書籍レビュー:『(講談社)日本の歴史01 縄文の生活史』著:岡村道雄

★★★★☆

日本史の知識がなさすぎるのと、高校教科書の「~があった。~が起きた。」という記述にうんざりしてきたので、詳しい通史本がほしくなって読みました。全26巻なので最後まで読めるかどうかわかりません。

縄文時代は約15,000年前~3000年前に区分され、氷河期が終わり海の幸山の幸が豊富に獲れるようになり、定住生活が可能になった時代です。

日本は関東ローム層に代表されるように酸性土壌なので、ほとんどの有機質が年月を経ると分解されてしまいます。当時の生活を想像するために得られる手掛かりは遺跡と貝塚くらいしかありません。本書では遺跡からどのようにして縄文人の生活を読み解くのか、その方法が具体的に描かれています。

著者が創作した物語がちりばめられているのが印象的です。発掘結果を踏まえた創作なので『祭殿の入り口には、重さ460グラム、直径5センチもあるヒスイの大珠を首から下げ…』など堅い記述が目立ち読みやすいとは言えませんが、想像力を掻き立てる本書のアクセントとしてうまく機能しています。「石器ってどうやって使うの?」という疑問には『使い込んで小さくなったナイフ形石器が、ついに4つに折れてしまった。もう捨てるしかない。…男は持ってきた不定形の石の剥片を2,3個使ってネズミを素早く解体すると…』といった具体的な記述が答えてくれました。

縄文時代より前の旧石器時代については、旧石器捏造事件にページが割かれていました。著者は「なぜ見抜けなかったのか。。」と悔恨と反省を述べています。

生徒さんに歴史を教えることがあったら、こういう本をネタにして面白い話がしたいです。まだまだ知識が足りません。


書籍レビュー: 寛容を貫いたカエサル『ローマ人の物語〈12〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(中)』 著:塩野七生

★★★★★

 

紀元前49~44年が舞台です。宿敵であり盟友でもあったポンペイウスを打ち破ったカエサルが、ポンペイウスの残党と戦ったりローマ内戦の延長戦を戦った後に国内の大改革を行うというのがこの巻の主な内容です。

来た、見た、勝った

このセリフ時々見るんですが、一体何なのか?

ローマ内戦の終盤戦、小アジア(現在のトルコ)を占領したポントス王ファルケナスに対して、カエサルはゼラという土地で対決します。

この戦闘、なんと4時間でカタがついてしまいました。カエサルが元老院に戦闘の報告をする際の書き出しが「来た、見た、勝った」だそうです。ラテン語では「VENI, VIDI, VICI」。簡潔極まる美しい文体ですね。楽勝勝ちを表現したいときにぜひ使ってください。

 

紀元前の武士道精神

ポンペイウス側についていた小カトーという人物がいます。彼はカエサルに追い詰められたとき自害しますが、この自害の様子が実に凄惨なのです。

小カトーは、短剣を取って腹部を突き刺した。……だが、突き刺した箇所が適切でなかったのか、すぐには死ねなかった。……駆けつけた医者は、苦しむ小カトーの傷口を縫い合わせようとした。だが、その手を激しく払いのけた小カトーは、自分の手で自分の内臓をつかみ出し、それでようやく死ぬことができた。49歳であった。

カエサルは寛容が徹底しており、ポンペイウス側についた人間を一切弾劾しませんし自由も補償します。それでも小カトーは自死を選びます。誰もが平等という建前の共和制ローマでは「他のローマ人に自分を許してもらう」ことは「許すことのできる特権を持つローマ人が存在する」ことになるため、あってはならないことだったのです。許されるくらいなら死を選ぶ。そういう意味では小カトーを平等主義を貫いた論理的に正しい、清い人物とみることもできます。キケロなんかは称賛しています。

しかし我々後世の第三者から見るとただのアホです死ぬなよバカ。第二次大戦後に自害した日本軍人と思考体系が変わりません。カエサルは紀元前という同時代にいながら、我々と同じ視点を持つことのできた超人ですね。

このエピソードを見ても、政治にかぎらず全ての思想は、所詮はその人のライフスタイルの反映に過ぎないのかと思ったりする。(P85)

はい。そうです。どんな思想でも絶対的な尺度なんて存在しませんので。思想は個人です。

建造物まで寛容に

改革については共和制を事実上終わらせ、カエサル自身に権力を集中させたことに特徴がありますが、他にも365日で11分15秒しかずれない当時としては正確すぎるユリウス暦を制定したり、当時流行っていた巻物を裁断して普通の本にしようぜ!と言ったり面白いものばかりなのですが、一番驚愕したのはローマの城壁を破壊させたということです。首都が城壁も必要ないほどに平和であるのがローマの目指す道だ、という思想をもって破壊したそうです。どこまで寛容なの!

なお、カエサルが多く作った建造物をつい最近破壊したアホがいます。元祖ファシストのムッソリーニちゃんです。

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軍隊のパレードをするために「皇帝たちのフォールムの通り」を作ったんだと!これのせいで並みいる遺跡群はいまやアスファルトの中に埋まってしまったそうです。

 

相手のところまで降りるな

カエサルが超然としている理由はもう一つ述べられていました。

憤怒とか復讐とかは、相手を自分と同等視するがゆえに生ずる想いであり成しうる行為なのである。カエサルが生涯これに無縁であったのは、倫理道徳に反するからという理由ではまったくなく、自らの優越性に確信を持っていたからである。優れている自分が、なぜ、そうでない他者のところまで降りてきて、彼らと同じように怒りに駆られたり、彼らと同じように復讐の念を燃やしたりしなければならないのか。(P34-35)

ふつうは、優越性を持っている人間は他者が言うことについて「なぜお前ごときに言われなきゃいかんのや」と思って怒りがより増幅します。そんな人間を何人も見てきました。でも怒りが増幅するのって、不安の裏返しなんですね。本当に優越を感じていたら不安になるわけないですものね。優越性を持つことがいいかどうかはもとより。

 

さて前巻でも出てきた次の言葉ですが

わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。

他の人々はあなたのように高潔ではありませんので、本書のラストで自由にした人々に剣を向けられ、カエサルは突然死にます。紀元前44年3月15日のことです。ここで本書は終わります。

次巻は3月15日の出来事から綴られる予定です。

 

 

参考書籍

塩野さんがカエサル好きすぎるためにかなりdisられているキケロさんですが、世界一級品の著述家ですので読んでおきたいです。

キケロー弁論集 (岩波文庫)

キケロー弁論集 (岩波文庫)

 

 

中務先生の訳もある!これは読まねば!

友情について (岩波文庫)

友情について (岩波文庫)

 
老年について (岩波文庫)

老年について (岩波文庫)

 

 

中務先生はここで紹介しました

 


書籍レビュー: マクロな世界史『世界史』 著:ウイリアム・H・マクニール

★★★★★ʕ→ᴥ←ʔ

 

人類発祥から現代史に至るまでの数千年を1冊で語ってしまうという本です。世界史には以前から興味があったので、まず読んでみたいと思っていた一冊でした。アウトラインだけザーッと書いてあるのかと思ったらとんでもない、見た目も内容もヘビーでした。歴史に慣れていないこともあって読むのに合計20時間は費やしたのではないかと思います。10冊分ぐらい読んだと思ってよさそうです。

まず驚愕するのはマクニール教授の異常な博識さです。歴史学者なので全ての時代について綿密な考察がされているのは当然として、物理学、数学、音楽、美術、建築などへの言及も誤りなくしかも示唆に富んだ記述がふんだんに盛り込まれています。人類が今までになした軌跡をあまねく辿るのですから、全てのことについて理解がないといけないのは分かりますがいやすごいですね。

イノベーションで興隆が決まる

全体を通して「歴史はイノベーションの連続である」という思想が感じられます。イノベーションを発明した地域が繁栄を極め、残りの地域はそれに追いつこう、取り入れようと奮闘するという構図が至る所に散見されます。たとえば紀元前、農耕がはじまったことで富の蓄積が初めて可能となり、文明が生まれました。以降数千年に渡り「文明ー周縁」という定義が出来上がり長期間にわたって固定化します。マクニール氏に言わせれば四大文明ですらメソポタミアが時代の最先端で、あとの3つは周縁の扱いです。

暴走族ハーン

一方古代文明は常に蛮族との戦いを常としており、維持するだけでも並大抵出ない努力が必要でした。蛮族は大抵中央アジアからやってきます。中央アジア~モンゴルは北斗の拳でいう修羅の国とほぼ同じ扱いを受けており、西洋の蛮族バリアーはいまのイラン・イラク付近、中国のバリアーは万里の長城でした。なにしろ蛮族は馬の扱いに長けており、時々暴走族を統率できるカリスマ族長が現れると圧倒的な力を発揮するので、マジで強いのです。歴史上最強の暴走族長はもちろん、日本の小学生でも知ってるチンギス・ハーンです。

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ただし蛮族は力は強いけど安定した制度やインフラを作る力が無く、世界各地を征服した後大抵が後継者争いで崩壊してまた元に戻るという繰り返しでした。日本にやってきた元は中国文明を吸収してドーピングしたため、比較的長持ちした方でした(でもやっぱり後継者争いで崩壊)。

産業革命と民主主義

1500年以降のイノベーターはなんといっても西洋です。1500-1700年の間に西洋で発展した「産業革命」「民主主義」の2つは今でも続く西洋の優越の源泉となっています。産業革命によって種々の生産が大規模になったことと、自動車を作ったからタイヤ・ゴム産業が発展、電気産業が発展したから電線に使う銅産業が発展、というように連鎖反応が起きてテクノロジーが指数関数的に発達し、周りの文明との距離をグングン開いていきました。箱根駅伝の2区で2位と5分差をつけてしまってそのまま10区までトップでゴールインしてしまったような感じです。

民主主義は第二の力の源泉でした。それまで西洋の政治とは、神の力を受け継いだ統治者によってなされるものであり、それゆえ変えることができないものだと思われていたのです。現代人の感覚からすると笑っちゃいますが大日本帝国だって天皇は現人神ですから1945年までは神権政治だったのです。

民主主義の実現によって、政府は人間の手で作られるものだという認識が生まれ、柔軟に政策を展開できるようになりました。さらに重要なことは、「俺たちが選んだ政府だぜ!」という認識が国民にあるため、政府の権力が格段に上がったことです。全国民が共感してくれれば反発なく彼らを徴兵して、国のために喜んで死んでくれる兵士を空前の規模で集めることができたのです。これが西洋政治の強みでした。

民主主義っていうと人間の自由な精神の獲得物と解釈されがちですが西洋人の認識は以上のようなものですので、こわいですね。

引用集

本書は細かい点では感激する点が大量にありました。読書中に面白いと思った所にはいつも付箋を貼って、あとでここに書く材料にしているのですが、本書は付箋が100カ所くらいに貼ってあります。とても紹介しきれませんので、いくつか引用を書いてこの記事を終わりにします。

帝国主義の推進者たちが貪欲なヨーロッパの投資家に約束していた利益は、ほとんどの場合実現しなかった。実際のところ、帝国主義というのは現金に換算してみると、全体として決して引き合わなかったのは確かなようだ。アフリカの植民地行政と開発のためにかかった経費は、おそらくアフリカからヨーロッパにむけて送られた物資の総価額を超えていただろう。・・・白人がアフリカの資源を掠奪して巨大な富を手にしたという意見は、単純計算による偏見でしかない。(P560)

奴隷貿易なども考えると現金の大小だけで割り切ってしまうことには抵抗がありますが、一方的に搾取するだったという見方が一面的であることは、反省してもよさそうです。

イスラム教徒の間では、宗教と政治ははるかに結びつきが強く、それはマホメット以来のことであった。おまけに、イスラエルが1947年と1973年の間にアラブと戦って買ったことも、世界中のイスラム教徒の宗教的意識を尖鋭化させた。なぜなら、敗戦を納得のゆくように説明すると、聖なる法典に記された神の意志に従わなかったから神は罰された、ということになるからである。(P621)

イスラム過激派がなぜ現代でも力を振るうか、についての原理的な解説です。なんと「負けた」→「神の言う通りにしなかったからだ!次は勝つる」の無限ループになるということです。イスラムが迫害されるほど尖鋭化する理由の一つです。

イスラムは中世にそのモーレツさで装備の不利も克服し兵隊の大量動員と統制をもって一時は世界を席巻しましたが、コーランが時代に合わなくなっても変更が不可能であるという根本的な欠点により、勢いを失ったと解説されています。イスラム嫌いじゃないんですけどね。コーランは古典だと思って、源氏物語とか古事記とかと同じ扱いにしてゆるーく尊重すればいいんじゃないのかなあ。

科学者たちはさらに革新的な技術飛躍の縁に舞い上がっているように思われる。そして、加速化する科学と技術の進歩は、来るべき未来に、人間問題に深い影響を与えることは確実である。過去においても事情は同じだったが、影響は間歇的だった。新しい考え方が、われわれの行動を変えることによって、予見しなかったような影響を世界に与える。これは、人間が、未来への展望の共有に基づき、人間の行動を統合しようとして言語を使い始めて以来、おこっていることである。現代においては、新しい観念の氾濫が、このむかしながらの過程を加速させ、その速度と力を強め、伝統的な慣習に対して、いままでよりははるかに大きな破壊力を発揮しているのである。(P639)

ほぼ最後の〆の言葉です。いかにも1917年生まれのじーさん(ご存命です!)らしいセリフですが、ここまでの長い長い歴史の叙述を踏まえると感動もひとしおでした。

現代ではイノベーションが現れては消え、現れては消えの繰り返しで、その周期も速くなっています。2000年にバブルを引き起こしたインターネットももはやインフラの一部となっていて、目新しさはありません。50年後、今の時代はどのように振り返られることになるのでしょうか。未来の歴史書を読んでみたいですね。

 

 

本書は文庫版もあります 

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

  • 作者: ウィリアム・H.マクニール,増田義郎,佐々木昭夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/01/25
  • メディア: 文庫
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世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

  • 作者: ウィリアム・H.マクニール,増田義郎,佐々木昭夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/01/25
  • メディア: 文庫
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参考書籍

マクニール博士のもう一つ有名な本です。

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

  • 作者: ウィリアム・H.マクニール,William H. McNeill,佐々木昭夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/12
  • メディア: 文庫
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類書。本書では鉄も病原菌も銃もイノベーションや大きな影響の一つとしてとらえられているので、二番煎じじゃないんかと思います。でも読んでみたい。

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

 

 

 

 近代史

大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉

大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉

 

 

 冷戦

アメリカ外交50年 (岩波現代文庫)

アメリカ外交50年 (岩波現代文庫)

  • 作者: ジョージ・F.ケナン,George F. Kennan,近藤晋一,有賀貞,飯田藤次
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/10/16
  • メディア: 文庫
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インド

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)

 

著作権切れのため、原著はネットで公開されてます

An Autobiography or The Story of my Experiments with Truth – Wikilivres

 

 中国

中国の歴史―古代から現代まで (Minerva 21世紀ライブラリー)

中国の歴史―古代から現代まで (Minerva 21世紀ライブラリー)

  • 作者: J.K.フェアバンク,John K. Fairbank,大谷敏夫,太田秀夫
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 1996/07
  • メディア: 単行本
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ベトナム戦争

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues)

 

 


書籍レビュー: 死ぬまで呪われる『旧約聖書 民数記・申命記』


 

★★★☆☆

 

民数記はその名の通りユダヤ人何人いる?と数える話が冒頭に挿話されています。なんと20歳以上の男子だけで603550人もいたそうですよ(1章)。エジプトからどうやって世田谷区の人口よりも多い100万人以上が逃げたのか疑問ですので、この数字は1ケタ(2ケタかも)盛ってあるに違いありません。

主は異教徒と不信心な民をすぐ殺します。言うこと聞かない奴には容赦ありません。民数記は血塗られた歴史書です。

民が、主の与えるマナという食物に「マナ不味い肉食いたい」と文句を言うので主は怒り、大量のウズラを鼻から肉が出るくらい食わせた後に疫病で大量に殺しました(11章)。約束の地に偵察に行った人々がその地にいる屈強な戦士を見てビビったので、一人だけビビらなかったカレブという民を除いて全員殺しました(14章)。偵察隊の報を聞いて嘆き神を信じなくなった者も全員殺しました(14章)。安息日に働いた人間を民に石打ちで殺させました(15章)。反乱した部族を地割れと火事と疫病で皆殺しにしました(16章)。エドムの地で水飲みたい腹減ったと言った民全員に火の蛇を送りつけて殺しました(21章)。ミデアンという異教を拝する民族と交わった民を24000人殺しました(25章)。さらにミデアン人も男と非処女を皆殺しにし、処女は略奪しました(31章)。

酷い仕打ちは民にだけではなく、ただ一人だけ主と交信できるくらい可愛がっているモーセに対しても行われました。水不足で民が水飲みたい飲みたいエジプトに帰りたいと文句を言うので、主はモーセに杖を授け「水出してやれや」と言いましたがモーセは疲れていたのか、民に向かって「なんでお前らに水ただしてやらなきゃいかんのや」と言ってしまいました。

主は激おこプンプン、これを「メリバの水」と呼びモーセが死ぬまで恨み続けます。この失言1回でモーセは約束の地に一生入れない運命となってしまい、しかも聖書内で何回も「お前はあのときひどいことをした」と責めます。後世の人間に対してモーセを辱めています。可愛さ余って憎さ百倍ってやつですか。まさに一片の疑いもなく信じることを強制する厳しい、って言うかキチガイな宗教です。

申命記は超退屈で、モーセが今までのおさらいを一人語りした後寿命で死ぬだけの話でした。一言でいうと「神を信じろ信じないと死ぬ。私も死んだ」

主がどういった存在なのか、モーセが突然歌いだす32章にわかりやすく表現されていました。

わたしは殺し、また生かし、傷つけ、またいやす(32章)

これでいわゆる「モーセ五書」を読み終えることができました。もう律法系はこりごりです。この内容を神学的にああでもないこうでもないと解釈したり想像力を働かせたりする人たちを尊敬します。

 

以前の記事です



書籍レビュー:わたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである『ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(上)』 著:塩野七生

★★★★★

 

舞台は紀元前49-44年。ルビコン川を超え国賊扱いとなったカエサルと、かつての盟友で反カエサルのためにかつがれてしまったポンペイウスとの戦いがメインとなります。カエサルは50-55歳。カッチョ良さが肌に刻み付けこまれた後の年齢です。

まとめ

ガリア地方(いまのフランス・スイスの相当)を平定したものの、ローマ国内の反カエサル派の台頭により、軍隊を解散しないでローマに戻れば失脚は確実となったカエサルは、軍隊を率いたままルビコン川を超えてローマを目指します。反カエサル派の代表となったポンペイウスはあまりの電撃作戦に驚きローマを放棄し、ギリシャまで逃げ自分の地盤である地中海の経済力を生かして打倒カエサルを目指します。

スペイン、北アフリカでの戦闘を経て最終決戦上はギリシャのファルサルス。兵力はポンペイウス5万4千(うち騎兵7千)、カエサル2万3千(うち騎兵1千)。しかもポンペイウスのもとにはかつてのカエサルの戦友ラビエヌスが参戦しているという絶望的な戦力差です。Zガンダムで例えるとなぜかクワトロがハマーンの元に去りアクシズ側に寝返ってるわキュベレイが7体いるわガザCの数がジムIIの2倍以上いるわというような状況です。わかりにくいですか?ごめんなさい。

主戦力の非戦力化

ファルサルスの戦いのテーマはまたも「主戦力の非戦力化」でした。ポンペイウスにはラビエヌス率いる機動力の高い騎兵7千という怖い怖い戦力がいます。こいつらに背後を取られた瞬間オシマイです。

カエサルは考えました。「じゃあ、騎兵を囲めばいい」彼はガリア戦記をともに戦ったベテラン歩兵2千を騎兵にぶつけ、身動きを取れなくして見事「主戦力の非戦力化」に成功し勝利を収めました。

ローマ人列伝:ポンペイウス伝 4 – 浅草文庫亭

百戦錬磨のシャア百式に大量のジムIIをぶつけている間に背後からリックディアスが援護射撃するようなもんですね。かなり無謀ですが成功させちゃったんだからすごい。ラビエヌスは逃亡に成功した後の行方は分かっていませんので、後日また出てくるのだと思います。ポンペイウスは逃亡先のエジプトで厄介者扱いされてあっけなく殺されます。このエジプトでお家騒動の真っ最中だったのが、あのクレオパトラなのです。次巻以降の主要人物になること間違いありません。

気になった言葉

カエサル「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている」(P36)

カエサルは捕虜を一切殺しませんでした。ポンペイウス側に立って戦った人間も全員釈放しました。ローマの内戦であるという特殊な状況もあり、極力人を殺さないことを第一に考えていました。彼が釈放した人間の中には、後にカエサルを暗殺することになるマルクス・ブルータスも含まれていたのです。

高潔な考えだと思いますが、最後の一文だけは同意できません。他の人々は変えられないです。しかしカエサルは変えられると確信していたのでしょう。しかも有言実行、本当に人を変えていく人でした。すごい人物です。

…まことに不利な情勢になったということであった。このような状態になった場合、人は二種に分かれる。第一は、失敗に帰した事態の改善に努めることで不利を挽回しようとする人であり、第二は、それはそのままでひとまずは置いておき、別のことを成功させることによって、情勢の一挙挽回を図る人である。カエサルは、後者の代表格と言ってもよかった。(P123)

私もこう生きたい。発達障害に置き換えると、第一の方法は不毛ということが身に染みています。

カエサル「人間は、自分が見たいと欲する現実しか見ない」(P285)

『内乱記』の一節だそうです。カエサルは箴言を多く残しています。

ただし、クレオパトラの方がそれを、自分の魅力のためであったと思いこんだとしても無理はなかった。女とは、理によったのではなく、自分の女としての魅力に寄ったと信じる方を好む人種なのである。(P291)

塩野さん女だからって女見くびり過ぎちゃいます?これはさすがにないと思います。

 

次巻は目次によるとカエサルの行った改革についての話題が中心になるようです。全巻制覇するまではまだ1年以上かかりそうですね。

 

 

関連書籍

 つうわけでこれは必読ですね。必ずいつか読みます

内乱記 (講談社学術文庫)

内乱記 (講談社学術文庫)

 

 

エジプト関連

アレクサンドリア (ちくま学芸文庫)

アレクサンドリア (ちくま学芸文庫)

 

書籍レビュー: 下品過ぎて残念 『中国入門』 著:ジョージ秋山

★☆☆☆☆

 

副業で中国朝鮮の記事を書かなければいけなくなったので勉強のため借りましたが大失敗しました。

小林よしのり氏の漫画もそうなのですがギャグマンガ出身の人は人物をみんな劇画化して、ある一定方向の印象を関東うどんのだし汁のように濃く濃ーく書き連ねていく手法を取るので、丁寧さとか取材の徹底とかまったくありません。おまけに例外なく下品。無駄にセクシー女性キャラを出し過ぎ。描きたい気持ちはわからなくもないがページ数と地球環境の無駄なのでやめてほしいです。

中国については知識豊富な方とお見受けしますが表現方法が私には全然合いませんでした。内容についてはコメントする気になれないです。もっと面白おかしいアホな中国像を読みたかったな。歴史はおもしろそうなのでもっと勉強します。

 


書籍レビュー: ルビコン越えってそういう意味だったんか『ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)』 著: 塩野七生

★★★★★

 

「ルビコンを越える」という言葉を時々聞きます。数か月前に読んだこの本でも出てきました。

どこで出てきたか正確な場所は忘れてしまったのですが、政府が税金を使った大々的な金融支援を打ち出すと決めた箇所だったと記憶しています。事態が流れに乗ったことくらいの意味かなぁと当時は考えていました。ところが本書を読むと「ルビコン越え」とはもっと深刻なものであることが分かるのでした。

 

本書はカエサルがガリアを平定し、三頭政治の一角クラッススが討ち死に、ポンペイウスは元老院派に取り込まれ対カエサルの尖峰となり、カエサルと全面対決を始める直前までの史実を扱います。

ルビコン越え=国家反逆罪

ルビコーネの流路(青線)

ルビコン川 – Wikipedia

ルビコン川とは現在の北イタリアを流れる川で、いまはルビコーネ川と呼ばれています。当時のローマの国境をなす川でした。この川の北側がガリア地方、カエサルが属州総督として派遣されていた地です。総督は軍隊を率いる権利がありますが、それは属州内限定の軍隊であり、ローマに帰る前、ルビコン川を渡る前に軍隊を解散しなければいけない、という法律がありました。これを破って、ルビコン川を軍隊を率いて渡ることは国家の反逆者となることを意味していました。

カエサルを排除したい元老院から「元老院最終勧告」(いまだとなんでしょうね。破防法適用とか国家反逆罪適用とかかな)をうけたカエサルは元老院にひれ伏すか反逆するかの二者択一を迫られ、反逆を選びました。それが「ルビコン越え」です。軍隊を率いてルビコン川を超えたところで本書は終わります。

ということはリーマンショック・コンフィデンシャルの政府融資の意味とは、アメリカではまず許されない絶対の禁じ手をやむに已まれず使うことになった、という意味での「ルビコン越え」だったのですね。あの本では当時の雰囲気として政府支出=社会主義=忌むべし忌むべし!という論調が支配的だったように書かれていますので、相当な決断だったということなんでしょうね。日本だとあっさり金使われて終わりになりそうですけれど。

気になった言葉たち

今回も目白押しです。

 ラインとドナウの両大河を視野に入れたカエサルによって、ヨーロッパの形成ははじまったのである。小林秀雄も書いている。「政治もやり作戦もやり一兵卒の役までやったこの戦争の達人にとって、戦争というものはある巨大な創作であった」。ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。そして、創作した。だが、キケロに代表される首都ヨーロッパの知識人たちは、これもカエサルの私利私欲の追求としか見なかった。先見性は必ずしも、知識や教養とはイコールにはならないのである。

後のヨーロッパの基礎を作ったともいえるカエサル。彼が平定したガリア地方は、そのまま現代フランスの土壌なりました。道なき道を行くものは必ず理解されないという常道を示す記述です。

 スレナスの死とともに、らくだと軽装騎兵を組み合わせた独創的で効果的な戦術を、パルティア人は忘れてしまう。考案者が死ねばその人の考案したことまで忘れ去られてしまうのは、オリエント(東方)の欠陥である。オチデント(西方)では、人は死んでもその人の成したことは生き続ける場合が多いのだが。

スレナスとは現在のイランに相当する国家パルティアの貴族です。独特の戦術で三頭政治の一角クラッススを死に追いやりましたが、彼の名声をおそれるパルティア王オロデスによって殺されました。ローマやギリシャの文化が今日まで詳細に伝えられているのは、文字の力に負うところが大きいと思います。東方には文字文化がなかったのでしょうか?ここではざっくり「欠陥」と切り捨てられていますが、ここまで言い切っていいのかどうか私にはまだわかりません。

 われわれシビリアンは、軍人たちが隊列を組む訓練や規則正しい行進に執着するのを笑いの種にすることが多いが、これはもの笑いにするほうがまちがっているのである。隊列が乱れていては、行軍でも布陣でも指令が行き届かないおそれがある。可能な限り少ない犠牲で可能な限り大きな成果を得ることを考えて、軍隊は構成され機能されねばならない。

ごもっともです。軍隊には必ず必要なことでしょう。自衛隊や海外の軍隊の隊列を見てみたいと思いました。しかし小学生や中学生に隊列を組ませる今の教育はどうかと思います。

 多国籍軍は、そのうちの一国の力が他を圧倒していてこそ、指揮系統も統一され、それゆえに十分に機能できるのである。

NATOのことでしょうか

ガリア連合軍が崩壊の危機にあるときを評した言葉です。

 私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、舞台に上がって後の出来具合で定まるという点において。舞台に上がる前に十割決まっていないと安心できないのは、並の指揮者でしかないと思う。先頭も演奏に似て、長い準備のあとの数時間で決まる。

戦闘も指揮もやったことがないので分かりませんが、コンサートで発表するとか、試合に出るとか全く同じ事が言えそうですね。試験なんかもそうかもしれません。カエサルは5万人で34万人のガリア連合軍と戦って勝ちましたが、彼の場合は戦う前から7割方勝負が見えていたそうです。

 しかし、人間誰でも金で買えるとは、自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。非難とは、非難される側より非難する側を映し出すことが多い。

今回一番ぐっときた言葉です。

クリオという護民官が元老院からカエサル派に寝返った時、元老院は「クリオは金で買われた」と非難しました。しかし実際の所クリオはカエサルの真摯な説得に応じたのであり、既得権益すなわち金が惜しい人間の多い元老院の内情を逆に鮮明にした、と筆者が考えて書いたと思われます。非難している人間を見たときや、自分が誰かを批判したいと考えてしまったとき、必ず思い返したいと思います。その非難はおまえのことじゃないか?

 

 

 

 

関連書籍

本書で言及されているフランスのガリア人パロディ漫画「アステリックス」は、次のサイトで全作品がダウンロードできます。フランス語版ではなく英語版です。

Asterix complete set : Free Download & Streaming : Internet Archive


書籍レビュー: 私益から他益、公益に至る『ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)』 著:塩野七生

★★★★★

 

カエサル特集の6冊中2冊目です。虚栄野郎ポンペイウス、カエサルが大き過ぎてつぶせない大口債権者クラッススと「三頭政治」を結んだカエサルは、最高権力者執政官に当選し数々の改革をしたのち、現フランス・スイス・ベルギーに相当するガリア地方の平定に向かいます。8年に渡るガリア遠征は彼が自ら「ガリア戦記」を記し、文学的にも一級品である一次資料となって現存しています。本巻と次巻は大部分が「ガリア戦記」を基にしているようです。

私益から他益、公益へ。などなど

気になった個所を引用していきます。

 だがカエサルという男は、「女」や「金」の項でも如実に示されたように、一つのことを一つの目的でやる男ではないのである。

 つまり、私益は他益、ひいては公益、と密接に結び付く形でやるのが彼の特色である。なぜなら、私益の追及もその実現も、他益ないし公益を利してこそ十全なる実現も可能になる、とする考えに立つからである。

この一説は最も感銘をうけました。現代に我々ができる私益から公益の実現とは、積極的な経済活動に他なりません。消費意欲が減退すれば貨幣の流通速度が落ち、不景気となり雇用も賃金も減ります。カエサルはビジネスをやって借金をチャラにし、しかも南仏の経済活動を活性化させてローマの商人に力を付けさせたでかすぎる男でした。

本書とは関係ありませんが、私もそう思います。一千万くらいお金を貯めたら、何かビジネスをやってみたいものです。

 私は、諸々のことをくっつけながらも、カエサルの叙述の仕方、ないし彼の肉声に、可能な限り近づこうと努めるだろう。なぜなら、私の書こうと試みているのは、カエサルという人間である。そして、人間の肉声は、その人のものする文章に表われる。

私の書く文章は、どのような人間性を他人に与えているのでしょうか。

 敵地で闘う総司令官にとって最も直接的な課題は、戦闘指揮とほとんど同じ比重をもつ重要さで、兵糧確保がある。戦争は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるのである。戦争が死ぬためにやるものに変わりはじめると、醒めた理性も居場所を失ってくるから、すべてが狂ってくる。

この観点から行けば、神風特攻隊は最も不合理な戦闘方法だったことになります。実際、彼らの命中率は1割に満たなかったと言います。そりゃあ兵士は生きたいです。私が戦地に行ったとしたって絶対に生きたい。

 ローマ人は、その中でもローマ人であることを強く意識するカエサルは、誓約をことのほか重要視する。多神教のローマ人だから、神との契約ではない。人間同士の制約である。たとえ異人種でも対等の人間と認めるがゆえに、交わされた誓いを信ずるのである。武士に二言はない、という言葉を持つ日本人の方が、一神教的な契約になれた欧米人よりも、ローマが重要視した人間同士の誓約にこめられた心情をよりよく理解できるのではないかと思う。

確かに神のもと平等、というよりも人間と人間が平等であるとした方が、日本人としては理解しやすいです。しかし、お互いの精神の高潔さが要求されるという欠点があります。戦国時代なんか裏切りの連続ですし、ヨーロッパが人間の上位概念である神を必要としたことにはそれなりに合理性があるんじゃないかな、とも考えます。

現に、カエサルは裏切りに厳しく、裏切ったガリア人の部族を全員死刑にしたり毎回厳罰に処しています。人間と人間の誓約はきびしいものです。

 カエサルは、プロパガンダの重要性を、当時では他の誰よりも理解していた男だった。なぜなら、「人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色を付けた形で信じてしまう」からである。

きをつけます。

「あの人が、金の問題で訪れた連中相手にどう対応するかを目にするたびに、わたしの胸の内はけいいでいっぱいになるのだった。それは、あの人がカネというものに対してもっていた、絶対的な優越感によるのだと思う。

 あの人は、カネに飢えていたのではない。他人のカネを、自分のカネにしてしまうつもりもなかった。ただ単に、他人のカネと自分のカネを区別しなかっただけなのだ。あの人の振る舞いは、誰もがあの人を支援するためだけに生まれてきたのだという前提から出発していた。わたしはしばしあ、カネに対するあの人の超然とした態度が、債権者たちを不安にするよりも、彼らにさえ伝染する様を見て驚嘆したものだ。そういうときのあの人は、かの有名な、カエサルの泰然自若、そのものだった」

旧東ドイツの劇作家ブレヒトによる作品中「カエサル氏のビジネス」におけるセリフです。まるで経営者がこうあらねばならないという理想形を示しているようです。

もしカエサルが現代に降臨していれば、ITベンチャー企業からグローバル大企業に成長するグーグル、フェイスブック、アップルのような企業を作ったに違いありません。

今回の紹介は引用ばかりでした。単行本版の1/3の量しかないというのに、感銘を受けた記述の多かった1冊でした。

 

 

関連書籍

つーわけで原著も読んでみたいですね。

ガリア戦記 (講談社学術文庫)

ガリア戦記 (講談社学術文庫)

 

 

 リーダーシップについて。

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

 

 

残念ながら彼とビジネスを関連付けた本はブレヒト氏のものしかないようですね。 しかも貴重書で高い。図書館にもないようです。

ユリウス・カエサル氏の商売 (1973年) (モダン・クラシックス)

ユリウス・カエサル氏の商売 (1973年) (モダン・クラシックス)

 

 

おお、洋書かつkindleなら安いぞ!来年発売だけど、買っちゃおうかな。。

The Business Affairs of Mr Julius Caesar (Methuen Drama)

The Business Affairs of Mr Julius Caesar (Methuen Drama)

 

 


書籍レビュー: 次回を待て『ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)』 著: 塩野七生

★★★★☆

 

おそらく本シリーズの一番気合が入っていると思われる話題、ユリウス・カエサルについてです。文庫版では本書含めて6冊がカエサルについての記述に充てられています。本書ではカエサル誕生~39歳までの軌跡を辿ります。紀元前100~61年の間の出来事です。

かぶってる

実は半分くらいの内容が前巻とかぶります。カエサルはスッラやポンペイウスの時代にも生きていたからです。通して読む人間にとってはやや不満ですが、逆に、カエサルの部分だけ単独で読みたい人にとっては嬉しい構成方法ですね。8~13巻だけ読むという読み方もあり、でしょう。

カエサル編1巻目にあたる本書ではカエサルは目立ちません。やや遅咲きの政治家として、37歳でようやく宗教職の最上位である最高神祇官に当選したにすぎませんでした。おそらく文化庁長官くらいの意味合いで、最高権力者には程遠い位置です。

カエサルの人柄

本書ではカエサルのキャリアよりは彼のパーソナルな部分に焦点が当てられています。彼を読み解くキーワードは、借金、女の2点です。

カエサルは湯水のように借金しました。借金したお金は投資のためではなく、公共インフラの構築や剣闘会の開催など、民衆への大盤振る舞いにあてられました。このためスキャンダルとなることはなく、また金ヅルである最大債権者のクラッススは、カエサルに貸した金が大きすぎるためカエサルが「大きすぎてつぶせない」存在となり、彼が有利になるように取り計らうしかできなかったと言われています。

もう一つの金の使い方が女へのプレゼントでした。パトロンであるクラッススの妻テウトリア、最高権力者である執政官ポンペイウスのムチア、そしてカエサルが殺されることとなるブルータスのセルヴィーリアなど錚々たるメンバーがみなカエサルの愛人だったと言います。しかも誰にも隠さず、公然と愛人宣言をしていたそうです。

筆者によれば女が傷つくのは自分のことを無視した場合だけ、だそうです。カエサルは全ての愛人について関係を断つことをしませんでした。前述のセルヴィーリアなど、ブルータスがカエサルに剣を向けた後でさえカエサルは彼女のことを心配し国有地を安く払い下げてやるなどの配慮を忘れなかったそうです。また、豪邸2件が建つほどの真珠を贈るなど熱烈なプレゼント攻勢をカエサルはいつも忘れませんでした。これと「公然」の効果によって彼のことを悪く思う女性はひとりもいなかったそうです。筆者お墨付きとはいえ参考になるんでしょうかねこれ。

カティリーナ弾劾

後半に出てくるカティリーナという人の謀反を弾劾した前63年の「カティリーナ弾劾」裁判でのキケロ―の演説はヨーロッパ中の高校生が訳させられる文章だそうです。日本だと何にあたるんでしょうね。いずれ読んでみます。ラテン語を勉強するなら必須なのでしょう。

Catiline Orations – Wikipedia, the free encyclopedia

カエサルがここで弾劾への反対演説をしたことが、ローマにとって重要な意味を持つそうですがこの巻ではその真意にはかする程度で踏み込まれていません。次回を待て、ということでしょう。

7巻までと同様、事前知識なしでも引き込まれ一気に読めてしまう内容ですが、やはり前回までと重複している内容が多く単独で読むには物足りない巻でした。中と下まで一気に読んだ方がよさそうです。

 


書籍レビュー: だまされないために『情報操作のトリック その歴史と方法』 著:川上和久

★★★★☆

 

川上和久(1957-)さんは社会心理学者。現在、明治学院大学の教授(出版当時は准教授)だそうです。

序盤で著者の定義する情報操作とは次のようなことです。

「情報操作とは、情報の送り手の側から見れば、個人、もしくは集合的な主体が、何らかの意図を持って、直接、もしくはメディアを介して、対象に対して、意図した方向への態度・行動の変化を促すべく構成されたコミュニケーション行動とその結果の総体である。また、情報の受け手の側から見れば、意図的・非意図的によらず、受け手の態度・行動に影響を及ぼすコミュニケーション行動。およびその結果の総体である」

これはめちゃんこ広い定義ですね。例えば最近流行の恋愛工学なんかまさに個人が個人を意図した方向に導く情報操作の典型ですね。本書はここで定義した通りかなり広い範囲について情報操作を網羅しようとする本です。そのため内容的にはどうしても薄くなってしまいます。終盤の広告についてはこっちの本を読んだほうがマシです。

 

細かなトピックでいくつか感銘を受けたものを紹介します。

人々が自発的に情報を歪めるシステムを作るのが望ましい

国家がある目的を効率的に遂行しようと思ったら、強権を振るうよりも自発的に目的を実行してもらった方がコストがかかりません。そのために必要なのは教育です。一党独裁政治政権では教育の場を家庭から学校に移すと効率が良いそうです。ナチはヒトラーユーゲントのメンバーが行進するときに家族の方を向くことを禁じましたし、中国の幼稚園には次のような歌を歌わせました。

「私の家は幼稚園、先生はお母さん。何でも教えてくれる先生についてお勉強できるのは何て楽しいことでしょう。ほかにはなんにもほしくない」

そういえば反戦小説には必ず「学校では天皇を敬うよう言われたのに親は天皇なんかくそくらえだという。非国民だ、親が恥ずかしい」という子供が出てきます。これも同じパターンですね。本書は記述が少なくメカニズムはかかれていませんが、おそらく、学校で過ごす時間の方が家庭で過ごす時間よりも長い上に、画一的に教育できますし人数の力で同調圧力が働くため効率的ということなのでしょう。

やはり大衆=アホ

ヒトラーが自ら語った情報操作の原則です。

「自由な選択を認めるよりも、対立的考えを一切許さない教旨によるほうが、国民はより強い安心感を抱くことができるであろう」

「大衆に語るべき思想を少数にとどめて、それをうまずたゆまずくり返すことが必要である。大衆は、何百ぺんと繰り返さないと、もっとも簡単な思想でも覚えこまないものである。」

「かくてスローガンは、種々のかたちで示されるべきであるが、しかし結論としては必ず一定の不変な公式に要約して示されなければならない」

小泉が人気のあったわけがよく分かりますね。ワンフレーズポリティクスはいつの時代でも強いです。これに対抗するためには、世界は複雑であること、思想は矛盾対立するものであること、繰り返すことは強力だが危険であることを常に頭の片隅に入れておかねばなりません。

7つの原則

7つの習慣っぽいですがこれはアメリカの宣伝分析研究所の作成した政治原則です。権力が行うとよい原則を調べると次のようになりました。

  1. 攻撃対象の人物・組織・制度などに、憎悪や恐怖の感情に訴えるレッテルを貼る「ネーム・コーリング」
  2. 権力の利益や目的の正当化のための、「華麗なことばによる普遍化」
  3. 権威や威光により、権力の目的や方法を正当化する「転換」
  4. 尊敬・権威を与えられている人物を用いた「証言利用」
  5. 大衆と同じ立場にあることを示して安心や共感を引き出す「平凡化」
  6. 都合のよいことがらを強調し、不都合なことがらを矮小化したり隠したりする「いかさま」
  7. 皆がやったり信じていることを強調し、大衆の同調性向に訴える「バンドワゴン」

 どれも身に覚えがあります。ニュースや他人の言説にこのような傾向があったら警戒しましょう。

 

選挙の争点は取り上げた時点で勝ち

1989年参院選の自民党の歴史的惨敗は消費税・リクルート疑惑・農政問題という材料が社会党の躍進に繋がりました。逆に、1990年の総選挙では消費税を脇に置いたため自民党が逆転して安定多数となりました。

ここからわかることは、「政党にとって有利・不利な点が争点になった時点で選挙が終わっている」ということです。したがって各党は、自らに有利な点を争点とし、不利な点をできるだけ争点からそらします。すべての政治団体について「本当にその争点は重要なのか」ということを常に考えないとだまされます。例えば今(2015年現在)なら、最も取り上げるべき争点は賃金の下方硬直による激しい格差社会と、人口減や地方崩壊につながっている高齢化だと思われます。これ以外の争点を過剰に持ち上げる党や団体のことは疑います。

ヤラセ以前に内容がどうかしてる

本書が出版された1994年はテレビのヤラセが問題になっていたそうですが、ヤラセが行われていた番組名が「激写!中学生女番長!!セックスリンチ全告白」や「追跡!OL・女子大生の性24時」であるということにがっくりしました。今でも、Yahooニュースの芸能欄すなわちトップニュースはそんなんばっかですので今も昔もみんな暇だなあと思いました。

 

操作されるということは、操作する人間にバカと思われていることに他なりません。くやしい。絶対に操作されないぞ!