何がわからないのかわからない

弁護士と警察に相談したことで、元妻に受けた精神的な支配を克服することはできた。しかし、11年間の間に反復した習慣が取れなくて困っている。

返事はハイでしょ – 六帖のかたすみ

元妻に1秒以内に返事をしなければいけないと怒られる、というプレッシャーは、意味が分かっていなくても返事をする習慣を作った。例えば外で店員さんが言っていることが分からなくても、つい「わかりました」と返事をしてしまう。一緒にいた人に「店員さんはなんて言っていたの?」と聞かれても答えられない。

これに加えて、元妻の言うことに疑問を持って否定してはならない圧力が、「わかっていなくてもわかったつもりになる」習慣を作った。元妻には「分からないことがあるのになぜ質問しないのか」とよく怒られたが、それは質問の答えが文脈的に明らか(と元妻が考えるとき)に「その質問が出てくるのはおかしい」と何十回も激怒されたからだ。

習慣はおそろしい。熟練した習慣は無意識的どころか肉体の反射と同じ速さでバッチ処理される。長い時間をかけて沁み込んだ塗料をどうやって取っていけばいいのかわからない。

わからないことをわからないと言える人間がうらやましい。ぼくはわからないことが怖いから、何がわからないのかわかりにくい。

わからないことがAなのかBなのかCなのか、即座に把握する能力がほしい。他人と会話していて、わかったつもりになっている自己を認識することが時々ある。

質問することを怖れていたから、質問ができなくなった。

もう怖れる必要なんかない。

もう怖れる必要なんかない。

何度も唱えていたら、質問できるようになるのかな。


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