自分用アプリLanguageTrainerを半年ちょい続けたところで、英語記憶用の単語数が1000を突破した。まだまだ洋書1Pごとに数個は知らない単語やイディオムが出てくるので、これが本1冊読んで10個くらいしか知らない単語がなくなったとしても、まだ向こうの高校生並くらいなんだろうな。あと10000は覚えなきゃだろう。
洋書は単語を調べないで英語だけで読め、速読で読め、と言われるが、私は絶対に勧めない。自分が日本語を覚えた過程を思い返すといいだろう。一体いくつ知ったかぶりをしている言葉があるか?正しい言葉の意味を知らなくて恥を掻いたことはないか?私は何回も何十回もある。読みが間違っていたこともよくある。
英語学習でも、当時速読英単語が大流行りの時期だったため、なんとなく意味を推測しながら英文を読んでいた。しかし、これは後々のことを考えると理解を大幅に阻害するだろう。一度意味を推測した言葉は、二度三度出てこれば推測した意味が定着していく。ここで、はじめの勝手な推測が的外れであれば、間違った意味が定着する。非常によくない。意味一つの取り違えで文章全体がひっくり返ることもある。それが怖いので、意味があいまいな言葉はすべて辞書を引くことにした。
辞書は先人たちが言葉一つ一つについて大多数の人間の一致を得ると思われる共通了解をまとめてくれた、ありがたい書物だ。辞書に書いてある言葉の意味は1つではない。2つも3つも書いてあることが多い。1つの意味から円ができる。この円が重なり合った部分が、その言葉の意味の芯だ。どの言葉についても意味の中心を捉えた上で、筆者の言いたいことを誤解してしまうおそれがある。表層的な理解しかできなくなる。ああ日本語も子供のときにもっと辞書を引いておけばよかった。今からでも遅くはないか?
もちろん毎回辞書を引いていれば文章を読むスピードは極めて遅くなる。ましてや毎日仕事があり時間が無いので、1冊の本を読み終わるのに何か月もかかる。大きなデメリットだ。しかしこれは語学学習では仕方のないことと割り切ることにした。100冊の本をなんとなく読んで浅薄な理解を得るよりも、1冊の本を100倍の時間をかけて読み、100倍の理解を得る方がよい。したがって本の選択に大きな注意を払わなければならない。ノリで書いたような薄っぺらい本は読めない。
時間はかかるが、数年スパンで考えると非常に大きな効用があることが分かってきた。英語、フランス語、中国語については読んだ中で知らない単語、意味があいまいな単語を全部記録しておいて例文ごと復習できるような仕組みを作ったら、約半年しか経っていないのに、読むことが苦労でなくなったきたのが分かる。効果は確実に大きい。なんとなく文章を読むのなら理解は1次関数的についてくるが、言葉を調べながら読むのであれば2次関数的に理解できる、と思った。はじめは極端に遅いが、長い時間をかければ爆発的にわかるようになるんじゃないか。