放送大学の教材など読まなければいけない本が溜まっているので、今日は天気も良いし読書しようと公園に出かけた。
公園の中央にある芝生広場では沢山の親子連れがいて、ボール遊びなどを楽しんでいた。こどもの年代は推定1-2歳が中心で、壊れそうに小さくて、ボールを追いかける姿が危なっかしく、ほほえましかった。
芝生広場の隣の区画のベンチで数十分本を読んだらお腹が空いてしまったので、コンビニにお菓子を買いに行った。
そういえばこどもとボール遊びをやったことはあったっけ?
連れ子の長女とキャッチボールをやったことはある。あれはまだ結婚生活の初期で、ぼくにかけられた制限がほとんどなかった頃だ。長女が11歳とすでに大きかったこともある。
ぼくの子である次女と長男とは、体を使った遊びをしたことがない。そもそも次女や長男をぼくが外に連れていくことは禁じられていた。ぼくが注意不全だから、こどもを交通事故に合わせるだろうということが理由だった。一家で出かけたときに、道中である1回だけ車が来る方向を見ていなかったことを元妻に見とがめられて以来、ぼくには注意不全のレッテルが張られた。ぼくは常に元家族の最後尾に位置して歩いていた。次女と長男の送り迎えはすべて元妻か長女が行った。ぼくは自分に注意力がないから仕方ないね、とその状況を受け入れていた。
ぼくは力の加減が難しいから、外遊びができる状況だったとしても、元妻に禁止されていたと思う。
公園で遊んでいる親子連れを、いいなあ遊んでもいいんだなぁ、うらやましいなあ、と感じた。ぼくに能力が足りなかったから遊ぶことができなかったのか、それとも元妻の禁止が異常だったのかはよくわからない。実際、力の加減が下手なので危険ということはある。とはいえ、ケガをさせるほどではなかったとも思う。交通事故にだってあわせないくらいの注意力はあったと思う。そもそも「公園で遊んでいる親子連れ→善」という価値観自体にも疑問がある、世間の圧力だと考えたり、その疑問はぼくのひがみの意味を無くすことが目的なんだから醜いとも考えた。
ぼくは長女とも次女長男とも分け隔てなく接したつもりだが、元妻は「私と長女は親子関係があるが、あなたは他人」と何度も言った。ぼくは父親としてこどもと関わりたかったが、名前と関係性を奪われて、その願いは果たせなかった。「父親として」というのも、常識や世間に形作られた、ステレオタイプにすぎないかもしれない。「父親は厳格でこどもの壁のような存在になるべき(元妻談)」などとは思わない。ぼくはこどもを独立した人格と認めて、必要な時に必要な援助のできる人間でありたかった。じゃあボール遊びなんて必要じゃなければしなくてもいいじゃん、うらやましいなんて思うの筋違いじゃん、「みんなのやることがうらやましい」的な主体性のなさに縛られてるだけだろ?とも思う。よくわからない。
こどもは15歳になれば親権を自分で選べるが、ぼくのことは「こどもを捨てた父」として記憶されるだろうから、もう会うことはできないだろう。いや父とすら意識されていなかったから「金をくれなくなったオッサン」か。あなたは尊敬もしていないよくわからんおっさんに会いたいですか?会いたくないですよね。
11年のうちにぼくは様々なものを奪われたけれど、楽しいことだってあったし、自由意思に基づいて始めた生活だったし、嫌なことは嫌と言うことだってできた。それをしなかったのは、自分の責任だ。
そんなことをコンビニに向かいながら考えていたら途中から泣いた。10分くらい。コンビニでお菓子を買って公園には戻らず帰った。こどものことはいままでドライに語れたけど、家を出てから5か月経ってやっと気持ちが追い付いてきてしまった。しばらくこどものことは考えないようにしたほうがよさそうだ。