書籍レビュー: 砂穴の中にいるのは私達だった 『砂の女』 著: 安倍公房

★★★★★(°ω°)

私は小説をあまり読んでこなかったので、まず一般的に強く勧められている作品から読んでいきます。自分の好みなんてものは嫌でも後でついてくるでしょうから、当面のあいだは何も考えず受動的に「有名な」ものを読みます。という気持ちでこの小説を選びました。作者には失礼かもしれません。ごめんなさい。

結果的に、この作品には大きな衝撃を受けました。他人の言うことは聞いておくものです。内容についてはAmazon掲載の書評をそのまんま引用します。

砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める村の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のうちに、人間存在の極限の姿を追求した長編。20数ヶ国語に翻訳されている。読売文学賞受賞作。

絶望と比喩と

序盤~中盤にかけて読者を襲うのは強烈な絶望感とあきらめの気持ちでしょう。私もそうでした。安倍さんの口に釣り針でもひっかけられてこじ開けられるような生々しい描写のせいです。彼は比喩が巧みで、巧み過ぎて一部ついていけないくらい想像力豊かです。

やがて、部落の外れに出たらしく、道が砂丘の稜線に重なり、視界がひらけて、左手に海が見えた。風に辛い潮の味がまじり、耳や小鼻が、鉄の独楽をしばいたような唸りをあげた。首にまいた手拭がはためいて頬をうち、ここではさすがに靄も湧き立つ力がないらしい。海には、鈍く、アルマイトの鍍金がかかり、沸かしたミルクの皮のような小じわをよせていた。食用蛙の卵のような雲に、おしつぶされ、太陽は、溺れるのをいやがって駄々をこねているようだ。水平線に、距離も大きさも分らない、黒い船の影が、点になって停っていた。

「鉄の独楽をしばいたような唸り」とか「沸かしたミルクの皮のような小じわ」などといった比喩は私にはなかなか想像できないのですが、何となく想像できるような気はします。よく思いつくよなぁこういうの。

 

 

以下の記述はネタバレを含みます。

 

 

人間社会の隠喩としての「砂穴」

主人公である男は理不尽にも穴の中に閉じ込められ実質上の監禁生活を余儀なくされます。またタイトルにもあるように、穴の住人である女との物語でもあります。女には申し訳ありませんが、私は彼女との交流の描写よりも「砂穴」そのものの構造に興味を惹かれました。

「砂穴」は外界と隔絶されていて、穴の外にいる役場の人間からの水・食料・わずかな娯楽が生活の生命線です。集落全体を守るために、穴の中の砂掻きという重労働を毎日強いられます。砂掻きをサボれば水も食料も途絶えます。帝愛グループの地下施設とあまり変わりありません。

男は穴に閉じ込められたとき、激しく抵抗し何度も出ていこうとします。穴の外でのいつも通りの人生、自由な人生を取り戻すための戦いです。

ところが断片的に記憶の中から掘り起こされる、教師として生きてきた人生、彼女(妻?)とのやり取りは全く幸せそうではありませんし、自由でもありません。

例えば自分のいなくなった部屋を想像した描写は

西陽にむれた、殺風景な部屋、すえた臭いをたてて、主人の不在を告げている。訪問者は、この穴ぐらから解放された、運のいい住人に対して、本能的な妬みをおぼえるかもしれない。

と部屋を「穴ぐら」と表現しています。あまり引用が多いのもよくないので他は省略しますが、明確に意識はされないものの、思い出せば思い出すほど彼の人生は既に穴の中に入っていたと言えます。砂穴から脱出して自由を手に入れるつもりだったのに、自由なんてものは元からなかった。男が穴の生活に慣れていくのは必然でした。

自由の象徴としての「溜水装置」

そして彼はひょんなことからもっとも重要な生命線である「水」を作り出す仕組みを手に入れました。彼はこれを「溜水装置」と名付けています。

水を生産できるようになった彼は興奮します。これで外からの水の配給を止められることによって命を脅かされることはなくなるからです。これは外の世界で決して得ることの出来なかった大きな「自由」の一つでしょう。自由を手に入れた彼は、ラストで偶然逃げ出すチャンスが与えられても逃げ出すことを選択しませんでした。

ちょっと納得できないのは、食料を生産できないから外側からの兵糧攻めにあったらやっぱり屈服せざるを得ないのではないかと思ったことです。ただ、もう少し考えていくと、「溜水装置」で十分なのかなとも思いました。

ほんの一かけらでも

私たちは穴の中に閉じ込められた存在です。人生は砂のように流れていきますし、どれだけ自由を求めたって、稼いだり生産したりしなければ生きていけません。仮に不労所得がいっぱいあってそれらから自由になったとしても死という限界を超えることは決してできません。人として生を受けた時点で穴の中にいるも同然です。

しかし我々は自由を欲します。他人や世界に支配されるのを嫌います。それがどれだけ制限のある自由であろうとも、不完全であろうとも、パン屑ほんの一かけら分であろうともよいのです。

女が穴の生活で欲したのは鏡とラジオです。

「本当に、助かりますよ……一人のときと違って、朝もゆっくり出来るし、仕事じまいも、二時間は早くなったでしょう?……行くゆくは、組合にたのんで、なにか内職でも世話してもらおうと思って……それで、貯金してね……そうすれば、いまに、鏡や、ラジオなんかも、買えるんじゃないかと思って……」
(ラジオと、鏡……ラジオと、鏡……)――まるで、人間の全生活を、その二つだけで組立てられると言わんばかりの執念である。なるほど、ラジオも、鏡も、他人とのあいだを結ぶ通路という点では、似通った性格をもっている。あるいは人間存在の根本にかかわる欲望なのかもしれない。

男は反発するも納得しています。鏡は自分の情報を得られる、ラジオはほんの少しでも外側と繋がることができる道具です。

水を生産する「溜水装置」も圧迫された生活の中の不十分な自由の一つですが、それを得られることのなんと素晴らしいことでしょう。

我々の人生という穴の中の絶望的な状況に鑑みれば、わずかでも自由を得られることは大きな収穫となります。それは未来を感じさせるものです。期待です。あとがきでドナルド・キーンさんが「なぐさみ物」と表現しています。いやそりゃ本質的にはそうなんですが、そんな軽いもんじゃないでしょう。私はこの装置に「なぐさみ物」以上のものを感じました。単に穴の生活に慣れただけだったら、彼はチャンスが来た時、即座に穴から出ることを選択するはずなのですから。

 

作者の生物学に関する造詣が深すぎると思ったら元医学生だったんですね。納得しました。この作品は折に触れて読み返したいですね。

小説面白い!まだまだ面白い作品が日本にも海外にも大量に転がっていると思うとワクワクします。

 


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