元妻には学歴コンプレックスがあった。
ぼくは元妻と出会ったとき、トーダイ生だった。組み合わせが初めから間違っていた。
トーダイ生と聞くと誰でも怖気づく。一言一言に深淵な意味があると思ってしまうらしい。しかしぼくの経験上、トーダイ生は半分以上が発達障害だ。能力に偏りがあって、たまたま勉強ができただけの人間が多い。ぼくもその例にもれず、勉強はできたがその他の能力は極端に低かった。特に言語性の能力は、今までどうやって生きていたのか不思議なくらいのレベルだった。元妻が、ぼくがあほだとわかるまでは数年かかった。あほだとわかった後には逆襲が始まった。
何につけても「勉強は本気になるくせに他のことは本気にならない」となじられた。そんなことはない。何に対しても本気でやっていた。移ろいゆくものや紙に記述されていないものは、覚えられない。口で説明されても流れて行って忘れてしまう。
ぼくはぼくで日々破壊されていく自尊心を保つために、唯一得意だった勉強を続けることが命をつなぐ手段だった。
弁理士試験を中断させられたことは以前にも書いた。
試験を中断させられた後は、隠れて語学学習をしていた。語学は毎日続けると絶対に効果の出るスポーツのようなものなので、好きだった。NHKのラジオ講座を家族が寝た後に聞いていた。ある日テキストが元妻に見つかった。その日は家族全員でコンサートに行く日だった。元妻は激怒し、ぼくは罰として一人家に残された。10時間ほど1人で過ごした。何もする気にならないので、10時間の間ほとんど寝ていた。みなが帰っていた時も寝ていたので、とがめられた。
「表立ってやるならともかくこそこそ勉強していたのが許せない」
と言われたが、表立ってやれるわけがない。
家にある本を読むと嫌がられた。読むと「その本はよくない」などと嫌味を言われ、次の日読むのをやめたら何も言われなくなった。こどもの本を読んでいたら長女が密告して禁じられたこともあった。
家を出るまでの最後の1年半は、物置兼ペット部屋兼の六畳間をあてがわれ、そのかたすみで一日中仕事をしていた。なぜか仕事場には誰も入ってはいけないという決まりになっていたため、ネットで様々な記事を読んでも、PC上で学習していても、まったく気が付かれなかったことが救いになった。
禁じられていた語学学習は押し込められたものが爆発して次から次へと手を出し、最大で6か国語同時に学習していた。
日常でどんなに傷つけられても、学習している間は毎日確実に成長できるのが楽しくて楽しくて。
一度頭が乾くと、再び潤すための力は無限に大きくなる。
語学学習は自尊心を保つための糸としての役割を終えたのか、もう1か月以上何もしていない。
いまは勉強を禁じられることがない。それどころか推奨される。なんて自由なんだろう。
たくさん勉強したい。この世界をもっと知りたい。