること

・シングルレイヤー思考特性……同時的・重層的な思考が苦手、あるいはできないこと

・ハイコントラスト知覚特性……「白か黒か」のような極端な感じ方や考え方をすること

げー。全部当てはまるじゃん。。私は愕然としました。

というのも、私は8年間、アスペルガーなんてラベルに意味はない、私は私だ。人とまともな人間関係を構築することも頑張ればできるだろうし、想像力だって豊かになれるはずだ、だからいわゆる「定型」の人の考え方身の振り方を努力して身に着けるんだ、だからそんなラベル貼るなよ!!!という思いで頑張ってきたつもりでした。アスペルガーはその言葉が新聞で出回るようになって以来、ぜーーったい悪い意味で使われると思っていたらやっぱりその通りになりました。

しかし私の努力は方向性が悉く間違っているため失敗し努力は水の泡となり、絶望感やいじける気持ちやらが募るばかりでした。方向性が間違っているということも田さんは以上の特性の帰結の一つの例として挙げています。

で、この本を読んだわけですが完敗です。間違いなくこの3つの特性を私は備えてます。ああやっぱり、逃れられないね。自分の特性の一つとして受け入れるしかないね。受け入れた上で自分に何ができるか、考えるしかないね。

臨床例1000件は伊達じゃない

正直言ってこの本はきついです。アスペルガー者(と呼ぶことにしたそうです)はできることは少ない、あれはできないこれができないといろいろ述べられますが、実感としてすべて正しいです

正直に言って、アスペルガー者に高度なマネージメントや、創造的なプロジェクトを任せるのは、その本人にかけがえのない才能があって、他の人間ではどうしても目的が達成できないような場合や、古いシステムを徹底的に破壊して合理的な新しいシステムを廃墟の上に立ち上げる必要な創造的破壊を狙う場合以外には、職場にとっては利益が無いのではないかと推測されます。

正しい。

「働くのをやめる」という環境庁性もあるということを、忘れないことです。働くのがうまくいかないのですから、働かないという選択肢もあっていいはずです。

正しい。

このあたりの内容は絶望的で当事者の反発を受けること必至でしょう。私も反発していました。でも正しい。

私はアスペルガーであると診断を受けたもののだからと言って特別な支援が受けられるわけでもありませんでした。8年かけて、周りと合わせる努力は無駄、摩擦が起きるのは仕方がない、改善されることはなさそうだ、だから周りとの関係をできるだけ希薄にするしかないね、という結論に達しつつありました。この本はその結論を大きく後押しすることとなりました。

感情、共感、想像力って一体なんだよ

この本の優れているところは特にラストの3章です。アスペルガー者は「想像力」「感情」「共感」が無いと言われますが、著者は「じゃあ共感とか想像力っていったい何さ?」といういう疑問を投げかけます。

実際には、共感という言葉はあまりにも曖昧に使われすぎていて、それが正確に何を意味するのか、科学的に意味のあるやり方で定義することができないという問題を無視するわけにはいきません。

私は「感情が無い」と言われたことがありますが決してそんなことはありません。感情はあります。共感もできます。ただし、著者の言うように『質が違う』のです。

定型発達者(本書では「健常者」と呼ばれています)は共感も感情も無意識のうちに勝手に湧くものですが、私は意識しないとそれができないのです。これは先の「情報処理過剰選択説」の「シングルフォーカス特性」および「シングルレイヤー思考特性」で十分に説明できます。すなわち話を聞いたり目で見たときに健常者はまるで2コアCPUのように情報を並列処理し同時に感情やら共感やらが湧くわけですが、アスペルガー者は1コア、シングルスレッドCPUしか持てないわけです。話を聞くか感情を動かすかどっちかしかできません。これも、訓練すればwindowsのようにミリ秒単位で動作を切り替えまくる疑似マルチタスクができるようになるんでしょうけど、切り替えにエネルギーが食われて非効率になることは必至です。そういえば私はここ1年で10kgも痩せてしまいましたがエネルギーを使い過ぎているのかもしれません。

 

この本には★10くらいつけたい気持ちです。米田先生ありがとうございます。生きるのが10倍楽になりそうです。8年前、注意不全で水筒のお茶をぶちまけてカーペットに染みを付けてしまってごめんなさい米田先生!もうカーペットは取り換えたのでしょうか!?

 

自分がアスペだと思う人は明神下診療所に行く前に本書を読んでください。超おすすめです!