書籍レビュー: バイオテクノロジーで世界征服 『モンサント――世界の農業を支配する遺伝子組み換え企業』 著:マリー=モニク・ロバン 訳:村澤真保呂、上尾正道

★★★★★(・:゚д゚:・)ハァハァ

 

聞いたことがありますかモンサント。全世界の遺伝子組み換え企業の総本山としてよく知られた企業です。本書はモンサントについて著者が4年に渡る調査を行った結果として書かれた本です。

圧倒的情報量を訳者がさらに補強

まず本書の目玉は圧倒的な情報量です。本文が約540ページもある上に文字が小さめで、膨大な出典付き。それに加えて訳者も本書のあちこちに注と参考文献を2Pに1冊くらいの割合で紹介してくれており、巻末の参考文献もざっと100冊はありそうです。巻末の文献と本文中の文献は独立していて別物です。いったいどれだけ調べたのでしょう。1冊の本を完成させるまでに相当の労力を費やしたことがわかります。

驚くべきはこのモンサントという企業、あらゆる要素を駆使して世界的企業に成長したということです。それも合法的に。

まず国の中枢に働きかけ、環境汚染しながら利益を蓄える

第一部ではPCB、ダイオキシン、ラウンドアップ、牛成長ホルモンを通じてモンサントが巨大企業になっていく過程が書かれています。モンサントと言えば遺伝子組み換え作物(GMO)という先入観がありましたので、公害は「だいたいこいつのせい」と言っても過言ではないくらい、多くの製品を生産していたことは知りませんでした。例えばPCB。

PCBといえば日本ではカネミ油症事件で一躍有名になった有機塩素化合物です。熱にも電気にも薬品にも強い優秀な物質で、加熱冷却用媒体、溶媒、絶縁油などあらゆる工業製品に置いて広く使用されていました。しかしその安定性ゆえに分解されることなく、人体の脂肪内に蓄積されガン・皮膚疾患・ホルモン異常などを引き起こす毒物でもあります。カネミ油症事件ではPCBが漏れ油に混入、加熱によってダイオキシンに変化しこれを摂取した1万4千人に症状が現れました。日本では1975年に輸入が禁止されました。

また、ベトナム戦争で有名になった枯葉剤も彼らが作りました。枯葉剤は「2,4,5-T」という除草剤で、やはり有機塩素化合物です。2,4,5-T自体も毒性がありますが本当にまずいのはその生産過程で不純物として発生するダイオキシン類です。これがベトナムで大量に散布された結果出生異常児が大量に出現したことは有名です。が、驚いたのは40年以上もたった現代でも未だにダイオキシン類が土壌に存在し、健康被害を及ぼし続けているということです。本書で「ホットスポット」「半減期」という単語が出てくるのはまるで放射性物質のようです。前述の安定性ゆえ半減期は数十年。セシウムに匹敵します。

牛成長ホルモンについては次の本にも詳しく書かれています。これもモンサントが普及させました。

 

モンサントはこれらの怪しい物質を、政治家へのロビー活動や有毒性の情報隠蔽などのあらゆる手段を使って売り込むことに成功し、莫大な利益を上げます。

次はアメリカ制覇

第二部はアメリカ制覇への道です。

彼らの売れ筋除草剤ラウンドアップは2000年に特許が切れます。そこで彼らは除草剤と植物を抱き合わせで売り込むという商法を思いつきます。バイオテクノロジーを使って除草剤耐性の遺伝子組み換え作物を作り、それに特許を取らせてライセンス料で稼ぐ、しかも除草剤も売れるという手法です。完璧すぎます。

遺伝子組み換え作物の開発については、プロジェクトXもびっくりの臨場感ある叙述がされます。クレイジーな研究者たちは魅力にあふれています。彼らがバクテリアや遺伝子銃やらなんでも使って除草剤耐性遺伝子を組み込むための血のにじむ努力を続け、運よく生き残った作物のDNAは、特許を獲得します。

生物特許は当時アメリカで認められていませんでしたが、彼らは第一部で磨いたロビー活動の力で特許法を改正させてしまいます。

特許とは無形の財産たる発明、すなわち簡単にパクれる財産を保護するため、新規性などを要件にして、排他的な独占権を認めるものです。この「排他的」はものすごく徹底されていて、著作権よりも遥かに強力です。たとえば公権力を使って海賊品の強制的差し押さえができます。刑事裁判にかけて莫大な損害賠償を請求できます。しかも保護されるのは「アイデア」そのものですから、拡大解釈がかなりの程度可能です。著作権が具体的な作品の差し止めしかできないのとは大違いです。

例えばモンサントの遺伝子組み換え大豆がうっかりそこらへんの畑に落ち、芽を出したとします。するとその畑の持ち主は訴えられ、損害賠償を請求されます。ウソのような話ですが本当の話です。

またGMO種子は1代限りにして種を保持するな、という契約を強制します。毎年種を買わせるためです。種子の保存が見つかれば訴えられ、必ず負けます。モンサントは法務部も超強力で、何千件もこのような訴訟を起こします。

さらに、「実質的同等性」というクソのような概念をロビー活動で導入します。これは「遺伝子組み換え作物は従来の作物と(だいたい)タンパク質組成などが同じなので、安全性の検査の必要性は、従来作物と同じでよい」という概念です。この原則に従えば遺伝子組み換えに伴う安全性の検査不要!!0ドル!!素晴らしく経済的な概念です。モンサントすげぇ!シビれる!憧れるぅ!

モンサントはアメリカ中の大手種子会社を買収し、GMO市場、ひいてはアメリカ作物市場を独占していきます。

最後に世界制覇

第三部では発展途上国への進出です。本書ではアルゼンチン、ブラジル、インド、パラグアイなどを制覇する様子が描かれます。

GMOは実質上のモノカルチャー推進事業ですので同じ作物ばかり作り続け、土地が荒れます。また、除草剤をラウンドアップしか撒かないので耐性昆虫や耐性菌が必ず出現し、毎年除草剤の量を増やさなければいけない宿命にあります。GMOの導入は除草剤を減らす目的だったのに矛盾した話です。ともあれ、農薬大量投入は必然的に世界中で健康被害を引き起きしました。

アルゼンチンは大豆畑まみれになりました。海外では大豆は食用ではなく、主に飼料用です。この飼料をアメリカやヨーロッパに輸出し、大量の肉が生産されます。この過程も先に引用した「ファーマゲドン」にも詳しいです。先進国の貪欲さが途上国の貧困と荒廃を招く分かりやすい例です。

次は日本の番

WTOは世界中にアメリカの論理を広める手段として活躍しました。例えばTRIPs協定。その(意図的に)難解な条文は弁理士試験受験者を悩ませる種の一つですが、これは生物特許を全世界で認めさせるための手段でした。そんなことも知らないで勉強していた私はアホですね。

本書でも警告されていますが日本はまもなくTPPを批准します。アメリカ流を踏襲するなら、現行の(遺伝子組み換え作物不使用)の表示は外さなければいけなくなる可能性が高いです。モンサントの利益に反するためです。こんな表示があったら遺伝子組み換え作物が売れないからです。

TPPにはISDS条項というものがあります。

大企業覇権としてのTPP

投資家が国家を訴えられる条項です。TPPを批准すれば、モンサントが日本を訴えて遺伝子組み換え作物の表示をやめさせることができるようになります。今後、日本にも続々とGMOが輸入されることでしょう。GMOの栽培は国としては禁止していませんが、日本は国土が狭いので北南米のようなGMO作物の広域大量栽培をすることが経済的に不可能なのが救いです。

 

おわりに

モンサントの言い分がしょっちゅう出てきますが、どれもこれも、この本の論調と同じです。

もちろん遺伝子組み換え食品は実質的同等性により安全であるともこの本に書かれていました。

 

 

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成長著しいモンサントの株価は2008年にはテンバガーを達成します。リーマンショックを乗り越え、また2008年並みの価格に落ち着いてきているようです。

本書は企業が世界を征服する過程を描く、画期的な著作です。読むのには骨が折れましたが得るものも大きかった。膨大な参考書籍は今後の課題となりました。

 

 

参考書籍ピックアップ

ダイオキシン

ダイオキシンと「内・外」環境 ―その被曝史と科学史

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カネミ油症

カネミ油症 過去・現在・未来

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枯葉剤

ベトナム戦争におけるエージェントオレンジ―歴史と影響

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 農薬

農薬毒性の事典

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 緑の革命(収量増のみを目指したため、大規模環境破壊につながった)

緑の革命とその暴力

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グローバルバイオ企業全般

バイオパイラシー―グローバル化による生命と文化の略奪

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 戦争の黒幕企業

死の商人 (新日本新書)

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 生命特許

生命特許は許されるか

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  • 作者: 天笠啓祐,市民バイオテクノロジー情報室
  • 出版社/メーカー: 緑風出版
  • 発売日: 2003/08
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 ライバル会社カーギル

カーギル―アグリビジネスの世界戦略

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最悪の化学事故、2万人以上死亡

ボパール死の都市―史上最大の化学ジェノサイド

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 著者の最新書

 

Our Daily Poison: From Pesticides to Packaging, How Chemicals Have Contaminated the Food Chain and Are Making Us Sick

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なお彼女はドキュメンタリーフィルムも作っています。私も見てみたいと思っています。

モンサントの不自然な食べもの [DVD]

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書籍レビュー: 砂穴の中にいるのは私達だった 『砂の女』 著: 安倍公房

★★★★★(°ω°)

私は小説をあまり読んでこなかったので、まず一般的に強く勧められている作品から読んでいきます。自分の好みなんてものは嫌でも後でついてくるでしょうから、当面のあいだは何も考えず受動的に「有名な」ものを読みます。という気持ちでこの小説を選びました。作者には失礼かもしれません。ごめんなさい。

結果的に、この作品には大きな衝撃を受けました。他人の言うことは聞いておくものです。内容についてはAmazon掲載の書評をそのまんま引用します。

砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める村の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のうちに、人間存在の極限の姿を追求した長編。20数ヶ国語に翻訳されている。読売文学賞受賞作。

絶望と比喩と

序盤~中盤にかけて読者を襲うのは強烈な絶望感とあきらめの気持ちでしょう。私もそうでした。安倍さんの口に釣り針でもひっかけられてこじ開けられるような生々しい描写のせいです。彼は比喩が巧みで、巧み過ぎて一部ついていけないくらい想像力豊かです。

やがて、部落の外れに出たらしく、道が砂丘の稜線に重なり、視界がひらけて、左手に海が見えた。風に辛い潮の味がまじり、耳や小鼻が、鉄の独楽をしばいたような唸りをあげた。首にまいた手拭がはためいて頬をうち、ここではさすがに靄も湧き立つ力がないらしい。海には、鈍く、アルマイトの鍍金がかかり、沸かしたミルクの皮のような小じわをよせていた。食用蛙の卵のような雲に、おしつぶされ、太陽は、溺れるのをいやがって駄々をこねているようだ。水平線に、距離も大きさも分らない、黒い船の影が、点になって停っていた。

「鉄の独楽をしばいたような唸り」とか「沸かしたミルクの皮のような小じわ」などといった比喩は私にはなかなか想像できないのですが、何となく想像できるような気はします。よく思いつくよなぁこういうの。

 

 

以下の記述はネタバレを含みます。

 

 

人間社会の隠喩としての「砂穴」

主人公である男は理不尽にも穴の中に閉じ込められ実質上の監禁生活を余儀なくされます。またタイトルにもあるように、穴の住人である女との物語でもあります。女には申し訳ありませんが、私は彼女との交流の描写よりも「砂穴」そのものの構造に興味を惹かれました。

「砂穴」は外界と隔絶されていて、穴の外にいる役場の人間からの水・食料・わずかな娯楽が生活の生命線です。集落全体を守るために、穴の中の砂掻きという重労働を毎日強いられます。砂掻きをサボれば水も食料も途絶えます。帝愛グループの地下施設とあまり変わりありません。

男は穴に閉じ込められたとき、激しく抵抗し何度も出ていこうとします。穴の外でのいつも通りの人生、自由な人生を取り戻すための戦いです。

ところが断片的に記憶の中から掘り起こされる、教師として生きてきた人生、彼女(妻?)とのやり取りは全く幸せそうではありませんし、自由でもありません。

例えば自分のいなくなった部屋を想像した描写は

西陽にむれた、殺風景な部屋、すえた臭いをたてて、主人の不在を告げている。訪問者は、この穴ぐらから解放された、運のいい住人に対して、本能的な妬みをおぼえるかもしれない。

と部屋を「穴ぐら」と表現しています。あまり引用が多いのもよくないので他は省略しますが、明確に意識はされないものの、思い出せば思い出すほど彼の人生は既に穴の中に入っていたと言えます。砂穴から脱出して自由を手に入れるつもりだったのに、自由なんてものは元からなかった。男が穴の生活に慣れていくのは必然でした。

自由の象徴としての「溜水装置」

そして彼はひょんなことからもっとも重要な生命線である「水」を作り出す仕組みを手に入れました。彼はこれを「溜水装置」と名付けています。

水を生産できるようになった彼は興奮します。これで外からの水の配給を止められることによって命を脅かされることはなくなるからです。これは外の世界で決して得ることの出来なかった大きな「自由」の一つでしょう。自由を手に入れた彼は、ラストで偶然逃げ出すチャンスが与えられても逃げ出すことを選択しませんでした。

ちょっと納得できないのは、食料を生産できないから外側からの兵糧攻めにあったらやっぱり屈服せざるを得ないのではないかと思ったことです。ただ、もう少し考えていくと、「溜水装置」で十分なのかなとも思いました。

ほんの一かけらでも

私たちは穴の中に閉じ込められた存在です。人生は砂のように流れていきますし、どれだけ自由を求めたって、稼いだり生産したりしなければ生きていけません。仮に不労所得がいっぱいあってそれらから自由になったとしても死という限界を超えることは決してできません。人として生を受けた時点で穴の中にいるも同然です。

しかし我々は自由を欲します。他人や世界に支配されるのを嫌います。それがどれだけ制限のある自由であろうとも、不完全であろうとも、パン屑ほんの一かけら分であろうともよいのです。

女が穴の生活で欲したのは鏡とラジオです。

「本当に、助かりますよ……一人のときと違って、朝もゆっくり出来るし、仕事じまいも、二時間は早くなったでしょう?……行くゆくは、組合にたのんで、なにか内職でも世話してもらおうと思って……それで、貯金してね……そうすれば、いまに、鏡や、ラジオなんかも、買えるんじゃないかと思って……」
(ラジオと、鏡……ラジオと、鏡……)――まるで、人間の全生活を、その二つだけで組立てられると言わんばかりの執念である。なるほど、ラジオも、鏡も、他人とのあいだを結ぶ通路という点では、似通った性格をもっている。あるいは人間存在の根本にかかわる欲望なのかもしれない。

男は反発するも納得しています。鏡は自分の情報を得られる、ラジオはほんの少しでも外側と繋がることができる道具です。

水を生産する「溜水装置」も圧迫された生活の中の不十分な自由の一つですが、それを得られることのなんと素晴らしいことでしょう。

我々の人生という穴の中の絶望的な状況に鑑みれば、わずかでも自由を得られることは大きな収穫となります。それは未来を感じさせるものです。期待です。あとがきでドナルド・キーンさんが「なぐさみ物」と表現しています。いやそりゃ本質的にはそうなんですが、そんな軽いもんじゃないでしょう。私はこの装置に「なぐさみ物」以上のものを感じました。単に穴の生活に慣れただけだったら、彼はチャンスが来た時、即座に穴から出ることを選択するはずなのですから。

 

作者の生物学に関する造詣が深すぎると思ったら元医学生だったんですね。納得しました。この作品は折に触れて読み返したいですね。

小説面白い!まだまだ面白い作品が日本にも海外にも大量に転がっていると思うとワクワクします。

 


書籍レビュー: 感染症を見る目が変わる『感染症と文明―共生への道』 著: 山本太郎

★★★★★(*´ω`*)

著者の山本太郎さんは小沢一郎と組んだあの人ではなく、アフリカやハイチなどで感染症対策に従事した経験を持つ医師です。

「感染症」をキーワードとして読み解く人類史

狩猟生活から農耕生活に人類が移行したため、単位面積当たりの人口が増大し、感染症にとって繁栄することのできる土壌が生まれた――などなど、感染症をマクロな視点で捉え、淘汰圧や自然選択、感染力の強弱・免疫の有無などの分かりやすい要素を道具として、人類史の出来事を考察していく書物です。新書ということで200Pしかありませんが、よくまとまっています。著者の教養の豊富さとそれに裏打ちされた思索の深さには驚かされます。厭らしいところが微塵もありません。

感染症と「共生」!?

前半は、交易や戦争など人間の移動と共に、感染症も移動してスペイン風邪やペストなどの歴史上の大事件を引き起こした実例がいくつも書かれています。前半もとても興味深いのですが、私がこの本で衝撃を受けたのは後半、特に感染症を長い時間軸を使ってその「適応」の段階を紐解いていく終章です。

感染症は大抵の場合動物からやってきます。そして人間に感染するような株が現れ、小集団内の流行で終息する段階から、定期的に大流行を引き起こす段階へと人類に「適応」していきます。こうして適応した感染症は人間の中でしか生きられなくなる段階が来ます。

ところが人間社会というものは変化します。しかも変化のスピードが大きい。すると、人類に「過剰適応」してしまった感染症は、変化についていけず死滅するというのが著者の仮説です。著者は成人T細胞白血病ウイルスを実例として挙げ、徐々にこの世から姿を消していく様子を描いています。そしてこのウイルスの消滅について著者は警告を発するのです。

一方で、最終段階まで適応を果したウイルスの消滅は、別の問題を生み出す可能性がある。ウイルスが消滅した後の生態学的地位を埋めるために、新たなウイルスが出現する可能性である。

同様に、人類による感染症の根絶も著者は「過剰適応」だとみなしています。たとえ話として、洪水を防ぐためのミシシッピ川の嵩上げについて次のように述べています。

歴史家であるウイリアム・マクニールは、「大惨事(カタストロフ)の保全」ということを述べている。人類の皮肉な努力としてマクニールは、アメリカ陸軍工兵団が挑んだミシシッピ川制圧の歴史を挙げる。ミシシッピ川は春になると氾濫し流域は洪水に襲われた。1930年代に入り、アメリカ陸軍工兵団は堤防を築き始め、ミシシッピ川の封じ込めに乗り出した。おかげで毎年の洪水は止んだ。しかし川底には年々、沈泥が蓄積し、堤防もそれにあわせて高くなっていった。堤防の嵩上げは続いている。しかし、この川が地上100メートルを流れることにはならない。いずれ破綻をきたす。そのとき、堤防建設以前に彼の地を襲っていた例年の洪水など及びもつかないような、途方もない被害が起こる可能性があるというのである。

そこで著者は感染症との「共生」を唱えるのです。。

著者は感染症対策のエキスパートでもあるのですが、この文章からは、感染症を根絶するべき「敵」としてではなく、対話可能な「相手」としてとらえていることが読み取れます。初めてみる視点です。私はこれに衝撃を受けました。また、感染症の栄枯盛衰の理論をこれだけ明快に見せつけられると、なんだか切なくなってきます。人類の敵であるはずの小さな小さなウイルスに対してそんな感情が生まれたということも衝撃的です。

総評

新書とは思えないクオリティです。本では3冊目の★★★★★+評価を付けました。ぜひ読んでみてください。

 

 

参考書籍

1冊読むと関連本を10冊は読みたくなりますよね。こうしてネットワークが作られていき、泥沼にはまるわけです。

 

エッセンシャル・キャンベル生物学

エッセンシャル・キャンベル生物学

 

 まず生物学基礎を全然知らないのでこれから。高い。

 

やさしい基礎生物学 第2版

やさしい基礎生物学 第2版

 

 こういうのでもいいかな。

 

カラー図解 アメリカ版 大学生物学の教科書 第1巻 細胞生物学 (ブルーバックス)

カラー図解 アメリカ版 大学生物学の教科書 第1巻 細胞生物学 (ブルーバックス)

  • 作者: クレイグ・H・ヘラー,ゴードン・H・オーリアンズ,デイヴィッド・M・ヒリス,デイヴィッド・サダヴァ,浅井将,石崎泰樹,丸山敬
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/02/19
  • メディア: 新書
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コンパクトにするならこれか。

 

 

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

  • 作者: ウィリアム・H.マクニール,増田義郎,佐々木昭夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/01/25
  • メディア: 平装-文?
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 マクニール先生のいずれ読まなければいけないと思っている本。

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

  • 作者: ウィリアム・H.マクニール,William H. McNeill,佐々木昭夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/12
  • メディア: 文庫
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 本書で紹介のあった本。

 

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

 

これも本書で言及があった。少し前のベストセラー。

 

失われてゆく、我々の内なる細菌

失われてゆく、我々の内なる細菌

 

 山本さんの最新翻訳本。欲しい。

 

エイズの起源

エイズの起源

 

 同翻訳本。

 

 


CDレビュー: Enrico Pieranunzi – Seaward (1995)

★★★★★(TωT)

ピエラヌンツィさんのComplete Remasteredシリーズで聴き忘れがあったので、聴きました。次のボックスの5枚目です。

胸を切り裂くピアノ

切ない!切なすぎます!これを聴き忘れてたなんてもったいない!心に傷が無くても傷を負い、傷があればカサブタを開いてくるくらい胸に痛いピアノです。1曲目Seawardの出だしの1音からもう苦しくて苦しくてたまらない。

5曲目The Memory Of This Nightが一番破壊力が高いです。序盤は普通のスローバラードのようですが後半になるとピアノが突然釣り針とか猛禽類の鉤爪のようになって襲ってくるのです。鋭い。引っかかる。いたたたた。ピエちゃんもう勘弁してください。

気持ちが張りつめて張力で張り裂けそうになったところを刺す。一発ノックアウトです。意味の分からない観念論になってしまいましたが6枚の中で一番印象的なアルバムでした。

ベース、ドラムも完璧。歌声もあり

8曲目This?ではHein Van de Geynさんのベースが長時間にわたって歌う見せ場があります。彼のベースはとても暖かく優しいのでひと時の休息を味わうことができます。Andre Ceccarelliさんのドラムも目立たないものの完璧な安定感で気持ちの増幅に一役買っています。

本CDでは歌声が多く聞こえます。誰が歌っているのかわかりませんが演奏に興が引かれている証拠です。

ジャズセッションというのはそれぞれの持ち場で上手いこと役割を果たしつつ時にはアドリブを混ぜて相手のミュージシャンと作り出す音の会話であると理解しています。ジャズの音楽理論は難しいのでしょうが一通りマスターしてしまえば彼らはその文法を自在に操って詩を生み出すように音を生み出していくことができます。それはとてもとても気持ちのいいことなのだと思います。

音楽はその組み合わせと線形性をもって何故だか分かりませんが我々に快などを始めとする数多くの感情を生み出します。これらに身を任せてつい歌声が出ちゃうほど音楽的な空間の中に手を任せて音を職人的に組み立てて面白い作品をいくらでも作れちゃうなんて羨ましいなぁ、素敵だなあといつも思いながらジャズのCDを聴いています。

 

 

ジャズの他のCDレビューはこちらです。


書籍レビュー: きっと、楽になれる 『ひとを「嫌う」ということ』 著: 中島義道

★★★★★_(┐「ε:)_

ひねくれた哲学者による「嫌い」論

著者の中島義道(1946-)さんは、ドイツ哲学者?です。しかし彼は学者という言葉が嫌いで、反社会的な面の強い異端な人です。それもそのはず、大学を卒業するのに12年かかる、東大助手から何故かぶっ飛んで電通大の教授に収まる、などとても変わったキャリアの持ち主なのです。ここら辺の経歴は彼の膨大な著書の中に書いてあるでしょうからまた読んでみようと思います。

「嫌う」ことは自然である

本書で繰り返し繰り返し主張されることは「嫌う」ことの自然性です。

私はまず、われわれは誰でも他人を嫌うこと、しかも――残酷なことに――理不尽に嫌うということを教えたい。

嫌うことは誰にでも当たり前に生じる、ある意味精神的に健全なしるしです。これを大人が「人を嫌ってはいけない」という道徳をもって説き伏せることにより、我々には嫌うことへの絶対的禁止が植えつけられます。人を嫌う奴は人間失格だ、カスだという観念が浸透します。しかし嫌うということは自然に生じるので、われわれは罪悪感を感じ精神的に引き裂かれます。著者に言わせればこんなものは欺瞞です。大人は、まず「嫌う」ことが当然であるということを教えるべきだと主張します。書いていて気づきましたが人を嫌う奴が人間失格だというのも「嫌う」ことですから矛盾してますね。

「嫌う」ことは本質的に不合理

本書では嫌うことの段階を8つに分け、最後に「相手に対する生理的・観念的な拒絶反応」というレベルを設定しています。嫌うということは雪だるま式にどんどん自己増殖していき最終的に「その人だから嫌う」という段階に至ります。ここまでくると嫌うことをやめることは一生不可能です。しかも、「その人だから嫌う」と、具体的な理由がないので不合理です。しかし私たちはこのようにして人を嫌います。人間の感情なんて元来不合理なものです。でもそこから逃れることはできません。いかにして「嫌い」と付き合うのか、それを一生かけて考えるのが健全である、と著者は主張しているように思います。

自己嫌悪=自己愛

自己嫌悪と自己愛は表裏一体である。これは自分でも自覚していたことなので中島さんに指摘してもらってとてもうれしいです。自己嫌悪と自己愛については明日別の本の書評で書きます。

個人的なこと

この本は、友人Aとのあるやり取りの中で「嫌う」ということを議論した(議論したのは生まれて初めて)ことにより興味がわき、つい手に取ってしまいました。議論の内容は私にとっては感動的なものでしたが、プライバシー保護のため詳細は控えます。私たちは会話の末、「嫌う」ことはいけないことで認めたくないことだが、どうしようもない止められない。相手にぶつけてしまうか、距離を置くかいずれかしか解決方法はない、、という結論に達しました。今思えば我々は「嫌ってはいけない」という紋切り型の観念に囚われていたことになります。

友人に本書をプレゼントしたいと思っています。そうすれば、彼はきっと、楽になれる。

終わりに

本書は著者の個人的な、家族に嫌われるという経験に端を発していると思われます。そして「嫌う」ことの原因を追究し、まとめあげ、心の安定を得ます(完全に安定するわけではないですが)。物凄く個人的で、わがままな動機です。そして彼は、自分でも自覚しているように自尊心が高い。何もかも言わずにはいられない、表現して他人に読んでもらいたい。表現者とはみなそのような傾向がある、と著者は自ら話します。その通りだと思います。しかしそのような表現者によって我々は多くの知見を得、救われ、糧にすることができるのです。とてもありがたいことです。

 

あとがきのオチで私は感動してしまいました。

 

 

関連書籍

 

人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)

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ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

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エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

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恋愛論 (新潮文庫)

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軽蔑 (1965年) (至誠堂新書)

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留学 (新潮文庫)

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CDレビュー: Great Pianists of the 20th Century Vol.7 – Vladimir Ashkenazy(CD1)

★★★★★ʕ→ᴥ←ʔ

 

ウラティーミル・アシュケナージ(1937-)はソ連出身のユダヤ人ピアニストです。ユダヤ人は音楽家にいったい何人いるのでしょうね。

ご存命で、70年代以降は指揮者としても活躍しています。このジャケットでは繊細そうな若者ですが、今の姿もナイスですよ!

http://medias.medici.tv/artist/vladimir-ashkenazy_c_jpg_681x349_crop_upscale_q95.jpg

Medici: ウラティーミル・アシュケナージ

ショパンとリストで別人に

ボックス1枚目はショパンとリストを取り上げています。彼のピアノは弾き分けがうまく、7曲目までと8曲目以降はまるで別人です。ショパン曲は暗く重苦しい気持ちにさせてくれます。7曲目バルカローレ(舟歌)なんか傷心旅行で川に揺れながらいったいどこまで落ちぶれていくのかもうどん底って感じです。

リストが神々しい

対照的に、リスト曲は天井の彼方まで連れ去ってくれます。8曲目超絶技巧練習曲(すごいタイトル)が始まった途端天井から大量の光が漏れてくるようです。超絶技巧と銘打ってますが、リストの過剰なまでの壮大な曲構成力が背骨を支え、さらに指が15本くらい必要そうな大量の音を流し込むことで他では聞けないようなド迫力の演奏が繰り広げられます。特に11, 12, 13曲目は胸の奥がぐぐーと押されたり広げられたりして聴いている方も大変です。13曲目がいちばんすごい。大河が押し寄せる様子や大きな山々、宇宙の彼方などとにかく大きな大きなものが想像されます。美しい。。このCDを聴いて自分ってリスト大好きなんだな、と再認識しました。

 


Ashkenazy plays Liszt Harmonies du Soir – YouTube

楽譜で見てみるとオタマジャクシの群れにしか見えないですね。

 

自信をもってお勧めできる1枚です。

 

Tracklists

 

Frederic Chopin:

1. Scherzo No.4 In E, Op.54
2. Nocturne In B, Op.62 No.1
3. Mazurka In A Flat, Op.59 No.2
4. Trois nouvelles etudes, Op. Posth.: No.1 In F Minor
5. Trois nouvelles etudes, Op. Posth.: No.2 In A Flat
6. Trois nouvelles etudes, Op. Posth.: No.3 In D Flat
7. Barcarolle In F Sharp, Op.60

Franz Liszt:
8. Etude d ‘execution transcendante:: 1.Prelude (Presto)
9. Etude d ‘execution transcendante:: 2.Molto vivace
10. Etude d ‘execution transcendante:: 3.Paysage (Poco adagio)
11. Etude d ‘execution transcendante:: 5.Feux follets (Allegretto)
12. Etude d ‘execution transcendante:: 10.Allegro agitato molto
13. Etude d ‘execution transcendante:: 11.Harmonies du soir (Andantino)
14. Etude d ‘execution transcendante:: 8.Wilde Jagd (Presto furioso)
15. Mephisto Waltz No.1

 

 

 

クラシックの他のCDレビューはこちらです。


CDレビュー: The Rough Guide To Music Of Gypsies(1999)

★★★★★=͟͟͞͞(๑•̀=͟͟͞͞(๑•̀д•́=͟͟͞͞(๑•̀д•́๑)=͟͟͞͞(๑•̀д•́

ジプシー

ジプシーとは、Egipcienを縮めてgypsy、「エジプトからやってきた人」という意味です。「ジプシー」という表記は自称ではなく他称でしかも差別的な意味合いがあるそうなので、自称の「ロマ」と言い換えるのが適切と一般に言われているそうですが、このアルバムに限っては「ジプシー」という表記が正しいです。「ロマ」は特定の民族を表しますがこのアルバムはインド系のドム・バンジャラやギリシャ系・中東系など幅広い音楽が混じっているため、「ロマ」と一括りにできません。

シリーズ最高傑作

彼らは流浪の生活を経てきましたので、インド~中東~中央アジア~ヨーロッパのすべての音楽が混じり、さらにいかなる場所でも差別的待遇を受けてきたという過去から、どの音楽も楽観的・肯定的・底抜けの明るさの中に哀愁を感じさせるという特性を備えています。私の一番好きなタイプです。

まず衝撃を受けるのが2曲目Ussa Saです。聞いてみてください。

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うっつぁっつぁ~うっつぁっつぁ~

極めて中毒的です。バンドネオンとバイオリンのコンビはスペインとイタリアの影響を感じさせます。

3曲目Doina Si Balaseancaも爆速でブラスが騒音をまき散らす他にない音楽なのですがyoutubeにありません。同アーティストの類似曲を貼っておきます。何故かこのビデオは渋谷が舞台です。まだHMVが撤退していない頃で、90年代のギャルも出てきます。

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この必要以上の明るさと、根底にほんのりと流れる哀愁感。。たまりません。

5曲目Anguthiはなんと純インドを思わせる音楽です。一体どれだけの要素が混じっているんだこの人たち。。

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9曲目Jastar Amenge Durもすごいです。今までに聞いたことのない泣きの強いギター、そしてこの歌!酒焼けでかすれたような吠えるど太い迫力ヴォーカルです。あなたの心臓鷲掴み!

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おばちゃんかと思っていたらイケメンでした。表示されている通り彼はギリシャ人です。本当に守備範囲の広いアルバムです。

他にもいかにもイスラム的な7曲目Love Birds、独特のスウィングでぶっ飛ばす8曲目Cind Eram La’48、「ハッ!」と合いの手を入れるフラメンコの要素を強く含んだ16曲目Cigany Szinekなどプッシュしたい曲ばかりです。どの曲も心の底からノッている、魂を絞り出しているようなパワーが感じられる稀有のアルバムです。

ジプシーたちの音楽はRough Guideシリーズで他にも何枚かリリースされているので、他のアルバムも期待大ですね。

 

 

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CDレビュー: J.S.Bach, Pierre Fournier(Vc) – Cello Suites (DG111 CD14, 15)

★★★★★(*´ω`*)

ピエール・フルニエ(1906-1986)によるバッハ無伴奏チェロ組曲集(全曲)です。2枚組138分とかなりのボリュームです。第一番の前奏曲は非常に有名ですので、聞いたことがある方は多いでしょう。私も昔テレビCMで聞きました。

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バッハの曲と言うと形式ばって堅苦しく取っつきにくい印象を持つものが多いですが、この曲は親しみやすさを感じました。というのも、ほとんどが舞曲であるため人間のリズムと調和しているからだと考えられます。

一本の楽器で演奏するとは思えないダイナミックな曲、フルニエさんの鳥肌が立つような気持ちの入れ方が際立つ演奏。いま↑の音声を聴きながらこの記事を書いていますが前奏曲のラストはお腹に響く歌いっぷりですよ。すごい。

他にはNo.2のジーグの快活なノリの良さ、No.3の前奏曲のアルペジオを引いているだけなのに大きな塊が迫ってくるような圧倒性にも驚かされました。No.5以降は突然趣向が変わり暗く重々しくなり長大になります。何があったのでしょうね。フルニエさんは全曲を通してとにかくタメるは歌うは全身全霊を賭けているような印象を持ちました。でも聞いていて疲れるわけではありません。不思議です。

チェロ組曲を通しで聴いたのはこれが初めてです。他にもヨーヨーマなど名立たるチェリストがこの曲を録音しているそうですが、フルニエさんと比べてどのような演奏をしているのかとても気になります。

 

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書籍レビュー: 定番かつ優れた人生論・自己啓発書!『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』 著: スティーブン・R・コヴィー

★★★★★(・ω<)☆

大ベストセラーの評判通りの良書

本書は世界で3,000万冊、日本でも180万冊売れている書だそうです。私は人生哲学・自己併発系の書籍を読むのは初めてです。win-winという言葉は代ゼミの講師が良く利用していたので聞いたことがありましたが、この本が発祥だそうです。

560ページとかなり長いですが、ごく一般的な言葉で書かれていますのでスラスラ読めます。というより、引き込まれてしまって止まりません。

手段より原則が大事である

この本で繰り返し述べられるのは「原則の優位性」です。「公正さ」や「誠実」「正直」などの原則は世代や地域を超えて存在します。原則を鋭くえぐった古典が生き残り、世界中で読まれる理由はそこにあります。これらの原則に従って行動し、思考し、生きることの合理性・優位性について何度も言及され、小手先の手段で物事を取り繕う「個性主義」の無意味さを説きます。原則に従うことは、短期的な即効性はないが長期的に必ず利益を得る、という特徴があります。そしてこの「原則」に従うための具体的なパラダイムを、「7つの習慣」というトピックに分けて説明していきます。

第一、第五の習慣に感銘を受けた

詳しい内容を説明するのはおこがましいので、詳細は自分の目で読んでいただきたいです。以下は、私の感想です。

私が特に感銘を受けたのは第一、第五の習慣についてです。まず第一の習慣「主体的である」のポイントは、「自分が自分の責任を引き受ける」ということです。

私は数年前、発達障害であると医師に診断されました。いわゆるアスペルガー症候群です。最近基準が変わり、自閉症スペクトラムの一種であるということになりました。診断がついた時、自分はそれらの基準に良くあてはまることは納得しつつも、だから何なんだよ、私は私だよ、他人が私のことを規定するんじゃないよ、という大きな反発が自分の中に生まれました。

決定論が大嫌いになりました。決定論の中でも特に「○○だからしょうがない」「××だからできるわけがない」という論理が嫌です。アスペルガーを含む自閉症スペクトラムは他人の感情を想像することができないと言われています。例えばwikipediaを見てみましょう。

アスペルガー症候群 – Wikipedia

空気を読むことが出来ない、会話が一方通行になりがち、あいまいな指示が理解できない、白黒はっきりつけたがる、一般人の持つ常識が備わっていない

心の理論の欠如

彼らにとって「行間を読む」ことは、困難ないし不可能である。

なんだか絶望的ですね。アスペルガー症候群は国の後押しもあり有名になったので、決定論的に次のような考えをする人間が増えました。

アスペルガーは死ね!2(1ページ) – 2ログ

しかしながら、発達障害というのは「発達が遅れている」ということであって、「発達できない」というわけではありません。努力すれば克服できないわけではありません(確率は低いけれど)。

前置きが長くなりましたが、「主体的である」という章では、ざっくり言えば「環境、他人などに原因を押し付けるのは間違っている。あなたの人生を決めるのはあなたである。責任はあなたにある」ということを説きます。

極端な例を出せば、家族が亡くなって悲しいとします。しかしその悲しむという選択をしているのはあなたです。究極の自己責任論です。そしてすべての責任を引き受けることができれば、自ら変わるという選択をすることができます

これは胸にすとんと落ち、なおかつほっとする考え方でした。自閉症スペクトラムはほぼ遺伝的要因で決まるので、診断当初は自分の境遇を恨むこともありました。どうせ自分にはできないから、と投げやりな気持ちになることが多くなりました。しかし決定論に屈すれば、成長はありません。「私は私だ」という押さえつけられた気持ちを止めることはできません。私は規定された存在ではなく、努力で如何様にもなれるはずだ、という反発を根底とした気持ちは、この章を読むことにより根拠づけられました。とても嬉しいことです。

第五章は「まず理解に徹し、そして理解される」というテーマです。この章も第一章と大きくリンクしています。ポイントはタイトルそのままで、相手を理解しなければ、他人に理解されるわけがない、ということです。特に、家族間の問題に対しての効果が大きな章です。

「自叙伝」の有効性のなさについて再三警告がなされます。他人は自分と境遇・考え方・発達段階が異なることが前提です。他人に「自叙伝」を押し付け服従させようとする試みは、たとえそれが正しいことだとしても、失敗します。なぜなら、第一章で言及がある通り、人間は自分が選択することによってしか変われないからです。これは実感と極めてよく一致します。したがって、相手を理解することなしに自分を理解してもらうことは不可能です。

実践している人がいる

さらにこの本を読んで驚いたことは、日ごろ読んでいるサイトや最近読んだ本に実例があった、ということでした。

まずこの人です。

少し前から感銘を受けて読んでいる投資ブログです。必ず長期的に利益を得る「原則」に従って、30年先を見据えて鉄壁の心で順守し行動する、ブログにより他人とのコミュニケーションを図りどんな意見でも聞いて自分に取り入れシナジー効果を図る、という手法は、完全にこの本と一致します。たぶん、読んでいるのでしょう(読んでいなかったらもっとすごいです)。

さらに、この本の内容とも一致しました。

セブンイレブンでは優れた電子端末の力を利用し、アルバイト人員自らが在庫を管理し工夫を重ね、自分たちの力で売上を増やしていく仕組みを作りました。鈴木氏を頂点としたトップダウンの仕組みも大きいですが、基本は現場の人間が自ら考えて行動する、細かい積み重ねがベースとなっています。

この2つに共通するのは、共に大きな利益を上げていることです。ゆうゆーさんはすでに資産が2.77倍になっていますし、セブンイレブンは業界ダントツ1位の収益率です。

今後も長期にわたって効果が続けば、「7つの習慣」の有効性はさらに揺ぎ無いものとなるでしょう。

 

(2015/07/26追記)日を追うごとにこの本の有効性が実体験的に証明されていくので、評価を上げました。

 


CDレビュー: The Rough Guide to Tango (1999)

★★★★★\( *ω*)┓

2連続で個人的にヒットしました。

タンゴとは主にアルゼンチンやウルグアイで演奏されるダンス曲です。必ずバンドネオンの演奏があり、ほぼ例外なく泣き系のマイナー調です。

以前から家に↓のアルバムがあり、ピアソラのことは知っていました。

ピアソラの曲は好きでしたが、この Rough Guide に収録されている Tres Minutos con la Realidad は段違いです!悶絶するほど素晴らしいです!

バージョンが違いますがyoutubeでも聞けます。泣きと激情と不安定と和音のレインボーが全部混じった超名曲です。

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フラメンコと同じく、伝統的タンゴは踊るだけではありません。歌も重要な要素です。これがまた情緒出し過ぎのベトベトでとても良いのです。聴きながらずっと何かに似てるな、、と思っていましたがこれはまさに演歌ですね!マイナーで演奏される情念たっぷりの歌と言えば!心のドロドロを表すための音楽形式が大陸を超えて共通しているというのは面白いことですね!

演歌と言うよりはちょっと古い昭和の歌謡曲やムード歌謡に近いかもしれません。昭和歌謡によくみられるマイナー→サビでメジャーに変えて気持ちが明るくなるパターンの曲もありました。私は昭和生まれですので昭和的展開が体に沁みついているようです。以前知り合いに薦めてもらった日本ロックで昭和的展開に悶絶しそうになった経験もあります。

www.youtube.com

日本の曲も聴かないといけないことが分かりました。今後ローテーションに加えようと思います。